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私は今高校2年生なのですが、デッサンが高校(美術学科)にはいって以来どうしても描けません。

中学3年生の時は週に1回デッサンをしに画塾に行けていたのですが、
今では怖くて画塾にほとんど行けていません。

学校でもデッサンが出来ず、家で描こうとしても途中で自分の思い描いているデッサンのレベルに達せなくて、
辛くて涙が出てきてしまい上手くいきません。

それでも芸術が好きですし、小さい頃からずっと夢みていた芸術大学に進学したいのです。

デッサンは必須だし、京都造形の映像メディアコースか大阪芸大の写真学科に進学したいと思っているのですが
やはり入学試験でも授業でもデッサンは必須ですよね?

デッサンのトラウマの治し方、アドバイス等をどうかよろしくお願いします。

A 回答 (6件)

それはトラウマじゃない。


自分の今の画力を受け入れていないだけ。
目ばかり肥えて、自分も最高のデッサンが出来ると思いこんでるだけ。
描きまくらないと、あなたが思い描く絵と実際の技術に
どんどん差がつきますよ。
あなたはすでに差がついているので、何も描けなくなっているのです。
自分の技術を受け入れられなくなっているから。

石膏でもグラスでも、1週間かけてでも丁寧に描いてみましょう。
デッサンは時間をかければいいものが描けます。
質感の表現の仕方も考えるだけ考えた分
対象を見つめるだけ見つめた分、何か出来るようになります。

これ以上、頭と手の差が広がらないように
一刻も早くスケッチブックに向かいましょう。
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この回答へのお礼

doorakanaiさんの言葉に凄く納得しました。
まさに「目ばかり肥えていて今の画力を受け入れていない」、その通りです。
ここ一年程ずっともやもやしてた理由がようやく分かりました。

下手くそでもまたスケッチブックに向かってみようと思います。
的確なご指摘、本当にありがとうございました。

お礼日時:2010/02/08 18:28

頑張れ!!!!!芸大に通ってるものです。

確かにデッサンは基礎の基礎です。しかも芸術すべての基礎です。
私たちが目にしている物は陰があるからこそ立体的にものが見えるのです。私が通っていた画塾の方で陰から絵を描いている方がいましたよ。だから陰というのは大切なんですよ。
ためしにやってみたらいかがですか????あとデッサンをする前に描く物、自体を触ってみて
その物の形、手触り、質感、あと光の反射、などなど物をよく見ることが大切です。デッサンという行為を恐れず、
そのうち枚数重ねて描いているうちに自分才能あるんじゃない?というくらい上手くなります。嘘じゃないです。本当です。
頑張ったぶんだけ結果はでます。あとせっかく画塾に通っているなら先生に描き方のコツをじゃんじゃん質問したらいかがですか?
怖い先生なら質問しずらいけど・・・・・・けどめげずに先生は教えてくれるためにいるんですからじゃんじゃん使っちゃえ!!!
そうじゃなきゃ画塾に通っている意味なんてありませんよ。しかも美術系の高校!!!!先生を利用しなさい!!!!使え使え!!
私なんて理系のコースだったから美大?芸術?何それ?てかここ理系。みたいな先生ばっかだったから画塾や美術館に行って研究しましたよ!!!けど正直言ってしまうと今では色々な入試方法があって、コミュニケーション入試という方法もありますよ。
私は二年間、画塾に通って、コミュニケーション入試で今の京都の芸大の映像系のコースに入りましたよ。試験では全然デッサン関係なかったです。ふつうに出された課題をやって、あと面接でしたね(笑)かなり緩かったです。けどあなどってはいけない!!!!!落ちる人間もいるんですから!
あと入ってみてデッサンなんてやったことないというこがいて驚きましたし、正直ショックでした。
しかも写真とか映像系の人間は絵や平面構成のデザインが苦手な人間が多いんですよ!!!!!!!!!!!!!!
そこで個人的に思ったことは、芸大に入るんならやっぱりデッサンぐらい描けなあかんな!!!!!
って思いました。やぱ芸大生としてのプライドが・・・・・・・。しかも平面構成は就職の時に重要なんです!
私は高校のとき平面構成が嫌いでその授業はサボり続けていました。そしたら!?なんということ!!!就職の時に・・・・・。
私は今その壁にぶちあたっています。やっぱり克服しないとあとあと今後の人生において付きまとってきます。
だからもう本当に気持ちはわかります。しかも芸術が好きなら大丈夫!!
嫌いも好きのうちと考えて頑張ってください!
お互い頑張りましょう。
長くなってすみませんでした。
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この回答へのお礼

ありがとうございました。
331033103310さんの言葉で元気がでました。頑張ります!

お礼日時:2010/02/09 22:55

質問者のおっしゃる悩みというのは、100人いたらおそらく80人ぐらいの


予備校生が悩むことなんですよ。もっといえば、美大、美大を卒業して
からも、ずっと悩み続けることなんです。
ですから、そのような悩みをあたかもあなた個人の特殊な悩みであるかの
ように考えないで、こんなものは創作においてはよくあることじゃないか
と気楽に考え、黙々とデッサンに取り組んでいくべきではないだろうかと
思います。


質問者がここまで深刻に考えてしまうというのは恐らく、自分に対する期
待感が非常に高かったからではないでしょうか。
私には勘があるはずだから、デッサンも順調に上手くなっていけるのでは
ないだろうかと。
しかし、実際はそのデッサンごときが意外にもクリアできないことに気づ
いてしまう。

実はこうした誤算というのはよくあることなんです。
なぜなら、私がそうなんですから。私も子供の頃から絵が得意で才能があ
ると思っていたのですが、しかし塾に通いだしてみると自分と同じレベル
の学生やそれ以上の画力をもった学生がゴロゴロといまして、自分の誇り
を引き裂かれるようなひどいショックを覚え、一気に自信を失ったのです。
非常に惨めで、浪人していた当時は周囲から孤立しているかのような孤独
感を味わいました。

私のすすめで塾通いをはじめた友人なんて私以上に酷い有様で、自分の作
品がまるで評価されなかったことが原因で、塾通い初日の後、二日間、寝
込んでしまったというのです。

私の恩師も似たような経験があったそうです。現役当時は自分の能力でな
んとかなると思い込んでいたそうなのですが、結局、志望大学には落ちて
しまい、そこで浪人して塾通いをはじめるのですが、そこで周りの学生の
レベルに驚いてしまい、寮で泣きながら、デッサンを重ねていったといい
ます。

要するに、よくあることなのです。
それで、なぜこうしたことが起きるのかというと、美大受験用の美術とい
うのは義務教育課程では一切教えませんから、相対的に自分の能力を判断
するのが困難で、自分の画力を見誤ることが多々あるのです。
絵が得意な子ほど、自分は特別な才能があると思い込むため、自分の能力
を高めに見積もってしまうのです。
恐らく、あなたは読書をしているし、ネットでいろいろな情報を集めてい
ために創作に対して、玄人意識をもってしまったのでしょう。
しかし、実際にデッサンをしてみると、自分が考えている以上にデッサン
というものの難しさを知り、本当の自分のレベルを知ってしまったという
わけなんです。

ですから、あなたには才能がないわけではないし、ほかの学生に特別な才
能があるわけでもないのです。ただ現実を知っただけなのです。
みんなこうやって夢から目覚めて、現実の自分と向き合ってきたわけです。
ですから、冒頭で申し上げたことに戻りますが、こうした悩みというのは
私個人の特殊な悩みではなく、昔からよくあるものなんだと思って、気楽
に考えてデッサンを続けていくのがよいのではないでしょうか。

それでは。
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この回答へのお礼

まさにその通りだと思います。
そう言って頂けて嬉しかったです、ありがとうございました。

お礼日時:2010/02/09 22:52

トラウマの言葉に逃げないで、デッサンを好きになって欲しいな。


私は、デッサンが大好きでしたよ。
デッサンは、描けるようになると本当に楽しいんです。
今は主婦になって、全然絵を描かなくなってしまったけれど、デッサンも上達してくると(よく予備校のデッサンの先生が言っていた言葉ですが)、

「紙の中に手が入って行くような感覚になる」んです。

紙の中が別空間の入り口になっていて、そこに自分が入り込んで、その中で粘土を捏ねているような、彫像を削っているような、直に触れている感覚になるんです。
精神が研ぎ澄まされて、雑念が消えて、自分自身が絵の中で世界を作っている感覚です。

こう書くと危ない人のようだけれど、それだけ集中出来ていると、デッサンに向かっている時間は全然苦ではなくて、発見と感動の時間になります。


ここで、今一度デッサンの目的について考えてみましょう。

デッサンすることで養えるのは、対象物に対する見方です。
それは空間と質感の捉え方を学ぶことでもあります。
デッサンは白黒の世界だけれど、影は黒や灰色ではありません。
影を色として捉えれば、影は影にはなりません。
煤けて黒くなったようにしかならないのです。

デッサンで大切なのは、対象物の質感を表現すること、空間を表現することです。
対象物が持っている魅力を最大限引き出すことです。
そして、見たもの全てが主役ではありません。
抑えるところは抑えて、緊張感を持たせたいところは引き締めて、緩急付けることも忘れずに、全体の調和を考えて書かなくてはなりません。

影を描くことは大切です。
影が描けないと、光は描けないのです。
影を濃くしすぎると、全体の色調が黒ずんで、白い石膏像がグレーになってしまいます。
ですから、一番暗い箇所の色調の捉え方が大切です。
これに引きずられて、全体の色調や印象が変わってしまうからです。
常に光と影を意識して書くことを忘れないでください。
また、細部にばかり拘っていると、全体像が見えなくなってしまいます。
細部への拘りを捨てては、デッサンは完成しませんが、初めから細部ばかりを見ていては、継ぎ接ぎをしたパッチワークのような、統一感のない仕上がりになってしまいます。

影も均一に暗いわけではありません。
貴方はデッサンを今、学習中なのだから、石膏像を描いたことがあると思いますが、人物像であれば顎の下に「反射光」があるのをみたことがありますよね?
影の中に、うっすらと光が筋になって見えるのが「それ」です。

私が主に勉強したのは木炭デッサンですが、木炭デッサンでは、対象物を先ず大きく捉えて構図を決めます。
構図が決まったら、影を大まかに書き入れます。
そして、ガーゼで影になる部分に乗せた木炭を擦ります。
一度擦ると、影に透明感が出て、影が引っ込みます。
唯、木炭を乗せただけだと、ザラザラとした質感にしかなりませんが、ガーゼで擦ると、ツルっとした質感になります。
そして、そこに木炭を乗せると、より、濃い影になります。
それに親指の腹を乗せて、木炭を払っていくと、反射光を描くことが出来ます。
デッサンしていると木炭や鉛筆だけではなく、練りケシやパン、ガーゼ、手の平、指先と、総動員して描くので、紙という平面上に立体を生み出すような面白さがあります。

デッサンの奥深さは、描きながら直に手に触れて創作しているような感覚が生まれることだと思います。
輪郭が唯の線ではなくて、その先に回り込んだ像がまだ続いているのを表現したり、足だとか瓶だとか、直接床や台に触れている部分の底や裏側を感じさせるように描いたり…。

確かに行き詰まっているときは辛いけれど、絵を続けていると、ある日ある時ある瞬間、すこーんと抜けたような開放感に包まれるときが必ずやってきます。
絵を習っていると、先に育つのは目の方で技術の方が付いてくるのは遅いけれど、技術が追いついてくると、とても楽しいんです。
今迄の苦しみは、この瞬間の為にあったのだと、パズルが解けたような喜びに包まれる瞬間が必ずあるのです。


一度鍛えた目は、そう簡単に衰えはしないけれど、やはり、絵は日々続けて描いていないと腕の方が鈍ってしまいます。
絵どころか、文字も碌に書かなくなった今、私は自分の名前すら書くのが下手になったなと感じることがあります。

ですから、辛くとも毎日一時間(出来れば一時間半)はデッサンに向かって欲しいと思います。
手が鈍るのは本当に早いものだからです。
私は十代の終わりに外科と内科の病気になり、二ヶ月入院したことがありますが、入院生活1ヶ月を切ったとき、余所の病院で検査を受けることになり、書類に自分で名前を書かねばならなかったのですが、手が震えて下手な字しか書けませんでした。
手は何処も悪くなかったのにです。
体力が落ちていた所為もありますが、ペンすら握らぬ日々を送っていたので指先の衰えが顕著に表れたのです。
その時は、本気でゾッとしました。
あの時は、退院したら体力だけではなく、手の方のリハビリを頑張らなければと思いました。


絵を沢山書くことも大切だけれど、良い絵を沢山観ることも大切です。
自分の絵しか見ていないと、自分の癖や物の見方しか解りません。
けれど、画家のように自分よりずっとレベルが上の人の絵を見ると、創意工夫が見て取れて、良いお手本になります。
画集だけではなくて、生の絵を沢山観て学んで欲しいと思います。
画家の情熱も、一緒に感じ取って欲しいと思います。
画塾でも、良いデッサンを描く人の技術を羨むだけではなく、学んで欲しいと思います。
側で観ているだけでも勉強になるはずです。

絵を学ぶ機会もチャンスも、そこかしこに溢れています。
学びたい気持ちと創意工夫があれば、苦手意識は必ず克服出来ます。
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この回答へのお礼

詳しく教えて頂き、本当にありがとうございます。

私の友達もデッサンが上手くなりはじめてからとても楽しそうなんです。私もデッサンを楽しみたいし、「紙の中に手が入って行くような感覚」も感じてみたいです。
だから毎日辛くともデッサンをしようと思います。
ありがとうございました。

必ず苦手意識を克服します。

お礼日時:2010/02/08 19:19

No.1 さんの「目ばかり肥えて、自分も最高のデッサンが出来ると思いこんでる」は的を射てると思います。


絵に限りませんが、一流の、あるいは先達の優れた作品をたくさん見ることで、あなたの目は十分肥えてしまってます。
「自分の思い描いているデッサンのレベルに達せなくて」ってことは、その眼力に適う結果になっていないってことですから。

他の人の優れた作品と比べるのは対等の結果になったかどうかではなく、どこが欠けているのかを探るためです。
今できていないのはどこかを探すこと、結果に至るプロセスの中で、現在のレベルがどの辺りなのかを確認するために比較する。だから、技術レベルの低い方とも比べる必要はあるんですよ。ここでの質問でもしばしば「コツ」を尋ねる人を見ますが、短絡的に結果のみを欲しがっているように、私には思えます。飛び級は才能のある人とか、天才のやることでしょ?

結果を出すことしか考えないのではダメで、現状を把握して問題点を探し出し、解決策を考え、問題点を克服していくことが今最も重要なことではないでしょうか。それは芸術のみならず、どんなことであっても同じだと思います。

つまり、それが「努力」というものだと考えます。

ただ、報われないこともしばしばあり‥‥‥‥無駄ではないと、個人的には思いたいですねぇ‥‥。
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この回答へのお礼

そうですね、その通りだと思います。
逃げてばかりいないで現状をしっかり把握して努力していこうと思います。

ありがとうございました。

お礼日時:2010/02/08 18:57

色々なものが複合的に絡んでるので箇条書きに。



芸術が好きなのは良い事です。
下手でも画を描くのは良い事です。
ならば、上手に描けない事は悪ではありません。

辛い思いをするために絵を描いてるのではないでしょう。
好きで絵を描いてるならば、何を苦しむ必要が?
好きだからって上手く書かなきゃいけない訳ではない筈です。
上手く描く事を義務として捉え、脅迫概念として考えられてるのでしょうか?

芸術が好きなら好きな分野で続ければいい。
けども、芸術学校への入学とは別の話。
そう、芸術学校に合格するのと、芸術が好きなのとは別の話です。

貴方からは学校に手段を選ばずに入りたいと感じ取れます。
デッサン無しで入学できるものならしたい、と。
その時点で既に間違っています。
デッサン無しで入学できる学校が、仮にあったとしても…

「デッサンも無い?そんな学校は信用できないから絶対に行かない」

そう思う人間が美術学校に入学出来るのです。
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この回答へのお礼

小さい頃賞を頂いたり、子供図画工作教室の先生方にも両親にも誉められていたから「自分は絵が上手いんだ」と思いこんでしまっていたので、下手なことを認めたくなかったのです。
私には絵以外で抜きんでて誉められる様なことがなかったので…

そうですね、辛いから逃げたいと思っていました。
でも芸術大学に進学したいと思うのなら、逃げていてはだめですね。

本当にありがとうございました。少しずつでも頑張ります。

お礼日時:2010/02/08 18:39

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