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 ネットでの評判からすると創価学会はカルト集団であるという評判になってますが、逆に創価学会のおかげで人生助かったという人はいないんでしょうか?

 学会員の人に前聞いたら「みんなそう思ってるよ、そうじゃないと続かないでしょ? だからこの信心は本物なんだよね」
 と言ってて納得する部分もありました

 やはり、定期的な会合や人付き合いや勧誘の学会活動などを考えると「面倒なことが増えるだけ」としか傍目からは見えませんよね

 でも続けているとなると、それだけ本人の手ごたえがあるのかなぁ?とも思いますが、単純にマインドコントロールされてしまっているだけとも考えられます

 実体験として学会に救われたって人いますか?

A 回答 (6件)

>やはり、定期的な会合や人付き合いや勧誘の学会活動などを考えると「面倒なことが増えるだけ」としか傍目からは見えませんよね



傍目から見れば、そうかも知れませんね。確かに、仕事でくたくたになったのに、夜は会合、家庭訪問というのは、正直うんざりということもあるでしょう。

しかしながら、仕事を終えて、テレビを見て一杯やる、その他の遊興で楽しむ。そして「ああおもしろかった」と床に入りグウグウ眠る。次の日も、その次の日も同じことの繰り返し。そしてこの一生を、たいした歴史も残さず終える。楽かもしれませんが、これで真に充実した人生といえるのでしょうか。人間に生まれてきた意味がありません。

日蓮大聖人は仰せです。「南無妙法蓮華経と我も唱へ他をも勧んのみこそ今生人界の思出なるべき」(持妙法華問答抄)と。仏法では生命は永遠と説きます。生まれては死ぬ。そしてまた生まれては死ぬ。これを永遠に繰り返すのです。良くも悪くも、今の一生で行ったことが、次の生(来世)に大きな影響を及ぼすのです。それを思えば、この一生を無駄に過ごすことはできないはずです。

日蓮仏法は、自分も他人も、ともに幸福になっていこうという教えです。大聖人の仏法を人に語る。そして人を幸福にしていく。たとえ入信しなくとも、耳にこの仏法を聞かされた人は「聞法下種」といって、それだけで成仏の種子を与えたことになる。そう説くのがこの仏法です。これ以上の崇高な「歴史」はないのです。

戸田二代会長は「人生途上の勝利など、幻である。人生最後の数年間で『自分の一生は幸福だった』と思える人が、真に人生に勝利した人である」と語られています。目先の楽しみや幸せなどではなく、永遠の生命を自覚し、偉大な歴史を人生に残す。そういう人こそ、たとえ今は苦労が多くても、人生の勝者といえるのです。
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戦争までも引き起こす宗教間の対立。


神事信念・仏教信念も個人の自由。
しかし他人に洗脳(マインドコントロール)まじき行為を駆けてまでの勧誘は法とのラインの極み行為で、損害的行為と言える。

※あくまでも宗教は個人信念の元、個人のみの宗教活動で有る事が望ましい。
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自分自身の中に「救われた」という思いがあるから、断られても断ら


れても「入信させるのがその人の幸せのため」と頑張れるのだと思い
ます。

そういえば「祈れば受験に受かる」と言われたことがあります。
その人がそういう経験をしたからそういうことを言うのだと思いま
す。

ちなみに私は生まれた時に親に入信させられました。
子供の頃は嫌々やってましたが、今は自分の意思でやってません。

宗教によっては「よかったらこれ(冊子)を読んでみてください」
みたいな謙虚なものもありますよね。創価学会の人はなんていうか、
思い込みが激しいイメージがあります。(私の父を見ていてもそう思
います)それが「マインドコントロール」と言われてしまう所以なの
かもしれません。

人それぞれ信じるものがあって(なくても)、幸せだったらそれでいい
と思います。
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入信した経験あります


しかし、いざ自分の思った事をしようとしたら
放置されたので空中分解しました。
大体の信者は矛盾が少々あっても
強引に信じている感じでしたよ。

真面目な話、神を信じるなら
近くのお寺や神社、もしくは
キリスト教などの普通の所へ
行かれるといいです。
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自分の信仰だけ考えるなら、その人がいいと思うなら、いいことでしょう。


池田大作氏が1970年代にアメリカのソルトレークに渡米し、その地域にあるモルモン教会の教会組織を学び、組織のあり方がいいと思って自分の学会に同じように組織したことから初められました。自分と同じ年代の組織があることから、いろいろなことが共通する点がありそのことから、良かったと思う会員もいます。
>やはり、定期的な会合や人付き合いや勧誘の学会活動などを考えると
その組織の考え方から、会合や集会や勧誘活動があったと思われます。
本当に仏教に癒す心や施しの心を持ちたいと思うことがあれば、いいのでしょうが、勧誘のノルマや退会しそうな会員に対しての追求や仏壇等のことがあるので、カルトとは言えませんが厳しいことは確かかと思います。
わたしの友達に学会員がいまして、まだ日蓮宗と分離する前の会員ですが、日蓮宗の教えや行いによって心に平安があり施しの心が深くなっていったといっていました。信仰の自由がありますが、自分にとってこの宗教によって癒され、安らぎが得られていると思うことがあれば、それでいいかとおもいますがいかがでしょうか?
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入信前に破門されたので良く分かりません。


座談会で「おまえなんかくるところじゃねぇ」と罵声を浴びました。
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