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昭和30年くらいから40年代くらいの高度成長時代以前?
は近所に沢山、八百屋、雑貨屋、魚屋、肉屋、薬屋などがありましたが、当時は現在のようにトラック輸送は主流ではなかったと思います。

当時、こういうお店は仕入れをどうしていたのでしょうか?
人力輸送も見たことないし(台八車など)

東京などは鉄道があるでしょうが、うちは富士市なのでそんなに鉄道はないです。

A 回答 (5件)

昭和30年代なら、東京でも荷馬車が走っていましたよ。

私は都心の生まれですが、30年代前半なら新宿通りでも(さすがに珍しい光景ではありましたが)まだ馬車を見かけました。

>人力輸送
小規模・近距離ならこれが普通でした。リヤカーですね。自転車の後ろにリヤカーを付けて、荷物を搬送していました。もちろん人が引いている光景も普通でした。坂道で、リヤカーの後押しをするのが小学生の「人助け」のデフォ(笑)でした。

#2さんのおっしゃる、オート三輪もかなり普及していました。個人の商店で持っているのは、米屋や材木屋、牛乳屋など特殊な店で、たいていは商店街や同業複数で配送を依頼していました。よく八百屋の前で野菜を荷下ろしする光景を見かけました。

昭和40年代に入ると、商店単位で軽トラックを持つ人も増えてきました。この頃から家への配達(牛乳、灯油、米など)にも自動車が使われる事が普通になってきたと記憶しています。

ただ、個人の物流ということになると全然状況は変わっておらず、荷物は駅まで受け取りに行くというのが普通でした。田舎から送ってくれたリンゴや柿が腐っていたなんてよくある出来事でしたね。
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この回答へのお礼

そうなのですか。
ありがとうございます

お礼日時:2009/09/23 10:54

通称バタバタと呼ばれたオート三輪やカブにリヤカーを付けた輸送車両で運んでいました。



50ccや500ccの乗り物で必死に頑張っていたんですよ。
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この回答へのお礼

カブってオートバイですよね。
ありがとうございます。
耕運機でリヤカーは最近見ました。

お礼日時:2009/09/23 10:57

昭和30~40ころは


酒屋さん米屋さんそば屋の出前なんかは自転車でした。
魚や野菜の行商、紙くず屋さんなど商品が多い時にはリアカーというものを人力や自転車で引っぱっていました。

リアカー
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AA%E3%83%A4% …

東京オリンピック頃にはダイハツミゼットと言う小さなトラックを使う商店も多かったように記憶しています。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AA%E3%83%BC% …
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昭和30年頃は中央市場で仕入れた品物は運送業者が同じ方面の小売店にバタバタ(オート三輪)でまとめて運んでいました


市場に近い店は各自が運搬自転車やリアカーで運んでいました
市場への持ち込みは農家が荷馬車で運びます
運送業者に依頼したり自家用のバタバタで運んでいました
中央市場から遠い地方では近くの農協などの広場で地方市場が開かれました
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この回答へのお礼

オート3輪が走っているのみたことがないのです。
ありがとうございます。
近所にトラック運送会社はありましたが。
ありがとうございます。

お礼日時:2009/09/23 09:06

トラックが普及する以前の物流は 鉄道のない地域は厳しいですね



私の田舎も鉄道が無い地域でしたので 物流は馬車でした

当然のこと 移動速度が遅いので 新鮮なモノは無理ですね
まぁーそれがため 保存ができる みりん付けや 酒かすに魚を漬けるような
独特な文化が発展したものと思います
富士市にも そういう保存食文化が残ってませんか
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この回答へのお礼

ありがとうございます。
近所の食料品店でからいモツ(肉)のつけものがあって炒めて食べるのが好きでした。
現在ではどこでも売ってません。
コテっチャン焼肉よりおいしいです。

お礼日時:2009/09/23 09:03

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