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敢えて簡潔に質問します。
悪法も法なりといいます。
悪法であっても守るのが法的には正しいのでしょう。
しかし人としては悪法を守ることは善でしょうか?それとも悪でしょうか?

A 回答 (16件中1~10件)

悪法も法なり



各人で判断すれば法にあらず
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この回答へのお礼

それは質問のうちです。
それで、それは善ですか悪ですか?

お礼日時:2008/09/20 12:25

悪法で助かる人がいる以上、破ることは悪ではないかもしれないが、守ることは善行でしょう。

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この回答へのお礼

>破ることは悪ではないかもしれないが、
それは悪法を破ることは善かもしれないと捉えてもいいのでしょうか?
しかし守ることが善ですか。

お礼日時:2008/09/20 12:39

善。


理由:悪は存在しないから。
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この回答へのお礼

自分でもよく分からなくなりました。
回答ありがとうございました。

お礼日時:2009/01/19 10:17

「人としては」と言っても、「人とは何か」ということの答えがない段階では、悪も善も絶対的な評価にはなり得ないのだと思います。


その意味では「悪法でない法」であっても、必ずしも「良い法」とは限りません。

実際的な問題としては、
「悪法」という評価が総意として固定しているのであれば、守るとか破るとかいうことではなく、改善することが文字通り善ということになるでしょう。
それまでは、守るのが善か悪かは個人の都合による評価でしかあり得ません。
 
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この回答へのお礼

自分でもよく分からなくなりました。
回答ありがとうございました。

お礼日時:2009/01/19 10:17

そもそも、この質問。


「善」と「悪」の基準が曖昧過ぎます。

「悪法」→「法」なのだから、この場合「善」
と定義すれば、答えは簡単。

「悪法」なのだから、やっぱり「悪」
と定義しても、答えは簡単。

「悪法」の解釈次第です。
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この回答へのお礼

自分でもよく分からなくなりました。
回答ありがとうございました。

お礼日時:2009/01/19 10:17

しかし人としては悪法を守ることは善でしょうか?それとも悪でしょうか?



一定の条件下では「悪」ですね。 それ故革命が肯定されるのでしょう。明治維新の志士は江戸幕府の法に照らせば単なるテロ集団だったのでしょう。でも「遵法」では多くの人を不幸にすると考えたから維新があったんですね。民主主義では多数決により法が定められますから、そういうことにはなりえませんが、一党独裁、一部の人間による独裁国家では遵法自体が悪になる可能性は高いですね。体制が変われば間違いなく裁かれるということですね。でもいまだにそういう国家は存在しますね。羊のように命がおしいからしたがってるだけでしょうが、これがいちばんだめですね。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございました。

お礼日時:2009/01/19 10:30

んーこの質問は質問者自身が自分の答えをお持ちでは?



失礼。

私も敢えて簡潔に回答します。
善・悪両方。
皆さんの意見、まとめてにました。えっ勘違いか?
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この回答へのお礼

自分でもよく分からなくなりました。
回答ありがとうございました。

お礼日時:2009/01/19 10:19

民主主義社会に存在する法律観は大別すると2つになります。



まず「権威主義」の発想。これは法である以上、法は擁護されるべきという考え方です。
そもそも、世界に生きる大多数の人間は特定の分野における「論理性」というものを
完全に理解できないという考えが根幹にあります。人類が文化を形成してより
数千年経過しており、その知識体系は複雑かつ膨大なものとなってしまいました。
一人の人間がそれを学ぶためには、膨大な時間を犠牲にしなければなりません。

ではどうやって我々はその論理の正当性を評価できるのか?我々はその評価を専門家に
委ねることにより社会を運営しています。その専門家の意見を集約したものが
法なのです。実際に、素人の近視眼的・浅薄な意見よりは信頼性があるものと言えます。




もう一方は自由民権運動の基礎となった「社会契約」の発想。
提唱者は社会のどの教科書にも載っているはずのルソーさんやロックさん、カントさん等です。
市民一人一人が主役となる理論ですから、権威主義と違って一人一人が勉強する必要があります。
この意味ではしんどい理論かもしれません。



まず、法は擁護されるべきである。これは先の権威主義と同じです。しかし理由が異なります。
我々はその国家に生きる以上、自動的に「社会契約」という仮想の契約関係にあると
考えられるためです。この契約は合意の上に成り立っているわけです。
つまり、社会的に明らかに不適当な法律がある場合、我々はそれに合意しないこともできます。
言下に「法より大切なものがある場合にはそちらを優先することができる」ことを認めているのです。

この理由から、より正しい法に換えることが可能となります。
ただし、もう一つ重要なルールがあります。多数の人間で構成される社会契約を換えるには
"法律の下で正規の手続きを踏む"ことが必要とされるのです。



俺はこの法律が悪いと思うから守らない、というならず者の理屈は通用しません。
法を換えるのにもまた、多くの人の合意があってこそなのです。
現在の日本国憲法ですら、日本帝国憲法上の正規の手続きを踏み"改正"されたものなのです。



よって質問の答えは、「法である以上守るべき。ただし、正規の手続きを踏めば換えることが出来る」となります。
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この回答へのお礼

自分でもよく分からなくなりました。
回答ありがとうございました。

お礼日時:2009/01/19 10:20

日本の法律の場合考え方として、<人は法律により支配されるので無く法律を人が支配する>と言う考えが根底にあるようです。

つまり法律は一般的に考えられているように絶対的な物でなく、<人々が平穏に暮らせる為の単なる道具>という感じらしいです。ですので基本的に悪法も当然守る事が善ですが、悪法自体を日本人の大多数が否定すれば悪法その物が違法な物(悪でしょうか)に成るようです。これが選挙で選ばれた人が法律を決める間接参加型の民主主義で最終的に日本人皆の意見で決めた法律と言う仕掛けだそうです。時々違法が合法かの争いに法律その物に焦点があたり、法律その物の存在自体が問題になることが有ります。例えば古い時代に作られた法律が現代に全くマッチしていない時など、法律その物を変えたり、解釈を変えたりして弾力的運用?をしているのが現実です。がんばって答えを見つけてください。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございました。

お礼日時:2009/01/19 10:23

すみません最終的な答えが抜けていたようですが、悪法でも守ることが基本的に善でしょう。

しかし悪法その物を大多数の人が否定していれば実質的に守ることは膳でなく(悪に近くなる)。ただ善悪を合法違法に考えれば、実質だけでなく、法律その物を変える事により法的に善悪を考えるのが多分実際の所と思います。
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この回答へのお礼

再度の回答ありがとうございます。

お礼日時:2009/01/19 10:24

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