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10年ほど前に植物に「奇麗だね」と声をかけながら育てれば、元気よく育つと言うことを聞きました。

実際に「奇麗だね」と褒めて育てた植物と「汚いね」と貶して育てた植物を比較研究した友人がいましたが、貶して育てた方はすぐに枯れてしまっていました。

それは、そう言うことで自然に植物に優しく接してしまうのが原因なのでしょうか?それとも植物は言葉を理解しているのでしょうか?

お分かりになる方いらっしゃいましたらよろしくお願いします。

A 回答 (6件)

生物学的にはありえませんね。



おそらく、江本 勝という人の本にでも影響されでもしたのでしょう。人の気持ちが何かしらの物理現象を引き起こすなんて考えは、ファンタジーの領域であり、現実にはありえません。

さて、それはそれとしてご友人が育てた植物が枯れたことは事実でしょうから、その点について考察してみます。

 まず、比較研究というからには、研究対象とした植物の個体数はどうなのでしょうか。「褒めた植物」「貶した植物」それぞれ1株ずつでは話になりません。研究と言うからにはせめて100株以上準備し、それぞれの結果を比較すべきでしょうがどうだったのでしょうか。
 また、「褒めた植物」「貶した植物」のそれぞれのグループを比較するとき、声をかけること以外のすべての条件を同じにしなくてはなりません。例えば、土壌中の無機養分の濃度、水、二酸化炭素濃度、湿度、照度、温度などなど。また、ウイルスや細菌、昆虫などの害が等しく起こるようにコントロールする必要もあります。

個人的には、上記の二つの内容をおろそかにした実験であったためと考えています。まず、実験に用いた植物の数がわずかだったのではないかということ。つまり、偶然に枯れてしまったという可能性が考えられます。どんなに、愛情をこめても枯れるときは枯れてしまいますからね。
次に、二つのグループで知らず知らずのうちに異なる条件下にしてしまっていたのではないかということ。例えば、「褒めた植物」にはやさしく水をあげ、「貶した植物」には乱暴に水をあげるなど、言葉以外の手入れの仕方に差が生じたのではないかと思います。

ということで、『そう言うことで自然に植物に優しく接してしまうのが原因』+『偶然そんな結果になった』ではないでしょうか。
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「植物に「奇麗だね」と声をかけながら育てれば、元気よく育つ」



このような話は、おとなのジョークには良いですが、子供に教えてはいけません。残念ながら、学校の先生にまで、こういう話をする人がいます。

声かけで元気よく育てば、砂漠や寒冷地でも作物が育ち、世界中から飢えがなくなり、それは素晴らしいことです。ノーベル賞ものですね。

greenhouseeffectさんの言うとおり。実験すればわかります。
kishn_anさんの言う、「思い込み」は物理化学の実験にもありがち、まず、「実験計画」が論理的に成り立つかどうか。

Tacosanさんの言う、「表面的な音」「きれいだねという音に意味はない」という点に、ウソを暴く大きなヒントがあります。
 その友人に聞いてみましょう。外国産のタネから育った苗の場合、どの国の言葉で声かけすればよいのですか?

まず、人間や動物が「ほめられて喜ぶ」というのは、「経験が記憶できる」からではありませんか? 人間だって、知らない言葉で話しかけられれば、褒められているのか、怒られているのか、分かりません。

「植物にも脳がある」という人もいるでしょうから、まず、記憶ができることを証明するのが先です。「バカ!」と言われ、貶されたのか、親愛の情を示されたのか、区別ができるまでには、人間でも数年はかかります。ならば草本植物では無理。樹木は長生きしていますが、葉の寿命は1年ですから、1年以内に学習させなければなりません。

そういうことから、比較研究(実験)そのものが成り立ちません。

DoubtOwlさんの話は本当ですが、この件では肯定的とはいえません。
植物の細胞液は電解質ですから、体内に電極を入れて、圧力の振動(音)を与えれば、起電力が変化します。これは、マイクロフォンの原理であって、生命現象とは何の関係もありません。
 樹木の幹に聴診器を当てれば音が聞こえます。だからといって、樹木の心音が聞こえているのではありません。強い風が吹くと「樹木の悲鳴」が聞こえるという人には、聴診器を電柱にも当ててもらいましょう。
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嫌味を込めつつ「きれいだね」と声をかけ続けた場合, どうなるんでしょうかねぇ. 元気よく育つなら「表面的な音にのみ反応して意味は理解できていない」といういい方も成り立つし, ダメになる, あるいは変わらないんだったら「きれいだねという音に意味はない」ともいえる.


まあ, 最低限「声を掛ける人」と「育てる人」は別にしないと科学的な議論にはならない.
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では肯定的な意見も一つ。



昔テレビで見た実験なので論文があるかどうかはわからないのですが、、
植物に電極?を繋げ、声をかけたときの反応をみるという実験でした。
音楽を聴かせるといいという話もありますし、音の波長が何かしらの影響を与えるというならばありえない話ではないと思います。

ほめる・けなすは関係ないかたまたまでしょうけどね。
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人間は期待された通りに成果を出す傾向があるという「ピグマリオン効果」でしょう。



ローゼンタールという心理学者が、ネズミを無作為に2グループに分けて、片方は知能が高いネズミ、もう一方は低いネズミと偽って学生にネズミの知能実験をさせたところ、知能が高いとしたネズミの方が成績が良かった。

実験する人の思い込みが実験結果の評価に影響するらしいです。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%94%E3%82%B0% …
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私も生物学上は意味がない、科学というよりは信仰であると思います。



1の方が言われているように検証的実験の基本ができてないということはよくいわれますが、別の観点を付け加えます。

まず、言語を認知するプロセスを既知の知見から検討します。この場合、音を検知する、音を伝達する、音を音として認識する、音を解釈する、というステップが必要であることは動物の事例から明らかといえましょう。植物には耳も神経も脳もなくましてや高度な言語の解析をする器官など全く知られておりません。知られていないということは必ずしも無いこととイコールではありませんが、常識レベルの検証すらなされていないという程度の実験だということも事実でしょう。

次に、植物の組織構造を検討します。そもそも高校生レベルの知識があれば、植物の組織構造が、動物のそれとまったく異なることが理解できるはずです。一般的な動物というのは細胞が高度に分化すると共に、脳-神経系が個体全体を協調的に支配していますが、植物は個々の細胞が協調するような構造にはなっていません。植物の「個体」が一つの統合された認識なりを持つというのは組織構造からみても考えにくいと思われます。

また、植物と動物では進化的な戦略が全く異なります。音を聞けるようになることは、動物の場合、脊椎動物では概ね捕食、もしくは回避のために重要ですので、これらの形質が発達したと考えられます。移動できない植物が音を認識するというのは、発達する必要がありません。ましてや汚い言葉を聞いたらかれるというのは進化論的には意義がないので、そのようなシステムは発達しないと思われます。

もうひとつ、きれいな言葉、汚い言葉というのも定義しにくい点も実験の不備として指摘されていることを付記しておきます。
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