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思考実験しました。
自分が、どういうとき、「生きている」という感じを強く持つか?
食事をしているとき。
映画を見ているとき。
Hしているとき。
哲学しているとき。
眠りから覚めたとき。
悩んでいるとき。
・
・
etc
しかし、その中で、一番強く「生」・「生きている」を激しく感じたのは、
腕に傷をつけて、滴り落ちている血を見つめている時でした。
「生」が消費されていると感じたとき、強烈に「生」が自覚されました。
これは、どういうことでしょう?
この、「生」が消費されていく先には「死」が、見えます。
この、「死」の自覚の対極として「生」が強いコントラストで、自覚されたのでしょうか?
それとも、「生」が消費されている時、心の深いところで、
生きようとする何かが活動を強めていくからなのでしょうか?
(これは、自分の個人的な感じであり、一般的でないかも知れません。
そういう方は、自分が生きていると強く感じるとき、の事でも構いません) )
皆さんの意見を聞かせてください。
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A 回答 (22件中1~10件)
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No.1
- 回答日時:
消費じゃなくて、消失でしょう。
無くなっていく物に対する無いものねだり。
新作ゲームソフトの発売日を指折り数えても、買ってしまったら「無いもの」じゃなくなり、興味が一気に消失して、封も切らずに山積み。
それと大差ありません。
ゲームの本質を考えれば、それを使って遊び・楽しむ事が本来の役割。
しかし、無いものねだりという所有欲(の一部)は、そんな本質など全く無関係に発生します。
そして所有してしまうと、対象の本質を完全に放棄しても全く気にならない。
…というより、実際は無いものねだりだけで頭いっぱいにしていて、対象の本質なんか最初から考えもしていないという方が正確でしょう。
>腕に傷をつけて、滴り落ちている血を見つめている時でした。
>「生」が消費されていると感じたとき、強烈に「生」が自覚されました。
これもほぼ同じで、失っていくものがもったいないという所有欲のマイナス(本当に無くしたら二度と手に入れられないものですし)に過ぎません。
結局「手に入ったら封も切らずに山積みされるゲームソフト」と同じ程度にしか考えてないから、所有or消失に対する価値観しか感じられないのではないかと。
.
回答ありがとうございます。
>消費じゃなくて、消失でしょう。
あえて、消費と言う言葉にこだわりました。
例えば、お金にたとえて考えると。
お金を消費する。
お金を消失する。
そうして考えると、消失するでは、死んでしまうイメージに近くなってしまいます。
死んでしまっては、「生」の自覚もありえなくなってしまうからです。
次第に、「生」が減っていくイメージを強く打ち出すため、「消費」としました。
それから、私の説明不足もあるのですが、「腕に傷をつけて、血が滴り落ちる」時は、強烈な「痛み」があります。
その、「痛み」の存在が生を強烈に自覚させるのです。
「腕に傷をつけて、血が滴り落ちる」をイメージすれば「痛み」も同時にイメージしてもらえると、思ったのですが、そうではなかったようです。
回答者さんは、「痛み」の存在に言及していませんが、「痛み」と「生」の関係も問いのなかに含んでいます。
それを考慮したうえで、違った考えになれば再書き込みお願いします。
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No.2
- 回答日時:
心には、頭の自分の心と、身体の自然の心の、ふたつがあります。
身体の痛みは、自然の心に属します。身体を意識する時は、あなたが、自然を意識して、あなたが、自然の中で生かされてる事を実感する時です。だからいい体験です。No.3
- 回答日時:
補足に関する回答です
献血でもしてるなら消費でしょうが、滴り落ちてるなら消失でしょう。
雑巾等でふき取ってゴミ箱行きか、風呂場等の排水溝から下水行きですから。
>強烈な「痛み」があります。
刃物で軽く切った程度ですし、血管を狙って切ってるので、痛みとしてはたいした事が無いです。
骨や筋肉・腱にまで及ぶほどの怪我ではないですし。
多分、満員電車でハイヒールの女性に踏まれて「骨が砕ける??」なんて疑いを持つ痛みほどではないでしょう。
#実際その程度で砕けるほど人間の身体はヤワくないのですが
経験無いんでわかりませんが、リストカット常習の人であってもなかなか出血量200cc(献血で抜かれる血の量)以上にはならないと思います。
200ccって言うと、小さい缶コーヒーの缶が190ccですから大体近い(400cc献血なら350cc缶より多い)
缶に水を入れて、だばだばだばと空けてみる時の量と同程度の出血をしているのか?
まずそこまではなかなかいかないと思います。
さらに400cc献血ですら健常者なら耐えられる量です。
実際失血の致死量だと1.5リットルペットボトルクラスが必要だそうですが。
風呂場みたいな排水施設がない床に、そんだけの血を流したら、文字通り血の海ですもんね。
#急速になくなる失血ショックもあるので一概にも言えないでしょうが。
生と死を考えるならそれくらいが必要。
それはまず無いだろうと思います。
それを考えると、やはり「家事とままごとの差」くらいの遠さを感じます。
質問者さんの経験や感性・価値観などから、リストカットが魅力的に見えるという主張があるとして。
それはあくまで主観の話。
「どう思いますか?」と客観を求められたら、上記のように大したことは無いという人が多数でしょう。
私は例にゲームを挙げるくらいゲーム好きです。
人生の何パーセント?と言われたら結構な割合で評するんじゃないでしょうか。
一般に「ゲーム廃人」といわれるところでしょう。
でもそれが自分の主観であると理解しています。
私が今のゲーム好きの自分を考えるならば
「自分はゲームをによって生の実感を得ている。
それは他人がどう評価しようが、自分だけには揺るぎ無いの事実だ。
但し、ゲームをする事によって他人に対するデメリットがある。
他の人はゲームに価値を認めない方が大多数だろう。
自分だけで済ますにしても、仕事に支障があってはゲームを買えないし飯を食えもしない。
他人とはゲーム以外でも接点を持たねばならないので、ゲームの事だけを考えるわけにもいかない。
そういう問題点をどう解決して、自分の生の実感を感じつつ、社会で生きていこうか?」
こんな感じになります。
これをゲーム→リストカットに置き換える。各問題点なども同様にすれば発想点の違いが判るかと思います。
自分のやっている事を、他人に評価してもらって初めて納得できる程度では、まだまだ認識が甘い。
他人と評価が違う事が大前提。
その上で自分での評価を揺るぎ無きものにし、かつ他人との関連を阻害しない。
そこまでいって初めて「自分はこういう主観を持っている」と主張できるんだと思います。
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回答ありがとうございます。
「血」の消費とは書いていません。「生」の消費と書いています。
消失を辞書で調べると「消えてなくなること」と書いてありました。
これを「生」に当てはめると、「生が、消えてなくなること」となり、「死」に近いイメージとなり質問の趣旨と異なります。
「生」をどうして、勝手に「血」に変更して解釈するのでしょうか?
>刃物で軽く切った程度ですし、血管を狙って切ってるので、痛みとしてはたいした事が無いです。
骨や筋肉・腱にまで及ぶほどの怪我ではないですし。
どこに、軽くきったと書いてありますか?
どこに欠陥を狙ったと書いていますか?
どこに、骨や筋肉・腱にまで及ぶほどの怪我ではないと書いていますか?
回答者さんは、質問の内容を勝手に変えて、解釈する傾向があると思われますが・・・・
>生と死を考えるならそれくらいが必要。
>それはまず無いだろうと思います。
質問の趣旨が分かっていただけていないようです。
質問の趣旨は、「生」を強烈に感じるときはどんな場合か?ということです。
腕に傷をつけると言うのは、それの一例として示している(例)なんです。
腕を傷つける事が主でありません。足でも、太ももでも構いません。
>他人と評価が違う事が大前提。
質問を読んでいただければ分かるように、
(これは、自分の個人的な感じであり、一般的でないかも知れません。
そういう方は、自分が生きていると強く感じるとき、の事でも構いません)
と述べています。
自分は、「生」とは何か、を考えています。その考える材料が欲しくて質問の一例を挙げています。
ですから、回答者の「生きている」を強く、感じる場合をかいていただきたいというのも、大きい趣旨の一つです。
また、主観と言いますが、はそうではない様にと感じる部分もあります。
例えば、なにか、驚くほど嬉しいときがあった時
「ほっぺをつねって、痛かったから、現実だと分かった」
という、話をよく聞きます。
「痛み」「現実」の関係に「痛み」「生きている」は、関係があるのでは・・・・との、感じも持っています。
そういう、考えも色々あります。
まあ、回答者の「生きている」を強く感じるとき、を書いていただければ、質問の趣旨に半分は合っていますので、宜しくお願いします。
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No.4
- 回答日時:
ヘマトフィリアじゃないでしょうか。
人によって針を振るジャンルが違ってきます。
例えば鉄ちゃん。
ケーキ:1、若い女性:1、音楽:1、ボクシングの観戦:1、列車:1000。
このように好みが違い、ヌードをみても5くらいでも、血を見ると1000というふうに大きく針が触れるのは、個性じゃないか と。
その個性を哲学で解けといわれても、、、好みは哲学の領域ではないですし。
哲学ってのは普遍のものについて語るわけであって、個人によって違ってしまうものは、哲学のテーマにはならない。
嗜好じゃなくて生ってしたとしても、内容を見ると結局好みなので、哲学ではどうにもならないです。
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回答ありがとうございます。
質問を読んでいただければ分かるように、
(これは、自分の個人的な感じであり、一般的でないかも知れません。
そういう方は、自分が生きていると強く感じるとき、の事でも構いません)
と述べています。
自分は、「生」とは何か、を考えています。その考える材料が欲しくて質問の一例を挙げています。
ですから、回答者の「生きている」を強く、感じる場合をかいていただきたいというのも、大きい趣旨の一つです。
また、個性と言いますが、自分ではそうではないと感じる部分もあります。
例えば、なにか、驚くほど嬉しいときがあった時
「ほっぺをつねって、痛かったから、現実だと分かった」
という、話をよく聞きます。
「痛み」「現実」の関係に「痛み」「生きている」は、関係があるのでは・・・・との、感じも持っています。
そういう、考えも色々あります。
まあ、回答者の「生きている」を強く感じるとき、を書いていただければ、質問の趣旨に半分は合っていますので、宜しくお願いします。
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No.5
- 回答日時:
血は、生臭きモノなり。
鼻で、感じるモノなり。
感じるとは、生きているからこそのモノである。
死が漂うモノは、死臭なり。
若しくは、腐臭なり。
その臭いは、時間<トキ>に沿い、強くなって行くモノである。
生にせよ、死にせよ、いずれにしても、鼻で感じる臭覚なり。
No.6
- 回答日時:
こんにちは。
>この、「死」の自覚の対極として「生」が強いコントラストで、自覚されたのでしょうか?
私はそのように思うことが時々あります。
非日常における、危険に身をさらしている瞬間。
mintarou1様の≪血の滴りが生の消費≫というくだりは、ちょっと私には、あまりピンとこないながらも。
私が女性だから?
いえいえ、血の滴りは、やはり生の「消費」ではないと思います。
他のどんな言葉に言い換えられるでしょうね。
一枚の薄皮で覆われたその下には、縦横無尽に微細な毛細血管網がはりめぐらされているわけで、このことを私たちは、日常ではあまり意識せずに暮らしています。
むろん微量の血程度なら、過去に見慣れた類のものとして、特に気にも留めないでしょう。
でも、滴り落ちるほどの量ともなると、日常では殆ど目にしないはずです。
ですから「出血多量→死」という知識に直結し、その結果「死」の裏返しとして、「生」もまた強烈に感じるのではないでしょうか。
私が同じようなことを感じるのは、常に海上においてです。
家族とおんぼろクルーザーで機会があれば船出し、GPSを頼りにひたすら水平線を目指します。
船底一枚下は数十メートルの深さですから、たかだか31ftのクラスだと、いともたやすく波に翻弄されてしまいます。
錨一本垂らしているくらいでは、静止状態だと心許ないので、常に舵を切ったりしています。
横波を喰らうととても辛いのです。
非日常の場に身を委ねると、日常では思いもよらぬことを、ついボ~っと考えたりもします。
大海原に漂う自分たち人間が、何とちっぽけな存在なのだろうと。
日常の暮らし、人間目線で当たり前のように地球を捉えてしまっているのは、人間の驕りなのかな、とか。
実は自分の踏みしめている大地は海の半分にも及ばないのだな、などと
当たり前の価値観の逆転、ちょっとしたショックなどを、いつも味わっています。
他に日常/非日常における「生/死」を感じるときって、どのような身近な例が挙げられるでしょうね。
「ああ、生きているなあ…。」と洋上で強烈に感じる瞬間。
何もギラギラと焼けつくような、あの夏の日差しのせいだけではなかったのだなあと、今日の澄み切った冬空を見上げて想いを馳せるのです。
No.7
- 回答日時:
補足です。
船底一枚下は数十メートルの深さですから、その下は暗く深い闇、つまり「死」と隣り合わせということです。
救命胴衣を着けていたからといっても、命の保証はありません。
あまりにもあたりまえの感覚なのですが、念のため。
No.8
- 回答日時:
では最初に立ち戻って「生きていると強く感じる時」。
これは「喜びを感じる時全て」です。
質問者さんはetc..で流してますけど、私はそれらに強く魅力を感じ、それを求め、得る事に喜びを感じます。
喜びを得るためには、当然生きてなきゃならない。
なんで、喜びを得るのに必要(重要)な生を強く意識するって発想です。
旨いもの食って「生きてて良かった」
…
ありゃ。もう答え出ちまった。
わざわざ死ぬことなんか考えるまでもなかったわ。
というのが私の回答です。
質問者さんが喜びを感じる能力が低いのか?
私が喜びを感じる能力が高いと自惚れていいのか?
それは解りませんけどね。
No.9
- 回答日時:
消費されてるという表現は文学的過ぎて、突き詰めると袋小路に迷ってしまいそう。
単に、注意力が高まって存在をリアルに感じただけではないでしょうか?
まあ、我ら凡夫が真に注意力を高められる時というのは、欠乏の危機の時でしかありませんから、質問者様のおっしゃることも間接的にありうるとは思います。
No.10
- 回答日時:
リストカットですか・・・
それは「生の消費」ではなく、自身の意識・心が、自身の体を切り離しうると勘違いしていることを、「勘違い」だと思い起こさせるからでしょう。。。
切断しようとしても、決して切断不可能な関連性・・・
「生きている」とは、「思考内部での空想」ではなく、熱き血潮の巡る自身の身体と、周囲の人々との切り離せない関連性・・・
「生きており、かつ、生かされている」
能動と受動との狭間・・・
リストカットは、まさに、関連性を完全に切断可能だと「誤認したとき」に為し得る行為・・・
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