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あなたの宗教に対するイメージはどちらがが大きいですか?

(1)宗教とは教えを信じることVS宗教とは心のあり方である。
(2)宗教とは集団に属することVS宗教とは個人的な営みである。
(3)宗教とは勧誘をするところVS宗教とは慈善をするところである。

性別(男・女)と宗教(有・無)も差支えがなければ教えて下さい。

A 回答 (8件)

カトリック信者ですが、仏教や神道など日本などの伝統的な宗教にも深い共感を覚えている中年男性です。


久々に、宗教の一面をわかりやすくえぐり取った好質問に出会いましたので、回答します。

しかし、ある意味、こうした白か黒かといった二者択一の質問に答えることは、大変危険であると思います。世の中の現象は、そう簡単に白か黒かという風に割り切れるものではないということを肝に銘じていただきたいと思います。したがって、私の回答は、明確にどちらとは言い切れない歯切れの悪い回答になることをあらかじめ承知して頂きたいと思います。

(1)この質問は私にとって大変重いテーマです。
多くの宗教のコンセプトは、先ずその教えを信じることからスタートすると思います。つまり「信じれば即ち救われる」という理屈です。しかし、それではその宗教でなければ救われない、「はじめに教えありき」になってしまうと思います。私は、宗教の根本意義は、まずその宗教がどうのこうの以前に、「心の浄化」をするということが宗教の大目的になっていなければならないと考えます。
禅では、「信心」(自分の心を見つめ、信じること)を重視し、神様などに対して祈りを捧げる「信仰」と区別して考えています。あなたのいう「教えを信じること」を「信仰」、「心のあり方」を「信心」と置き換えるとしたら私はできれば「信心」を重視したいと思います。
→松原哲明・石飛博光「こころの深呼吸 ずっと気持ちが楽になる禅語」永岡書店参照

(2)これ又重いテーマです。
キリスト教にしても仏教や神道などにしても一般的な宗教はみな、教団組織を持ち、教団員を束にして宗教活動を行っています。従って、通常の宗教活動はその組織の一員として、行うことが効率的ですし、人間は弱い存在ですから出来ればそのメンバー同士助け合って信仰に邁進していく方がより効果も上がるだろうと思われます。
しかし、反面、神仏と向き合う時、人はそれぞれ個人として向き合うのであり、個人的な営みと言えなくもありません。又、人によっては、既存の宗教団体の神ではなく、自分だけの神を拝みたいという人もいるかもしれません。日本人の多くは、特定の宗教団体の神ではなく、漠然と宇宙の超自然的存在である神を拝みたいという人もいるでしょう。
従って、この質問に対しては、「両面がある」としかお答えできません。

(3)これは明快に後者と言い切りたいと思います。
宗教とは、一人ひとりの心の問題であり、たとえ家族・友人であろうと、人に押し付けるものではありません。
宗教の目的は最初にも書きましたが「良いこと(含・慈善)をする人になること」、「心を磨くこと」に尽きます。

この回答への補足

宗教にはいろいろな面があると思います。
大切なのはバランス感覚でしょう。
ただ、人によってはある一方の面しか見えてないこともあります。

宗教という同じを言葉を使っていても
そのイメージは人によってかなり異なるように感じています。
それで宗教に対するイメージをアンケートとして質問しました。

補足日時:2009/04/20 19:09
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
懇切丁寧な説明でとても分かりやすいです。

(1)宗教の救いの体験は、キリスト教であれ仏教であれ
その原体験の部分では同質なものがあると思います。
ただ、人はそれそれが自分の選んだ特定の宗教の教えを通して
救いの体験を持つのだと思います。

(2)宗教は組織をもつと、いろいろな困ったことがおこるけれど
、個人的宗教になると、自力信仰になりやすく、弱い人間にとって
心持たなくさびしいものになるかもしれませんね。

(3)信教の自由は基本的な人権であるというのが現代人の常識です。
宗教を信じる場合にこういう常識を大切にしないといけでしょう。
宗教を広める場合は信者の慈善が一番の伝道になるのかもしれません。

お礼日時:2009/04/20 20:04

宗教というものは、もともと、人が苦しみから逃れるために作られたものだと私は考えています。

ユダヤ教、キリスト教、イスラム教、その他の宗教も人の心が弱りきったときに誕生してます。宗教は人々の心の安定を目指すものです。しかしながら、近頃の大手の宗教団体は自分の懐をいかに肥やすかに執着してるところがあります。オウム真理教はその最たるものだったでしょう。自分たちの利益になることしかやらなかったのですから。
宗教は人々を苦しみから、助けるものです。
日本人は古来から八百万の神々を祭ってきました。それは、すべてのものに感謝という意味からだと思います。外国人から見れば「無信教」に見えるかもしれませんが、神はひとつではないのです。
日本にはたくさんの神社、仏閣があります。人々を生かしてくれてるために犠牲になった動物、食物などを祭っている神社もあります。
われわれはこの世に誕生させてくれた祖先を祭るために、宗教を利用してるだけなのかもしれません。そして生かしてくれてる、すべてのものに感謝の心で祭っているのが日本の宗教だと思いますよ。
「供養」という概念はひょっとしたら、日本にしかないのかも知れません。
宗教の問題は難しいです。でも、感謝の気持ちを忘れないために宗教を使わせてもらってるというのが現実ではないでしょうか?
質問の回答にはなっていないとは思いますが、参考意見として述べさせていただきました。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

宗教は人々の苦しみから助けるもの。
これは宗教の役割の一つでしょうね。
現代では医学や心理学などが発達してますが、
古代では宗教が医学や心理学の分野も担っていまいた。

お礼日時:2009/04/20 20:12

心のあり方でしょう。


個人の考え
慈悲でしょう

神道、、、仏教です。


ちなみに、排他的な宗教もありますね。
また、圧力団体も。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

神道、仏教の人は心のあり方、個人の考えとなるようですね。

無宗教な人からの回答もあるかと期待してましたが、
そういう人は宗教のアンケートに無関心なのかもしれないですね。

お礼日時:2009/04/19 17:17

「宗教」に対する捉え方が最初から間違っているような。


「信仰・信教」に属する事柄まで宗教に含めてしまっている。

(1)宗教とは教えを信じることVS宗教とは心のあり方である。

「教え」とは何か?
教団・宗教団体の教えなのか、経典の教えなのか、原点(仏陀・キリスト・マホメット)の教えなのか。
いずれの「教え」かで回答は全く異なる。

(2)宗教とは集団に属することVS宗教とは個人的な営みである。

集団だから「宗教」でしょう。個人なら「信仰・信教」の範疇。

(3)宗教とは勧誘をするところVS宗教とは慈善をするところである。

これは宗教を団体として設定してるようですが、
そうなると上記1・2の問いと矛盾してくる。

このようなhisyaさんの設問ですと解答のしようがない。

この回答への補足

「宗教的経験の諸相」W.ジェイムス著

この本で著者が宗教の領域を二分して
個人的宗教と制度的宗教を述べています。

私はこの本を読んでいて宗教の二面として
個人と集団の二つの側面を取り上げました。

補足日時:2009/04/19 16:53
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

宗教は集団、信仰は個人という考え方なんですね。

ある団体が私たちは信仰であって宗教でない
と言ってるのを聞いたことがあります。
集会はあっても、制度はないということでした。

お礼日時:2009/04/19 16:52

(1)両方。

ただし妄信してはいけないです。
(2)個人的な営み
(3)慈善

名 kanota

宗教人 神道。いや日本教とでも言うべきかな。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

両方とはバランスの取れた人なんですね。
日本教の教えとはどういう教えなんでしょうかね。

お礼日時:2009/04/19 16:39

1.宗教とは洗脳である


2.集団に属すること
3.宗教とは勧誘をするところ

「信者」と書いて『儲』と読みます
宗教とは洗脳を利用した金儲けだと自分は思ってます

性別 男
宗教 『空飛ぶスパゲッティ・モンスター教』
  ↑ Wikipedia等で検索してみてください本当にあります
   宗教の愚かさを広める為の、反宗教の為の宗教です 
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

宗教=カルトということでしょうかね。
宗教法人だと税金面での優遇があり、
献金とはただの寄付とも言えるので、
金儲けにいいのかもしれませんね。

「空飛ぶスパゲッティ・モンスター教」本当にあるとは爆笑です。
キリスト教にも現代人には荒唐無稽な話と思えるもがたくさんあります。

お礼日時:2009/04/19 16:28

今の宗教はほとんどが


教義を信じ、祈りをささげ、集団に属して、勧誘する
だと思います。

でも私が思う宗教は
心の在り方や実際の行為だと思います。
いくら祈っても、教えを信じても
それだけでは意味は無いと思います。

日常生活において、どれだけ前向きに努力できるか。
どれだけ善意の行為を行いそれによって喜びを感じられるか
だと思います。
心の在り方や善意の行為を人にやりなさいと無理矢理勧めても
受け止める人によっては全く効果がありません。
自分が真っ直ぐに正しく生き、善意の行為を実際に行うのを
見て感じてもらって、それを真似してみたいと思う人が広がって行く
ことによって自然と伝わっていく。
それが理想なんじゃないかと思います。
なかなか上手く表現できませんが・・・(^^;

女 家は仏教ですが、考え方は既存の宗教には属していないと思います。
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この回答へのお礼

宗教というのは、
教義を信じ、祈りをささげ、集団に属して、勧誘する
こういうイメージを持つひとが多いと思います。

宗教というのは、教祖の個人的な体験が核にあり
それが教義として整理されて、信者が増えると組織が作られて、
あとは受け売り的に人々に広められていくものだと私は考えています。

この中で、宗教の本質というのは個人的な体験だと私は思っています。
救いの体験や悟りによる解脱、信仰による人格の変化や善行、これが信仰の成果でしょう
ただし、普通の人間は弱いもので個人的な信仰だけだと心もたなくさびしくなるのでは思いますね。
あと、宗教は集団になると問題も生じるので既成の宗教に属しないという気持ちもちょっとだけ分かります。

お礼日時:2009/04/19 16:07

1.心のあり方


2.個人です
3.ありのままに(自然のままに)
4.男、原始宗教(神道に近い)
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
原始宗教というのは現代の宗教とは大分違うのでしょうね。
教義や教典などないのですか。
地域共同体などに残る土俗の信仰というものなんですかね。

お礼日時:2009/04/19 14:38

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