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優しさとは何なのでしょうか?優しい=性格がよいとは限らないのですか?

友達から、偽善的な優しさがあって嫌。と言われてしまいました。

確かに、無理に優しく?親切にしていることはあるのですが、いけないことなのでしょうか?

A 回答 (14件中1~10件)

その友達が一体何を考えているのか、考えて見ましょう。



まず、親しい仲ですか?とても優しい方なのですか?
だとしたら、それはあなたの事を思っての言葉、という可能性があります。そのことを考えて、一度自分を見つめなおしてください。

そうでない場合

偽善的な優しさ

嫌味、ということなのでしょうか。

それとも本当の優しさ?

たぶん後者だと思います。

「本当の優しさ」
恋人など親密な関係でもないのに、そんなことを言うでしょうか。
普通そんな欲張りな言動はしないと思います。思ったとしても、心の中に封じるのが普通でしょう。

つまり、それを理由にしてあなたに悪口を言っている、という風に考えることができます。ただ気に食わないっていうだけなのに、それを理由にしてるのでは?いちゃもんをつけているということです。

全然いけないことではありません。無理に優しくしてくれているとわかっているからこそ、その人はあなたに気を使うべきではないでしょうか。なのに「嫌」、不親切ですね。今回の事はよく考えて心にとめておき、
しばらく様子を見ましょう。
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うーん・・・どーだろーねー・・・・



偽善的やさしさ・・・何に対して「偽善」を感じるか・・・・
やさしさが「正義」になっていませんかね?要は
「多数の第3者がみたら”正しい”やさしさ」になっていないか?
教科書的というかなんというか・・・・

相応にいわゆる「正しい」とされることって、必ずしも個人の利益には
ならない事もあります。誰かに優しくすることで、大多数に不評を買ったり
大多数から賛美されるけど、誰かには強烈に恨まれる
個人的にはそういう物を感じるかな・・・

たとえば
自分の彼女とおばあちゃんが両方重そうに荷物を抱えていたらどちらを手伝うか・・・・
おばあちゃんの荷物を持てば第3者から見れば立派です。
でももしかしたら彼女は「何よ!!こういう時だけ優しくして!!」って
思っちゃうかも知れない。でも彼女を手伝えば周りは「はっ!!ばあちゃん無視して
てめえの彼女優先ですか・・・」って思うかも知れない。

ま、適当に考えただけに過ぎませんけどね。
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状況や立場によって優しさの定義も違ってくると思いますし、同じ事をしても人によって感じ方が違いますからねぇ・・



>優しさとは何なのでしょうか?優しい=性格がよいとは限らないのですか?
ま~人目を気にしたり見返りを期待しての行為であれば性格が良いとは言えませんし、自己満足の過ぎたお節介も相手の事を考えていないもですから、どれだけ相手の事を考えて行動しているかって事じゃないですか?

>友達から、偽善的な優しさがあって嫌。と言われてしまいました。
ムリに優しくしている事が結果的に自分の為であれば友達から嫌いと言われても仕方ありませんが、自分を犠牲にして少しムリをする事はいけない事ではないと思います。
但し、何でもやり過ぎはあまり良い結果にはなりませんけどね。

その友達の受け止め方に問題がないのであれば、少しわがままであるくらいの方が居心地良く感じるのかもしれませんね。
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やさしさとは全ての自然をありのままに感じる能力のことです。

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そうですね、厳しい優しさを持っている人は、甘えん坊の人からすると性格が良いと感じないことがあるでしょう。


本当の優しさでなく見返りを求めて、自分勝手な押し付け、自分が優位に立ちたいため、などからくる一見優しさと同じように見える行為をする人も性格がよいとは言えませんね。

無理に優しくするというのはどういう行為でしょうか?
自己犠牲に酔っているような人の優しさや、自己満足するため優しさの押し売りをするような人、にはありがた迷惑な場合が多いですね。
周りから見たら性格が悪く感じる場合も多いです。
優しさ、思いやりというのは、相手の立場にたって、相手のためになることですよね。
このような優しさって、自分本位で相手のことを考えていない、時には相手のためにならないで害になることが非常に多いです。
例えば障害者支援。
本当の優しさは彼らが他人のお世話にならずとも生きていける環境を作ることが大事です。
そのためには本人が大変でもいろいろなことを自分でするようにしないといけなかったりします。
でも間違った優しさを持っている人は、その人が自分で出来ることまで手助けしてしまって、逆にその人が他人の手助けなしでは生きていけないようにしつけてしまい、酷いときには自己中心的な裸の王様に仕立て上げてしまう。
障害者での芸人などをして自分の身体的特徴を生かして笑いを取って自立している人に障害者差別だといってその人が仕事が出来ないようにしてしまう。
こんなことは優しさではありませんね。

または、ボランティア活動にのめりこみすぎて自分の家庭を崩壊させてしまう主婦も多く居ます。
そのような自分を犠牲にした優しさも周りからしたら良い迷惑になります。

自分の出来る範囲で相手のためになることをする。
それが優しさで自己犠牲をして親切にすることはあまりいいことではありません。
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多分受け取る側の精神状態によるところが大きいのではないでしょうかね


精神的に弱りきっているときには偽善だろうと何だろうと、優しくされれば素直に喜べます
逆の場合は、「何でコイツに(失礼)アタシが慰められなきゃいけないの?」と感じることもあるかもしれません。そんなにアタシは弱くないわよ!みたいなかんじですかね
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他人に合わせようとかしてて


その分自分を殺すのは本当の優しさじゃない!
自分の幸せを第一に考えて、
他人を幸せにできるのが、本当の優しさなんだ。
と思う。
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こんばんわ★


本当の優しさとは相手の事を心底考えて行動・発言する事だと私は思ってます。
無理に優しくするとか親切にすることがいけないとは思いません。
私自身FLMOさん同様そういう事をしますから^^;
私も偽善的ですけどばれないようにしてます。
ばれたら相手に少し嫌な思いをさせますからね。
だからばれなかったら問題ないと思いますよ。
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「優しい」とは、「思いやりがある」「細やかな心配りがある」ということだと思います。

そのような他人に対する心づかいとは、すればするほど良いものではなく、TPOをわきまえた上、過度にならないよう、適度な質と量で行わねば、相手に良い影響を与えることができません。

相手に喜んでもらえない「優しさ」には、何らかの適切さを欠いた部分があるのだと思います。例えば、あまりありがたくない余計なお世話を押しつけたとしたら、相手は拒否感を覚え、ギブ&テイクの「テイク」を期待した偽善的行為ではないかという歪んだ受け取り方をしてしまうこともあるでしょう。また、「的外れな親切」というのも好まれません。

「商売は、売り手喜び、買い手喜ぶのがいい」といいますが、「優しさ」というのも、「行為者」と「受け手」の両者が結果喜べるものでないと「優しさ」として成り立たないように思います。行為者にとっての「一方的な優しさ」になってしまうということです。
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優しい=性格がよいって訳でもないですね。


どちらも抽象的なんでなんとでもとれる感じです。

無理に優しくしても偽善的でもいいと思いますよ。
相手にそれがわからなければね。
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