アプリ版:「スタンプのみでお礼する」機能のリリースについて

一般的には悩みの軽減は可能でしょうが、全ての悩みからの解放は・・・有りますか?有りませんか?

A 回答 (13件中1~10件)

人間は「意識」しただけで、何も出来なくなることが有る・それが神経症の『病名』


になっている。意識するのが不安と言うことならば「不安神経症」書くことなら「書徑」
人に会うことなら「対人恐怖」高い所なら「高所恐怖症」話すことなら「吃音」

症状を細かく分けていったら、何でも症状になってしまう。精神疾患の根本原因は『意識
』するところに有るといえる。それは『意識上に載せて意識する』と言う意味です。
眠ることを意識した場合が「不眠症」というもの。是は眠る時に『無意識』に切り替わらなく
なってしまうことと言える。

健常者は意識と無意識との切り替えが正常にいっていると言うこと。
精神疾患とは意識と無意識の切り替わりがうまくいかなくなったと言う事。
その原因が意識と「無意識中のの意識」との対立と矛盾、とは言っても、自我意識が
もう一つの意識を「無視、或は、使おうとしない」と言う事。

分別を捨てないと『禅問答』は解けない。分別を捨てた時に「仏性」が出てきて「見性」
と言う段取りです。『永遠』を専門とする「脳」の出番が来て『悩みの解消』となります。
『生死の問題』の解消となります。心に絶対の静寂が訪れます。

悩みの解消『精神疾患』の完治とは『心の矛盾』の解消です。全て自分で『苦しみを』作っています。
その解消も自分でする以外は有りません。薬だけではかなり無理が在るといえます。
この事は『精神科医』は余り教えてくれません。今はお釈迦の弟子も余り教えません。

お釈迦の教え、『禅』の教え、それらは全てが心に対する教え、心の有り方の教えと云えます。それは、全ての悩みの解消方法と言えます。

結論です、悩みの無い状態とは、ものに成り切る時です。『今に成りきる時』と言えます。それは『全身全霊』で生きている状態です。『金が無くてどんなに困っていても、そのために働いている状態です、「全身全霊で金が無いに成り切る時です」』金が無いとか、有るとか、他人はどうかとか、それらの事を全てを投げ出して『金が無い』に徹した時です。

理屈も何も差し挟まないときです。その時に『意識と無意識』とがお互いに矛盾しなくて共に生きています。言い方を替えたなら。

『一念』と『二念』とがお互いに矛盾しないで『言い争い』をしなくなります。その時に一番天国に近い存在になります。『是は天国も望まない、地獄も望まない』状態です。天国を望む状態が『悩みを作っているからです』

一般的には悩みの軽減は可能でしょうが、全ての悩みからの解放は・・・有りますか?有りませんか?

>>>この事の答えは簡単なことです。ものを二つに見ないことです。ものを、在るがままに見る事です、ものを『好きと嫌いで』見ないことです。ものを天国と地獄という風に『二つにして』見ないことです。

悩みとは、悩んでいる自分と、悩まない自分とを二つにして見ていることです。本当に悩みと一つになる時には『もうそこには悩みは無いと言えます』

人間の苦しみは『全てが天国を望むために』同時に地獄を作っている事と言えます。全てをありのままに見て全てを肯定する時には天国も地獄も無いと言えます。元々『悩みは無かった』と言えます。それは自分が作った妄想と云えるからです。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

御回答有り難うございました。

お礼日時:2008/10/17 22:04

 人は


 ★ 全ての悩みからの解放
 ☆ が成った存在として しかも同時に 全ての悩みを背負い得る存在として 生まれて来ます。
 あなたの悩みは すべて 過去の人びとや周囲の人びとの悩みを――なぜなら そのような人びとは うそをつくという精神のゆがみによって 悩みをたくわえるようになります その悩みを―― 内面に引き受けて 成り立っているものです。
 世界中のあらゆる悩みを引き受けて生きた人たちも いることでしょう。その悩みは 残留放射能のようであり すぐ直ちには 消えませんが 時として 何ものかによって 覆われてくるようになります。いわば人びとの悩みを そのような人たちは 《アース》となってのように 引き受けています。
 この現状 この動態としての過程 これで すでに 完全な解放は成っています。心配は要りません。贅沢な心配をすることはありますが やがて この悩みにかんしても 複数の人たちが 連帯して 引き受ける情況がやってくるでしょう。そのときには いまの昔がなつかしく感じることでしょう。
 というほらを吹きたくなりますね。 
    • good
    • 0
この回答へのお礼

>というほらを吹きたくなりますね。

なるほど御回答有り難うございました。

お礼日時:2008/10/17 22:02

生きている限り無いと思います。

『無』になれば可能ですが…『無』に成れない人間には感情が有ります。 悩みから解放されたいですが、逆に幸せや喜びも無くなってしまいますよね… 解放された時は、たぶん仏様になっていると思います。
私の浅はかな意見です。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

御回答有り難うございまた。

お礼日時:2008/10/17 21:59

困りましたねえ。

。。
6ですが、補足要求してみましたら、悩みとは何か というご質問もたてられていたのですから、訊かれても答えようのないことでした。
では私も、悩みとは本性が何かわからないままにいたしましょう。

悩みはひとりひとりの内側の宇宙にあります。
他者には憐憫、同情という立場があります。
ひとの悩みを察し、こころを同じくすること。
だが、ひとりの内側の宇宙とは、大いなる外側の宇宙の展開図であり射影図であるようにして、
しかも、その展開のしかた、射影のしかたをもって、一個の内面を持つ人たりえるのです。
その人が悩みを持ち、また、悩みに囚われ、解放されるという過程は、
その人だけのもの、その人の方程式なのです。
あなたにはあなたの、私には私の、過程があります。
悩みからの解放を、一般論などで尋ねるものではない。
あなた自身の底から生じた悩みであったなら、他者もかかわりようがあるというものです。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

御回答有り難うございまた。

お礼日時:2008/10/17 21:58

悩んでもしょうがないので寝ます。

おやすみなさい。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

寝て下さい、御回答有り難うございました。

お礼日時:2008/10/17 21:57

脳みそが正常なら全ての悩みが消えるなんてありえませんね。


全ての悩みが消えた、俺は本当に生きているんだろか?考えれば考えるほど分からなくなる、あ~もういやだ。

悩みが無いと言うのは意思がないと言うことですよ。希望が無いと言うことです。向上心が無いと言うことです。
そんなの人間ではありません。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

御回答有り難うございまた。

お礼日時:2008/10/17 21:56

すべての悩みを解消しようとしたり解決しようとすることをやめてみることです。


そうすれば解消したり解決したりする為に考え続ける必要はなくなります。
もちろん何もしなくていいということではなく、いま出来ることはすぐに
行動してみることです。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

御回答有り難うございまた。

お礼日時:2008/10/17 21:55

私が馬鹿なのかもしれませんが、


悩む、とはどんなことでしたでしょうか。
解決できたり忘却したりできるものは、悩みではないですよね。。。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

御回答有り難うございまた。

お礼日時:2008/10/17 21:55

「全ての悩みからの解放は・・・有りますか?有りませんか?」


有ります。 だから仏陀の教えがあるんですね。あなたが生まれて来る前のことを知れば、生きていること自体が楽しみであり、人生の悩み、苦難、困難がわくわくするような楽しいことであることがわかりますからね。旅先でいろいろな経験をしてるだけのことですね。旅先の旅館で目的を忘れた旅人の悩みですね。本来の目的を思い出せばいいだけですよ。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

御回答有り難うございまた。

お礼日時:2008/07/25 15:18

仏教の、四苦「生老病死」とあるように、


生きる事じたいが悩み苦しみですから、開放は死んだ後でしょうか?
    • good
    • 0
この回答へのお礼

御回答有り難うございました。

お礼日時:2008/07/22 07:43

お探しのQ&Aが見つからない時は、教えて!gooで質問しましょう!

関連するカテゴリからQ&Aを探す