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原始宗教においては土偶などに見られるように女性は豊穣の象徴として崇拝の対象であったように思います。(私の仮説に過ぎませんが)
しかし、仏像となるとほとんどが男性です。巫女さんはいますが女性の神主さんが地鎮祭を執り行っているのは見た事がないし、尼さんがお葬式を執り行っているのもあまり聞きません。
宗教における女性と男性の地位はいつ逆転したのでしょうか?

A 回答 (5件)

>宗教における女性と男性の地位はいつ逆転したのでしょうか?



<マグダラのマリアと聖杯>を書いたマーガレット・スターバード氏によると、女神崇拝が地上からなりを潜めたのが、紀元前3500年頃 とのことです。


古代においては、女性のみに相続権があったそうです。
古代エジプトでもそうで、巫女的な職業の人が、集団のリーダーを選出しており、その巫女が認めないと、ファラオになれなかった。
その巫女と結婚することで、地位も財産も与えられたわけです。


聖書を読むと、やはり、女性に相続権があったとわかります。
ヤコブは叔父のラバンの元に奉公をして、嫁をもらったとなっています。
後で書き換えられた可能性がある。
母権社会から嫁をもらうことで、財産分けしてもらったのではないかと。

ルツ記では、ナオミは夫を亡くしたので、母権社会に戻るところだが、気の毒に思って姑のルツの元のとどまった。
レビレート婚なわけですが、レビレート婚は、夫を亡くした妻は、夫の兄弟と結婚しなければならないという法律。
母権社会に戻ってしまったら、嫁いだとき持ってきた財産を持っていってしまわれるので、それを防ぐために、戻らせない法律を父権社会になったとき、作ってしまったのではないか と。

ユダヤ教の建物があったところを発掘すると、たくさんの女性の像が出てきたそうです。
ユダヤ教といえば父権社会のようですが、月的な秘められた思想はあったと思えます。
エルサレム神殿には3つの塔が建てられていたのだとか。
至聖所はエロヒムとシェキーナの寝室とされていたようです。
エルサレム神殿がローマ帝国により破壊されたとき、寝室も破壊され、エロヒムとシェキーナは離れ離れになり、今もエロヒムは天空でシェキーナを探して一人で暮らしているという伝承がある。

キリストってギリシャ語で、ヘブライ語のメシアを翻訳したもので、メシアって、油を塗られた者という意味。
地上の女神の体現者である巫女との聖婚の際に、油を塗られたというわけです。

この油を塗るというのは、インド方面の宗教儀式であり、そっち方面は、男根に油を塗っていた。
この風習がユダヤ教に入ると、頭が男根の比喩になり、頭に油を塗るとなった。

で、インド方面の宗教もやはり女神の地上の体現者の巫女との聖婚を意味していた。

子沢山を願う風習。
これがギリシャ方面に入ると、女神にたくさんのナニがぺたぺた張られる像になったわけです。
子沢山を願う像なわけです。

ところが、男根崇拝が度を越して、女神の祝福という概念が薄れ、地上の部族を率いるリーダーが強ければ、その人は男神の子だってなっていった。


如実にその思想が見えるのが、ローマ帝国の初代皇帝。アウグストゥスだったと思います。

で、男神の子という思想をさかのぼって確認できるのは、ホルス。
紀元前3000年頃の神話。
太陽の具象化。
ミトラ、クリシュナ、ダイナイシス、最近ではイエス。

ただし、完全に女神崇拝が終わったかといえば、ヨハネの黙示録で、天使の怒り とか 女神が太陽の衣を着て とか女神崇拝の思想が現れている。

女神の特徴は三相一体。
創造ー養育ー破壊。
だからヨハネの黙示録では生命を生み出す女神が、破壊もするとなっている。


で、インド方面では、クリシュナとて、女神から生まれ、女神は自らを生み出したので(だから性交なしに自らを生んだから永遠の処女)、クリシュナより女神の方がすごい ってなったのですが、その思想は劣勢になった。

やがて父権的な仏教ができて、仏教では女性は成仏になれないとなった。
もう既に創造の力を持っているって意味でしょうか。
じゃあ 変化してなる必要は無いので、確かにならない。
(仏教ではそういう意味で成れないと言っているわけじゃないですが)

ちなみに、Y染色体を生み出したのはmtDNA。
アダムからイヴが生まれたのではなく、イブからアダムが生まれた。
遺伝子学ではそうなっている。


巫女は、日本には巫女は資格が無い。
誰でもなれる。
従って民間宗教で「御祓いします」と対価に変えても法律にひっかかりません。
だからお正月に聖なる場所で、女子学生がバイトでやったりできちゃうわけです。

お正月でお清めはバイト生がするが、さすがに地鎮祭は、勉強を積んだ神主にやってもらった方が、なんか効果がある気がします。

尼さん。
尼さんってどちらかというと世捨て人という印象があります。
昔 社会から排除された人々が、お寺に男女ともに雑魚寝していたそうです。
お寺は救済所だったわけで、世を捨てるという意味で、女性も男性も頭をそったのではないかと。

髪の毛が生えると煩悩が生えると同一視したんじゃないかと。

で、キリスト教は毛に力があるとして、魔女だとした人の股間の毛までそり落として、魔女の力を封じてやったとしたんですね。
しかも小股広げてクリトリスを見て「うわ ペニスをここに隠していた。女に化けた悪魔だった。火刑だ」とか騒いだらしい・・・・。


迷信って怖いんです。


で、そんな父権社会のキリスト教ですが、キリスト教はマリア崇拝があったから、生き残ったと私は見ています。
だから、逆転していない。

女神崇拝は、月のようにひそかに、しかし、しっかりと存在し続けているんです。

映画を見ると、わかります。
人々は困ったとき、十字架のイエスの足元に行ってお祈りせず、マリア像にすがっている。

カトリックでは一信者がイエスにお願いごとをしてはいけないことになっていますが、マリアならOKとしているせいかもしれませんが。

キリスト教によって悪魔にさせられた土着の女神たちに、すがっているって考えた方が自然。

キリスト教の建物、イエスじゃなくてマリアに捧げられています。
古代ギリシャ方面では、女神が神殿を支えているという概念があったから。

ほら キリスト教自体、女神崇拝によって支えられていますでしょ?
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この回答へのお礼

詳しいご回答ありがとうございました。
お礼が遅くなって申し訳ありません。
ご回答の中にある様々な事、もう少し勉強してみます。
ありがとうございます。

お礼日時:2008/11/23 23:15

 No.4 kigurumiさんのご回答ですごく面白い(全部面白いが)のは、≪レビレート婚なわけですが、レビレート婚は、夫を亡くした妻は、夫の兄弟と結婚しなければならないという法律。

母権社会に戻ってしまったら、嫁いだとき持ってきた財産を持っていってしまわれるので、それを防ぐために、戻らせない法律を父権社会になったとき、作ってしまったのではないか と。≫

 マハバーラタ物語でも、ヴィアサは亡くなった異父弟の、二人の奥さんと結婚というより、子を産む役目を、当時の法律で行いますね。
 これが父権社会の成立と維持のためなのかどうかはともかく、王位の継続からの必要と、説明されるのですね、ヴィアサは。
 これにはバガヴァッド・ギータの創造界の展開に関する寓意が秘められてはおりますが。
 ご回答のような、歴史的事情や経緯を教えられるととても勉強になりますね。
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子供を生み育てる意味では、男性は手も足も出ないので崇拝の対象になったと思われます。

でも、子沢山で生活に追われた人はそうとも言えないでしょう。その場合は収穫の恵みの象徴として崇拝されたと考えられます。

 仏教は釈迦(男性)ですから当初から女人禁制とも考えられます。釈迦が女性をどの様に見ていたかによるでしょうが。お釈迦様も、出家する前は所帯持ち(王子)でしたが、そんな生活に納得できなかった、そんな印象があります。

 女性の神主さんは居ます。お祓いして貰い、改修工事をした事があります。(後にも先にも一回っ切りでしたが)結局のところ、構造体の鉄骨の腐食が思った以上に激しく、全て解体して終了しました。(笑)  無論、神主さんの責任では無いでしょう。その神主さんが、新車の“魂入れ”と称して車を清める事は、今でも良く聞きます。 

>宗教における女性と男性の地位はいつ逆転したのでしょうか?
仏教に関しては元々男性社会と思います。 キリスト教では"父なる神”と言います。その場合、豊穣神として登場するバアルやアシュラは、男をだます邪悪な神として登場します。この場合、インド仏教の阿修羅とは別人のようです。

※最後に、その時代の社会の状況を反映している様にも思いますが。

 以 上
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 六車由美氏, 『神、人を喰う-人身御供の民俗学』

http://ci.nii.ac.jp/naid/110006251104/にこの関連を扱っています。
 巫覡 でも女が先です。
 いろんな民族の、民俗の神憑依でも女性が主で、男性が介添えしています。仕えています。
 私たちのヒンドゥの勉強・精進でも、創造の意識になる神は男性名です。そして最初にその観念で創造するのはガンガという女性です。
 ここから創造が開始します。
 太極から最初に出るのが、中に含まれているのが、陰です。それから陽が発生します。
 創造の経過途中で、本源の神の意識が創造のうるさい、派手なところからかくれます。見えなく為ります。wakeful意識、理屈、区分という認識が出てくる段階で、神は見えなく為ります。ここから男性的になります。そういう意識展開過程の結果がこの世界ではあります。
 そして歴史や民俗ではどの時点かというと、私は国家という知性産物(統治は知性)の出現して、間もないときだと存じます。
 だんだん宗教が理論や理屈で構成され始めたときからだと存じます。
 国家統治は知性と恐怖に依拠します。定義体系としての法規規範の出現が、宗教に及んでいった。ということだと存じます。
 これは騎馬民族に、強いフォースとしてあり、発生し、影響していったと存じます。
 欧米の歴史と社会などに大きな契機があると観察しております。
 私たちの勉強と精進ではそのように、私は思っています。
 
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自然に敬意を払わなくなったあたりで逆転です。


でも罪でも悪いことでもないんですよ。
なぜなら「知性」「意思」などを持ち合わせた人間は環境を作り変える能力が(仮の話として)神より授けられているからです。
そうして発達したのが現代文明ですが、文明の根幹はあくまでも農耕です。
やはり自然と密接に関係があります。
この自然を忘れて文明を享受する収奪者の罪悪感はニセモノです。
ただし正しい信仰を持てて始めて実感できることです。
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