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精神分析の中でこの現代でも正論だと断言出来る部分はありますか?
あとこれは絶対に違うと断言出来る部分も教えてくれたら嬉しいです。
理由をつけてくれると嬉しいです。
あと個人的なフロイトの精神分析に対する意見や感想もお待ちしています。
俺は個人的に全部違うんじゃないかなって想います。
だけど理屈とか分からないんで、お恥ずかしい話、はっきり言って感情論です。
実験や試験の関係でこの先しっかりと読めないんで・・・だけど知りたいんです。
良かったらお願いします。

A 回答 (5件)

 フロイトはオーストリア出身のユダヤ人であることは有名ですが、彼は喫煙者でありました。

僕自身夢分析をやってみたことはありますが、一度びっくりした思い出をお話しします。僕は生死に対する不安が人より大きく、高校時代悩んでおりました。 ある就寝時のことです。夢の中にある映画のワンシーンがぼんやり浮かび上がりました。その頃僕は自己分析に凝っており、幼い頃みていた映画や当時の思い出を必死に手繰っていた矢先でした。そして、その映画が『タイタニック』の中に登場する自ら死を選んだ老夫婦であることがわかった瞬間、飛び起き泣き始めたのです。小学校4年生の時に観ましたが、かなりインパクトが強かったようです。僕は風邪を引きやすく、いわゆる幼児期は床に伏すことが多かったです。ひときわ性というものに恐怖を覚えていたし、また感じやすい性質なのでしょう。生死を選ぶという大胆さを、当時の僕は正しく認識できなかったのだと今は思います。男根期に関してはパッとしません。喫煙が赤ん坊の頃の固着だとすると、フロイトもその通りでしょうし、飲酒もしかりです。ということは、現代人の大半はヤバいことになるではありませんか・・・。僕は心気的なものが大きいと思うし、当時の社会主義の伸張が後押しした幻想のような気もします。息子がみんな親父を超えていったら将来人口が増えそうですね!
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精神分析は奥が深いので私はほんの入り口ぐらいしか知らないことに


なると思います。もし間違いがあればご指摘を。

「全部違うんじゃないかな」と思われたことには何らかの理由が
あると思います。無意識の否定などになるのでしょうか。
また男根は万能のシンボルではないのではないか?とかでもよいですが、
そのことに起因して女性蔑視的なものを感じ否定的感情をもたれるの
かもしれません。
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「フロイトの精神分析」なんて一言でいっても、その範囲は精神医学から文化人類学までをカバーしてしまうほど広大で、その中心となる概念や理論でさえフロイト本人の中で二転、三転してるんで、あなたはその全部とおっしゃいますが、フロイトの精神分析のどの時期のどの部分がどのように間違ってると思うのか、示していただかないと、たぶん誰も答えられないでしょう。



参考までに、精神分析を巡る現代的な状況を時代軸に沿って少しお話しておきましょう。フロイトは、精神分析の自他共に認める創始者ですから、七転八倒の末の学派創設となったはずです。もちろん一つの学問がひとりの人間の手によって完成されるはずもなく、さまざまな問題も残したまま、理論的にも未整理のまま、フロイトはこの世を去っており、その後は娘のアンナ・フロイトをはじめ、メラニー・クラインやアーネスト・ジョーンズ、ジャック・ラカンといった人々に継承され、多くの批判や改良を経て、現在では、精神分析的心理療法そのものは、フロイトが当初考えていたのものよりかなり規模を縮小させています。とはいえ、精神分析はまだ生きており、力動的精神療法として、精神化臨床にもその影響は甚大なものがあったと言えます。精神分析的な考え方を採る精神科のお医者さんも大勢いらっしゃいます。現在、さかんに議論されている人格障害という概念は、主に精神分析的な考え方から出てきたもので、研究も精神分析的な方面からさかんになされています。

ですから、現代の精神分析は、フロイトが構想した純粋な精神分析という形ではないけれど、しかし精神疾患やその他の問題を考える上で有効な考え方の一つとして、定着してきたのではないか、とわたしには思われます。

しかし、そういう現代的な状況を知ってか知らずか、あなたは、「全部違うんじゃないか」と「個人的に」しかも「感情論」で思ってるんですね。フロイト全否定なんですね。だとすれば、フロイトを批判的に継承したり、彼の理論を発展的に思考した現代の精神医学や、哲学思想、心理学、社会学といった学的成果は、あなたにいわせれば「個人的に」しかも「感情論」で否定されてしまうわけですね。わたしは、フロイトの理論に共感を覚えるので、あなたがそんな風に簡単にひとりの人間の強靭な思考を否定してしまうのは、とてももったいなく、残念な気がします。

とりあえず、フロイト本人が、あなたのような精神分析に親和性のない人たち(当時のウィーン大学医学部の学生ほか)に向けて著した『精神分析入門』と言う本を一度お読みになってはいかがでしょうか。新潮文庫から出ています。それとフロイト理論の批判と継承については妙木浩之氏の『エディプスコンプレックス論争』という本をお読みになれると良いでしょう。これは講談社選書メチエというシリーズで出ています。どちらも一般向けですので、専門家でなくとも読めます。
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チョット違った視点で「心」なるモノを研究して見たいと思います、よろしかったら見てください。


私は、瞑想や洞察を通して「心」なるモノを研究しているものです。あなたの直感
>俺は個人的に全部違うんじゃないかなって想います。
は、鋭い直感で,私共のように,真理的に「心」を研究するものには当然の事です。
もちろん、あなたもご承知であるとおり,学問には二つの道があります。一つは真理探求の道、もう一つは、どうやってこの世界で生き続けるか?を研究する道です。だから「フロイトの精神分析学」「心理学」等々のものは、「いかにして、この世界(社会)で生きき続けるか?の一つのテクニックとして存在が認められる学問」で、「真理探求」の道では無いのです。もしあなたが本当の「心」{真理」を知りたいなら、一つの「真理」を提示します。それは「何時も今」という現実です。いいですか?どんなに時間が経とうが日時が過ぎて行こうが「あなたにとって、何時も今」なのです。この世に嘗て「今」でなかった事はないのです。現実です。「心」なるモノは、「今』と言う現実(真理)に発生し過去となった、貴方自身の経験,体験,傷心の積み重ねで、ご承知のとおり、過去を分析、論理等「いじくり回しても」「今(真理)に戻す事は、決して出来ない」のです。
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おそらく、学校で習うフロイト理論は、もっとも基礎的なものだろうと思われます。

しかし、実際の臨床においては、フロイト以降も研究され発展して来た理論により、修正され、改良されて使われています。わたしは、フロイト派の分析は受けたことはないのですが、分析の最終局面は、被分析者が「自分の理論」(自分のフロイト理論)を持つことでないかと感じています。
しかし、心理療法における理論の役割の問題を考えるとき、フロイト理論がうまく機能しなくとも、勉強の一助になるとするなら有用なものだと言えます。
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