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ローマ人への手紙の15章2節に
 私たちはひとりひとり、隣人を喜ばせ、その徳を高め、その人の益となるようにすべきです

とあります。
この意味はどんな意味ですか?そのままですかね?
分かる方教えてください。よろしくお願いします。

A 回答 (3件)

こんにちは。

 とても良い質問です。 

例えでお話します。 或る国に立派な政治家と思われている人がいます。 この方のおじい様は1940年代から50年代にかけて戦争に負けて窮乏状態にあった国の総理大臣を務めた方です。 自分もおじい様に負けない立派な政治家になりたいと思っています。 

この方の属している政党が長年政権与党にあったため、金属疲労を起こし、がたがたになっています。 この方に総理大臣の椅子が転がり込んで来ました。 選挙管理内閣として、衆議院を解散して総選挙をするためです。 

ところが、この方は総理大臣になったのが嬉しくってすっかり舞い上がってしまいました。 自分の仕事は議会を解散して、選挙をすることなのに、これを守りません。 国民のために国会議員に選べれたのに、自分のために国を私物化しています。 そして口はひん曲がり、惨めな人生に陥っておられます。

人が本当に輝くのは、他の人に心から尽くしている時なのです。 
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ローマ書15:2「私達の各自は、善の為に、自分の隣人を喜ばせ、立たせてあげましょう。

」                                                           ここで言う私達の各自は救われた人々のみを指します。                                                                    もし、私達の各自が世の中の全ての人々を指すならば、私達の各自は神様を信じない人、裏金を受け取った政治家、殺人者、通り魔、常に嘘ばかり作っている者なども含まれてしまいます。                                                                          同じく、隣人も私達の各自であり、救われた人々のみです。                                                                                                     救われた人でも躓いて苦しむ時があります。                                                                          そのような時には、お互いに御言葉を語りながら励ませ、躓きから立たせてあげましょうとの意味です。                                                                そのような行いによって、神様の善が私達、即ち隣人、即ち救われた人々の各自に広がるでしょう。                                                                                 救われた人々は神様の子供達です。                                                                                                                 「私の子供達が真理の仲で行っていると聞くより、もっと大きな喜びはありません。ヨハネ3書1:4」                                                                                 善の為にの意味は神様の御言葉に充足させる為にの意味です。                                                                                                    神様の子供達が御言葉に従い、御言葉によってお互いを喜ばせ、お互いを躓きから立たせてあげる事より、もっと大きな喜びは神様には無いでしょう。
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自らの力(手足を動かす、頭を働かせる)を


自分のためで無く、他者のために使えば、
そして全ての人がそのように振る舞えば
幸福が訪れるという意味ではないですか?

同じような考えが古い宗教「ジャイナ教」にも
ありますね。
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