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カテゴリー違いかも。

よくネットとかで、新興宗教はインチキばかり、既存の宗教は大丈夫みたいな意見をききます。

いや、そもそも全ての宗教はみなどこかしら論理的に破綻してると思います。

つまり新興宗教が論理的に破綻してるからインチキだというなら既存宗教だって同じと思うのですが、

皆さんはどう思われますか?

そもそも正しい宗教というのは存在するのでしょうか?

一体何を持って正しい宗教と呼ぶのでしょうか?

A 回答 (17件中1~10件)

創価学会 壮年部の者です。



そもそも、宗教というものであれば、目に見える、あるいは見えないに係わらず信仰の対象となるものが存在します。いわゆる、「本尊」というものです。宗教においては、この「本尊」が何であるかが一番重要です。それにより、幸せにもなれば、不幸せにもなります。

さて、新興宗教に限らず、既存宗教についても世の中には非常に多くの『宗教』が存在し、どの宗派が『インチキ』でどの宗派がそうでないか!?
なかなか、簡単に判断することは、非常に難しい事でしょう。

日本における、「仏教」と言われる宗派にしても、非常に長い年月の中で分派し、流布されてきています。しかし、その多くの宗派が時の監主により、アレンジされたり、迹門(しゃくもん)といって、仏教の結論とは違った経を根本とした教えに留まっていたり、或いは宗祖が法を極めたつもりで、低次元の理解のまま開宗したりと様々です。

しかしながら、『仏』が法を説いた事には目的があり、最終的には一つの真実の“法(ダルマ)”が存在します。

現代社会にいたって、科学や教育が格段に進歩した中で、人間は自ずと“宗教”を退け、あるいは非難し、自ら理解をしようとする意思が薄れてきています。
ところが、宗教・思想というものは、人間の内側だけのものではなく、それに関連して世の中全体をも乱してしまいます。それにより最終的に苦しむのはそこに於かれた人間そのものなのです。
元来仏教では『依正不二』といって、自信の心の有りようとその於かれた環境との関連性を説いています。

正しい宗教というものは、実はこの点にあり、自らの命の変革を目的としたものなのです。
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この回答へのお礼

回答有り難う御座いました

お礼日時:2014/11/16 22:48

「信じる者は救われる」という言葉があります。


本来はイエスが「私の事を信じなさい。そうすればあなた方は救われます。」という意味で使った言葉だそうです。
本来の意味ではなく、字面そのままを考えると、それが宗教の本質なんだろうと思っています。
その宗教を信じた個人が、そのことによって救われるならば、とても意義深いものになります。
信じる宗教を礎に、倫理観や正義感を持って己を律し、尚且つ救いを得られるのであれば、宗教は最上の手段であり得るのではないでしょうか。

しかしながら、あくまで一個人レベルの話であって、他者にそれを強要してしまうと大いに問題にかる場合が多々あります。

今問題になっているイスラム過激派を始め、キリスト教なども一神教は他の神の存在を認めません。即ちそれは他のイデオロギーを否定することにもつながるものです。
一方で、信じるところがただ一つなので、強力な求心力とリーダーシップを育みます。アメリカが良い例で、キリスト教と近代資本主義・民主主義が結びついて、世界の警察とまで揶揄される国になりました。

逆に、ヒンドゥーなんかはキリストやブッダまでもシヴァの化身として取り込んで、否定するのではなく肯定してしまう懐の深さがあります。
日本は記紀で皇統の正当性を神という概念に決着させようとする過程で原始アニミズムと融合した結果、神道として副次的に八百万の神々を生み出しました。これらのような多神教の概念は、全てを肯定し尊重するという姿勢につながります。

仏教は、神という概念からは少し離れているように思います。死生観を基に、己を律する方法としての仏の言葉があり、儒教も同様の方向性を持っています。どちらかというと思想に近いのではないでしょうか。

思想は、宗教よりも強い支配力を持って人々を方向付けることがあります。中華思想はその典型で、現在の中国の横暴は少なからずここに起因しているように思えます。韓国もその影響を受けているのは想像に難くありません。己自身の利得になることが全てであり正義であるとの理念が垣間見られます。

宗教にしても思想にしても、荒唐無稽であったり、滑稽であったりするかもしれませんが、それで自分自身が人として正しく生き、幸せになれるのなら、真実だろうがインチキだろうが、古かろうが新しかろうが、どうでも良いと思います。

理論的に破綻していようが、世界的に信者が多かろうが、問題はそこではなく、信じることによって救いを得られるかどうかが宗教の価値の本質でしょう。
しかしながら、その事が他者の不幸を生むのであれば、糾弾されるべきであると思います。

漸く質問者様への回答に辿りつきました。深い問題なので、本当はもっともっと様々な側面を考慮して分析しなければなりません。長い歴史、
政治的な影響、宗教どうしの対立や
融合・習合、風土等々挙げればキリがありませんし、とても字数が足りません。ともすれば、誤解を産む部分もあったかもしれませんが、ご容赦下さい。
長文失礼しました。
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この回答へのお礼

回答有り難う御座いました

お礼日時:2014/11/16 06:36

宗教は人生論だと思います。


釈迦という人は世の中は諸行無常だと語った、イエスキリストは教えを絶対視するなと言った。
現代も色々な本が本屋に売っていますよね。それと同じだと思います。

なので

>一体何を持って正しい宗教と呼ぶのでしょうか?

ということ自体おかしいと思います。
何か宗教をものすごいモノだと思っていないでしょうか?

宗教は一種の人生論だと思います。
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この回答へのお礼

回答有り難う御座いました

お礼日時:2014/11/16 06:37

宗教に関しては造詣が浅いので間違いあればご容赦頂きたいのですが、原始キリスト教や仏教は元来もっと素朴で単純なものではなかったのかな、と思います。



聖書にある有名な文言「右の頬を打たれれば左の頬を差し出せ」は隣人との争い、もう少し拡大すれば民族間の紛争を収束させる手段を指標したもののように思えますし、仏教は本来個人の解脱を目的としたものだと寡聞ながら理解しております。

ある偶像や特定個人を絶対的な位置に置き、崇拝を強要するような物は開祖の意図とかなりかけ離れた、一部宗教を悪用した姿勢ではないかとも考えています。苦しむ者を救済するものではなく、苦しむ人の弱った心に付け込んで個人崇拝を強いるものであれば、その宗教の歴史に拘らず一般的には正しくない宗教だと思います。

どこで聞いたのかは失念しましたが、「教祖の言葉は教祖の存在より重い」という言葉は正しい宗教の本質を突いたもののように思えて深く回答子の印象に残っています。
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この回答へのお礼

回答有り難う御座いました

お礼日時:2014/11/16 06:38

 正しいというの無いだろう。

ただ昔から継続しているという事で考えると、それが正しいとなるかな?

 私自身は神や仏を信じますが、宗教は下手すると人間の思想だけで神とか仏とか脇に追いやられている感じがします。そういった所がインチキと言われる所です。
 特にお布施を多くすれば良いとか、お金を集めることに執着しているような。

 信者にはお金は悪だと。で、お金は教祖とか幹部に集まり豪遊している。悪が集まっているのだから、当然悪の固まりでしか無い。でも、彼らは浄化しているのだと。
 そういった矛盾を平気で行っています。

 既存の宗教でも問題を起こすことも多いです。

 でも、時々お話しを聞けることがあります。お寺での行事などで。その時に納得出来る話をしてくれるような人が居れば正しい宗教と考えても良いかなと思います。
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この回答へのお礼

回答有り難う御座いました

お礼日時:2014/11/16 06:39

我が家は浄土真宗です



夫(私にとっては爺ちゃん)に先立たれ、毎日読経していました

詳しいことはわかりませんが、我が家でぼったくりのツボを買ったりはしていません

その点、新興宗教・インチキ宗教は寄付の方法が尋常じゃない印象があります

近所のご一家さんはまるまる引越ししてしまいました

宗教絡みだったとの噂も…

怖いですね

>一体何を持って正しい宗教と呼ぶのでしょうか

その人によりますね
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この回答へのお礼

有り難う御座いました

お礼日時:2014/11/16 15:02

キリスト教を信仰する某団体のお兄さんがよく訪問してきてディスカッションしてたんですが、全知全能唯一神の創った世界になぜサタンがいるのかが私にはどうしてもわかりません。

私は「必要悪として造った」って解釈なんですけど、「天使だったのが自然にそうなった」んだそうです。意味わからんw

宗教は科学的である必要はないけど、おっしゃる通り納得いく論理が無いと信じる気になれません。逆に言うと、論理的に筋が通ってればその神は存在するといってもいいんだと思います。例えば「数字」は実在しないけど、実在するかどうか関係無く、誰もが存在を認めて便利に使ってるわけだから。

原始仏教なんかは哲学というか、生き方を説いたものだから破綻が無いように思いますよ。弟子に死後について聞かれたブッダは「そんな事いくら考えたってわかんないんだから考えるだけ無駄」って言ったとか。

多くの宗教が死後について語っていますが、私は死後の世界は無いと思ってます。ですが大切な人を失った人が死後の世界を信じたい気持ちを否定することなんてできません。結局人が辛い人生を生きるために心の拠り所となる宗教は必要だと思います。だから金儲けじゃなくそういった心の拠り所だったり、人がよりよく生きるため、世界を良くするための宗教は正しいと思います。その判別が難しいのですがw
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この回答へのお礼

回答有り難う御座いました

お礼日時:2014/11/16 15:23

「信じるものは救われる」



とよく言われるように、信じた宗教だけが「その人にとって正しい宗教」です。

万人に対して正しい宗教なんてありません。
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この回答へのお礼

有り難う御座いました

お礼日時:2014/11/16 22:49

Q1、そもそも正しい宗教というのは存在するのでしょうか?


A1、科学的に正しいかどうか?

 そういう物差しは、宗教には馴染みません。

Q2、一体何を持って正しい宗教と呼ぶのでしょうか?
A2、科学的に正しいかどうか?

 そういう物差しは、宗教には馴染みません。

 科学の視点から見れば、およそ全ての宗教の教義というのは成立しません。しかし、だからと言って、 苦悩や不安を脱し平穏な心を取り戻したいと願う多くの悩める人々の欲求に応えることを活動の目的としている限りにおいて、その宗教を「インチキ」と機械的に批判するのは考えものです。また、そのような視点から、悩める人々の宗教感情を否定することも誤りです。

 まあ、「そもそも正しい宗教というのは存在するのでしょうか?」という問い。これ自体が、そもそも非科学である宗教に科学的な物差しを持ち出している点で、既に、問いとしては不成立。「子供は、なぜ大人ではないと言えるのでしょうか?」-の類の問いかと思いますよ。
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この回答へのお礼

有り難う御座いました

お礼日時:2014/11/16 22:50

私は信仰心がありません。

ついでに敬老の衣存在しません。
昔創価学会の勧誘を受けましたが、迷惑なので警察呼んでその信者を連れて行ってもらいました。


ふだん信仰心のない人も

「悪いことをすると自分に返ってくる。」→ だから少なくとも明らかに逮捕されるような悪いことはしない。

「みんな仲良く、いじめはよくありません」
とか言いながら
中学ぐらいになれば競争が出てきます。受験、スポーツ、恋愛など。

勉強しないと、将来駄目になってしまう。将来困る。
とか言われたことがあるかもしれません。

でもナマポがあります。正直並以下の収入はナマポのほうが生活が楽です。
殺人をしても女の場合は無罪になったり・・・と現実はおかしな世の中です。
でもこういう人は駄目人間なんだ。自分は違う。と言い聞かせることにより理性を保っているとも言えますね。
ある意味これも宗教でしょう。

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信仰心のない人が、サッカーの試合観戦、試験などで勝利を願う → 誰に願ってるの?

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難病などで治ってくれと祈る → 医療技術次第で願っても無駄。
まあ本人の気力の問題も多少あるでしょうけどね。


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世界では種類はともかく、宗教があるのが一般的です。
信仰心のない国は社会主義、共産主義圏です。
日本も社会主義、共産主義(社会保障という名の足の引っ張り合いシステム)ですから信仰心がないのは当たり前です。

大昔なら、雨不足、日食、大地震などは神様が怒っている。生け贄が必要だ。
とかあったかもしれませんが、今は全て解明されている自然現象です。
これが日本の宗教の始まりでしょう。

国内の大型宗教は、全て金儲けですね。
振り込め詐欺も同様ですが信じるやつがいるから成り立つシステムです。
ダイエットCMとかも同様でしょう。
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この回答へのお礼

有り難う御座いました

お礼日時:2014/11/16 22:51

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