(α) ひとは他人に《甘える》ことができるか?
(β) できれば それが《愛》と言えるか?
次にしたがって 用語を確認してください。土井健郎:『《甘え》の構造』に拠っています。
(γ) 親子だけは無条件に他人ではない。
(δ) 夫婦も元は他人。兄弟は他人の始まり。
(ε) 親子の間に《甘え》が存するのは至極当然なことである。
(ζ) 親子以外の関係で相互の間に甘えが働く場合は すべて親子関係に準ずるか あるいはそれと何らかのかかわりを持つ場合と考えられる。
(η) 義理と人情の概念を用いて 図式的に説明する。
(η‐1) 甘えが自然に発生する親子の間柄は《人情》の世界。
(η‐2) 甘えを持ちこむことが許される関係は《義理》の世界。
(η‐3) 人情も義理も及ばない無縁の世界は他人の住むところ。
(θ) 義理はいわば器で その中身は人情である。親子の間柄でも 親子の情よりも関係自体が重視される時は 義理として意識される。
(ι) つぎは(α)および(β)を判定するための説明文です。(第二章 《甘え》の世界)
親子の間には《遠慮》がないが それは親子が他人ではなく その
関係が甘えに浸されているからである。この場合子供が親に対して遠
慮がないばかりでなく 親も子供に対して遠慮はしない。
親子以外の人間関係は それが親しむを増すにつれ遠慮が減じ 疎
遠であるほど遠慮は増す。友人同士など 親子以外の関係でも ずい
ぶん遠慮のない関係も存するが 日本人がふつう親友という場合は
このような友人関係を指すのである。
要するに人々は遠慮ということを内心あまり好んではいない。でき
れば遠慮しないに越したことはないという気持ちを誰しも持っている。
それは日本人がもともと親子の間に典型的に具現する一体関係を最も
望ましいものとして理想化するという事実を反映しているのである。
No.2ベストアンサー
- 回答日時:
オコリザルです。
本当ならセレビィとあいさつしたい処ですがシステム上それは正当ではないようですね。
子供から大人になる成長になぞらえると、満たされるほど甘えきればやがて自立する。
飢餓などの危険が無く、いかに生きるかがぜいたくな悩みでしか無い現代では(日本限定かもしれませんが)子育て成功の秘訣はいかに幸せな体験を多くさせるかにかかっています。
ならば親の務めには子供時代には甘えを赦す事が含まれるでしょう。
この回答への補足
お礼欄を少しおぎないます。
☆☆ ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
この自然かつ考慮という情況を踏まえた《甘え》が もし言うとすれば 慈悲であり愛であるということなのかも知れない・・・。
このとき 甘えとは 互いの一体感ということでよいようなのですが。・・・
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
☆ ここへは つぎの文章を添えるべきでした。
○ このような親子のあいだでの自然かつ考慮という情況を踏まえた《甘え》が 無縁のひと・つまり《他人》に対しても そのまま通用し受け容れられるということであれば 無縁慈悲であり 愛であるということのように考えられるのですが それは果たしていかが見るべきでしょうか?
オコリザルさん こんばんは。ご回答をありがとうございます。
★ 子供から大人になる成長になぞらえると、満たされるほど甘えきればやがて自立する。
☆ まだまだ読んだかぎりではですが どうもこういう情況であるようなのです。そんなにむつかしいことではないようなのです。
ただし親子のあいだでも さまざまな事情や問題が起こって 自然でかんたんな《甘え》の関係がきづけないということのようでもあると言います。
★ ならば親の務めには子供時代には甘えを赦す事が含まれるでしょう。
☆ このときわたしのにわか講釈師としては このように子供に甘えさせることが 自然にであるとともに適度に 義理の要素や遠慮という考慮などなどを 必要なときには忘れずに組み入れるといったことのようなのですが 果たして 現実はどうなのでしょう?
つまり――憶測でものを言いますが―― この自然かつ考慮という情況を踏まえた《甘え》が もし言うとすれば 慈悲であり愛であるということなのかも知れないという問題なのですが どうなんでしょう?
このとき 甘えとは 互いの一体感ということでよいようなのですが。・・・
No.6
- 回答日時:
いつもレスありがとうございます。
ただ、あなたは少し長文なので短くまとめて頂けると有り難いです。小生はまだまだ現役の労働者にて社会貢献に忙しいからです。
さて、日本は島国ゆえ遠慮文化です。そして家族はもちろん原始共産制です。この2点をふまえて、考えるならば、本来、原始共産制の枠を広げ国家レベルまでにすべきだったのに、様々な要因も加味され、結局、助け合うことを忘れ、金儲けに走ることで社会性を保つ安易なシステムを選んでしまった。それを天皇陛下も嘆かれておられて「助け合い」というお言葉を仰られたのでしょう。非常に本来の日本人的な方で、あなたもそうではないか?と思います。失礼いたします。
この回答への補足
ふうーう。おたまさん 思いが通じたようですね。
ご回答をありがとうございます。
★ 原始共産制
☆ はあなたならではの規定でしょうね。
この見方は J.-J.ルウソの言葉を思い起こさせます。
▲ (エミール・冒頭)~~~~~~~~~~~~~~~~~
万物をつくる者の手をはなれるときすべては よいものであるが 人間の手にうつるとすべてが悪くなる。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
☆ 原始共産制でさえすでに《人間の手に移》っているのですけれど。
このルウソの言葉は 始原のときのことを表わしていますが けっきょく煮詰めたかたちであなたは 究極の未来のときのことを言おうとしています。組織も無くせ 貨幣制度も無くせ 宗教も無くせ 国家も要らないうんぬんと。人間の手にかかったものはすべて要らないものだと。
そういった見方は 言ってみれば純粋であって ひとには必要なことであるかと思われます。だから これまで二件あなたの質問に茶々を入れましたが いまはいまのままですすんで行ったほうがよいのかも分からないという考えは 持っていました。
いまも持っています。マーシャルがどうのこうのと言うより ルウソの心意気ですすむという道もありなのかといったところです。
問題がもしあるとすれば ひとつ考えられることは ルウソにしても間接的なかたちでにしろその《純粋思想》は フランス革命の一部の人間たちに影響を与えました。やれ宗教だやれ経済成長も大切だと言いつづけて煮え切らない面々を――極端に言えば――あのギヨチンで首をはねるという権力を行使しましたから そこのところに気をつけてもらいたいということです。
回答を寄せても質問者からナシのつぶてしか返ってこないとなると――しかも お礼や返答をもらっている回答者らも別にいたりすると―― 何とも気分のわるい思いをするものです。
かと言って 《ありがとうございました》だけでは きわめてがっくりすることもほんとうです。
少しづつ時間をとって ひとつの主題だけでもいいでしょうから回答の中から取り上げて ほんのひとことでもお応えを返しておいてもバチは当たらないでしょう。(応え無しが わたしだけではないので こうやってわざわざ言葉にします)。
では頃あいを見計らって また回答を寄せることもあるかも知れません。以上のように応答いたします。
(また 長くなりましたか?)
No.5
- 回答日時:
この世界(宇宙)は個別の学問のように分断されておりません。
よって、環境認識という観点から物事を考えていけば、学問により分断された壁さえ架空の壁であることに気付かれるでしょう。一般的な学問は、その領域を特別に鍛えるための便宜的な壁であり、思想や哲学をするなら、まずはそうした壁が幻想であることに気付く必要があります。
その上で考えた結果「社会(ヒト)は既に甘え合っている。しかし無意識的に」と回答した次第です。
ご投稿をありがとうございます。
学問の専門分化などはどうでもよいのです。
いかに説得するか。このひとつのことだけです。
専門分化の《かべは幻想である》。そういうことだから おれの言うことに従えというのでは 相手にされませんよとお伝えしているのみです。
★ その上で考えた結果「社会(ヒト)は既に甘え合っている。しかし無意識的に」と回答した次第です。
☆ 無縁な他人とのかかわり(関係)であり またまじわり(交通)のことを扱っておられるとは分かりますが すでに重ねて述べましたとおり 《親子のあいだに見られるような 自然でしかも適宜に遠慮を帯びる 互いの一体感 これが 他人との間にも持てるか》という問いです。
実際にまじわりがあるときに どうかという問いです。
相手と面と向かっているときに《無意識的に甘え合っている》というお答えなのでしょうか? それにしては ただそのことだけを言っているに過ぎないと感じますが どうでしょう?
これまでのじんるいの――いまは学問に分野における――営為 これをすべてないがしろにしてもよいというおかんがえなのでしたら そう明らかにしてください。そのときには もう相手に致しません。
No.4
- 回答日時:
>たとえばビル・ゲイツが仕事でもうけてそのお金を人びとに寄付する。
これも《助け合い》ですね。いいえ。一方的な施しに過ぎません。仕事で儲けること自体が反社会的行為です。誰かに富の情報(お金)が偏れば、その分、貧乏になる人が増えるのは経済の常識です。よって寄付などせず、非営利事業にする賢さがビル氏等には無かったため、貧乏人を増やしてしまったのです。事業の成功とは社会貢献度であり、経済利潤ではないのです。
「いい仕事」とは、給料や利益報酬(入力)に対し実体生産(出力)が大きいことを言います。よって「いい仕事をしたから金を多く欲しい」など正気とは思えない個人的思想(妄想)です。思想は物理などとは矛盾してはなりません。
この回答への補足
ご投稿をありがとうございます。
OtamaFJ さん あなたは 経済と経済学とは別だとお思いになりませんか? 《家計や会社やあるいは政治家個人の生活としての経済》と そして《社会という単位体を全体として扱う経験科学(この場合は経済学)》とは別であると考えませんか?
別であるというのは 《一人の個人の経済行動》と《その個人の集まった社会全体の経済情況》とは 別の見方が成り立つといったことです。
ひとつの家族が自分たちで家をつくり 日々の生活を水汲みから火を起こすことから食物の獲得からぜんぶ自分たちでいとなむのでない限り ひとは社会の中にあって 仕事を分担します。分業社会の成立です。分業しているということは 互いに全体として協業しているということでもあります。
この分業=かつ協業の社会においてわれわれは生活し共生しようとしています。
いま現在では一般に資本主義経済において社会が営まれています。所有が個人に帰属します。表現行為の自由から始まり どんな仕事をするのもどんな事業を起こすのも 経済活動は自由です。
その仕事の成果は 商品として自由に市場で互いに等価交換するという仕組みになっています。
わたしはここで 勤勉資本主義とガリ勉資本主義とを区別します。個人が信頼関係にあって経済的にも信用を得合うということと みづからが勤勉にはたらくということとがおおむね一致しているのが 勤勉キャピタリスムです。この勤勉がそれ自体を自己目的とする場合を ガリ勉キャピタリスムと呼びます。
たしかに例えばそのように価値評価をともなって資本主義に批判的な見方をもおこないますが そうなのですが この分業社会を前提とした自由市場・等価交換・個人的所有制のもとの経済制度において 個人が個人の振る舞いに対して どうこう言うというのは 哲学の主題にはなりがたいと考えます。あるとすれば 文学でしょう。
ただしこの文学的志向性が じつは 経済の行動についても物言いをつけて結果を左右するという場面も大いにあります。ホリエモンの行動に対して世論のちからが発揮されたなどの事例があります。そしてもう一度ただし 議論は 法律による裁定がいちおう決めます。それがあって 第二・第三のホリエモンを出さないというふうにもなるのだと考えます。
この全体が哲学の主題であり考え方であり 経済学もその枠組みを共通として独自の見方を展開するというはずです。
では次のような見方は成り立たないのか?
★ 「いい仕事」とは、給料や利益報酬(入力)に対し実体生産(出力)が大きいことを言います。よって「いい仕事をしたから金を多く欲しい」など正気とは思えない個人的思想(妄想)です。
☆ その思想が社会において実現したときには 成り立っているということです。いまは成り立っていません。言いかえると 現在の制度にもとづく思想とは異なった内容の思想によって 現行の経済行動を批判するのは――むろんその批判行為じたいは自由です―― ひとことで言えば 文学的希求ということになるでしょう。
ですから ゲイツの寄付行為も 現在の思想では《助け合い》と呼びます。この行動の考え方や中身が どのように変わっていくか? その文学的希望を実現させるのは 哲学であり政治経済学であり しかも同時にもろもろの思想である。こう考えます。
甘えは この歴史過程に言わば信を置くこと。その甘えが水かさを増していくなら あたらしい思想や経済学の基礎をかたちづくるはずです。そういう問い求めをおこなっています。どうでしょう?
* たとえばゲイツなら いまの社会の経済的な仕組みにもとづいて行動してきたのですから そこで得た資金を寄付行為にまわすという行動をも起こしています。そのとき 経済的な成功者でない人びととも――つまり中ではまったくの赤の他人であるそういう人びととも―― 人間どうしとしての一体感を持ちうるか? 甘え合えるか?
ちなみにA.スミスは 《同感の原理》ということをも示しました。たぶん《甘え》の理性的なあり方であるかも知れません。《義理》ということが 社会関係の科学的な認識をともなって成り立つといった中身を持つものであるかも知れません。
No.3
- 回答日時:
オコリザルです。
親バカと言う言葉があります。
子煩悩の事です。
親バカが度が過ぎて甘えを許すまでに至ると、子供は親のみを頼ることになります。
これは明らかな弊害です。
現代っ子は明晰でして、社会との係わりは教えるのではなく指し示すのみで済みます。
10円のお菓子を買いに来た子供が先生や親に触れるのと同じ甘えを見せたら、子供と遊ぶ格闘技です。
甘えを赦しません。
親の立場では子供の甘えすら受け止めるでしょう。
それは親として愛を指し示す事でしょう。
そのようであれば親は決して甘えを赦しているわけではないのでしょう。
甘えきる事とは愛を理解する事なのでしょう。
自立すればやめます。
★☆(要約) 親が子にゆるす甘えの行き過ぎ。
このあたりが わたしにはよく分かりません。親に対する甘えのようなものの実感がありますが 甘えられた場合はなかなか分かりません。
★ 10円のお菓子を買いに来た子供が先生や親に触れるのと同じ甘えを見せたら、子供と遊ぶ格闘技です。 / 甘えを赦しません。
☆ ここでは 《親に触れるのと同じ甘え》は分かるのですが 《先生に触れる》ときの甘えとはどういうものでしょう?
親との間における甘えの延長と考えてよいのでしょうか?
でも そのような子供の甘えは ゆるしませんか?
★ ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
親の立場では子供の甘えすら受け止めるでしょう。
それは親として愛を指し示す事でしょう。
そのようであれば親は決して甘えを赦しているわけではないのでしょう。
甘えきる事とは愛を理解する事なのでしょう。
自立すればやめます。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
☆ このあたりがミソのようで あらためて引用して掲げておきます。
わたしがなるほどと思ったことは このような子供のころの親とのあいだの甘えを欠いていると なお多く甘えを求める場合があるというものです。
つまり この場合は甘えられなくてその欠乏から ひとに甘えていくというものです。
負の甘えとか あるいはぎゃくに 聖なる甘えとか 言っていましたね。前回の質問では。
No.1
- 回答日時:
>ひとは他人に甘えることができるか?
社会とは、そもそも「甘え合い」とも「助け合い」とも言えます。よって、その社会の定義から考えていくと整理されていきます。「社会=助け合うために集まったもの」つまり原始時代では「家族(社会の最小単位)」同士が殺し合い、それが部族になり村になり町になり藩になり国になった、ていう(悲惨な世界大戦もありました)。今でも原始共産制は「家族」の中に残っていますが、3千年かけて、人類は殺し合いながら、国家まで来たと思います。次は世界政府でしょう。
そうした視野から「ひとは他人に甘えることができるか?」と考えると、既に世界規模で貿易により助け合っていますので「世界で甘え合い」は既に成立しています。注意すべき点は、現代は経済的利益追求、つまり金儲けのために事業をしており「無意識的な」甘え合い、になっている点です。これをネットを活用し「意識的な」甘え合い=助け合い、を相互に感受できれば理想であると考えます。
この回答への補足
OtamaFJ さん おはようございます。ご回答をありがとうございます。
そうですね。
方向において志向性においてうったえるものがあります。ありますが 同じ方向にあっても ちがった考えも出てくるかも知れません。
それは 説かれるところをうかがっていて 一歩一歩踏み出すその足元や足使いについて いまひとつはっきりしないうらみが残るからではないでしょうか? 正直に申せばそんな感じを持ちます。
★ 社会とは、そもそも「甘え合い」とも「助け合い」とも言えます。
☆ おっしゃるとおりだと考えます。そしてそのとき きょうの仕事ではこうする 次にはああしようといった《わたし》の一つひとつの行動についてまだ明確になっていないのではないかという感覚が残るという意味ですが どうでしょうか?
これはOtamaFJ さんも念頭においておられる主題であるかと思いますが たとえばビル・ゲイツが仕事でもうけてそのお金を人びとに寄付する。これも《助け合い》ですね。ブラジルから呼ばれて来て日本の工場ではたらく これも《助け合い》でしょう。《甘えあい》でもあるでしょうか。
でも土井健郎の見解に従うなら 《甘え》は 互いの一体感から始まると言います。親子のあいだで自然に発生するとしますし そこでは遠慮がないと見ています。では 他人――つまり 《人情》も《義理》もまだ発生しておらず 《遠慮》をしなければならない関係ですが まだその関係すら何らほとんどつくられていない そういう間柄にあるひと――に甘えることは出来るか? こういう問いになります。
★ 注意すべき点は、現代は経済的利益追求、つまり金儲けのために事業をしており「無意識的な」甘え合い、になっている点です。これをネットを活用し「意識的な」甘え合い=助け合い、を相互に感受できれば理想であると考えます。
☆ ただ分業社会のなかで助け合いという結果を――分業とは全体として協業なのですから――みちびいているだけなら それも《無意識的な甘え合い》なのでしょう。
ですから 土井の言うのは おっしゃるように《助け合いを相互に感受することができる》ことがのぞましい。こうなると思います。
★ これをネットを活用し「意識的な」甘え合い=助け合い
☆ にするかは また見方の分かれるところかと思います。《ネットを活用する》かどうかは 基本的な考え方を定めたあとに手段として出てくる政策論ではないでしょうか。
《甘え合いとしての助け合い》を互いに感受できるのがよいのですが これを では《意識的》にするのだろうか? どのように意識的にするのだろうか? こう問うとすると また見解は分かれるのではないでしょうか。親子のあいだでは――むろんすべては意志行為ですから 日常の細かいことにしてもそれなりに工夫や勘考があるでしょうが かと言って――《意識的な》甘え合いとして現われているのかと問えば どうも違うように思います。遠慮などないのですから。
これをいわば《赤の他人》に対してできるか? 甘え合いが成り立つか? こういう問いです。
この質問じたいは《甘え》についてもう一度考えておこうと思って挙げたものですが その結果としてこれは 次の《慈悲》の主題につながっていることに気づきました。
【Q:慈悲は 経験現実か】
http://soudan1.biglobe.ne.jp/qa4531636.html
これはわたしの質問なのですが その中で特には 《無縁慈悲》にかかわっているようです。むろん《無縁》というのが《他人》ということです。趣旨説明を引いてみます。
☆☆ (【Q:慈悲は 経験現実か】趣旨説明)~~~~~~~~~~~
仏教ではこの慈悲心を三種に説く。「衆生縁」「法縁」「無縁」の三縁慈悲である。いわば慈悲心の生起する理由とその在りかたをいう。
(一) 衆生縁とは 衆生の苦しむ姿を見て、それを救うために、その衆生を縁として起こした慈悲の心。すなわち、衆生の苦を抜き、楽を与えようとする心である。
(二) 法縁とは、 すでに煩悩を断じた聖人が、人々が法は空なりという理を知らずに、ただ抜苦得楽のためにあがくのをみて、抜苦与楽しようとする心をいう。
(三) 無縁とは 慈悲心の自然(じねん)の働きをいうものであり、それは仏にしかない心であるという。
この三縁の慈悲とは、
第一は 一般衆生の慈悲、あわれみの心をいい、
第二は 聖人、つまり阿羅漢や菩薩の位にあるものの起こす心、
第三は 仏の哀愍の心であると言える。
この中で第三の無縁の慈悲心のみが本当の大悲(だいひ、maha-karuna)と言える。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
☆ かえってややこしくなったかも知れませんが 参考にできると思います。
無縁つまり他人の関係においてであっても 《自然(じねん)のはたらき》を打ち出すところに 日本人のなかの常民がつちかった世界にほこる自然でもあり文化でもある《甘え》というものの見方が息づいているかどうか これの分かれ目があるのではないでしょうか?
* 《世界政府》は そのとき《国家》はいまの形のままあるのですか? なくなるのですか?
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