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車やパソコン、携帯の製品は機能がよくなってくるとデザインに凝り出しますがなぜデザインに凝る必要があるのでしょうか?機能がよくて安ければそれでいいと思うのですが?

A 回答 (14件中1~10件)

「機能がよくて安ければ」と言うのは消費者の考え方です。



企業の立場から製品を考えると利益を生む商品が「良い商品」です。

製品を開発・製造・販売する時に企業はOEMを利用します。
コレは各社同じ中身を使う事で製造に関わるコスト(開発費+製造費)を
下げるのに有効で、この場合外見でしか製品の違いを表現できなくなります。

一時期のMDウォークマンを見れば解かりますが中身は
全て同じで基盤で機構です。

これに外装のデザインで包む事で各社オリジナル製品としています。

この商品を消費者に買わせるのが
見た目のデザインと言う事になります。

デザインに凝る必要性の一つですが
他の製品と区別する為のモノなのです。


ついでにですが
モノをデザインする時に予算が下りず
初期の段階でお金(素材費+加工費用)をかけられない事が有ります。
こう言う時に作れる物は限られてきます。

その為、実際に製品の機能は良くても
デザインの良くないモノが作られたりします。

デザインする時に考えるのはターゲットどの層なのか?です。

1.普通の商品を外見を良くする事で中程の価格で売る。
(消費対象者=多い 利益=多い)

2.普通の商品を適当な外見を付けて安く売る。
(消費対象者=多い 利益=少ない)

3.良い商品を良いデザインで高く売る。
(消費対象者=少ない 利益=多い)

上は、良くある製品の流れです。
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#12のbiwa_kuriさんのご回答は素晴らしいものですね。


(もしかして、デザインを学問として美大かどこかで学ばれた方かな?(笑)

デザインとは本来、biwa_kuriのおっしゃるとおり、機能や性能、形や色など、その製品のすべてを言うのです。
ですから、「機能はいいけどデザインがよくない」と言う表現は、本来、間違った表現なんです。
たぶん、「機能はいいけど、形や色がねぇ。。。」のことを言わんとしているのでしょうが、
その場合は、まだ製品としての完成度が低い状態で、過程の状態のことなのです。
「機能はいいが形が悪い」や「色や形は良いが機能がよくない」は、まだまだ製品されておらず、これからまだまだ成熟し完成されたものになっていく過程です。
真に素晴らしいデザインとは、「考え方、機能、性能、形、色、価格、そして消費者の要求と合致している」そうした製品なのです。
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ちょっと違った視点から考えてみましょう。


そもそも「デザインに凝る」とは、どういうことでしょうか。
世の中には、一見デザインに凝ったようでいて、実は安直なデザイン手法によって粗製濫造された商品もあれば、一見そっけないほどシンプルでありながら、実はデザインが熟慮された、美しく使いやすい商品もあります。どちらもデザイナーという職能を通って世に生み出された商品の、両極の姿です。
良心的なデザイナーは、後者の実現のために様々な難関を越えながら、そういう意味では自らの美意識を信じてデザインに凝りまくるわけですが、一般に「凝ったデザイン」というと、流行の小洒落た造形を採り入れた前者のような商品のことを指すのかも知れません。
ご質問の中にある「凝る」が、どちらを指すのか判りかねますが、ひとつ言えることは、「機能がよくなってくるとデザインに懲りだす」という関係式は成り立たないということです。特に車やパソコン、携帯といった機器の機能にとって「デザイン」は「機能」と一体のものであって、「デザインは良いが機能が悪い」という言い回しは、それ自体矛盾を孕んでいると言えます。それは、ホッチキスや電卓は勿論、茶碗や箸についても同じです。
あるのは、「機能を含んだデザイン」の良し悪しと好き嫌いだけです。
消費者の多様化がその幅を広げている分、市場におけるデザインの多様性が求められているのは過去のご回答のとおりです。
それを踏まえた上で極論すれば、機能(デザイン)がよくて安ければそれでいいと言えます。
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めちゃくちゃ単純な答えですみません。


どんなツールでも、それは単にツールであると思う人と、ツールであると同時に遊び心のあるモノだと思う人がいるって事でしょう。
特に携帯・パソコン・車となると、昔は無かったモノというか、贅沢品だから、遊び心も添えたい人が多いのだと思います。
変な例えだけどホッチキスや電卓のデザインに凝る人なんていないでしょ?そんなん持ってて当たり前だもん。
でも携帯・パソコン・車は、普及した低価格化したといっても、やっぱりまだ、『わざわざ買う』もんですから。
せっかく買うからには遊び心の一つも欲しい!という消費者が居て、そのニーズに応えるデザイナーが居るってことではないかと思います。
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機能がよくなってくるとデザインに懲り出す、という部分を、


少し見方を変えてみたらどうでしょうか。
例えば、機能が競争力を保っているうちはデザインを必要としないのが
機能が飽和点に達した時に、デザインに新たな競争力を求める、みたいに。

工業製品に限らず、全般的に日本のデザインは、
そうした一歩退がった部分でしか利用されない傾向があります。
本来、デザインは機能や性能を保護したり高めたり、或いは
結果としていたずらに消費を促進させるためのものではなく、
モノや或いは情報を最適なカタチで表現するためにあるのだと思います。
言い換えれば、「アナタの為にデザインしました」ではなくて
「世の中のためにデザインしました」とでも言えばいいのでしょうか。

ずいぶん高飛車な言い方に聞こえるかもしれませんが
デザイナーが無駄な消費の片棒を担ぐことが多くなっているのです。
それが「いいデザイン」「いいデザイナー」とする評価も、それを加速させています。
「売れるデザイン=いいデザイン」という概念を、捨てろとは言わないまでも
そこから少し離れた部分でのデザインと言うものをデザイナーは考え、
消費者或いは情報の受け手は見る感性を育てていかなければ、デザインの未来はありません。
それは単にデザイン業界の問題なのではなくて、
デザインに包まれて暮らしている私達にも関わってくることです。
デザインに未来がないということは、ゴミの中で生きることを選ぶのと同じです。
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つまり「変わり映え」と言う奴です。


新しくなって、機能が良くなっててもそうと気付いてくれないと買ってもらえないですよね。
それと、デザインが凝ってることと値段が高いこととは、関係がないですよ。機能が良くなった、つまり中身が高くなったから値段が高くなってるんです。
デザインでいくら凝っても、そのために値段にまで影響するのは、シンプルを地でいったような、板だけにみえる、とか、言ってしまうと変に凝らないデザインのモノが多いかもしれません。(B&O社のものとか)
デザインを凝ってないようにするため、中身ががんばって不必要な機能が付いてるというわけです(本当は使いやすいボタンが付いてればいいのにシンプルなデザインにしたいためにボタンを隠し、使いにくかったり高度な技術を使ってたりします)
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 社会主義であればそのような生産と消費で世の中が回るかもしれませんが、競争がない世界ですので生産に最も適した形態のものを生産するということをくり返していました。

(このあたりは産業の機械化とよるデザインの復興=アーツアンドクラフト運動、バウハウスの
デザイン、ウィリアム・モリスなどが参考になるでしょう)
 資本主義ではあらゆる競争により市場を拡大し、企業の利益を死守する事が命題ですので製品の機能と価格の競争だけではありません。モノが普及しきってしまい、機能と価格に差異がなければ製品の差別化を図るためより付加価値的な要素が必要になり(同じ製品でも色が違うなど見た目の変化を起こす=デザイン的要素の付加)消費者も似たような製品の中から自身の価値観によってどの製品を購入するか選択を行うことになりモノに対して文化的価値観が生まれます。
 こういった付加価値的・文化的選択による消費(ステイタスシンボルなど)の概念を記号消費学といいます。
 社会主義ではこのようなことは起こりません。みんなが並んで同じものを受け取るのですから買い物を楽しむという娯楽性もありません。
 20世紀に入って最も価格が下がったものに時計がありますが今では100円ショップで売られています。しかもデジタルという進化の最終型のものが売られているのです。時計という機能自体の価格はもはや100円しかありませんが、その一方で時計の進化に比べると遥かに旧式の精巧な機械巻の時計が数十万、数百万といった価格で売られているのが今の社会の現実です。こういったことがらについては以下の書籍を読ませることをお勧めします。

「消費社会論」 有斐閣
「消費社会の神話と構造」ボードリヤール,ジャン 紀伊国屋書店
http://bookweb.kinokuniya.co.jp/guest/cgi-bin/ws …
記号論自体を詳しく知りたい場合はウンベルト・エーコの「記号論」がよいかと思います。
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たとえば,軍事関係や宇宙関係など,機能が優先するプロダクトではデザインが


関与するスキがありません.しかし,自転車や傘のように機能が飽和に達すると
デザインでしか差別化できなくなる,という一面があります.
ヨーロッパのデザイナーは,「人間の豊かな生活はどうあるべきか」という視点
でデザインするのに対し,日本のデザイナーの多くは,「陳列棚に並んだときに
他社製品よりちょっと高級感が出るように」という目的でデザインします.その
ため,非常に画一的なデザインに陥りやすいです.
また,デザインがどんどん更新されるため,1モデル前の製品がとても古ぼけて
見えるため,愛着が持てずに捨てたくなってしまう,という問題が出ています.
これは「デザイン公害」とも呼ばれています.
生活を豊かにするのにデザインが役立つと思いますが,勘違いしているデザイナー
がとても多いと思います.
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こんにちは。



自分の所有物なので、自分が選んだ意思が
反映されるものだとおもいます。

なので、自分がこれだとおもったものを
厳選してひとつにしぼるのだとおもいます。

その結果、企業や作り手がよりよいとおもわれる
デザインや機能を追及し、日々努力しているのだと
思われます。
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私はデザイナーですが、デザインし過ぎる(凝る)ことがよくあります。



それは企業からの要請で、そのほうが売れると企業が思っているからです。

よく引き合いにだされるのが北欧のデザインですが、機能的でシンプルなデザインが多いのはやはり買う方(北欧の人々、叉は北欧のデザインがすきな人)がそれを求めているからだと思います。

つまり現在こったデザインが多いのは、買う方(日本人)の好みを反映しているのだと思います。
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