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最近、宗教について興味を持つようになりました。たとえばイスラム教では女性の地位が低かったりヒンドゥ教にはカーストがあったりと、宗教によってさまざまな考え方の違い、特徴があると思います。そんな宗教の違いなどについて分かりやすく解説していただけたら幸いです。

A 回答 (12件中1~10件)

 こんにちは。



 宗教事情と言いますか 実際の生活日常にどう現われているかについてよりは 考え方をめぐって理論的に捉えようとしてみます。

 ヒンドゥイズムは古代では ブラフマニズム(バラモン教)ですが この宗教はすでにいわゆるカーストが定まったところで起こっています。侵略と支配が出来あがったところで そのおしえが持たれます。
 ひとつには 宇宙の原理ないしその力としてのブラフマン(梵)とひとの《わたし》としてのアートマン(我)とが一体であると説きます。梵我一如と言うようです。
 もうひとつには 輪廻転生かつ因果応報の説があります。梵我一如を身に現わしたとされる司祭(ブラフマナ)は 過去世で善い因を積んだ結果そう成ったというわけです。
 そしてこの場合 低い身分の人びとは 過去世で悪い因を積んだ結果だというのですが それだけではなく いま現在善い因を積めば そして生まれ変わり続けていつの世にかは よき身分に生まれると説きます。

 ブディズムは このブラフマニズムを批判し否定して起こりました。
 ただ その内容は必ずしも明確ではありません。
 低い身分のまま生まれ続けるという六道輪廻は 目覚めた状態(ブッダ)に成れば断ち切ることができると言いますが 輪廻転生が全体として否定されたわけではありません。
 ひとは仮りにモノが集まってその存在となって生まれて来たものだから 《わたし》が確固とした存在だとは見るものではないようです。(諸法無我)。何ものにも依存しないブラフマンと一体でありうるというアートマンであるとは見ない。ただし 誰もがブッダの状態に成ることができるというその《仏性》を身に宿すとも もう一方では説くようになります。
 ですから一般には 《梵我一如》をブディズムのおしえだと捉えているのではないでしょうか。

 イスラームは 単純です。《神(アッラーフ)》が直接にムハンマドの口を借りて ひとの思いやおこないをすべて〔と言っていいほど〕おしえの中に示しているということです。きわめて具体的な内容を示すかたちで表現されていますから。 

 ▲ (クルアーン=コーラン)~~~~~~~~~~~~~~~~
 まことにわれら(* アッラーフ=神 の自称・複数形での語り)が 汝(ムハンマド)に啓示したのは ノアとそれ以後の預言者たちに啓示したのと同様である。われらは アブラハム イシマエル イサク ヤコブの各支族に また イエス ヨブ ヨナ アロン そしてソロモンに啓示した。また ダヴィデに詩篇を与えた。(4:163)


 おまえたち(* ムハンマドを含めた信徒たちのこと。むろんアッラーがムハンマドの口を借りて語っている)は言うがよい。
   《われわれは神を信じ そしてわれわれに啓示されたものを アブラ
   ハムとイシマエルとヤコブともろもろの支族に啓示されたものを モ
   ーセとイエスに与えられたものを 信じる。
   また もろもろの預言者が主から与えられたものを信ずる。われわれ
   は これらのあいだでだれかれの差別はしない。
   われわれは神に帰依する。》
    (2:136)
 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
 ☆ ちなみに セム語は三個の語根子音から成るのが 一般です。
 《S-L-M》は ヘブル語でも シャローム( SaLooM )と言って挨拶に用いる語です。アラビア語では 定冠詞(アル→アッ)を付けて 《アッサラーム(al-SaLaaM = 平安を!)》です。
 同じ S-L-Mから派生する語として イスラーム iSLaaM は 《降伏・服従》の意をも伴なう《身をゆだねる》つまり《帰依》のことです。
 その帰依した信徒を表わすムスリムは 《〔わたしはそこで自らが健全・安寧(S-L-M)であると知覚し認識し これを受け容れて わたしは〕 すこやかならしめられた》と言っています。〔  S-L-M > muSLiM。(初めの m- は いわゆる過去分詞の接頭辞)というわけのようです〕。
 つまりは ブラフマニズムやブディズムで目指された《安寧としてのさとり》の状態は ムスリムとしては その名前じたいの中に堂々と名乗っているというわけです。《われ やわらがしめられたり》と言っています。
 ひとこと悪口を言えば つねにいつもいつも《われはアッラーを信じる。アッラーに帰依する》と言っていなければならないのかと思ったりします。そんなことぢゃ 信じていないのではないか。弱いのではないかと思ったりします。
 
 さて ムハンマドに乗り移って語ったアッラーフの言葉の中に アブラハムやモーセのほかに イエスも出て来ています。そこで クリスチアニズムについてです。
 これは ひとことで言えば 人がついていけないほど すっ飛んでいます。なにしろ ヨセフとマリアという夫婦から生まれた人間であるイエスは この世のものではないなぞの霊としての存在である神の独り子であり みづからも神である。こういう出で立ちです。

 いくらかは分かるようなところを示してみますと。
 ひとは誰でも《仏性》を宿すと言ったりしますが クリスチアニズムもひとには神の霊が宿ると言います。
 ブラフマンとわたし(アートマン)とが 一体となるという説に対しては 神〔の霊〕がわたしをおおい包む。そこでわたしは 無条件に只で(無料で=恩恵として)癒されやわらがしめられたと告白する。
 ただし これはすべて ひとりの人の主観の内において起こる出来事であり その主観内面におさまるものであると知っています。ですから 神が人間の言葉でそのまま語るということは まぼろしとして――文学表現において――触れたりすることもあるにはあるようですが 基本的にはないと思っています。
 神をひとは見ることが出来ない。それは 非思考であると捉えます。言いかえると その信仰の内容を 言葉にして伝えることはあるにはあっても その人の主観の問題であると捉えています。言いかえると 二人以上でこの信仰内容をおしえとして具体的な表現において共有するということは すでにもはや非思考の信仰ではなくなると見ています。すなわち 教義と組織を伴なった宗教は 信仰の自殺行為であると見ます。そういう信仰です。
 (教会組織は わたしに言わせれば 犯罪行為です)。

 さらに言いかえると もし人と人のかかわりやつながり あるいはきづな これらのことを《愛》と言うとすれば そのような愛は 非思考つまりなぞにおいて神のほうがなんとかしてくれると思っているという意味です。人もその一端をになうと言ってもいいでしょうが――そして人間の為し得る努力という努力はすべておこないますが―― 基本は 絶対他力です。隣りびとを愛せとは 自分と同じくらいは――もしくは自分を思う前に一秒くらいは相手を先に思うかたちで――愛しなさいということです。
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簡単にいえば、


キリスト教― 三位一体の神がいて、その子であるイエスキリストが人間になり、死んで人類の罪を贖い、それを信じると天国に行くという教えです。

ヒンドゥー教- 輪廻転生です。人間は生まれ変わりであり、今の世でいいことをすれば、来世でよくなれる。悪いことをすればまかり間違うと豚になっちゃうっていう教えです。

イスラム教― 啓典宗教を土台としムハンマドがアラビアで創始した宗教。神がジブリ―ルを通し、啓示を与えたもの。様々な規則があり、聖戦もゆるされる。人間と神の仲介者がいない。
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あたしはイスラム教です。


女性は地位が低いと言いかはやめてもらえますか?
イスラム教の男性は四人妻がもてたりします。現在は金持ちしかいないね。あなたは中学生なの?
あたしはそうよ。
あとは、女はね顔と手だけだしていいの?男は関係ないけど。
どうしてかはね、女性を守るためなの。あとは結婚するまでは付き合っりしてはダメ。同性愛は禁止よ。キリスト、ユダヤとはいっしょにしないで、キリスト、ユダヤはもう終わったのにまだいる。あとは豚は食べてはいけない。
あなはどう?日本人にとってはつらいでしょ?
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私の勉強した範囲内で恐縮ですが、ご参考になれば幸いです。



(私事で恐縮ですが・・・)

私は、「法華経文底独一本門(無神論)」を信仰をしています。
これは、10年間かけて勉強と経験を、積み重ねて出した結論です。

全ては自身の生命の内に備わっていて、「どこかに、神様や仏様がいる」という考えを否定している、無神論の教えです。
(自身の中の仏界を引出すことが重要で、外にではなく、生命に内在しています)
前半は、外道(キリスト教、ヒンドゥー教、イスラム教、神道などの有神論)と、
仏教「爾前教」(日本人が仏教だと思っている教え)を学び、
後半で法華経を学び、最終的に文底独一本門(無神論)にたどりつきました。

そして、邪宗や占い師など、(もちろんカルトも)信じたり、それらにお金を出すのも誤りだと気づきました。

10年かけて、しっかり宗教比較学を勉強してきたので、他の人より少しは詳しいです(まだまだ勉強不足ですが)少しでもお役に立てれば嬉しいです。

詳しく説明したいのですが、理解するのに早い人でも2~3年かかるので、簡単に説明させていただきます。一度でいいので、最後まで読んでみてください。


仏教の始まり(約3千年前)、釈迦が仮導の教えで「地獄」や「閻魔」などを説きましたが、それは実在する場所や人物ではなく、「方便(比喩)」です。

釈迦は説法50年間のうち、まず42年間かけて「爾前教(現在の真言・浄土宗など法華経以外の仏教)」を説き、後の8年間で、爾前教を仮の教えとして、釈迦自身が否定し、「法華経28品(後半14品が重要で、「法華経本門」といいます)」を説きます。

しかし、その「法華経本門」も、釈迦の死後2000年(正法・像法)で効力を失い、現在の「末法」という時代では、釈迦仏法を信仰しても効力はないと、釈迦自身が仏典の最後に記しています。

そして、釈迦が「文底秘沈」した(明らかにしなかった)「法華経文底独一本門」(無神論)が末法で信仰すべき仏法だと教えています。

仏法では、魂(命)は「有る」わけでもなく、「無い」わけでもない、「空(くう)」と表現されます。死後、命は、「霊魂」として、ふわふわ存在するのではなく、死時は「冥伏」といい、生時は「顕現」といいます。肉体と魂は別々ではないのですが、「肉体」イコール「魂」でもないです。

簡単に言うと「起きている状態が生」、「寝ている状態が死」です。つまり「無始無終」といい「生命は永遠」ということです。

過去世の生命境涯や行いにより、現世の生命境涯(十界論をご参考になってください)がありますが、「定業」と「不定業」があり、自身の内の境涯変換(仏界涌現により)、定業(決定している宿業)でも「宿業(宿命)転換」が可能です。

また「成仏(仏)」とは「仏界をひらく」ということで、死んだ人のことではありません。

(もし、死んで仏になれるのなら、早く死んだ方がいいということになってしまいます)

また、「地獄」という場所は、どこにも存在しませんが、例えば、戦地に生まれるなどの境涯を「地獄」に例えているのです。それと同様、「閻魔」という人物は存在しませんが、自分自身の中の悪い生命境涯や、自分の境涯を狂わす働きのことを「閻魔」に例えているのです。
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No.8です。

再び失礼します。
他の方へのお礼内容で「聖書」について

> ある本屋では1000円くらいであったり他では5000円であったりと、
> 値段が違います。これは値段が違うと中身も異なるのでしょうか?
> 一番高い新約聖書を買ったほうがいいのでしょうか?

とありますので、まずは新約聖書にだけ絞ってお答えしますね。

新約聖書はもともとギリシャ語で書かれていました。
それを日本語に翻訳しているのですが、翻訳した団体がいくつかあります。
ふつうの洋書でもいろいろな翻訳者が翻訳していて、
それぞれ微妙にニュアンスが異なったりするでしょ?
そんな感じだと思ってください。
教会によって使用している聖書訳が異なります。

わたしが通うカトリック教会では「新共同訳」を使用しています。
プロテスタントの一部団体と共同で翻訳したものです。
これが日本で一番ポピュラーじゃないかと思います。

他にも口語訳(聖書教会)、新改訳(聖書刊行会)、
フランシスコ会訳聖書(フランスの「エルサレム聖書」を基にしたもので、訳注と解説が付いています。わたしはこれの英語版しか見たことがないので、
日本語訳の詳細はわかりません)などがあります。

そして、これがまたややこしいことに、
「新共同訳の新約聖書」であっても値段が異なるんですねぇ。

しかしその主な理由は「装丁」やら「紙質」やら「説明付き」やら
だと思って大丈夫です。
聖書の本文は同じですが、カバーがビニール製か皮製か、だとか、
絵が付いていたりとか、説明が付いていたりとか、そういう感じです。

参考までにわたしが持っている新約聖書はコレです。
新共同訳NIV和英対照新約聖書(クロス装)
http://www.kyobunkwan.jp/xbooks/shop/3_39.html
日本語訳と英語訳が隣り合わせで印刷されています。

でもふつうは「日本語だけ判」でよいでしょうね。
このページ↓に掲載されているものは、本文(解説を除く聖書部分)
はどれも同じと思ってください。
http://www.bible.or.jp/online/kyoudou06.html

なんと。420円からあります^^
何度も読むとか、聖なるものとか、そんな気持ちだとついつい高い革表紙
が欲しくなったりする・・・ものなのかもしれません(?)
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この回答へのお礼

ありがとうございます。とても参考になりました。420円からあるのですね。是非読んでみたいと思います。

お礼日時:2010/02/16 20:00

ネットのここの情報だけで知るのは難しいと思いますよ。


図書館に行って「世界の宗教がわかる」風のタイトルの本を借りるとよさそうです。
ユダヤ教・キリスト教・イスラム教・仏教・神道あたりについて
概略を図解説明しているような本がいいでしょうね。

中学生にはちょっと値段が張ると思うのですが、
参考URLの本が初心者にわかりやすい丁寧な書き方をしていると思います。

『手にとるように宗教がわかる本』
世界思想史研究会 (著, 編集), 島田裕巳 (監修)

ざっくりと知った上でピンポイントな質問をしてはいかがでしょうか。
わたしはカトリック教会で求道中(洗礼に向けて勉強中ってこと)なので、
カトリックを中心としたキリスト教の質問にはわかる範囲でご協力できると思います。

参考URL:http://www.kankidirect.com/np/isbn/9784761265250
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全ての宗教は神や霊など科学的に解明されないものを意味なく信じるものです。

神を信じて成仏はありません。神や霊を信じると心の病、統合失調症などになりやすくなります。

仏教も最初釈尊は霊や神の話しをしませんでした。これは毒矢経、法華経にとかれています。近年には立正安国論に寺社には神は住んでないとあります。

ですが金儲けのために全ての仏教宗派は現在、神を信じるかその対象としています。よって仏法は宗教法人にはありません。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。なるほど、仏教はこういうものだったのですね。勉強になりました。

お礼日時:2010/02/09 19:58

んー 今の教皇も中絶には反対の路線ですね。



強姦魔にレイプされて妊娠してしまった女性に対して、前教皇は産みなさいと命令しましたし。
聖書には生めよ増やせよ地の果てまでもとあるので、カトリックは中絶禁止です。

神のご計画は人間ではわからないので、何故神が男に強姦を命令して女性を犯させ妊娠させたのかは人間ではわからないってことらしいです。

神の祝福は男が子供を授かることです。 女が子供を授かることではありません。あくまで男が 限定です。

神が人間つまり男に祝福をした時は、子供ができる。
神が人間つまり男を呪ったら、子供ができない または死産するという考え。
これはユダヤ教もそう。

女は神が男を祝福したとき妊娠するので、祝福された男の子供を世の送り出す器だってのが、ユダヤ教、キリスト教の考え方。

聖書にも現れていますが、男は人の数としてカウントされますが、女性は人の数のうちに入ってない。
どうしてかというと あくまで男にとっての宗教だから。

「女は男の子孫を増やす器でしかない だから女が出産時に死のうと悲しむ必要は無い。」というのはプロテスタントのルターの言葉。
ちなみにルターは親子ほども違う元修道女と結婚して、たくさん子供をもうけましたが、奥さんに対しては容器としか思っていなかったわけです。


で、レオ10世ってのが過去にいて教皇でして、彼は尼僧院 実質売春宿を設立した人。
恐らく性処理に困った聖職者向けの売春宿として女性たちを集めて尼僧院に住まわせ、聖職者の相手をさせていたんじゃないかと。
尼僧院の起源って面白いですね。
シスターって昔は聖職者専門の売春婦だったわけです。
日本の吉原の起源とはちょっと違う。


まっ ともかくカトリックは、避妊も禁止ですし、自慰も禁止です。
ただ、それじゃ身体壊しますので、信者はやってはならないという命令を破ってやっちゃうわけです。
その堕落した信者を救済するシステムを作った。
それが告解(こっかい)
懺悔室で、罪を告白すると必ず「あなたの罪は許されまったく清い状態にリセットされました)となる。
だから人殺ししようとレイプしようと、その後で懺悔室で告白しさえすればチャラになるんです。
それを聞いた神父が警察に通報するってことは無い。自首は勧めるでしょうけどね。


プロテスタントと呼ばれる中にもいろいろありますからね。
原理主義的な宗派もあれば、UFOを呼ぶ会と同じような活動をしている宗派もある。
多岐にわかれているが、2000年ほど前は今とは比べ物にならないくらいもっとあったのだそうです。


仏教は超常的な力を用いず、人間が持っている能力で十分幸せになれるとしている。
神ってものがいない というか、、、、知恵を神としている。

イスラム教はユダヤ教同様に相互扶養システムがあるので、昔は女性の地位は男と同等であったり、守られていたのですが、ホメイニ師の宗教改革で、男尊女卑になったのだそうです。
そしてそれは押し付けられて強制的なものではなく、女性側が望んだから実現したのだそうです。
相互扶養システムがあるので、普通はホームレスになるってことはない。


カースト制度は、もともと住んでいた人々の地域に外部から別の集団が移動してきて住みついた。
外部から発達した技術をもってきており、その人たちは裕福に暮らし、元いた住民と貧富の差があるため、外部から来た人たちの下で元いた住民が働くという形態になったらしい。
それで、元からいた人たちを一番下に位にしたカースト制度ができ、裕福な人たちが慈悲で下の位の人たちを施しで養うという扶養システムが確立た。

下の人たちがせっせと上の人に尽くしていれば、来世は今より上にランクになれるから、がんばって尽くせよー ってのがカースト制度。
そしてカースト制度の撤廃を阻止しているのは、カーストの下のランクの人たち。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。読めば読むほど目からウロコでした。よく勉強したいと思います。

お礼日時:2010/02/09 19:56

#3です。



>「プロテスタントの影響力が強くなり、妊娠中絶の非合法化が進みつつあります」とありますが、これはカトリックの間違いではないでしょうか?プロテスタントは、妊娠中絶や避妊行為について容認する立場であると聞いたことがあります。

とんでもない。カソリックはガリレオの地動説やダーウインの進化論をキリスト教の教義と両立するという宣言を今から10~15年程前に正式に宣言しましたが、アメリカのプロテスタントは頑強に進化論に反対しています。アメリカの妊娠中絶はプロテスタントの反対で、由々しき状態にあります。インターネットでご自分でも確認して下さい。

貴方が中学生であるとのことで、少し安心致しました。貴方の質問の表現は余りにイスラム教やヒンドゥー教に偏見を持った書き方をしていたので、そのレベルで言うとキリスト教はそれどころではないよと認識してほしかったのです。もしこれが大人の方の質問だったら、徹底的に考え方を改めて欲しいという思いでコメントを書いたのです。

ただし、キリスト教が西洋人を説得したのにはそれなりの理由があります。新約聖書は素晴らしい本ですので、宗教に関係なく読むに値する本です。そのときには、新約聖書の始めでやたらに名前の羅列がある所は読みとばして読んで下さい。イエスの素晴らしさを納得できると思います。しかし、それは人生や宗教のほんの入門編です。キリスト教ばかりでなく、いろいろな宗教にも接してみて下さい。そして、貴方のご両親がこの世にいなくなった頃に、御両親の遺影やご先祖様に手を合わせることができる人間になって下さい。その時に改めて宗教を本気で考えて下さい。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。早速お勧めしてくださった新約聖書を読んでみようと思いますが、ある本屋では1000円くらいであったり他では5000円であったりと、値段が違います。これは値段が違うと中身も異なるのでしょうか?一番高い新約聖書を買ったほうがいいのでしょうか?

お礼日時:2010/02/09 19:53

質問者さんは、



>たとえばイスラム教では女性の地位が低かったりヒンドゥ教にはカーストがあったりと、宗教によってさまざまな考え方の違い、特徴があると思います。

という側面に興味があるようなので、それに絞ってキリスト教の特徴を考えてみましょう。

イスラム教徒に取って十字軍という言葉は悪魔を意味します。中世に平和に暮らしていたイスラム教徒の町や村を、キリスト教の狂信者達が突然襲いかかり、大変な虐殺をして行ったのが十字軍でした。息子ブッシュがアフガニスタンとイラクへの侵攻は十字軍だと言ったのですが、それはイスラム教徒の悪夢を思い起こさせ、ブッシュの言葉は未だにイスラム教徒の若者達の間に米軍に対する抵抗勢力を生み出す基本的な原動力になっています。

ヒトラーは鍵十字をシンボルにしました。これはキリスト教の十字架の一種です。ヒトラーを支持した神学者、ゲルハルト・キッテル、パウル・アルトハウス、エマヌエル・ヒルシュなどは、当時ドイツの教養人の間に影響力のある人達でした。また、当時のバチカンの教皇ピオ11世は枢機卿会議で、ヒトラー政権を認める見解を表明しました。ヒトラーにとってカソリックのバチカンとの間で「政教条約」を結ぶことは、国際的にもナチスの評価を高める政治的な大成功となりました。

最近のアメリカでは政治に対するプロテスタントの影響力が強くなり、妊娠中絶の非合法化が進みつつあります。私の知人のアメリカの初老の産婦人科医は、「自分が若かった頃は、妊娠中絶が非合法だったために大変多くの若い娘さん達が、落さなくてもよい命を落として来たのを目の当たりに見てきた。自分が産婦人科医になったのは、そのような娘さん達を救いたかったからだ。そしてこの数十年、それが好ましい方向に進んで来て、多くの娘さん達の命が救われて来た。なのに、ブッシュ以降、キリストの教会勢力が力を得てしまい、また昔の不幸がやって来きている」と嘆いていました。つい最近も、アメリカの軍事用のライフルの照準を作っている軍事産業が、各々の照準に反キリスト教徒の殺害を神の御心であると示唆するバイブルの章や節の記号を刻み込んでいることが発覚しました。

以上は、プロテスタントの話でしたが、カソリックではバチカンの現在の法王がアフリカの援助にコンドームを配布することに頑強に反対しているために、大変多くのアフリカ人がエイズで死んで行くと言う状況に至っております。

そう言えば、南米のやメキシコの文明を滅ぼし、その結果人類の大変貴重な多様性の一角を絶滅させたのも、キリスト教の名の下の、スペイン人とポルトガル人によったのでしたね。

勿論、キリスト教にもそれなりに評価する側面もありましたでしょうが、質問者さんのイスラム教やヒンドゥー教に対する認識にレベルに合わせて、キリスト教の特徴を紹介してみました。
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この回答へのお礼

ご教授ありがとうございます。キリスト教にもこんな側面があるのですね。私の認識レベルといっても、まったくの初心者です。なにしろまだ中学生なので最近少し興味が出て調べてみたばかりです。差し支えなければ、イスラム教やヒンドゥー教についても同じように説明がいただけると幸いです。
ところで、「プロテスタントの影響力が強くなり、妊娠中絶の非合法化が進みつつあります」とありますが、これはカトリックの間違いではないでしょうか?プロテスタントは、妊娠中絶や避妊行為について容認する立場であると聞いたことがあります。

お礼日時:2010/02/07 21:16

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