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ほぼ二世紀半におよぶ日本の鎖国の功罪とはいかなるものでしょうか?また、その影響は現在の日本人の外国理解のありかたに残っているでしょうか?

A 回答 (1件)

鎖国の功罪は広範囲に及ぶので一部のみ私の見方を下記します。



鎖国という言葉のイメージは鎖国をしていた日本人が作ったものよりも鎖国をしている日本を遠洋航海の補給基地や交易国として開国を迫った当時の列強側のイメージが強いと思います。事実は日本が完全な鎖国をしたことは一度もなく、ポルトガル(後にオランダがとって代わる)中国を通じて、又変則的には琉球や朝鮮を通じて物や情報は途切れることなく流入しています。これが鎖国問題を考える時の
前提です。

功罪の功の方は鎖国期間に発達した日本文化の数々があり、工業国の元になった精密な加工技術が発達しています。功の方は省略して罪(影響)の方を見てみたいと思います。

1.まず海外渡航禁止(人の往来)が長く続いた結果、ポルトガルとの交易で地球規模の世界観が広まりかけたところでストップし、昔に返って世界は中国、朝鮮、インドどまりとなってしまいました。
2.この間に日本人は自らを他と異なる人種(国民)と考えるようになり、他国民が文化や言葉が違っても同じような人間(仲間)と見ることが出来なくなり、恐ろしいものか、軽蔑すべきものと捉えるようになったようです。
3.国際交流の基礎である隣国や近隣諸国との付き合いを経験しないまま開国した日本は欧米一辺倒となり、アジア人を蔑視(無視)する形で近代化が始っています。
4.段階を経ずしていきなり欧米文化に接した日本人は内と外の格差に驚き、欧米文化を吸収することに急で自国文化を世界の中で正しく位置付けることも出来ず、外国人の評価に頼りきったようです。内と外を異常に意識し、外の評価を最優先する考え方はあらゆる分野で今日まで続いています。

外国人は日本人が考えるほど日本人を特別視していませんが、日本人自身が特別視している事に驚き、結果として日本人は日本(文化)に埋没した変わった国民だと思うようになるのではないでしょうか。その答えを求める中で長い封建制度と鎖国政策がキーワードとして浮かび上がってくるのかもしれません。私が外国人に日本人の特性を説明するときは、本当の日本人は鎖国以前にあったのだ、もしあなたの考えている日本人像に合わない日本人がいるとすれば(例えばラテン的な)それは鎖国以前(江戸時代以前)の日本人の血がなせるわざかもしれないと説明しています。外国の歴史や国民を語るとき、歴史のある時期だけで評価せずもっと長いスパンで見る必要があると思います。日本人は徳川体制、侍の時代だけでなく、明治維新からでも130年、鎖国時代以前が千年以上あることを忘れないようにしたいものです。外国人は江戸時代の日本人(侍社会)をあまりに強く意識しています。

あなたの期待していた答えになっていなかったら補足下さい。
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