江戸時代の日本では、金貨の小判が流通しました。
しかし、実態がもうひとつわかりません。
実際の流通はどういったレベルでしょうか。
たとえば、仮に現在、百万円札や十万円札が発行されても実際は金庫の中に眠ってしまうでしょう。
質問1.当時の大判、小判は現代で言うとどういったレベルでしょうか。レベルとは、購買力換算ではありません。気持の上、実際の流通のレベルです。たとえば、百万円札のようなものか、十万円あるいは一万円のようなものかです。使用頻度、需給関係などの点での比較です。
質問2.この頃、ヨーロッパの国々では、通貨はどういったものが流通していたのでしょうか。金貨ですか、銀貨ですか、それとも紙幣ですか。あるいは、通貨はあまり流通していなかったのでしょうか。
以上、いろいろな角度からの回答でかまいません。よろしくお願いします。
No.1
- 回答日時:
大判は儀礼用(大名への恩賞・贈答用)や高額な支払いのみに使用されていたそうで、一般にはほとんど流通していなかったそうです。
江戸時代は、3種の貨幣が独立して運用されており(金・銀・銭)、
そのために、両替商が出来上がりました、そして交換レートは毎日相場が立って変動していました。
支払いに関しては、お店側が表示してある貨幣での支払いだったので、蕎麦屋で蕎麦一杯(16文)を食べて、1両小判(平均して約6000文)を出すということはしなかったそうです、銭を持っていなければ両替をしたそうです(当然ですが)
銭の場合はそれほど複雑にはならなかったようですが、金と銀ではかなり面倒だった様です(併用した場合)。
ですので、現在のように額面による価値というよりは、違う貨幣という感覚だったのではないでしょうか。
一応、江戸時代は身分によっても使用する貨幣が違い、上級武士は金貨を、下級武士と商人は銀貨、庶民・農民が銭貨を主として使用するようになっていたそうですが実際には明確に分けられてはいなかったようです。
天保5両小判は品位は84.29%ですが約34グラム(9匁)しかなかったので昇任からの評判は悪かったそうですが安政3年に通用停止になるまでは使用されていました、額面5両としては唯一のものです。
欧米では1816年 イギリスで金本位制度が採用され(他の国も続く)。
19世紀半ばより、紙幣が一般化しましたが、日本に来たペリー等は金貨を主に使用していたそうです。
No.2
- 回答日時:
徳川家康は慶長6(1601)年に、大判のほか小判、一分金、丁銀(ちょうぎん)、豆板銀(まめいたぎん)の5種類の貨幣を造り、金銀の貨幣制度を確立しました。
なお、銅銭も皇朝銭以来の官銭として、寛永13(1636)年に寛永通宝が造られ、銭貨の統一ができました。江戸幕府の貨幣制度は、これらの金・銀・銭の三貨から構成されたことから、幕府の三貨制度として知られています。
当時の金貨や計数銀貨は、原則として額面で通用する計数貨幣で、その単位は『両(りょう)・分(ぶん)・朱(しゅ)』で表示され、1両=4分、1分=4朱の4進法でした。
これに対し、銀貨は元々目方を量って使う秤量(ひょうりょう)貨幣で、重さの単位である『貫(かん)・匁(もんめ)・分(ぶん)』が、そのまま単位になりました。
銭の単位は『文(もん)』で表示し、1,000文の時は1貫文と呼ばれました。
金・銀・銭の三貨の間の交換比率は、元禄13(1700)年の公定基準では、金1両=銀60匁=銭4貫文でした。ただし、三貨の実勢相場は、それぞれ改鋳や需要関係により上下し、相互の交換比率も常に変動していたということです。
No.3
- 回答日時:
江戸時代も長いので、18世紀後半から19世紀前半(文化文政期前後)に限って回答します。
なぜ、この時期かというと、時代が安定していて記録がたくさん残っているからです。質問1
大判は市場では流通しておらず、専ら武家の贈答用だったようです。従って、必要なときには、金を出して(両替商などから)購入するもので、今の感覚でいえば例えば「金の延べ棒」や「高価な焼き物」でしょう。通貨と言うよりそういう高額贈答品と考えた方が良いようです。
小判は、庶民レベルではほとんど使われません。庶民は銭使いです。当時の記録を読むと、例えば大工などは銀貨で賃金が支払われますが、南鐐二朱銀で、わざわざ銭を買っていたようです。というのは、当時の銭貨は変動相場制ですから、例えば二朱銀で100文の買い物をするのは商人がいやがるのですよ。おつりがいくらか、分からないからです。
現代でもドルが使える日本のお店があるでしょう? そこで、例えば、5000円の買い物をして、100ドル札を出されたらおつりがいくらになるかは、その日の円ドル相場で変わりますよね。現代のように情報がきちんとしている時代だって面倒なんですから、江戸時代の小商人などはとても対応ができません。
それで、当時の銭はある意味「私鋳銭」で銭売りという職業がありました。この二朱銀で銭が500文(5差)程度の相場だったようです。つまり、二朱銀でも使い勝手が悪いくらいですから、小判など持っても実際に使う場所がない、というのが実態でしょう。
今の感覚でいうと、例えば「額面30万円の商品券」あるいは、さっき述べた「日本で使う100ドル札」のような感じでしょうかね。使えないことはないけど、使うのが面倒だし使えるところも限られているから、それだったらチケットショップで売るか、銀行で両替してしまいますよね。
じゃ、小判は何に使われていたかというと、決済用の現金です。当時の江戸というのは我々が考えている以上に、大口取引には為替や小切手が使われていました。その為替や小切手を決済するための流通が主目的です。
よく、時代劇などで、郭や料理屋で小判をばらまくというシーンがありますがあれは嘘です。もちろん、金持ちが数枚を財布に入れていることはあったでしょうが、先ほど述べたように普通の店では使えないし、逆に小判が支払いの単位になるような店(高級料亭など)だったら、信用で節季払いの掛け売りが普通です。第一、あんなもの数十枚も懐に入れていたら、重くて仕方ない。
質問2
当時は金本位制が普通ですから紙幣は金貨との交換ができる一種の約束手形(兌換紙幣)のような形で流通していたようで、主流はコイン(金貨・銀貨)だったようです。こちらは詳しいことは私は知りません。
No.4ベストアンサー
- 回答日時:
ざっとです。
(念のため)慶長小判が2百万円です。重さ17.7g(金85.7%)
http://www.saganokosen.jp/edokosen.html
元禄小判の方が高いですが、
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%85%83%E7%A6%84% …
> 元禄金の量目および品位
重さ17.8g金約50%
慶長小判を回収して1.5倍の一両を作ろうと思いましたが
慶長小判は箪笥の中に隠されました。
庶民も馬鹿ではなかったんです。^_^
質の悪い元禄小判は残っている枚数が極端に低く高値がつき、
慶長小判は多く残っているので安いのですよ。^^;
欧州では
銀の産出量は金よりはるかに少なかったので
銀の価値が相当かったんです。(銀本位)
石見(いわみ)銀山では世界の銀の1/3を産出
(1/2近いと言う説もある。)しましたので、
どれだけ欧州が銀が不足していたのかうかがえます。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%9F%B3%E8%A6%8B% …
日本の銅鉱石には銀混ざっており、中国は輸入していました。
ジパングもあながち間違いではありません。
日本の銀やアメリカ大陸の鉱山によって産出量が変化し
中世の金の価値となります。(ナポレオン金貨など)
佐渡金山では金400キロしか出てきません! ^^;
金貨一枚100gとしてたった4000両!
(金山はここだけじゃありませんし、一分銀や銭も幕府の財源です。)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BD%90%E6%B8%A1% …
No.5
- 回答日時:
質問1
購入できる物で比較すると、一両で5万~6万円程度の通貨価値でした。ただし、みんな貧しかったので、感覚的には20万~30万位の感じでしょうか。(現在、小判が高値で取引されるのは、数が少ないので骨董品として高い値段となっています。)
実際に高額通貨として一般的に使うのは、一朱・一分の長方形をした金貨か丁銀でした。
質問2
金・銀が利用されていましたが、ポトシ銀山など南米から大量の銀をスペインがヨーロッパに持ち込んだことで、一般に流通して使用されるのは、銀が多くなりました。
No.6
- 回答日時:
江戸時代初期家康は金銀貨を作りました。
金貨は慶長大判、約一万七千枚、慶長小判、約六十万枚、角型の一分金、約五千六百万枚で、大判は少なく贈答用です。 通用するのは一分金が主体です。 銀貨は丁銀と小粒銀の秤量して使うもので、あわせて銀約百二十万貫、当時の相場で約二千万両です。 金貨はあわせて約千五百万両で、合計して通貨約三千五百万両になります。 当時の推定人口で割ると一人あたり約二両です。当時に一両は今の実質感覚では約35万円相当というので、約70万円相当です。
ところで現在は通貨は約80兆円(紙幣約76兆円貨幣約4兆円)で一人あたりでは同じく約70万円です。
ただ一分金でも約9万円相当で10万円札の感覚で、日常使えるものではありません。 庶民は銭と小粒銀で暮らしました。
後世になり一分銀が作られるとこれが流通の主体になりました。 一両も約8万円相当になり、二朱銀が1万円札、一朱銀が五千円札の感覚になると、庶民もやや身近になった事でしょう。
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