【大喜利】【投稿~9/18】 おとぎ話『桃太郎』の知られざるエピソード

生んでくれた事 豊かな暮らしを与えてくれた
親には感謝しています
が 我と欲 見栄 世間体重視の
親の過干渉に長年悩まされてきました
そんな最高齢の親にも 感謝 報恩 尊敬
親孝行 の強要がきついです お世辞も言えず
親が嫌いになった自分が
申し訳なく 罪悪感を感じています
親は恩返しを期待して感謝させようと
嫌みの連発です
親の愛は ありのまま 子供を許し
認めること 子供の幸せが親の幸せ
と言う定義は通用しない相手です
育てて頂いた親との信頼関係が築けず
とても辛いです
親が嫌いだと親不孝ですか
その人の人格の否定になりますか
任せて見守る親の愛について
教えてください

A 回答 (12件中1~10件)

NO.9です。



私の親も、私に恩を着せていました。
私が自分の道を歩もうとするとそれを「裏切り」だと
言って非難しました。
結婚は親の思う通りに従いました。
それで親は満足だったと思います。
親から離れて、物理的には自由な生活でした。
でも何をするにも「親がどう思うか」を考え、その通り
に行動しようとしていました。
物理的に自由になっても、心が縛りつけられたままだった
のです。

結婚した相手はとんでもない人でした。
だから子供は作りませんでした。
それが、私を思い通りにしようとした親への復讐だと思った
時期もありました。
「お父さんがこんな人と結婚させたからよ」と心の中で思って
恨んでいました。

結婚して何年も経ってから、どうして子供を作らなかったのか
を父親に告白しました。父は「あんな奴と結婚させてごめん。
あんな奴と一緒にいたらお前が不幸になるな。」と言いました。
その瞬間、父との関係が激変しました。今では色々相談できるま
でになりました。

恐らく父は、私を不幸にしたいなんて思ってなかったんでしょう。
親の思い通りの人生を歩ませることが子供の幸せに繋がって、
その結果自分にも見返りがあるという認識だったのだと思います。

物理的に離れてみて、お互いを対等の人間として認識することが
できたのが勝因だったと思います。

今私は自分の人生を自分で決めて生きようとしています。
そう決めてから、世界が違って見えるようになりました。
幸せだと感じることが増えた時、自然に親への感謝ができるよ
うになりました。

私は、親を気付かせることができたのが親孝行になったと思い
ます。そして、自然に親へ感謝できるようになれば、心から親に
何かしてあげたいと感じるようになっていくと思います。

この回答への補足

まとめて 御礼をします
皆様の回答に全てポイントを
差し上げたいほど魂に響きました
有難うございました

補足日時:2009/08/01 22:32
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この回答へのお礼

再度ありがとうございます
物理的に自由になっても 心は縛られたまま
親の思いどうりの人生を歩ませる事が子供の幸せに
結びつき 結果親に見返りを期待した
そのとうりです

結婚も親の良かれの押し付けで苦労しましたね
私も人生の選択肢はいつも親の価値観の
押し付けでしたが 社会では 結局
 自己管理 自己責任という事
になるんですね

お礼日時:2009/08/01 22:32

>親が嫌いだと親不孝ですか


いいえ。
>その人の人格の否定になりますか
部分的になる可能性もあるような・・

ウチの親も子供を作った最大の目的は老後のためだそうですが、実際に子供が生まれた時はどの親も質問者さんの思うような定義が通用していたのだと思います。
ですが、子供のいる事が当たり前になり、いつの頃からか自分の私有物のような感覚が出て来て、大人になってもそれが抜けないと親のエゴによる過干渉も酷くなっていくのでしょうね。
昔とは違い人生が長くなった分、体力も余っているから尚更なのかもしれません。
見守る事が出来るような親は、子供を尊重出来るだけの心のゆとりがあって、親子の距離の取り方が上手いのだと思います。

>親は恩返しを期待して感謝させようと嫌みの連発です
質問者さんは十分に感謝をしているようですが、親はなんの見返りを期待しているのでしょう?
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この回答へのお礼

有難うございます
まさにそのとうりです
人間の欲はかぎりないもので
最後は 長生きの欲 
親は何の見返りを。。。
子供に愛されたい 恩義せが
一番重いです

お礼日時:2009/07/31 18:28

親不孝と言えば親不孝ですが、親がそういう状況では親不孝になるのも仕方ないでしょう。


親孝行するには親も孝行される土壌があり、その孝行を受け入れることが必要です。
質問文のように強要するなど孝行される土壌を親自身が壊してしまってはどうしようもないですね。

別に親が嫌いだからって、それだけで人格の否定にはなりませんよ。

押し付けてくるとしたくなくなる。
そんなことをしなくて良いよといわれるからしたくなる。
人間なんてそういう天邪鬼な生き物ですから。

というか、十分親に感謝はしているが、それ以上の強要されることが出来ないってだけだと思いますよ。
感謝しているから質問文のように悩でいるんですから。
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この回答へのお礼

有難うございます
自ら進んで親のために頑張ってきた自分が
もう限界を感じて 愛情の裏返しって
あるんですね

お礼日時:2009/07/31 18:32

今までの人生を犠牲にしてきたと思うのなら、これから


の人生は自分の為に生きて幸せになってください。
自分が幸せになって「生まれてきてよかった」と心から
思うことができれば、自然に親に感謝できるようになる
はずです。「感謝」というのは内面から湧き上がって来る
感情であり、強要されるものではありません。

それまでは親に押し付けられても受け流さなければなり
ません。
親はあなたに罪悪感を植えつけて、遠くへ行ってしまわない
ように心を縛り付けているのですから。
あなたの心が縛り付けられているままでは、本当の幸せは
やってきません。

今経済的に自立できない年齢なら、それまで力を蓄えるこ
とを考えてください。自立できるようになったら、その時は
羽ばたいてください。(心も)

あなたが自分の手で幸せを掴もうとするのを邪魔する親なら、
振り切ってOKです。

この回答への補足

ごめんなさい
誤字ありました
「優しい」回答に癒されました
親の押し付けは 受け流して
親からの呪縛「我がまま」をとる
本来は子供を幸せにするのが
親の務めなのに気が付かないんですね
生まれてきて良かったと自分の人生を
歩めば親に感謝ですね

補足日時:2009/08/01 08:19
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この回答へのお礼

自分のために生きる
易しい解答を有難うございます
自分の人生をくいの無いように
生きていきます

お礼日時:2009/07/31 18:36

感謝したくなったらすれば良いのです。



したくなければ、しなくていいんですよ。
ご自分を追いつめないで。

>親は恩返しを期待して感謝させようと
>嫌みの連発です

こんな親、要らない。
私も親の立場ですが(もうじき60歳)、こんなのは親とは言えませんよ。
無償の愛を子に注ぐのが親。
恩返しを期待するなんて、信じられません、どういう親なんだろう。

子は親の奴隷ではありません。
親と子は、全く別の人格であり、愛も感謝も強要されるべきではありません。

物理的にも心理的にも、親御さんから離れて暮らすことをお勧め致します。
離れて暮らし、貴方縛っている見えない縄を断ち切らなくては。
それが出来ないのであれば(経済的問題等で)、出来るようになるまで我慢するしかありません。
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この回答へのお礼

子は親の奴隷ではありません
優しい回答有難うございます
親の便利な道具 束縛感があった事など
親は知る由も有りませんが
子供の人格の否定ですね

お礼日時:2009/07/31 18:42

私も恩着せがましい母親に、先日会ってきてうんざりしました。


最初は、具合が悪くて横になっている母親を見て、かわいいな、と思っていたのですが、父の作った食事を食べにやってきた母親は、偉そうに太ったお腹をかかえていました。
母は家事を一切してないのに父と将来についての世間話をしている私に向かって横から、「たまに家に帰ってくるといいだろう??」とふてぶてしく言ってました。 私は夕飯の手伝いも家事もやらずに愚痴ばかり吐いて寝て、贅沢言って父親を困らせている母が、いかにも自分が食事の準備をしたように言うことが許せませんでした。
その上、帰りがけに父にもらっていた私の旦那用のコーヒー豆をもらっていくことを一応母にもいっておこうと思い、そのことを告げたら、母はものすごい剣幕で私の手からそれを奪い取ったのです。
こんな子供っぽい母、離れてこうやって思い出す分にはいいのですが、その場でそれをやられた時には悲しみと怒りと情けなさがこみ上げてきました。

最近は、親の方がもしかしたら子供っぽい家が多かったりするのでしょうか?
ちなみにmadokafuseさんのところも親が煙たい(?)ような感じのようですが、社会的にそういうような状況にならざるを得なかった時代に生まれてしまった者の定めかもしれません。
タカをくくって生きるしかないように思います。
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この回答へのお礼

やはり 親と言えども 未熟な 一個人
子供の自立がありがたくも 寂しい
のでしょう
ありがとうございます

お礼日時:2009/07/31 18:47

>我と欲 見栄 世間体重視の親の過干渉に長年悩まされてきました



私も似たような環境で育ちました。旧家の長男ですので、親や周囲からのプレッシャーは半端ではありませんでした。

私には息子が4人いますが・・・
「親の勝手で生まれてきたのだから、親孝行など必要ない、もしその様な気持ちがあれば、自分の子供に返せ」
と言っています。

感謝を要求するとか、親孝行を要求するなど、親のエゴです。
対価を要求する事を商売と言います。
私は、商売で子育てした訳ではありませんので、子供達には何も要求していませんね。

私の考えは、ちょっと変かも知れませんので、ご参考程度に考えて下さい。
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この回答へのお礼

やはりそうですか
親の感謝 親孝行の強要は親のエゴですね

親孝行は 自分の子供に返せ

魂に響く良い言葉は代々栄える
旧家の家訓のようですね
凄く元気が出ます

お礼日時:2009/07/31 18:54

中国の儒教にこのような考え方があります。


「人間として一番大事なのは、家族を大事にすることである。
しかし、家族の誰かが誤った考えを持っている場合は
それを正す必要がある。」これが家族愛である。

あなたの親は間違った考えをしているようなので
考えを正す必要があると思います。
しかし、いくら言っても訊かないようであれば
あきらめるしかありませんね。

それと過度に干渉してくる場合は、家を出た方がいいと思います。
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この回答へのお礼

有難うございます
自分は教祖になっていますので
是正はまず無理でしょう

お礼日時:2009/07/31 18:57

親を嫌いなことは親不孝だとも人格否定だとも思いません。


あなたが悩むのは親を大事にしたいという気持ちがあるが故ではないでしょうか。唯一無二の存在だと気づいてらっしゃるからですよね。
けれど、いつか親が年老いて、亡くなる時がきて、その時も今の気持ちと変わらずにいるとしたら、その瞬間から苦しむのではないかと心配です。
私は思春期で反抗期の真っ只中、突然、親を亡くしてしまいました。
もう何年もたった今でも、後悔の念に駆られてばかりいます。
周りには十分親孝行者だったと言われていますが、その言葉すら気休めでしかありません。
生きていてくれるからこそ「嫌い」と思える感情があることを忘れてはいけないと思います。
我と欲、見栄、世間体重視の親の過干渉、確かに辛いのは分かりますが、親から少し離れれば気にならない事なのではないでしょうか。
自分自身の行動ひとつで見えてくる世界は必ず変わります。
環境は自分自身が選んでいる事を忘れてはいけないと思います。
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この回答へのお礼

環境は自分自身で選んでいるんですね
親を尊敬 感謝出来ない人は 親不孝者という
価値観を勝手に植えつけられて 自己否定 罪悪感に
悩まされてきました

最初の2行とても 心に染みます
貴方様は思春期の反抗期に 突然親を亡くされたんですね
後悔の中 しっかり 自立して 頑張り 立派です
生きていたらこんな時どうだったろう と言う思いが
残りますね
ありがとう 確かに

お礼日時:2009/07/31 19:16

そんな時期もありますよ


…と言ってもうちまだ14歳の
お子ちゃまですが(;´Д`)笑

貴方は何歳かわかりませんが
もう少し歳をとって自分が
落ち着き、幸せだなって思えた
時に親に感謝できるように
なるんではないでしょうか?

それに感謝できないから親不孝
なんて事はないと思いますよ
親は感謝されるために貴方を
産んだわけではないだろうから

しゃしゃってすみませんでした

この回答への補足

字が乱れました

 仕えなさい 「訂正」
子供の人格尊重より
親に利用されて親を満足させて
あげた私の人生といわれるのが
親は嫌なんです が 真実です
でも 幸せな事もありました

補足日時:2009/08/01 08:40
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この回答へのお礼

親に感謝の裏側は 奴隷として使えなさい
言いなりになりなさいと言う人格尊重は無いとおもっいぇいます
自分の満足感が親への感謝なんですね

お礼日時:2009/07/31 02:12

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