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 私は聖書の勉強をしているものです。聖書の中には神様は「その種類にしたがって増えよ。」と言っています。つまり生物はその種の内無いで増えていくように書いています。つまり進化完全否定です。
 また欧米では進化論はまだ仮説として扱われているようですね。事実、学校でも進化論と聖書の神による創造を両方教えているようです。

 みなさんは進化と創造論どちらを信じていますか?また、その信じた理由をお聞かせください。

A 回答 (19件中11~19件)

あと1億年も人類が存続できればおのずと答えを知るでしょうが・・


それまで人類がいればいいですね。

この回答への補足

一億年生きることがなくても、分かると思いますよ。
様々な状況証拠や生物学などから進化論が確かなものか、そうでないのか考えることはできるでしょう。それが科学的な見方というものです。

補足日時:2008/12/16 18:42
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ちょっと、設問からずれるかもしれませんが、


進化論と創造論を、どちらが倖せに近づけるかで考えてみました。
下記が、その考え方です。

自分が何ものであるのかを知ることは
人の生き方に影響を与える。

人は、意識がその人なりを決めている。
人が何を意識して生活しているのかで
当然のごとく、生き方が変わる。

「人間は猿のようなものから進化した」
という進化論も一つの信仰である。
それは、証明されているわけではなく、
人間的想像力が、納得しやすいというわけである。

一方で、創造論は、
「人は神が創造した」
という単純な信仰となっている。
それは、証明というよりも、
「信じて生きるか」「信じないで生きるか」の
意識の選択である。

さて、その意識の違いはこうである。

「進化論」
私の遠い過去の先祖は、「猿のようなもの」である。
私は進化の頂点にいて、私を超えたものはない。

「創造論」
私の先祖は、「神が作られた子」である。
私は神の子孫であり、まだまだ天の父には届かない。

どの意識で生きるのか、決めるのは自分である。

現代を襲う「うつ病」の危機から救うのは
どちらの意識だろう?
自分の存在意義を見い出せるのはどちらだろう?
死ぬ間際に、満足できるのはどの考え方だろう?

年間約3万人、1日約80人余りの自殺者は
何を求めていたのだろう?
何を失ったのだろう?

心を守らずして倖せはあるのか?
意識を育てずして満足感は生まれるのか?

人は、何がしかのものを信じないで生きることができない。
何を信じるのかで、人生が変わる。
何も信じないという人も、
「信じないという信念」を信じている。

あなたの宝物とはなんですか?
それが、あなたが仕える物であり、信じるものです。
「お金?」「財産?」「地位?」「名誉?」「人脈?」「才能?」
「健康?」「美?」

「あなたがたの宝のある所には、心もあるからである。」
(新約聖書ルカ12:34)
「仕えたいと思うものを、今日、自分で選びなさい。」
(旧約聖書ヨシュア24:15)

私は、時代に揺り動かされない価値観を持ちたくて、
クリスチャンになりました。
今、心の安定があります。
どんなに、時代や環境が悪化しても、心の中には安らぎがあります。

以上、決めるのは、みんな自分自身です。

この回答への補足

miyarabiさんの『決めるのは、みんな自分自身です。』という見解は正にその通りでしょう。どんなものを信じるにせよ最終的に自分が何を信じるのかというのは、その人に委ねられていると思います。

しかし、世の中には人の意思によらない客観的な真理というものもあるでしょう。そのような見方をした場合でも私は進化論は無理があると思います。

また、神の存在については、信じたほうが幸せであり有意義な人生を送れる。私もそのように感じています。

補足日時:2008/12/16 18:35
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聖書は神の言葉と言われていますが、それは違うと思います。


神を信じる者が書いた書物には間違いないと思いますが、神が書いたものとは認められません。
神が啓示して書かせたかもしれませんが、100%正しい書物であるとは限らないと思います。
私の考えでは創造の過程で進化があるのですから、進化論も創造論も分けて考える必要はないです。
神は聖書ではありません!

この回答への補足

神は聖書の言葉ではないとあなたはいいますが、私はそうは思いません。聖書には人知を超えた知恵が収められておりまさに真理です。あなたのように疑いを持つ人もいますが、その人々はほとんどが聖書を最初から最後まで注意深く調べた事が無い人です。あなたは聖書についてきちんと調べた事がありますか?また読むだけでもいいので最初から最後まで読んだことがありますか?もしそうしたなら、その様な結論にはならないと私は確信できますが。私は聖書は100%正しいと言い切ることができます。

神が聖書だなどとは私もいいません。
しかし、はっきり言います。聖書は神からの手紙である!

補足日時:2008/12/16 18:27
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>欧米では進化論はまだ仮説として扱われているようですね。



はい、そうです。1996年まではね。でも今は違います。

1996年に、バチカンの前ローマ教皇ヨハネ・パウロ二世は、「人の体は自然の過程によって進化したことを認める」というカトリック教会の立場を述べるとともに、「進化に関しては大量の証拠が積み重ねられた結果、「仮説に留まらない」程になっている」とこれを認める発言をしています。

ですから、ただ今進化論を認めないのは原則として米国だけです。ブッシュ大統領がイラク戦争を、つい口が滑って十字軍と言ってしまったように、これはキリスト教の言葉で言う、good 対 evil (悪魔)の戦いであると今でも言ってます。彼等はできることならアメリカ人が指導して、世界中のevil をこの地球上からなくすことが正義であると思っているようです。

私はアメリカに住んでいますが、最近の統計調査の結果をこちらのラジオで聞いていたら、95%以上のアメリカ人が悪魔の存在を信じていると言っていました。神の創造説を信じている人の割合は80%だそうです。また、50%以上の人が毎週教会に行きます。これは、フランスの15%、イギリスの5%と比べると大変な割合です。多分日本でこれに匹敵する熱心な信者は、創価学会の人達かなと思っています。ただし、私は創価学会の方々の宗教熱心さに感心こそすれ、非難をしては居りませんので誤解なさらないように。アメリカを想像するには、3億総創価学会員と考えてみれば良いのではないでしょうか。ですから、アメリカは世界の中でトップクラスの異様な原理キリスト教主義国家です。そのような原理主義国では、キリスト教の教義やその坊さんなどの権威方の主張と反する主張は科学的に証明されたことでも受け入れらて来なかったというのは、長い人類の歴史を振り返ってみれば明らかでしょう。このような例外的な国でだけ、進化論が問題にされていることをお忘れなく。

この回答への補足

進化論を金科玉条のように掲げあげている人はその内容を確かめない人だけです。
 化石の証拠の不十分さ(化石は進化の漸進的な経過を表していない、突発的にある生物から、ある生物に進化している)、遺伝学との矛盾(遺伝子の主要な機能は自分の種から進化することではなく、むしろ自分の種の保存)、また突然変異の説明の不十分さ(突然変異は生物体の組織的複雑さ及び、その複雑さが増していく事の説明にならない)
 進化論は少し調べただけでこれだけの疑問が出てくるのです。進化論者はこれらの疑問に対する明確な説明をしていません。まさに穴だらけの学説です。

 ローマ法王がそのような見解を言ったかもしれませんが、私たちの協会では依然、日本でも創造説をとっています。キリストを信じるローマ法王はがそのように言ったからといって、私は彼の言っていることが真実だとは信じられません。カトリック信者は世界に多くいますが多数派が必ずしも真実を語っているとはかぎりません。物事は思慮深く洞察する必要があります。

第一パラグラフで書いたことをよくよく考えて答えを出す必要があると思います。

補足日時:2008/12/16 18:07
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こんにちは。


科学で証明できることを宗教や哲学で論ずる必要はないと思います。宗教や哲学といいますのは科学では解決することのできない問題を扱うものです。

聖書が進化論を否定しているわけではありません。聖書を正当化しようとするひとたちがその事実を受け入れられないだけです。進化論が科学的事実であるならば、それを信じる必要はありません。単に新しい事実として受け入れれば良いだけの話です。
聖書に書かれていますことはそれこそ無数の知見に培われたものでありますから、その時点では恐らく誤りはないと思います。ですから、果たして進化しなければならないのは聖書の方であり、これによって科学の発達を否定することはできないはずです。事実、キリスト教では宗教改革も一度行われています。そしてもちろん、これで神様の存在が不要になるということはありませんでした。

宗教・哲学といいますのは科学では解決することのできない問題を扱うものです。例えば、水爆を使えば一千万人をいっぺんに殺すことができます。科学ではこれを事実として扱いますが、科学の力で立証できるのはここまでです。では、この科学的事実に基づいてそれが何を意味するものかを問うのが宗教や哲学の役割です。
宗教が行うのはこの一千万人の命を救うことであり、科学的事実を否定することではありません。神様といいますのは人類を正しく導く存在であり、聖書とはこれによって見出された知見を記すものだと思います。
何が正しいかは神様が決めることですし、人類が選択するのはそれが示す新たな道です。従いまして、神様に気に入られようと進化論を否定するのはたいへん愚かなことだと思います。

この回答への補足

聖書を注意深く読めば分かりますが、聖書は科学で解けない謎を解き明かすために作られた書物ではありません。その中には人間がいかにすれば幸せになれるか、神による救いはどういう物かということが書かれています。科学の補助的な役割の書物ではりません。また聖書は明確に進化論を否定しています。創世記1章24節を開きますと、神は『地は生きた魂をその種類にしたがい、家畜と動く生き物と地の野獣をその種類によって出すように』。と言っています。これは生物はその種にしたがってしか子孫を残せないことを意味しています。また、あなたは進化論を科学的事実と言っていますが、進化論者の数だけ進化論説があるのをご存知でしょうか?進化論は確かに至極当然の事のように教えられてます。しかしかなり矛盾に満ちた学説です。ここではその説明は省きますが(もし興味があればまた書き込んでください。)
また聖書が変わると言うことはありえないことです。私たち聖書を読んでいるものは聖書を真理として取り扱っています。それは神からの手紙であり、ほんの少しも間違ったことは書かれておりません。よって聖書が変わることはないのです。

また水爆の使い方については答えを出せます。それは聖書がいかにすれば人間が幸せになれるかと言うことを扱った書物だからです。聖書に書いてある『あらたの隣人を愛しなさい。』また『あなたの敵をも愛しなさい。』という言葉を適応すれば、しっかり考えられる人ならば核融合反応をどう人の役に立てられるか導けるはずです。

このように聖書は人間の行動規範にもなりうる書物です。単なる読み物とは訳が違うのです。

補足日時:2008/12/16 17:28
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私もあちこちの国へも行きましたが「猿」を神様として祭っている国はなかったですね。

多くの国では古代より先祖を祭る風習がありますからもし「猿」が人間の先祖なら例えば「ご先祖・猿神神社」があってもよさそうですね。これは考古学者の問題で生物医学者の問題ではないんでしょうね。つまり「人間」は太古より「人間」なんでしょうね。そういう理由で「創造論」が正しいと思ってます。環境への適応という点では「進化論」も是としますが、あるがままでしょうね。聖書の創世記には「くじら」が出てきますがいまも「くじら」いますものね。
ダウインの「猿→人間」進化論を信じてる人は猿をご先祖様と祭るべきだと思うんですが誰もそうしないよね。これも不思議なことだと思います。
ちなみに私は仏・神に「人間」として創られていますから「猿から進化した人間もどき」を見て楽しんでいます。
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欧米ではまだキリスト教の影響が残っているので、聖書の創造論を信じている人が少し居ます。

でも科学者で創造論を信じている人はほとんど0です。ダーウインの唱えた進化論は創造論よりも全体につじつまがあうので広く受け入れられ、いろいろその後の学者によって更に改良され、今では普通の常識になっています。以上が欧米での流れですが、日本で創造論をまじめに信じている人は、キリスト教の信者の一部だけだと思いますよ。進化論と生物学の世界的な権威であるドーキンス氏(英国人)が最近著した「神は妄想である」を読まれたらそのあたりがしっくりと理解できると思います。

この回答への補足

あなたは科学者で創造論を信じる人はほとんど0です。といいますがそれはあなたが知らないだけです。カール・セーガン、ロバート・ジャストローなど著名な実績を残した科学者が創造論を信じています。

また創造論についてですが、私は人数の多さを問題にしているのではありません。論理的に考えてどちらが正しいかです。

補足日時:2008/12/16 19:14
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たとえば大野乾氏による遺伝子重複説などを虚心坦懐にお読みなってみてはいかがでしょう。

おそらくこの説を含めていわゆる自然科学による説明は聖書の内容とはかみ合わないのでどちらを信じるというような問題ではないと思います。実際ビッグバンにしても聖書の言う創造とおそらく関係がないことではないかと思います。ビッグバンは進化の原点だと思います。しかしビッグバンの前宇宙はどうなっていたのかなどについてはいろいろな説があるようですが、これとても聖書とかみ合うような話ではないように思います。

この回答への補足

自然科学による説明は聖書と矛盾しないことがほとんどです。地質学、衛生学、医学、考古学、その他様々な分野でそれは明らかになっています。また聖書の記述の始まりは天地創造ですからビックバン以前の宇宙については記述が無いのです。話がかみ合うもくそもありません。

補足日時:2008/12/15 06:25
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私は自然淘汰派です。



キリンの首は何故長いのか。

よく言われるのが、キリンは高いところの葉を食べるために首が長く進化した です。

私は違います。
環境に適応したから、生き残った です。

突然変異ってものがありますよね。
突然変異で、特徴が違うものがつぎつぎ生まれる。
その中で首が長いものも生まれたとしましょう。

地上では、強いものが食べ物を独占し、負けたものは追われて餓死。


背が高ければ届くが、背が低いものは届かない。
地上のものは食べれるし、高い木のなっているものも食べれる。
地上近くに生えているものより、食料を得やすいので生き残りやすい。


ホモサピエンスにしても、突然変異の亜種とか言われています。
トルコにあるカッパドキアの洞窟は、迫害されたキリスト教徒が隠れ住んでいた場所だそうですが、その前誰が住んでいたか。
クロマニヨンという話を聞いたことがあります。

じゃ クロマニヨンはどうして絶滅したのか?
もしかしたら、ホモサピエンスと混血したのかもしれない。
染色体の数が一致すれが交配可能だったんじゃないかと。


というわけで、クロマニヨンの特徴を持つ人間を探せばいいのですが、、、、
クロマニヨンの染色体の数っていくつ???

http://oshiete1.goo.ne.jp/qa2199536.html

んーーー
よくわからない。



http://www14.plala.or.jp/tm86/newpage3.html

んーー 突然変異だと減少する?

んーーーー
んーーーー

どうなんでしょうね。


mtDNAは2千年くらいの周期で、突然変異を起こすそうです。
ウイルスだと、全然早い突然変異を起こすそうです。
だから、人類はウイルスとの戦いの歴史だったのですが、ウイルスを負かしてきたので生き残ったが、MRSAだと抗生物質に耐性を持つ。
ウイルスの突然変異 すごいです。
何も人間をやっつけようと進化したわけじゃなく、突然変異で、抗生物質が効かないウイルスが誕生したんじゃないか と。

といっても、どこにでもいる菌で、病気して防衛機能が低下した人しかくっついても発病しませんが。


というわけで、ホモサピエンスが誕生して、一度も突然変異を起こさなかったとは思えない。


アフリカ以外の世界の人類の祖先はサン族だとされますよね。
サン族はどちらかというと黄色人種だそうですが、そこから青い目の人や肌の白い人、東洋系、アボリジニー系などなどにそれぞれ進化したとは思えないです。

カリブの人は、アフリカのサン族以外の人が連れてこられて混血になったのだと思いますが、アボリジニーの遺伝子は、そっち方面の種族とは違うそうです。
やはり我々と同じようにアフリカから出たグループの子孫だと思えます。


突然変異で、環境に適応できた種が子孫を増やしていったと思えるんですね。

環境は何も自然だけじゃなくて、ウイルスに対して強い種だと生き残れるし、一日に何度も体を洗う習慣があるグループだと、ウイルスが活動する前に、洗い流すので、ペストにかからない。
ユダヤ人グループのみがペストの大流行の時かからなかったので、ユダヤ人が災いをもたらしているとされ、迫害されたそうですが、洗う習慣があったので、感染しなかっただけ。


いろいろな要素があったでしょうけど、その中には人工的なものにより数が減ったこともあったと思えます。


逆にジンギス・ハーンのY染色体は強かったようで、彼のY染色体を持つ人は、ものすごい数なのだとか。


で、要するに、環境に適応するために、構造を変えたのでも、地球外生命体が人間を作ったわけでもないと思く、サイコロを振って出た芽の種が誕生し(突然変異)それがたまたま強かったら、生き残るってことじゃないか と。

それでもいつか地球が小さくなって核爆発起こしたら、地球上にいた生命体は絶滅します。
進化も創造もへったくれもない。

ぼっかーんと爆発して物質となり、火の玉が固まって、生命が誕生する環境が整えば、また無機質から有機質ができあがり、生命体が誕生し、突然変異を起こして、いろんな種類が誕生するんじゃないか と。
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