プロが教える店舗&オフィスのセキュリティ対策術

カテ違いであればスイマセン。長文です、ご了承下さい。

1キロほど信号が無く車の往来激しい高架幹線道路を
ロードタイプの自転車で車道脇を走行していたところ
(歩行者・自転車進入禁止で道交法違反ですがお許し下さい)
高架の壁沿いのちょっとした段差に子猫が縮こまっていました。

一瞬自分の目を疑いましたが、本物ぽかったので500メートルほど道路脇を
自転車を降り、逆走方向に戻り確認しました。
(生きている本物の子猫でした)

安全な所に移そうと手を伸ばすと、ヒドイ怯えようで牙をむくばかり、
掴み上げる事が出来ませんでした。
(本心は咬まれるのが恐かったので)

挙句、猫は道路脇を走って逃げ出したので、拾い上げる事を諦め
車道に飛び出さぬよう猫に伴走し安全な場所まで逃がそうとしました。

高架も下り始め、もう少しで交差点というところまで行きましたが
そこで猫は車道に飛び出してしまいました。

交差点手前だったので徐行している車ばかりでしたが猫は
3車線あったうちの真ん中の1台の車下へ逃げ込んでしまいました。
私は左車線に手を上げ飛び出し停車してもらい、猫が車下にいる
車のドライバーに猫がいる事を伝え猫を拾い上げようとしましたが
覗き込んだ時点で既に猫は轢かれ、はらわたは飛び出ていました。
(この時猫はまだ生きており、ニャーニャー鳴いていました)

そこでもう私は拾い上げ助ける事を諦めました。
ドライバーには上手く逃げたので発車して下さい‥と
苦い顔をしたまま嘘をつき、左車線のドライバーにも頭を下げ
(この時点で後続は詰まり始めていました)
その場を逃げるようにして去りました。

子猫1匹詰め込めば入る位の鞄を携帯していましたし
恐がらず無理にでも鞄に押し込み安全な所まで連れて行き
放せばよかったでしょうか?

若しくは、縮こまったままでも自然に逃げ出すだろうと
手を下す事無く放置すればよかったでしょうか??

救おうとして、最悪の結果に終わったこの顛末‥
余計な事をしたのでは??と自身の呵責に悩んでいます。

もし車道に飛び出さず猫が交差点まで行ったなら自ら飛び出し
車を止め猫を逃がすつもりでした。

(1)目を背ければ良かった(手を出すべきでなかった)
(2)咬まれるのを恐れず猫が無傷なうちに無理にでも拾い上げるきだった
(3)はらわたが飛び出したとはいえ息があるなら拾い上げるべきだった
(4)その他

私が就学前の4、5歳の頃、手乗り文鳥を家族で飼っており
水飲まないかなぁと籠の文鳥を手で握り無理に水に押し付け
溺死させてしまった過去があります。
幼いながらも悪い事をしたと、その事を今でも後悔していますし
救う事が出来る立場に居合わせたのであれば何とか救いたいという
気持ちでした。

私自身、今は(2)を選択すれば良かったと後悔しています。
皆様であれば、どうされたでしょうか??

A 回答 (8件)

お早い御返事ありがとうございました。


あとからも真摯な御回答が続きましたが、お気持ちのほうは いかがですか。
私も若い頃から、おりにふれ考えていたことですので、あらためて自身に問い直してみたのですが。。。

>子猫が走り疲れ、うずくまって大きな声で「にゃぁぁーーー、にゃぁぁーー」と親を呼ぶが如く悲しそうに長めに2回鳴きました。

まさに、「孤独の叫び」ですね。
じかに聴けば、胸が潰れるような叫び声だったことでしょう。
助けようとしている者を、脅かす者であると、子猫に思わせてしまったからですね。

ところで、私は、ヒト以外の動物であっても、とくに哺乳類ともなると、生物学的にも、心情的な面でも、ある意味、見方によっては、ヒトと それほどの大差は ないと考えられるのではないかと思っています。
別の言い方をすれば、人間だけ特別とばかりも言えないのではないかということです。私の個人的な考えですけれどね。

なお且つ、人間の やりかたで、というのは、これは もう、致しかたのないことだと思います。
同じ人間どうしでさえも、しょせん、その個人なりの やりかたを出ることが できるのか どうか。

安全な場所に連れて行ってから見離すのも、いっそ一番最初の段階で見離すのも、どのみち五十歩百歩、かも しれません。
あるいは、もっと厳しい言い方をするならば、質問者さまが、子猫の身を案じるがあまり、「伴走」を続けた、という段階にまで及んだことが、そして、その距離が伸びるごとに、子猫の命が生き延びる可能性を、ひと足ごとに摘んでいたことになってしまうのでしょう。

いや、そもそも、子猫の うずくまっている姿を、目に とめてしまった、これじたいさえも悔やまれてくることになってしまいます。現に、そうでいらっしゃいますよね?
しかし、そんなこと、今さら どうやって取り返しが つきましょうか。


私は、大事な者を何度も失うという経験を してきましたが、一応、仏教の やりかたで弔ってきました。そのときに、苦悶のさなかでも、つくづく感じたのが、死んだ者のためではなく、生きて残された者のためにある やりかたなのだな、と いうこと。
つまり仏教は、死んでしまった者にではなく、むしろ、生きて残っている者のほうをこそ向いているものなのだということ。
たとえば、食事ひとつ とっても、そのときの私には、仏としての死者が食べ残した喰の お下がりなのだという見做しがあればこそ、私の咽喉を、かろうじて通った、これが なければ、私は何も食べる気に なれず、自分までが、あとを追うように倒れていたであろうと思います。

誰でも、生まれてきた以上は、生き延びていくことが基本です。
そのために、日々、目に見えない次元でも、様々な夥しい殺生を繰り返しています。これが哀しくも厳しい現実です。しかし、まさに生き延びていくという重大事の前には、しなければならぬ殺生を し続けていくのですから、それなら、せめて、しなければならぬものでなければ、しないで おきたいものですね。命を繋ぐための殺生と、恣意的な快楽のための殺生とでは次元が違うはずです。
けれども、そうは言っても、線引きが難しい面も確かにあります。
たとえば、私は、一般に虫とか蜘蛛の類が、たいへん苦手です。
また、蚊一匹のことでも、どういうわけか、人並み以上に蚊に好かれ易い私は、血を吸われるたびに、薄く弱い皮膚が甚だしく かぶれます。ヘタをすると、体調によっては、これがキッカケで全身に湿疹を引き起こすこともあります。
部屋のなかに苦手な虫や巨大な蜘蛛がいると わかっただけで、食事も できず、眠ることも できなくなります。
ここまでのことになると、もう、健康状態にダイレクトに影響してしまいます。それで、そもそも苦手な虫たちが室内に入ってくるということがないように、ふだんから事前策を講じておくことを重視、実行しています。

ですから
>現場にミルクでも供えて来ようかと思います。

こうしたことも、しょせん自己満足と言われれば、自己満足に過ぎないでしょう。でも、それを することで、質問者さんの お気持ちが少しでも落ち着かれるのなら、そう なされば よいのだと思います。落ち着かないままでは混乱と後悔が いや増すばかりです。次に備えることが遅れてしまいます。

私が、本当に問題にすることは、そこで終わってしまうのではなく、自分の力量や覚悟の至らなさ、その経験の後で、質問者さまが
>同じ状況に遭遇した場合、必ずこの経験活かす。事を自分に刻みました。

こういうことです。
「この経験を活かす」という ご決意のコトバが聞かれませんでしたら、もっと厳しいことを申し上げたかも しれません。

取り返しの つかないことに、まざまざ直面してしまったあと、どうするのか。
そんな失敗は なかったとしたいがために、執着して、取り返すことにヤッキと なるか。
ヤッキと なったところで、取り返せないことが明らかなのだから、自分の気分さえ静められたら、それで まあ良し、と自己慰撫、自己満足行為のままで とどまっておくか。

だいぶ以前に、テレビで見た光景ですが
御近所の人々に可愛がられながら子を産み育て暮らしている母猫が、あるとき、子猫を咥えて、高い屋根の上に担ぎ上げようとして、かなり高い位置に来てから、ウッカリ落としてしまったのです。
子猫はアッサリと事切れました。
母猫は、何が起きたのか理解できているのか いないのか、しばらくのあいだ、未練がましくウロウロと していましたが、やがて諦めたようすで、その場を離れていきました。
おそらく、これからも何度となく子を産んでは、また同様の失敗を繰り返すであろうと思われるのですが
人間は、同様の失敗を繰り返すまいと、自らを戒めるものですね。
そのためにこそ、おのれの考えや見通し、力量の至らなさを正面から見つめ、噛み締めるのだと思います。


なお、その高架幹線道路というのは、子猫が自力で入り込めるような場所なのでしょうか?
こういう話、時々耳にするのですが、どうも、車で、ワザワザそこまで捨てに来た人が いたのではないかとも思われます。ぜったいに戻って来れないようにでしょうかね。。。
そういう、いやらしい知恵が まわるのもヒトというものの側面です。
それなら、人間、せめても どうしていけば、と考えるところです。
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この回答へのお礼

再度の回答、貴重なご意見ありがとうございます。
個人的な都合で返事が遅れました事、お詫び申し上げます。
 
>アンカテでは(いつも)お見かけしております。(でいいのかな)
 No.2の回答で上記のような事を私が書きましたが
 noname#.....⇒と言う名前は“ノナメさん”ではなく退会されたりで
 ノーネーム+順の番号の意だったのですね。一人の同一さんかと
 ずっと勘違いをしていました。 どこにでもいるなぁノナメさん‥‥
 一つの質問をノナメさんがして、それにノナメさんが回答する。
 “教えて”を一人で盛り上げるサクラの人と思ってましたので‥
 大変失礼しました。

>>まさに、「孤独の叫び」ですね。
 じかに聴けば、胸が潰れるような叫び声だったことでしょう。

 はい、子猫は私を見上げる事なく伏し目がちに鳴きました。
 その声は親猫へ向けての声やと一瞬で解りました。
 その声を聞いたことで命を見捨てた事への呵責を強く思いました。

ここ数日、仕事の関係で田や畑の多い地域に居ましたが、虫や植物、
自分や人間以外の命の営みや、小さな命のやり取り、消えては逞しく
生まれ出づる生命・・と少し大げさですが、命に対する考え方が
拡がり自然に周りの環境に目が行きました。

動物病院では小さな命を救うため絶えず尽力されている一方、
私は道路の真ん中でゆっくり転がったタイヤの脇から見えた半死の
子猫を何も出来ず無下に諦めた現実と無力さ。

これ以上御託を並べても無意味でした。
回答頂いた内容からこれまでと違った考え方が出来るようになりました
目線を上に向ける事が出来ました。
>人間は、同様の失敗を繰り返すまいと、自らを戒めるものですね。
 はい、しっかりと答えが出ました。

>なお、その高架幹線道路というのは、子猫が自力で入り込める
 ような場所なのでしょうか?
いいえ、私が子猫を発見した時間が17時過ぎ、身動き出来なかった
とはいえ、まだ走る元気があったことを考えると当日迷い込んだ可能性
が高い事。
17時までの交通量は昼間だからといっても交通量は多い。
放置された環境が子猫にとって怖かったとはいえ、人にあまりにも
懐いていなかった事。
最終的に同じ人間ですから、まだ捨てたモノじゃないと信じたいです。
ありがとうございました^^

お礼日時:2009/07/13 22:25

「もしこうしていたら」とか「他の人だったらどうしていたか」という質問は無意味ですね。



なぜならあなたは文鳥にしろ、子猫にしろ、死へと導くべく存在であったからです。

人生は「選択」の連続です。
しかし、「選択」は己の性格や過去の経験によって、ある程度しか動かせません。

良心の呵責・小動物への愛<自己防衛本能・他への可虐欲求

あなたはこのような式に縛られています。
この式を変えない限り、また同じような場面に遭遇するかもしれませんね。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
そうですね^^手厳しい御意見感謝します。
既に頂いた回答から過去を悔やむばかりではなく
これからに経験を活かしていく事を決意しました。
>>良心の呵責・小動物への愛<自己防衛本能・他への可虐欲求
 という式が自分の中にある事を踏まえた上で、目を背けず
 真摯に受け止め
>>この式を変えない限り、また同じような場面に遭遇するかも
  しれませんね。
 また同じような場面に遭遇した時には過去の轍を踏まぬ気持ちを
 持つ覚悟も出来ました。

なので
>>あなたはこのような式に縛られています。
 ということは既にありませんよ^ー^

文鳥に関しては
>>死へと導くべく存在であったからです
 ではなく、私が幼かったこともありますが自らの手で命を奪って
 しまったんです:;
 4.5歳の時の出来事で「こんな事で死んじゃうんだ・・。」
 と後悔しましたし、何十年経った今でもその時の気持ちを
 忘れてはいません。命の尊さを身をもって教えてくれたのだと
 自己都合ではありますが思っていますし、懺悔の気持ちも
 持ち続けています。
 
>>他への可虐欲求
 の意味がよく解りませんでしたが、回答により既に結論が出た質問を
 放置した事について、解答頂いた皆様にはお詫びしたいと思います。
 遅くなりましたが締め切りたいと思います。
 改めてありがとうございました。
 

お礼日時:2009/07/23 21:27

こんにちは、お忙しいなかを、御返事ありがとうございました。


>どこにでもいるなぁノナメさん‥‥
 一つの質問をノナメさんがして、それにノナメさんが回答する。“教えて”を一人で盛り上げるサクラの人と思ってましたので‥

たしかに私はアンカテが好きなほうですが、しょっちゅう参加しているというほどでもないので、?だったんですが、そうでしたか、思わず吹き出してしまいました。でも、そういう勘違いなさってる人、けっこう おられるみたいですよ(笑)

この投稿は、あいさつと了解確認ていどの ものですので、これには御返事いただかなくて構いません、ただ、お時間が許すときに、よろしければ、参考URLを、ゆっくり御覧になってみてくださいね。
『昆虫の命の大切さ』という心理学カテゴリーでのスレですが、やはり命に関する質疑応答なんです。


私も、あれから ずっと、質問者さまが仰った、その子猫のこと考えていました。
子猫の最後の声。。。
私が、これまで様々な猫たちと実際に かかわってきて実感したことの一つですが、彼らには、私たちヒト族が失ってしまったのであろう、ある種の能力的なものが、まだ濃厚に残されているようです。おそらく、子猫の叫びは、母猫に限らず、離れた場所にいる他の猫たちにも届いていたのではないかしらと思います。

私自身、犬や猫とくにノラ猫たちとは、並々ならぬ縁があったほうですが、それでも、質問者さまが目撃したような大ケガした猫を目の当たりにしたことは なかったですし、そのときの子猫の ようすを伺っても、知らず知らずに避けているのでしょうか、どういうわけなんでしょうか、あまり、リアルに想像することが できていないのです。
やはり、今回のことは、質問者さまならではの貴重な御経験を得られたのだなぁと思います。

>最終的に同じ人間ですから、まだ捨てたモノじゃないと信じたいです。

そうですね、こういう質疑応答だってあるのだということ自体、私にとっても、信じたいと思わせられることです。

あらためて、こういうことを考える機会を いただきました。
これからは、質問者さまと いっしょに、この出来事を抱いていこうと思います。

参考URL:http://oshiete1.goo.ne.jp/qa4201827.html
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます^ー^
参考URL拝見させて頂きました。

なるほど、命についてより深く考える事が出来ました。
7/15にnoname002さんの回答を頂いてからも色々反芻しておりました。

私個人的に手塚治虫先生の“火の鳥・鳳凰編”を改めて強く
思い出しました。
質問の題名からちょっとした事で零れ落ちていく命と
普段何気ない事で(生きていく為に戴く命とはまた別で)
潰さずに済む命も足元を見るとたくさんあるのだと感じました。
重ねて、ありがとうございました^^

お礼日時:2009/07/23 00:29

>>私自身、今は(2)を選択すれば良かったと後悔しています。



人の気持ちと行動はその場の状況で変わるものです。
過去は過去ですから、次回はどうするかを決める経験になるだけですね。

>>皆様であれば、どうされたでしょうか??

私であれば、年齢も年齢ですので猫を有無も言わさず拾い上げて安全な場所へ連れて行くでしょう。
それ以後、猫がまた危険な場所に行って死ぬこともあるかもしれませんが、それはあずかり知らぬことですね。
気がつけばやるべきことはやる。それだけですね。
それが年を重ねるということですから、経験でまずいと思えば以後変えればいいだけですね。
いいことも悪いこともとらわれちゃだめですね。
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この回答へのお礼

mmkyさん、回答ありがとうございます。
消えてしまった命をどうやっても取り返す事は出来ず
悔やんでも生き返ることはない事実を受け入れます。

世界からすれば子猫の命が消えた事が小さな出来事であっても
私にとっては貴重な経験であったのは確かです。
回答頂いた方の貴重なご意見から、高い次元の考え方が
あるのだなと関心しきりでもあります。

ご意見頂いた回答者様方々が知恵袋のおばぁちゃんで
私がどうしようと泣いてオロオロしているだけの子供くらい
のイメージがこの状況だな・・。  と個人的な感想です^^

貴重なご意見ありがとうございました。

お礼日時:2009/07/10 05:13

再投失礼いたします。


どうやらNo1の方から合掌が続いていたようですね^^。

私は人間のやり方で合掌する事は子猫に失礼だと思いますので遠慮させて頂きます。
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この回答へのお礼

OKWave0630さん、回答ありがとうございます。

>●●●もっと濃く子猫と関わりたかった●●●

私の一方的な立場でしか見えていなかった今回の状況が
ご回答によって多角的・客観的に捉える事が出来ました。

>ただそう質問文に加えられなかった所を見ると、そういった
 意識が無いか、乏しいのでしょうか。

そうですね、
この世界では(特に野生では)古より命のやり取りが当たり前のように
繰り返されている事、私の気まぐれで何でも救えるという自惚れ。

はたと気づかされた出来事でした。

事が起きた(質問を投稿した)翌日、現場に寄って来ました。
夜に降った雨と相当量の車の往来によって、黒い跡しか遺って
いませんでした。
お礼に書いたように高架の壁沿いにミルクを置いて来ました。
自己満足であっても、子猫の死期を早めたことに
変わりないと思ったのと、OKWave0630さんが仰るように
最期を看取ることなく、楽に逝かせることもなく見捨てた事に
何もしまいままにいる事が出来なかったからです。

自分にとって害を成すものであれば容赦なく殺し
自分にとって愛おしいと思えるなら愛でる。

人間とは都合の良い生き物ですね。(戦争もしかりかと思います。)

>多分byr8y8さんがこの質問で本当に聞きたいのも
「どうすべきだったか」ではなくこれから「どうすべきか」でしょう。

はい、真摯に受け止めます。本当に回答ありがとうございました。

>私は人間のやり方で合掌する事は子猫に失礼だと思いますので
 遠慮させて頂きます。

 はい^^お心遣い感謝します。

お礼日時:2009/07/10 23:28

私の回答は二つの意味で (4)その他 です。



★★★1つ目の (4)その他★★★

byr8y8さんに起こった事はこれだけです。

1.ある日子猫の生に、思わずか、気まぐれか、その両方か、それら以外か、いずれせよ関わった。

2.そして(事故の後)、思わずか、気まぐれか、その両方か、それら以外か、いずれせよ関わりを止めた。


同じ時、子猫に起こったことはおそらくこれだけです。

1.ある日親とはぐれ迷っていたら、人間が近づいてきて、怖いので逃げた

2.車に轢かれた



時系列でbyr8y8さんの中での子猫の価値を見てみます。

1.道路脇の子猫 = 可愛い。助けてやりたい

2.牙をむく子猫 = 可愛くない。咬まれてまで助けるほどじゃない

3.轢かれた子猫 = 関わりたくない。視界に入れたくない。

4.死んだ子猫 = 不明



●●●もっと濃く子猫と関わりたかった●●●

私には初めから終わりまでbyr8y8さん身勝手な質問に見えます。
一番の身勝手なのは、ご自分のどれだけ身勝手かお分かりになっていない所です。
必ずしも身勝手が悪いことと非難しているわけではありません。
(哲学スレなのでこんな事でどうこう言う方もいないと思いますが
byr8y8さんはあまり哲学に来られる方ではないようなので一応お断りしておきます。)


byr8y8さんにとって猫はきっと、関わりたい時に関わり、そうでない時は関わらない存在なのでしょう。

そんなbyr8y8さんが、今回の出来事では正にそのまま、
関わりたい時(道路脇)に関わり、そうでない時(咬まれそうになった時、轢かれた時)に関わらなかっただけです。
全編に渡ってご自分のしたいようにされたのですから、何ら悔いる事はないはずです。
それが出来ないのは、本当は「そうでない時」も関わりたかった、ただその勇気が無かったという所でしょうか。



●●●普段の殺生との違いは?●●●

不可抗力で命を奪ったことを悔いるなら、
今まで食して来て、これからも食する動物や生物たちを悔いるのが先に来るはずです。
そしてその他の有益無益問わぬ殺生も。

byr8y8さんはお肉を食べる方だと思いますが、
今まで食べた内、どの程度をご自分で殺しましたか?
私は0ですが魚貝類なら何度も殺してます。
虫はどうでしょう。
私は蚊など自分が何匹殺したかも覚えていないほど殺してます。
植物は食用・非食用問わず何度も殺しています。
細菌やバクテリアも無益有益を問わず汚水などで殺しています。


byr8y8さんなぜその子猫だけを生かすのですか?

可愛いから、可哀相だから、死なせたくない
目に見えないから、美味しいから、死なせてもよい

いまいちピンと来ません。
一般的な肉の牛も豚も鳥もきっと可愛いし、死ぬときは可哀相だと思いますよ。
目に見えないのではなく、視界に入れないようにしているだけではないでしょうか。


もし、そうではなく、どれだけ肉を食っても子猫だけは救いたい、それが自分の身勝手だ。と仰るなら、一応の筋は通っております。
ただそう質問文に加えられなかった所を見ると、そういった意識が無いか、乏しいのでしょうか。

ですから、私から見るとむしろ、byr8y8さんは身勝手さがまだまだ足りない。
そんな足りない身勝手に始まり、足りない身勝手に終わる関わり方が出来たのだから、
自分の足りない身勝手さを強く感じる事ができてそれはそれで喜びではないか。
その子猫には不幸ですが、byr8y8さんには「単に救えたハッピーエンド」よりも余程良い経験をされた。と思います。

-----------------------------------------------------------------

●●●殺さなかったのを悔やむべき●●●

もし「いや、そうじゃない」。
「子猫のことを考えてした事で、自分の身勝手だけを満たせば済む問題ではない」
と仰るなら、まず手始めにご自分を子猫に置き換えて考えてみたら宜しいのではないでしょうか。

私が子猫ならその時こんな風に考えていると思います。


1.道路脇の子猫 = ここはどこだ?お母さんはどこ?何か危ない、安全な所に行きたい。

2.牙をむく子猫 = もっと危ない、知らない人が近寄ってくる。お母さんにもっと来て欲しい。

3.轢かれた子猫 = ものすごく痛い。痛いのを無くして欲しい。母猫に舐めて欲しい。

4.死んだ子猫 = 不明



(私の想像だと)byr8y8さんの子猫を救いたいという気持ちと、猫の気持ちがばっちり一致するのは3だけです。
猫の気持ちをかなえる為には、轢かれた後出来るだけ苦しまないよう素早く殺してあげる事だったと思います。


という訳で思うのは、byr8y8さんが猫の事をご自分の気持ちとをバランスを取って考えられるのなら、
2で保護するかどうかよりも、3で殺してあげなかった事を悔やむべきです。
猫のことを思うのなら、なおさらそうだと思います。

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★★★二つ目の (4)その他★★★

さて本当に書きたいのはこの先です。


私は人道主義者、即ち最終的な極論を言えば「人さえ良ければ他はどうでも良い」人間なので
亡くなった子猫のことよりもまだ生きておられるbyr8y8さんの為にどうすべきかを重きを置いて考えます。

多分byr8y8さんがこの質問で本当に聞きたいのも
「どうすべきだったか」ではなくこれから「どうすべきか」でしょう。

子猫はもうこの世にいませんから取り返しは付きません。
そして次に道路脇の子猫を見たらきっとbyr8y8さんは咬まれてでも保護するでしょう。
ですから問題は4。死んだ猫とbyr8y8さんがどう関わるかです。


●●●人間は木のやり方で木を愛せない●●●

人間は人間のやり方でしか、他のものと関わる事ができません。
私の好きなまどみちおさんの詩で「お前の仕方でお前を誉めてやりたい」という一文が、
桜の木か何かへ宛てた作品の中にありました。

まどさんのような関わり方を素晴らしい思いやりだ。と、感じる事もできますが、
実はそれすらも「相手の仕方で誉める」という「人間のやり方」でしかない事に気付かされる訳です。
この限界に気づいているか。これは(少なくとも私にとっては)大事だと思っています。

どこまで言っても、自分が大切にしたいようにしか大切に出来ない。


私なら、高架幹線道路の清掃係に問い合わせ、ご質問の日時に回収した猫の死体があったかどうか、
有ったとしたら、その後どこに行ったのかを尋ね、燃やされているのなら、
その灰の一部を、猫の母親が居そうな場所に埋めておきます。

そんなことをしても子猫はこれっぽっちも喜びませんが、
初めから終わりまで身勝手な関わり方しか出来ないのですから、
自分の中で救おうと思い、救えなかった命を、今のまま放置するのは
きっと後で更に後悔が深くなると思います。

むしろ、自分の中で敢えて後悔を深くして、猫の事をより強く記憶に残しておきたいと思われるのでしたらそれも良いでしょう。

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●●●捨てるくらいなら食ってやれ●●●

坂東眞砂子さん-日常的に子猫を殺している
http://blog.livedoor.jp/dqnplus/archives/770743. …
都合の良い去勢された猫よりも
子殺しの悲しみを引き受けて好きな猫を飼う
私は自分の飼い始めた猫の生に責任を持つ良い飼い方だと思います。
そこいらの人よりよっぽど線引きが明確です。


ダウンタウン松本さんは以前、
「花を本当に好きな人は花なんか飾れない」
と言っていました。私もそう思います。
花を摘む時点で、それは花の生を無視しています。


これは聞いた話ですが、優秀な獣医で、収入で捨てられた犬を大量に引き取り飼っている方が
「捨てるくらいなら食ってやれ」と言われるそうです。

他の命との関わり方を勘違いしたり、考えないようにしている人が多い中、byr8y8さんの問いは興味深く思えました。
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敢えて哲学のカテゴリーに質問されたわけですので、厳しい言い方を してみるならば、その子猫には無事に助かる徳が、質問者さまには、子猫を助けおおせるだけの徳が なかったと言えるのかも しれません。



良かれとのみ願って したことなのに、思わぬ皮肉な結末となった。
実際、こうしたことは、私自身も飼っていた犬を、可愛がったつもりが不注意からケガさせてしまったり、
これは私の母のことで、極端な事例かもしれませんが、虚弱な わが子の体調を気にし過ぎて、結果的に薬害からの障害を負わせるかたちになって、苦難の道を歩ませることになったり、
まあ、たいがいの人が、一度くらいは、質問者さまと似たような経験をされているのでは なかろうかと思います。

では、質問者さまの遭遇された事態に、私自身なら、どうしただろうか。
私も、猫などの動物を ほうっておけないところのある性分ですので、他人事とは思えず、御質問が目に とまったのですが、多分に
(2)咬まれるのを恐れず猫が無傷なうちに無理にでも拾い上げる
あたりまでは、努力したであろう可能性が高いです。
問題は、やはり、そのあとですね。。。
>猫は道路脇を走って逃げ出したので、拾い上げる事を諦め
車道に飛び出さぬよう猫に伴走し安全な場所まで逃がそうと

そこまで進んだなら、しかも
>左車線に手を上げ飛び出し停車してもらい、猫が車下にいる車のドライバーに猫がいる事を伝え

というところまで進みましたなら、
>(3)はらわたが飛び出したとはいえ息があるなら拾い上げる

ここまでを行ったのではないかな、いや、行いたいものと私は思います。
とは言え、このような状態ですと、質問者さまが腰が引けたかのように ためらい、諦めるに至ったとして、その お気持ちも理解できないことではありませんよ。私だって、このような状態の猫を、自分の手ずから拾い上げる自信があるかというと、正直、ありません。

ただ、相手が動物の場合のみならず、人間相手でも、また、他のことでも言えるのかも しれないのが
ひとたび助けると意志したものなら、最後まで。
その覚悟が ないなら、
>(1)目を背ければ良かった(手を出すべきでなかった)
と、この段階で思い切ることも考えるべきことだったかも しれません。

今回の出来事では、否応なく、御自身の、ある種の力量の限界などを噛み締められたことでしょうが、No.1さまも仰るように、人間の浅はかさのことも含め、子猫は、その小さな命全部でもって貴方に、私たちにも、大きなことを教えてくれたのではありませんか?

こう考えると、たかが子猫一匹とは言えなくなるほどの貴い犠牲であったとも思えますね。これほどの教え、はたして人間さまと言えど、どれだけの人が提示できるでしょうか。
そして、そうした思いを感受できるということも、また質問者さまの内なる力であり、貴い御経験だったのではと私は思います。

考えてみれば
こうして、人間界の哲学なんどという世界に、一つの問いを挙げさせた子猫です。
小さな儚い、しかし不思議な貴い命でした。


このように私なりの荘厳させていただき、質問者さまとNo.1御回答者さまとともに、合掌させていただきます。

粗末に捨てられる命を、みることのないように、少しずつでも なっていってほしいですね。
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この回答へのお礼

nonameさん、回答ありがとうございます!
アンカテでは(いつも)お見かけしております。(でいいのかな^^)

はい、アンケートカテよりは真摯なご意見をいただけるのではと
考え投稿しました。
>質問者さまには、子猫を助けおおせるだけの徳がなかったと
 はい、ホンマその通りかと自分でも思います。

車下で鳴く猫のはらわたを見て
「もうあかん‥」と腰が引け、目を背け助ける事を諦めました。
子猫が無事なうちに警察か保健所に連絡して救助すれば良かったか
とも後悔に似た他人に頼っておけば良かったかと‥という考えまで
起こしています。
自分一人の力の無さを痛感し、仰る通り人間の(私の)浅はかさを
感じました。

>子猫は、その小さな命全部でもって貴方に、私たちにも、大きなこと を教えてくれたのではありませんか?
 はい、そうですね、
●ここ最近殊勝な心掛けをしてこなかった事の後悔
 +(プラス) 
●後悔を前向きに。もし万が一同じ状況に遭遇した場合、
 必ずこの経験活かす。 事を自分に刻みました。

>そうした思いを感受できるということも、また質問者さまの
 内なる力であり、貴い御経験だったのではと私は思います。
 ありがとうございます。
 ⇒「あー、見捨てた時点で偽善的。」そして、(1)を選択して 
 おけば「自分は傷つかなかったなぁー。」と自宅に辿り着くまで
 そうとう邪な考えも含め、色々浮かびました。
 しかし、泣いて頂ける方に、一緒に合掌して頂ける方に
 この場で出会えた事がとても嬉しく、そういう意味でも
 自身の糧にしたいと思います。
 重ね重ね、ありがとうございました。
 

お礼日時:2009/07/08 02:06

あなたの優しさと、


子猫のはかない運命に、
質問を読んでいて涙が出ました。

あなたは、最良の方法を選ばれたのだと思います。

怯える子猫を捕まえても、
たぶん、全身の力を振り絞って逃げ出したでしょう。
子猫が真剣に怯え、必死で噛みついたら、
あなたの骨や爪も突き破ります。
痛い、で済めばまだ良いですが、
子猫が感染症を持っていなかったとも限りません。

はらわたが出てしまったら、もう長くはないでしょう。

子猫ちゃんの運命だったのですよ。


あなたのせいではありません。
その子猫か、
子猫の母猫を捨てた、
心ない飼い主がこういう悲劇を生むのです。

合掌させていただきます。
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この回答へのお礼

長文・乱文を読んで頂いた事、回答頂いた事、大変嬉しく思います。
ありがとうございます。

あの子猫の為に泣いてくださる方が世界に一人でもいらっしゃる事で
子猫は うかばれると思います^^

明日同じ幹線道路に入り現場にミルクでも供えて来ようかと思います。

しばらく、どうすれば救えたか色々考えてしました。
じっと縮こまったままで数日いてくれたのなら、
衰弱するのを待ってから無傷のまま拾い上げれば良かった‥などと。
(とはいえ、待つ間は気が気でなくて仕事が手に付かない
 でしょうが・・・ハァ・・・)

車道に飛び出さぬよう猫に伴走している時に、200メートル位
走ったところで子猫が走り疲れ、うずくまって大きな声で
「にゃぁぁーーー、にゃぁぁーー」と親を呼ぶが如く
悲しそうに長めに2回鳴きました。
子猫にすれば、数時間の間ずっと、スピードある車が行き交う
すれすれの所で怯え、挙句人間に(私に)追い立てられ
恐かったと思います。 怯え方が尋常でなかったのと
威嚇しながらも、かなり震えていた事がやはり可哀想だったなと‥
 ・・・悔やむばかりでなく糧にします^^

回答ありがとうございました。

お礼日時:2009/07/08 00:43

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