なぜ直接には説かなかったのでしょう?
(α)の見解: バラモンないしウパニシャドの思想を改めさせるための開拓者として立ったから 直接には説かなかったが それはしかるべく後世において説かれるように用意はしておいた。
それは 仏性をそのまま出すと ヱ゛ーダにおける《アートマン(我)》と紛らわしくなるからだ。
(β)の見解: 《仏性ないし如来蔵》は ブッダの説ではない。
(γ):その他(?)
* もし(β)の見解を採る場合 ではブッダはいったい何を言おうとしているのでしょう? つまり潜在的な能力が普遍的にあるかないか分からないけれども いわゆる《さとり》を目指すということなのでしょうか?
* ブッダにかんしては 何もちっとも分かっていないのではないでしょうか? 活かすべきものがあるとすれば 大いに明らかにして共有の財産としたいと思います。なければ はっきりと無いとやはり明らかにすべきだと考えます。どうでしょう?
No.12
- 回答日時:
オコリザルです。
自らの作文に添削です。
>ところで、仏性を信奉する自称生き仏さんたちは、神の存在を無視できているんでしょうかね。
この答えは、日本人として生まれているからにはできるわけない。です。
>仏性を信奉するならばたちどころに生き仏です。
へりくだっても、菩薩です。
その生き仏さんたちは不肖の弟子ばかりですね。
願いをかなえてくれたのは誰ですか?
それを人間たるお釈迦さまにすると人間が人間に取りすがる足の引っ張り合いです。
お釈迦さまに言わせれば人間が亡者と化し、我の足を奈落えと引きずりこむ地獄絵図です。その地獄がシャバです。自己防衛が慈悲でしょうか。
かくも、生き仏さんたちは即身成仏したミイラです。
これは世界中の信仰の歴史が物語っています。
神たる神秘を解き明かした神見者を神と等しく崇めるとその教祖さんはな奈落へと引きずりこまれる。
仏教に限らず、信仰の歴史に世界共通に現れる過ちです。
No.11
- 回答日時:
オコリザルです。
ところで、仏性を信奉する自称生き仏さんたちは、神の存在を無視できているんでしょうかね。
何なんでしょうね。
お釈迦様の語ったことって。
ところで願いとはたちどころにかなうんですよ。
仏性を信奉するならばたちどころに生き仏です。
へりくだっても、菩薩です。
その生き仏さんたちは不肖の弟子ばかりですね。
即身成仏したミイラのごとき屍ばかりです。
ちょっとひとことの巻。
★ 即身成仏
☆ これは 生きたまま入滅するという説としてもありますよ。空海でしたか。
つまり さとりとは 入門即卒業という意味だと思います。仏性があると分かった瞬間に われブッダなりと宣言するという意味です。
つまりは
★ ところで願いとはたちどころにかなうんですよ。 / 仏性を信奉するならばたちどころに生き仏です。
☆ ただしブッダがそう言ったかどうかは わたしは自信がありません。残念ながら勉強不足です。
No.10
- 回答日時:
オコリザルです。
○ 存在をわれが持続させようとするなら それが愛です。
言い回しを理解するには努力が必要でしょう。
簡潔に、、
生命とは愛である。
で、いいんじゃないですか。
想定される煩悩(反対意見)に予防するならば。
生命存在の行動原理、すなわち感情は全て愛である。
悪 罪 嘘 とまで変容するその愛の姿に答えを願うならば、それは神たる宇宙意思を想定するよりない。
このようになりましょうか。
ちなみに、神様は気さくに話しかけてくれます。
我に内包する煩悩として、存在理由を神に問うとすれば、そんな感じです。
★ ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
生命とは愛である。
で、いいんじゃないですか。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
☆ ちょっと違います。いまここでは――と言っても わたしの場合はどこでもいつでも同じようですが―― あくまで生きるという動態を考えています。
過程がないかたちでの《定義》は わたしは ほとんどしたことがありません。つまり学説などは 《これこれは何であるか》――《あれそれである》というように動きのないかたちででも定義しますが わたしはそういう定義の仕方はしたことがありません。(たぶん 付随的な概念の定義では 別でしょう。基本的な定義では 過程としての定義をします)。
またここでは 《神》を出したくないです。ブッダの問題ですから 必要にならなければ出したくないです。
要するに
○ 生まれてきたこのわたしを 漱石ではありませんが うんうんと押してどこまでも歩み進む。――これが 存在であり わたしであり 愛である。
☆ というような定義の仕方です。これで足りなければ 神を持ち出すそちらの見解に耳を傾けますが。
No.8
- 回答日時:
オコリザルです。
○ この仏性をブッダ自身は説いていないようだけれど それは ブッディスムのあり方として どういうふうに受け止めればよいのか。
これはどうでしょうね。
それならば、弟子とは全て不肖の弟子のことで、末法の世になってようやく編まれた経典を後生大事に守る、忠犬ハチ公みたいな墓守に過ぎないとでもなるんですかね。
primeape さん。
★ 経典の編纂
☆ はブッダの死後ですけれど 末法になってからではないですよ。その点は 勘違いしておられるようですので ひとこと。
けっきょくのところ
○ 仏性をもはやあからさまに持ち出して来てもよいほどの内容を ブッダも説くことは説いている。
☆ わけです。
あるいは別の観点からいけば こうです。
○ 《成仏 ないし さとりは 誰でもできるのか?》――この問いについて 然りというのが答えであれば けっきょくとどのつまりにおいては 例外なくだれにも自然に そのさとりの元としての仏性が備わっていると言えるのではないか?
☆ ただし このとき――わたしにちらっと分かっている限りで言えば―― 次のような問題が生じます。
○ もし《仏性》が 普遍的にして永遠のものとして 人間に誰ひとりとして残ることなく皆にそなわっているのだとすれば 《諸法無我》つまり《この世界にはそれ自身によって そしてそれ自身によってのみ 存在する普遍的にして不可変のものはない》というさとりの内容のひとつに抵触する。
☆ ではないかと踏んでいます。どうですかねぇ。
No.7
- 回答日時:
オコリザルです。
ヨコレスっぽいですけど、SOLAR_RAYさんのおかげで思索が進みました。
存在 なれば 在るだけで済みますが、我 ならばあるだけでは済まないんですよ。
そこに 愛 を見出せば、その 我 は、生きているといえます。
ふむふむ。と高見の見物でもありませんが わたしの考えでは
★ 存在 と われ
☆ はけっきょく同じです。
○ 存在をわれが持続させようとするなら それが愛です。
☆ という見方です。
○ わたしがわたしであるとき それは 仏性がはたらいている。
☆ と言えると考えます。そういう意味でそのことをブッダはなぜ自分自身は説かなかったのか? これが問い求めの中心ですよ。
No.5
- 回答日時:
オコリザルです。
ところでヴェーダを現代語訳すると普通に「人知」のことですよ。
観念世界ではおなじみさんでないですか。
時には人恥と読んでけつを引っ叩かないといけない、ごくつぶしです
No.4
- 回答日時:
オコリザルです。
今回は大したことが書けません。
私の仏性の見解は「仏を現代語訳すると、ごくふつうに人間のこと」で、一区切りついたというかストップしています。
余談ですが仏教を信奉する方は、本人は無自覚であっても言動から善性も信奉しているような気がします。
いうなれば「我の存在は善であり、それこそがわが存在理由である」とでもいった感じに受け止められます。
ヘンに突っかかってみますが、愛を煩悩の最もたるものだと指摘する仏教徒サンにとって、この自らの善性は悪という明らかな弊害との対峙を招いてさえ煩悩ではないのでしょうか。もしかして善性に無自覚でいられるからうっかりしているのでしょうか。それにしても善が煩悩とは聞いたことがないですね。なんででしょうね。
たとえば存在が善である。
または善性を備える。
このような見地に正しく立てるなら、存在の持って生まれた性質たる善性をかなぐり捨ててまで悪の対話(救済でなく)を試みるならば、それにはすなわち自らが悪に染まるしか手段はなく、そのような困難に挑戦する世の悪人は生き仏の最もたる方々である。といった見解になれないんでしょうかね、善人ヅラの生き仏さんたちは。。
ところで世の中には善人と悪人もいますよね。
そのようにころころ変わるならば、実際のところ「存在は善である」は証明できませんね。でも善性として生得的に備えうるだけなら、性質の話なんであえてかなぐり捨てて悪に染まる事も出来ましょう。
primeape さん こんばんは。ご回答をありがとうございます。
これは
○ 和光同塵
☆ というもんだいのようですね。どうでしょう?
ということは
○ 光 つまり単純に短絡してもよいはずで 仏性
☆ のことが前提になっているはずです。
そして この質問は
○ この仏性をブッダ自身は説いていないようだけれど それは ブッディスムのあり方として どういうふうに受け止めればよいのか。
☆ これをおしえて欲しいという問いです。
その方向へもお願いしておきます。
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