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54歳になる男性です。一月に1回程度キリスト教の教会に家内と行きます。家内は10年キャリアのクリスチャンなんですが、どうも私は宗教の必要性を認めながらもいまいち踏み込めないでいます。自分なりに原因を探ってみますと、普段、葬儀とか法事とかで仏教に関わることが多く、そのせいでいつのまにかお釈迦様のファンになっているのかな?と思われます。そこでクリスチャンになられた方にお伺いしたいのですが、クリスチャンになろうとした経緯、また動機、その他の要因、なんでも結構ですから教えていただけないでしょうか?

A 回答 (8件)

カトリックの信者です。

きっかけは高校がミッション校でしたので影響を受けました。自分としては在学中すぐ、入信したかったのですがそれは両親が許しませんでした。
未成年の身で勝手に信仰を決めてしまうことに躊躇したのでした。結局進学、就職と落ち着かずついこの4月に洗礼を受けました。
洗礼まで間が空きましたが私はその間が良かったと思っています。「この宗教ってこんな考え方するんだ」と他宗教をかいま見る事も出来ました。
ゆっくりと各宗教を傍観しているのもけして無駄ではないともいます。
一つの宗教にハマるのもまた良しですがハマらずにいるのもいいと個人的には思っていますが・・・
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この回答へのお礼

お礼が遅くなりすみません。ある程度、若い時に入会また洗礼を受けないと難しいような気がします。私ほどの年齢になるとあれこれと考えることが多くなり、何事にも簡単ではなくなります。私の知るところのクリスチャン達は学生時代に洗礼を受けた方が殆どです。カトリックとプロテスタントの区別も正直わからないのですが洗礼を受けるとしたら多分、プロテスタントだと思います。それは知り合いがプロテスタントだからという簡単な理由からです。しかし、はまってみないとわからないこともあるのでしょうね。

お礼日時:2003/05/14 12:41

>私の家も真言宗ですが・・・


お彼岸とかにお寺に行かれた事あります?
行くと住職さんから色んな話し聞けますョ
内容はキリスト教と変わらないと思います
ただ聖書のように形として残ってる訳ではなくあくまで口伝という形をとられてるように思いますョ
今時珍しいかと思いますが、お布施も求めないですしコチラから聞くと「御心のままに」しか言いません、本家(話しではお一人様お幾らと指定されてるそうです)と比べてカナリ少ないかな?と思っても何も言いません。
数年前通りかかると自宅の建て替え工事をしてたので寄付の話し(父の葬儀の時自宅では狭かったので場所を借りたのですが、お礼を受け取ってくれなくて困った事がありましたので)をしたら「自宅部分の建て替えですのでいただけません」とキッパリ・・・。

キリスト教にも宗派によりイロイロあるように仏教でもイロイロ(お寺ごと違うような気もします)あります

個人的にはどのような宗教、宗派であろうと寄付金を自ら求めたり(檀家さんや信者さんを使って)義務化してるのはもはや宗教ではなく商売としか言いようがない、と思ってます。

蛇足ですが、本家は禅宗です
住職があまりにもナマグサ坊主でしたので異例との事ですが分家(父が他界するまでは無宗教に近かったです)の我が家は変え(改宗?)ましたョ
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この回答へのお礼

お彼岸には行きません。僧侶のお話を聞くのは法事か葬儀の時くらいです。主に本を読んで仏教とは何かを知る程度です。そちらのご住職さんは良き人のようでいいですね。お寺さんはどこもかしこもビジネス化して宗教を利用しているのでは?と思いたくなります。お布施についても高すぎるし、改名料を70万から50万に値切ったこともあります。仏教は末法の時代を向かえ形骸化してしまったのかな?

お礼日時:2003/05/11 01:43

#2です。

そういう意味じゃないんですよ(笑)
>キリスト教は日本に向かない。

ぴたりではない。日本にはよろずのかみ(ひらかなで失礼)がいるという思想を支持しているんです。5の方が、適格に言ってくださいました。
ですので、自分が未熟なうちに(うちの母の例があるので・・宗教に、かなり嫌悪感があり、周りとの調和といいながら、いい協議を唱えていても、周りから浮いている、周りが見えていないで、宗教をよろいにしてはいけないと思っているんです。人間が未熟なうちに、信教という他者をのける口実を身にまといたくないとい思いです。

誤解を与えるかきかたしつれいしました。
一番キリスト教が、いいなと思っているくらいです。
(仲間に入るとしたら)この質問と回答で私こそ凝り固まっていたなあと自覚したくらいです。
昔から私は、自分にとって危険な麻薬になりそうなものは、自分でコントロールできるまでは、遠ざけてきたので。(PCは例外?)凝り性なので。
でも、人間には自分以外のよりおおきなものへの意識が常に必要だ、それがなければ、人生はより耐え難いし、困難で葛藤の多いものになると思っています。
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この回答へのお礼

>人間には自分以外のよりおおきなものへの意識が常に必要だ、それがなければ、人生はより耐え難いし、困難で葛藤の多いものになると思っています。

そのとおりですね!自分の存在を知るためには自分以外の存在を知る必要があると思いますし、それはより大きなものを知るということかもしれません。それからPCにはまっているようで私もはまっています。昨年は3台もPCを組み立て今年も1台作りました。意外と簡単にできるもので、今では新しいパーツを検討するのが楽しみになっています。私もこのように凝り性なのですが、自己コントロールが苦手で時々無謀なことをしています。

お礼日時:2003/05/11 01:12

プロテスタントのクリスチャンです。



話せば長くなりますねえ・・・(こういうのを「証し」と言います)。私は短大がミッション系だったために、キリスト教にふれる機会がありました。でも、就職してからは全く、思い出すこともしませんでした。

結婚してからハワイに行った時に、ホエールウォッチングをしたんですよ。その時になぜか「ああ、この地球を造った人が必ずいる。私たちは共に生まれ、共にこの地球で生きていかなければならない」と思いました。(ここで、創造主の認識をしました。)

それから子どもが生まれ、しばらくすると母から「ねえ、教会行かない?」と言われました。「はあ?教会?」と思いましたが、何となくついて行って「聖書のことがもっと知りたい!学びたい!」と思うようになりました。

あれから3ヶ所目の教会ですが、やっと落ち着き、去年受洗しました。

私は結婚のことなど色々なことで悩み、疑い深い、人を信用しない人間になっていました。「人を見たら、泥棒と思え!」と思うほど、すさんだ気持ちになっていました。でも、聖書を読んでいると、不思議と落ち着きます。私の悩み、苦しみ、それから逃れる術がすべて書かれています。これからも私の人生の支えになることでしょう。

クリスチャンになったからといって、私の生活自体は変わっていません。奥様から怒られるかもしれませんが、季節の行事(節分など)もしますし、お葬式でお焼香もします。神式の結婚式にも出席しますしね。

「私はクリスチャンです!だからそういうことは出来ません!」と垣根を高くする人もいます。でも、私は季節の行事は受洗していない息子のために(歳時記は季節を教えるためにとても大切)、お葬式ならご遺族の方々の気持ち、お祝い事ならご家族のうれしい気持ちを大切にしたいのです。主もきっと許してくださると思ってます(勝手な解釈?)。

私は寺も神社も好きですよ。そういうサイトも良く見ますし、実際普通の人よりかはちょっとは知っているつもりです。でも歴史として、美術として、日本古来の文化としてとらえています。大好きですよ。大マンダラ展とか、東大寺展とかにも行きました。楽しかった-。

働いているとなかなかわからないこともあります。だから今すぐの受洗はおすすめしません。なぜなら、主はあなたの一番良い時を備えて下さっているからです。今はその時じゃないということですよ。ゆったり待っていれば、必ず時が来ると思います。

ま、こういうクリスチャンもいるということで・・・。
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この回答へのお礼

ホエールウォッチングで創造の主を認識したとはすばらしいお話です。宇宙探索ハッブル天体望遠鏡で、はるかかなたの星を見ることができるようになっても、未だ地球以外の星で生命の発見を出来ないところを思うと地球はすばらしいし、くじらは地球の代表的な迫力有る生命体で、これまたすばらしいです。私も一度でもこの目で見てみたい。地球誕生から45億年が過ぎ生命の誕生から35億年が過ぎたと言われていますが仏教の言葉で言うと摩訶不思議ですね。人間の創造を絶するダイナミックな宇宙を思うと世俗に振り回されている自分が哀れに思えてなりません。教会は安心できる居場所なのは私も同じです。ゆったりとかまえて時々お話をうかがいに通ってみます。ありがとうございました。

お礼日時:2003/05/09 10:00

幼児洗礼のクリスチャンです。

(家がカトリック)

自発的に信者になったわけではないので、ご参考になるかわかりませんが、「どうして自分はクリスチャンでいるんだろう?宗教ってなんだろう?」って、自分なりにずっと考えてきたことから、お答えしたと思います。(クリスチャン歴約29年です……歳がばれまちゃいましたね^^;)

小さい頃から宗教にとても興味があったので、いろいろな宗教について本を読んだりしてきました。
わたしは仏教の考え方も好きですし、神父様の中にも、仏教の考え方を取り入れている方もおられます。
キリスト教と対立していると思われているイスラム教でさえ、基本的な内容が著しく違うわけではないし、実際にイスラム教の人とお話しても全然違和感を感じません。

検討の結果、わたしは、古くからある宗教の根本姿勢は「自分の心を平穏に保ち、まわりの人と仲良くやろう♪」ってことで共通していて、あとは、そこに至る方法論が違うだけだ、と勝手に解釈しています^^;。
(宗教を口実にしてテロとか戦争とかをするのは、どう考えてもオカシイ)
日本人が仏教にシンパシーを感じるのは、歴史的に考えても当然だと思います。
要は好みかな?と。

それではなぜキリスト教なのか?ということですが、
わたしにとっては、キリスト教が合理的で体系化されているし、アプローチが多様で自由だと感じられるからです。
聖書の内容も、たとえ話が多くて分かりやすいですし、人間が直面する問題を網羅しているように思えます。
聖書を勉強したいと思えば聖書研究会がありますし、勉強なんかいらんわい!と思えば、それはそれでいいし、多額の寄付や奉仕活動を強要されることもなく、束縛もされません。
ちなみに、旧約聖書の話とか奇跡話なんかは、一種のたとえ話や象徴みたいなものかな?と思うので、あんまり真に受けていません。

一般の仏教徒の方が具体的にどのように仏教をお勉強されるのか分からないのですが、お坊さんが外国の人から仏教について質問されたとき、全然答えられなかった、という話を耳にしますし、仏典を一から勉強した!という話もあんまり聞いたことがないので、仏教は、わりと感性でとらえられているのかな?という気がします。(もちろん、それが悪い、とかではないです。それだけ日本人の心に自然と根付いている、ということなんだと思います)

宗教とは、上にも書きましたが、自分の心を平穏にし、みんなを仲良くできるようになるためのガイドブックだと思いますので、自分に合うやり方を選べば良いのではないでしょうか?
どうも日本人は宗教について免疫がない人が多いらしく、不健全な宗教にはまっちゃったりする人が多いので、自分の宗教を持つ、ということは、他を比較検討する基礎にもなりますので、良いと思うのですが…。

大学の宗教学の授業で「なるほど」と思ったんですが、
   「健全な宗教は疑問を抑圧しない」
んだそうです。
なんで?って思ったことを、宗教者に質問したとき、ちゃんと説明したり、一緒に考えてくれれば良いのですが、「それは、元からそう決まっている」「疑問を持つ前に修行しろ」とか言われる宗教はアヤシイ、と^^;。
その点においても、古くからある宗教はちゃんと神学がありますから安心です。

若輩ものが長々と(しかも、エラそうに)書いてしまい、失礼しました^^;。
なにかのお役に立てれば幸いです。
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この回答へのお礼

長文のご回答ありがとうございます。
>「自分の心を平穏に保ち、まわりの人と仲良くやろう♪」
同感です!私はキリスト教のことあまり知らないのですが、それを信じ実践している人たちをみるといい人ばかりですし、あなた様の言われているような人たちを多く見受けます。にぶさでは定評の有る私でもこれは何かある、と思うわけです。決して疑っているわけではなく、自分が何か見落としていると思うわけです。このご回答は私に希望を与えてくれました。ほんとうにありがとうございました。

お礼日時:2003/05/09 09:30

私の同級生でいました、家族で。

彼女は、耳が不自由でした。

彼女の様に、心や体等に重い、自分ひとりでは背負いきれない重荷を負った者が、その心を軽減する為に、生きている今現在の心をスコシでも、軽くする為に入られるのではないかと思います。仏教は、そのような今現在の心には対処してません。

質問者様が、その必要がないのであれば、今のままでもいいのではないでしょうか?
ちなみに、私の母はがんの手術で入院中に、別宗教に入りました。

私は今現在の自分の不器用で、耐え難い状況を思う場合に、いつかは、世俗にまみれた(私の実家も、曹洞宗の生臭坊主で)禅宗ではなく、魂の救済を唱える
神の教えの元に、ひざまずきたいと心から思っております。もしかしたら、一生、洗礼を受ける事はないかもしれませんが、この思いを抱き続けてからは、耐えられない悩みを客観視できるようになりました。

だから私は夫(長男)家の墓は永代供養、墓の廃止を
する方向に薦めていただきました。

何故今すぐ、洗礼を受けないのかという事は、若い子
まだ知識しかもっていない状態の子供は、生きる必要があり、自分で、自分自身の力で迷い、苦しみ、幸福を掴み、築いてい行く必要がある、それをしても尚かつ、救われない思いがあるなら、その時に。。。と思っています。まだまだ私は、自分自身でやるべきであり、努力すべきだ、できると思っている時は私は、協会を訪れません。(一生そうかも)

それに農耕民族である日本人の魂の救いって、キリスト教がびたりではないと、知っているんですよね。
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この回答へのお礼

キリスト教は日本人に向かないというご意見かと受け取れますが具体的にわかりやすく教えていただければさいわいです。

お礼日時:2003/05/09 09:06

私も、キリスト教系の学校で学び、子供たちも日曜学校へ通わせていますが、自分自身は「信者です。

」と言えないでいます。
教会にもなじみも深く、牧師先生のお話にも共感しているのにも関わらずです。
先日、おもしろいお話を読みました。「神様を信じるきっかけは、花粉症の発症に似ている。」と言うのです。
花粉症の発症は、コップに水が少しずつ溜まり、ある日いっぱいになってあふれる様子にたとえられますよね。それと同じように、神の愛の言葉が心の中に少しずつたまり、ある日あふれて、「神が私を愛して下さっている。」ということが、実感できるようになるそうです。
花粉症と同じく、コップの大きさは人それぞれで、お猪口の様にすぐあふれてしまう器を持った人、バケツのような器を持った人、いろいろいるのでしょうね。
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この回答へのお礼

とても面白く読ませていただきました。私にはあなた様がすでに立派なクリスチャンであると思えるのですが?私ももう少し知識を広め耳を傾けていこうと思います。

お礼日時:2003/05/09 08:46

chikaminさんや私の人生があるようにドッチでも構わない事ナンですよね


ですが、他人の信ずる宗教を否定する事だけはしてはならないと思うのです。
時々「私達の宗教を信じなければ天罰が下る」とか言い放って帰る勧誘員居ますが、「彼らこそ信仰の自由を否定する心の狭い人」に他ならないのです

表現は違えどドチラも(当時の)野蛮人に他人に対する思いやりとか愛情とかを伝えてるに過ぎないのですから・・・。
個人的には当時のその地方地方の人々に伝わり易いように形を変えてるダケと思ってます。

ですから生前親しかった方(私の年齢的にお客様や亡き父の友人が殆どですが)の葬儀には宗教の違いは関係無く参加しています。(個人的には人間関係は信仰と全く関係無いと思ってます)

30代半ばの若輩者の考えなので参考になるか判りませんが・・・。(因みに私は仏教(真言宗)です)
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。おもいやりとか愛情という観点から宗教を考えたことが無かったので参考になりました。私の家も真言宗ですが私は親鸞聖人が好きです。

お礼日時:2003/05/09 08:38

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