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個性の尊重と騒がれてから長いですが、この言葉の意味する内容がいまいちよくわかりません。
養老の「バカの壁」を読んでのことですが、例えば精神病者の中には、毎朝自分の大便で白い壁に自分の名前を書く、という習慣を持つ人がいると言うことで、ではこいいう「個性」を尊重すべきなのか?という問いに、どう的確に答えるのかです。それができるか否かで、この問題への真剣さ真摯さがわかるのじゃありませんか?
その精神病者の例に触れて、それは「尊重すべき個性じゃない」というのは簡単ですが、じゃあなにが、例えば教育界で「尊重すべき」個性なのか?それって結局は、教育のレールにのっとった、あらかじめしかれ方向付けされた上での「個性」でしょ。そんなものが「個性の尊重」になるのか。実に2枚舌欺瞞もいいところだと思うのですよ。

では、一般的コンセンサスにのっとったもの、誰でも納得できる内容の範囲内で「個性」なのか?そんな集団的な圧力のかかった付和雷同を押し付けられるような中で「個性」など存在できるのか?

ここのところをどう整理したら言いのでしょうか?

A 回答 (13件中11~13件)

おはようございます、疑問はつきませんね。



さてご質問の件ですが、あいにく「バカの壁」は読んでいないので、
いくぶんか、ピント外れの回答になりましたらごめんなさい。

>では、一般的コンセンサスにのっとったもの、誰でも納得できる内容の範囲内で「個性」なのか?

集団の中では、おのずからルールと呼ばれる物が発生します。「こういったことはやめてくださいね」「こういったことはしないでね」と言う程度の物から・・、ひいては構成メンバーが非常に大きくなる場合のルール(たとえば憲法のような物)まで。どうしても、人間一人一人は考え方が異なりますから、お互いが納得できるところで折れ合って行かなくてはなりません。

>そんな集団的な圧力のかかった付和雷同を押し付けられるような中で「個性」など存在できるのか?
他の方も上げていらっしゃいますが、「押しつけ」というと堅苦しくなりますが、野球などのルールと考えればいいのではないでしょうか?そこで生きていくためにはどうしてもルールを守る必要があります。「どうして、三振はだめなんだ!四振でもいいじゃないか!」と言ったところで始まりません。その中で自分の個性を発揮して、結果を出していくのだと思います。

障害者の方への、養老先生の考え方にご不満があるようですが、養老先生がどのようなことをおっしゃっているか分かりませんが、「障害者」の方を上記のルールに当てはめて考えることは、お互いにとって有益なこととは思いません。それぞれ個別の症状があるでしょうから、それぞれに個別のルールを当てはめたり、ルールから除外したりすることで対応するべき物だと思います。
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この回答へのお礼

たしかに、共同体的な利益を守る範囲内でという意味を付与することは、真っ当な考えだと思います。そこは、民主主義的コンセンサスが働いたものなんでしょう。

お礼日時:2009/05/14 07:00

図画の授業で、


・12色の色鉛筆
・時間は30分
・書くものは静物
条件ガチガチでも

作品は2つとして同じものは無い

いかなる制約があろうとも、その中には個人の裁量権の範囲は必ず存在する
故に個性の発揮ができないと否定するのは、その能力が無いと認めている(方法が分からない)だけのこと
条件の緩和=個性の表現が可能 ではない

個性は与えられるものではない
ならば、それは自己表現の一つの方法であり
その手段に対し無限(無制限)の権利が与えられる方が不自然であるし、
あり得ないと思う

個性は、あなたはあなた、わたしはわたし の自分勝手ではなく
あなたの良さ、私の良さ を認め合う、または容認することができる範囲に存在すると思います
人に迷惑をかけたり、人に危害を加えたり、人の権利を脅かすことを
個性とは言いません

個性は、共存共栄可能で最も自分らしい自己表現だと思います

>そんな集団的な圧力のかかった付和雷同を押し付けられるような中

そんなの居心地が悪いのなら、他へ行けばいいんです
世の中には色々な世界があります
天国でも地獄でも…
でも、行った先が住み心地良いかは保証できませんが…
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この回答へのお礼

どんなに条件をきつくしようと、まったく「個性的」なものばかり、二つとして同じものがないといいますよね。なので、初めっから「個性」などというものを強調する必要ないのです。ほっとけば「個性」だらけですからね。
なので、おっしゃるとおり、共同体的に不利益にならないという条件が与えられるのが普通であるはずです。それは「圧力」というよりも、「流れ」といったものかもしれませんね。

お礼日時:2009/05/14 06:59

答えとは、違うのかも知れませんが、


「自分へ実害がない限りは干渉しない」と言うルールでいいのでは、ないでしょうか。

そうすると「毎朝自分の大○で白い壁に自分の名前を書く」も干渉すべきでないと思われるかも知れませんが、衛生上問題がありますし、この場合、奇行であるわけですから干渉することが良いことでしょう。

もし、それが壁に紙を貼って鉛筆で落書きしたのならば、それは個性を尊重すべきなのではないでしょうか。

また他の言い方をすれば「他の人に迷惑をかけない限りでの価値観の尊重」とも言えるのではないでしょうか。
しかし、騒音問題など自分では迷惑をかけていないつもりでも、他人が迷惑をこうむる場合にはこの限りではありません。

(バカの壁を読んでいないので、もし的外れでも参考程度ということで許してください)
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この回答へのお礼

「自分に実害がない」
これは非常に妥当な線引きですしょうね。
この基準もかなりあいまいではありますが、おのずと幅はできてくるのでしょう。

お礼日時:2009/05/13 19:54

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