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3度のNWAタイトル防衛失敗の理由は
ジャイアント馬場選手は、当時世界最高峰と言われていたNWA世界ヘビー級のベルトを3度も腰に巻いているそうですね。
3度とも日本で奪取しているそうですが、いずれも、シーズンの最初の方でベルトを奪い、シーズン終了間際に前チャンピオンにベルトを奪われているようです。ようするにいずれも元のチャンピオンは、ベルトを巻いて来日してベルトを巻いて帰国しているということです。
馬場選手は3度とも、チャンピオンとして気負い過ぎて防衛に失敗したのでしょうかね。世界最高峰のベルトを日本に定着させなければという強い使命感に押しつぶされてしまったのでしょうかね。馬場選手の真面目で責任感の強い性格があだになってしまったというところでしょうか?
タイトルマッチに限らず、プロレスは大抵は事前に勝敗が決
まってます。
当時は、NWA、WWF、AWAの順で勢力があったと思いま
すが、ジャンボ鶴田がAWAのベルトを日本で奪った時は、
前チャンピオンのニック・ボックウィンクルは丸腰で帰国して
ます。
またベルトを巻いて帰国させたのでは、さすがにどんなアホ
なファンでも疑いの目を向けるだろうと馬場は読んだのでし
ょう(笑)
そこで当時のAWA会長のバーン・ガニアと相談して、演出を
考えたわけです。
鶴田は後にチャンピオンとして渡米して、ひと月近くのサーキ
ットで、数回の防衛戦を成功させました。
そして予定通り、帰国間際にリック・マーテルに負けて、ベル
トを置いて帰国してます(笑)
プロレスなんて、そんなもんですよ(笑)
プロレスが基本的にショー事業的要素のある格闘技でもあるとの前提にてコメントします。
ジャイアント馬場は強いレスラーであるとともに優秀なプロモーターです。特にNWA・AWAにおいて日本で最も認められたプロモーターでしょう。
NWAはアメリカにあるプロレス協会ですので、どうしても当該チャンピオンはアメリカに常駐を余儀なくされるでしょう。もし、ジャイアント馬場が当時アメリカに常駐できるプロレスラーであれば、それなりの期間チャンピオンであったかもしれません。
1974年12月2日ジャック・ブリスコよりNWAチャンピオン奪取(鹿児島県立体育館)。1974年12月5日ジャック・ブリスコに敗れ防衛失敗。
1979年10月31日ハリー・レイスよりNWAチャンピオン奪取(愛知県立体育館)。1979年11月7日ハリー・レイスに敗れ防衛失敗。
1980年9月4日ハリー・レイスよりNWAチャンピオン奪取(佐賀スポーツセンター)。1980年9月10日ハリー・レイスに敗れ防衛失敗。
現在のNWAチャンピオンは世界最高峰王者の位置付けではないようです。ローカル協会のマイナータイトルのようです。
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