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「あさのタクミノカミなんとか」の
「タクミノカミ」は今でいうと建設大臣かな、と思いますが、
よく感覚的に理解できないのが、
「なんとか備中のカミ」など、地名がはいるとこです。
その地域を任せられている大名なのでしょうか?

A 回答 (3件)

専門家ではありませんが、一般的な知識として。


お尋ねの部分は、本来天皇が任命する官職名です。
平安時代には地方長官として各地方に~守がいました。
他にもいろいろな官職があり、本来公家が任命されていましたが
武士の力が強くなると、武士が独占するようになりました。
実際に各地を治めていたのは大名ですから、江戸時代の官職は
名前だけの名誉職ですね。
以下面白いところを見つけました。
参考になさってください。


http://www.sol.dti.ne.jp/~hiromi/kansei/index.html
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この回答へのお礼

ありがとうございます。
また、おもしろいHP紹介感謝します。

お礼日時:2001/03/14 20:19

大宝令(701年制定)以降、朝廷の官制においては、有位の官吏


を四等に分け、これを長官(かみ)・次官(すけ)・判官(じょう)
・主典(さかん)と称しました。

内匠頭(たくみのかみ)は内匠寮(たくみりょう)の長官であり、
現代風にいえば、さしずめ職工局長官といったところでしょうか。

また備中守(びっちゅうのかみ)などは、国司(こくし)といって、
諸国を治める役所の長官で、今でいえば県知事のようなものです。
ただし、これらは朝廷の官職ですから、鎌倉以降は次第に名ばかり
のものとなってしまいます。

なお武家の時代にも、朝廷の官職は権威づけに利用されたり、名誉
としてありがたがられていましたが、実をともなっていたわけでは
ありません。江戸期になると、公家法度により「武家の補任は当官
の外たるべし」とされ、補任を受けても公卿の列には加わりません
でした。(武家の場合には)あくまでも栄誉として与えられるもの
であり、官職が変わることを「改名」と呼ぶこともあったように、
むしろ名前に近い感覚だったようです。伊達氏の陸奥守や、島津氏
の薩摩守のように特定の官職の名のりを幕府から独占的に許されて
いたケースもあります。
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参考URLには、全大名の官位と通称が載っています。



参考URL:http://www.asahi-net.or.jp/~me4k-skri/han/hantop …
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