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国家を構成する人員の割合で、バカ(無教養、無節操、品性の欠如などを呈する層)がある程度多いほうがよい、というような政治思想があって、今の日本などはそれを実践しているのでしょうか?

A 回答 (11件中1~10件)

あるけど、失敗することが明らかなので


現在行っている国は、ありません。

zzzzzzzzzzzzzzzzzzzz
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こんにちは。


ある意味実践していると言えます。
日本の政治に大きな影響力を与えている経団連など経済団体の親玉の皆さんの主張は「ごく少数のエリートがいればよく、残りは一切の文句を言わずただただ働くバカがのぞましい」という事です。

それを実現する為に、エリート教育、それ以外は考える力を欠如させるような教育をまい進しています。

政府にとっても自分の頭でものを考えられず、ただいう事を聞くだけの人が望ましいようですね。

そういう状況では行政の宣伝は非常に大きな力を持ちます。
日本ではこれが「お上(かみ)」意識として定着しています。
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「国家にとって」というよりは、自分より他者が劣っていたほうが有利になる場面は多々あります。


受験にしろ出世レースにしろ、そうでしょう。
また、苦労を相手に押し付け、利益を自分が独占したいときには、
「あいつはダメなやつだから」という理由付けがあったほうが正当化しやすいです。

これが転じて、自分を優位に置くために、相手方をわざと徹底的にダメ扱いすることもあります。
男女差別、性差別、戦争、地域間の紛争、人種差別、もっと小さい単位では企業内でのパワハラ、家庭内でのDV、
子供が「○○校のやつらは卑怯者ばかり。馬鹿ばかり。」なんて言うこともありますね。

国家として意図的にやっているというよりは、各自が本能的に自分を優位に置くためにやっていることが、
そのように見えているのだろうと思います。
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この回答へのお礼

そもそも「国家」という非人称が問題で、そんなものに意志はないのだから、もっと下の階層の構成要素の中で考えるべきです。そうすると、どうしてもおっしゃるような「自己優位」本能のようなものが全体の意向であるかのような雰囲気が醸成されることはあるのですね。

お礼日時:2009/10/23 22:07

社会のシステムとしてしっかり根付いているので


国が表立って実践していますとは言わないんじゃないですか。
あとは個別に捕まらないようにうまくやってください。でしょう。

表面に出さず顕在化せず、タブー化して空気のような
存在にして、分からないようにしながらうまく使っている
のではないですか。
ばれて大きな社会問題になったらまた次の方法。
上層部に行くほどうまく紳士的に使っているのでは
ないでしょうか。
タブー化していることをそれ違いますよと言ったら
排除、攻撃、消されます。
やかましくてうっとおしい奴には、
こんなセーフティーネットありますけど
みたいなかんじで教えてくれる所もありますけど。
全員が残業代請求したら、中小企業の社長は豪邸もベンツも
買われへんで。
払わんかっても、数十万の罰金ですむんやで。
逃げ道もいっぱいあるし。
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この回答へのお礼

民は生かさず殺さずという思想が、意識的にせよそうでないにせよ、どこかに根付いて全体の雰囲気を覆っている気が大いにしますね。

お礼日時:2009/10/23 22:05

一部の欧米諸国や独裁国家ではありえるでしょうが、日本では実践しているとはいえないでしょう。



ていうか、思想なんてピンからキリまで無数にあり、たまたまそういった政治思想があるからといって、それがさも重要な政策だと思うのは間違いです。

なにをもってバカというかなんて価値観の違いであって、戦前の、国家に規律正しく盲従する国民性をバカというか、現在の、無気力・無感動で何事にも否定的な国民性をバカというのか、人それぞれです。

日本は高等学校進学率9割を超えており、政府が教育を蔑にしているとは思えないし、むしろ世界的には馬鹿みたいに教育にお金をかけています。
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この回答へのお礼

独裁国家はよりありえるのでしょうね。
教育とは名ばかりの形骸化されたものになってしまったのが日本の状況ではないでしょうか。学ぶ苦労を強いると言う雰囲気はなくなっているようです。

お礼日時:2009/10/23 22:03

>国家にとっては、バカが多いほうがよい?





公言はしていないが・・・
本音・心底にはあるのではと思います。

◇情報公開の制限、民間諮問機関や公聴会での建て前での尊重と不実行&骨抜き

◇世論・支持率の動向に右往左往しながらも、政策反映には至らず

◇選挙の公約・マニフェストでの掘り下げた財源裏づけやプライオリティ内容・工程表・項目別のB/Lには警戒心が強い。

◇歴史的に見た為政者・統制の要諦としての本音「国民世論にはマイナスと正論を教えず・知らせず・議論せず」

◇国民は求めるばかり、飴には興味を示しても鞭にはそっぽ。
どうせ義務や役割分担を要請しても、票と人気には繋がらず。
適当に、今だけでも飴を舐らせておけば良い・・・。

◇烏合の衆は怖くないが、論理と正統<正当>性で結束した国民・世論の行動・言論は強い力となる。
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そんな事はありません。


無駄な費用、時間を労し改革や発展の阻害要因となります。
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いちおう曲がりなりにも「民主主義」というかたちをとっているのでそうであってはならないとする主権者の「民意」なはずです。


政治的な思想が先にあれば民主主義ではないはずです。

実態として衆愚政治、お任せ民主主義に陥ると多数代表制が暴走を始め為政者のやりたい放題になります。これらと混同されてしまうのです。そのための詭弁としてマスコミ(ジャーナリズムではない)の「報道の自由」などがありますが、「管制がかった自由」というのがそれを補います。
マスコミ自体の役割は既得権を持つ者への擁護・支援団体です。
これをメディアリテラシーにかけて民意を貫くことが民主主義の醍醐味でもあるのです。
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大前研一氏の著書(「知の衰退」からいかに脱出するか?)によると


偏差値教育とは学生運動に危機感を覚えた政府が国民を
愚民化するために意図的に導入したと書かれてます。
大前氏が昔、首相経験者に直接聞いたそうです。

大前氏;「このままなら国民も立ち上がりますよ」
首相;「そんなことがないよう愚民化教育を施したから大丈夫だ」

というような会話があったらしいです。
偏差値教育の結果、自分で考えない簡単に政府に反抗しない
あきらめのいい(?)
従順な国民が形成されたと書いてあります。
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この回答へのお礼

学生運動は、インテリの煽動でしたから。たしかに愚民化はその反動として当然起こってくるでしょう。
偏差値教育というのは、なぜ愚民化とつながっているのでしょうね。むしろ、賢くならないでしょうか。たしかに、知識は詰め込むが、想像性は乏しくなると言うことはあるのかも知れません。

お礼日時:2009/10/23 21:58

独裁国家がまず当たります。

日本も一党独裁でしたから無いとはいえないでしょう。
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