プロが教えるわが家の防犯対策術!

といいつつも大学生です。昭和最後の世代で、いわゆる「ゆとり教育」の最初の世代でもあるはずですが、田舎の閉鎖的(半ば病的)な家庭で育ち、考え方は旧来的(高度成長時代的)です。私自身もある程度柔弱ですし最近の書物(考え方)も研究し偏見・イデオロギーにしがみ付かない思考を心がけてはいますが、いまいちタメの連中が理解できないのです。理解するヒントを求めに来ました。

例をあげてみました。
上昇志向がなくしらけている。の割には「格(大学名、就職、ブランド、フリーター絶対やだ等々)」への執着は人一倍。そして、逸脱者への憂さ晴らしがものすごい(冷笑、嘲笑、2ch的な物言いが典型)。
の割にはブランド会社を数年で辞めたり、精神崩壊してしまう。面と向かって反論されると、口の付いていないみたいに押し黙る。
いやいやのクソ大企業の就職活動ができるのに、提出したレポートについての真っ当な批評を受けただけで、もうその先生の所に通えなくなる。自己実現の方法がときに一貫しない。
楽しくないゲームを降りない。例えば絶頂を迎えるふりをする彼女と、携帯を盗み見する彼氏。それをお互いに分っている。まともな恋愛関係は破綻しているはずのに、続ける。さまざまな課外活動には熱血・楽しげな雰囲気が漂っているが、それは表面だけで実際は就職&卒業便宜機関である。人間関係を存続させるのに、このような「守ることに不毛な味気のない」ルールをしかも味気がないと分っていて守りたがる。しかも、自由な新しい関係性を立ち上げようと試みない。

地方国立大の例を出してみました。旧帝大的なエリートなどはまったく違うのかも知れず、これは高等教育からの脱落者の例なのかもしれませんが、エリートも含め今の大学生のある程度の雰囲気は説明できていると思っています。充実した学生が沢山いることも承知しております。
また、偏見が入り混じっていることも承知しています。

A 回答 (3件)

実に客観的かつ冷静に現実を見れる方ですね。


私も大学生ですが、そんな人を日々見かけます。
そこまでズバッと当ててしまい文章にしてしまうあなたはすごい!
単純でそんなことわかっている!と思うかもしれませんが、色々な人が世の中にはいるので、そういったことが気になってしょうがない!と思うのであれば、そういったことを匂わせない友達とつるめばいいのではないでしょうか?
私はいらないプライド、過剰な気遣い、軽薄な言動をする人が嫌いです。自分も無意識にしていると思うので、自分は絶対ならないぞ!と日々自分を見つめなおすよう努力します。
あなたはそんなに自分の周りを冷静に見れているのですから、あなたは絶対にそのような人間ではない。とは言い切れないと思います。誰かからはあなたも同じような人だと思われているかもしれません。
そういった連中が理解できない!と思うなら、蚊帳の外にいるのではなく、その中に入って自分の意見をどう周りに影響できるか試していくと、理解せざるを得ない状況にもぶち当たると思います。要するに、言うのは簡単、相手を理解できるまで色々な話をする努力をしてみてはいかがですか?きっと、あなたの予想以上にそこには、簡単にはうまくいかない恋人関係があったり、友情もあるはずです。
視野を広げてみてください。しかし、中には何も考えてない奴も大勢いるので、そこでやっぱりか。。。と思ってしまわないで下さい。
それにしてもあなたの見解は素晴らしく明快。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。
私は、対人恐怖症的(というか、そのものかも)なところがありまして、対人関係をずっとしり込みしてきました。なので、視野は狭いのは確かです。
だから、
>そこでやっぱりか。。。と思ってしまわないで下さい
この言葉を肝に銘じておきます。

お礼日時:2009/04/12 12:22

> 大学生(&同世代)がわからん



といいつつ、よく観察してるじゃないですか。
そのような人間たち、というだけのことでしょ?

ああ、なぜそうなのか理解できないってことですか?
人の気持ちなんて100%わかりっこありませんよ。

人間はそれぞれの価値観で動いてるんです。
稀に近い人もいますけどね。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。
よく観察できてますか?
それが分っただけでも収穫です。

お礼日時:2009/04/12 12:15

本当の「競争」に晒さないように、大人達が配慮して、今の教育制度になりました(また変わるようですけどね)。


この制度を作った人たちの世代は、受験戦争と呼ばれていた時期で、ごく普通の進学校でも、毎年受験ノイローゼなどで自殺者が出ていました。同級生・同窓生にそういう知り合いを持っている人が普通にいたんです。
大学の定員を増やし、高校までの授業の内容も削り、入試では私立大も含めて高校で教えた範囲以外からの出題を禁止する通達を出したりして、競争を極力無くす工夫をしてきました。

今、韓国、中国の子どもたちは昔の日本のような苛烈な受験競争に晒される状況になっています。
子どもたちに対しての国際調査で、日本が極端に劣る部分がいくつかあります。
http://www.crn.or.jp/LIBRARY/HIKAKU/VOL810/CONTR …
肝心の進学意識が、世界の中でほぼ最下位なんです。競争が無くなり、やる気がないまま大学まで進学してしまうんですね。向学心も同様の傾向があります。
集団の中で自身の位置を見いだすというのは、子どもたちが生きるために本能的に行うことのようですが、競争が激しい社会ではその競争の指標になるものが物差し代わりになるのに対して、日本では人とのつながりは全てで、これはとても不安定な指標なんですね。なので、これを壊さないためのスキルが極端に高くなることになります。

ご質問の状況は、こういうことなんじゃないでしょうか。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。ヒントになります。
「本能」はキーワードだと思いました。

実際は本来の学校というのは、「楽しみ・友情機関」ではなくて「選別機関」なんですよね。才能のないものを容赦なく振い落す、というような。(だから自殺する人間がいるのはある意味で「正常」な事なのかも)
外国の映画など見ますと、当然の事ながら日本との違いを思い知ります。
とはいえ、本能は自分の地位・生存を優位にしようとするので、ある程度の現実意識も芽生えてくる。(が、精神は対人関係・選別におけるノイズに脆弱)

お礼日時:2009/04/12 12:13

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