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持病=天罰?

分かりにくいタイトルですが、私の知り合いに「てんかん」という持病を抱えた人がいます。
知り合いいわく、発症したのが中学生でした。

私も、ポケモンの一件でこの病気を知ったのですが、その知り合いが最近、この病気になったことを「私(知り合いのこと)に天罰が下ったんだ」と言っています。

病気になったことで「こんな体にして・・・」などと、親を責めているかどうかは知りませんが、だからと言って「天罰」と軽々しく言えるのが不思議ですし、傍目から見てもいい気分はしません。
(特にその知り合いは宗教に入っているとかはありません)

持病といいますと、他にもいろんな種類があって、「持病がある人=特別な人」とは思えないし、「持病だから」と特別扱いをしてはいけないことは、特に、教師や親など持病を抱えた子どもと接する人なら余計のこと思うかもしれません。

持病を抱えた人や、身近に持病を抱えた人がいる人(例えば持病を持った子どもの親など)にお聞きしたいのですが、それを「天罰が下った」と思いますか?

A 回答 (8件)

天罰だとは全く思っていません。


そういう風に重たーく考えていたら、受診だの服薬だの検査だのやってられません(笑)

人それぞれ体質や傾向があって、病気の症状はそれが表に出ただけだと思っています。
人によってそれがてんかんだったり鬱だったり糖尿だったり癌だったりするだけで、種類や程度に違いがあれど、
みんなそれぞれ苦しいことには何の変わりもありません。
病院で待ち時間に人間ウォッチングしているとしばしばそう感じます。

今でこそこうやって開き直って生きてますが、本当に症状が重かった頃は今とは考え方が違いました。
周りがみんな青春を楽しんでいる中で自分一人病気で何もかもがうまくいかず、
ひたすら「自分の何が悪かったんだ」と思っていたので、もしかしたら自分の中で「天罰」に近かったかもしれません。

自分一人で抱え込むと病気に限らず、あらゆる問題は実際以上に重く感じられるものです。
それこそ「天罰」だとか、この世で自分ひとり苦しんでるんだ!などと周りから見ればおかしな思い込みにハマりかねません。
おっしゃる通り「持病がある人=特別な人」ではないのですが、一人で悩んでる本人にすれば自分自身が特別な人ですからね。周りが見えなくなります。

それに気付けるかどうかで、変わってくるのではないでしょうか。
そのお知り合いの方は中学生の頃に発症したとのことなので、その年代なら辛さを共有してくれる人が周りにおらず、辛い思いをしたりして孤独を抱えてきたのかもしれません。
周りが病気のことを傍目から配慮して気遣ってあげていますよという態度で接し続ければ、その方は天罰とまでの過剰な思い込みを変えてくれるかもしれません。
あまりに繰り返し言うのであれば「そこまで思い詰めることないんじゃないの、○○さんが苦しいだけだと思うよ」とか言って否定してしまっていいと思います。
また、本人がその気になって探せば患者会や自助グループは沢山あるので、進めてみるのもいいかも。
そういうコミュニティに属することで自分が一人でないことに気付き、考えを変えて病気との付き合い方を見直す大きなきっかけになると思います。
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自宅療養中の「当事者」です。


わたしにとって、自分の病気は、鏡です。
自分をよく見て、本質的な価値を見つけなさいと、教えられている気がします。

そもそも、天罰というものを、わたしは信じません。
全ての出来事を通して、人は、一生学ぶものを得ていて、失い奪われていると思っているうちは、まだ、その人が学ぶ心の準備をしている途中なのだと思います。
周囲が、根気よく見守る他にないのでは?
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確かな記憶ではありませんが 癲癇の大作家も居ましたね


子供頃の発症原因は遺伝や生活慣習まで子本人だけの問題ではないと思う
戦争から傷病兵で帰還しその病をうつされたり 地域性の食物が原因なぞもそうだ
糖尿病や高血圧症又心臓疾患や脳梗塞の系統は周囲を見ると確かにあります
良悪癖併せて持たされ世に送り出されて 後は生老病死自己の問題かと思う
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私は治る見込みが無い持病が3つあります。


遺伝子の問題だと思っています。
病気が他の血縁者ではなく自分に発症したのは確率の問題。
そして、ある意味では不運かなと。

病気の症状が思わしくないときは、くじけてしまって、「健康なきょうだいや親戚からしたら、自分は不運だなあ・・・」と、思うことも正直ありますが、口に出すことはありません。
弱気なときは不運と思うこともあるけど、天罰とは思ったことがありません。

でも、その子はちょっと、自分の状況にくじけているのかもしれませんよ。
「天罰」って、聞こえはよくなくて、軽々しく口にするものじゃないという考えを持つ方もいるかもしれませんが、その子にしたら、自分だけに下された罰(病気)ということで、両親のせいとかではなく、ただ、どうにもならないし、はけ口もなくて、そういう言い方をしてしまってるのかも知れません。

いずれにしても自分で乗り越えるしかない心の持ち方ですが。
持病は種類によっては特別ではないかも知れません。しかし、全くの健康でも、普通でもないのは事実です。
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やー、そーだねー。

私も持病持ちだけどねー。他人が、病気持ちの人を「天罰だ」とゆーのは、これは許されないと思うですよー。あなたがいってること(軽々しくいうのはいい気分がしない、特別扱いはいけない、とかね)は、そーゆーことと思いますよー。つまり、「他人が、病気の人に対してそんなふうにいうのはいけない」って。

でもねー、本人がそーゆーのは、これは逆に他人が「そんなこといってはいけない」っていえるよーな性質のものじゃないと思うですよー。その人が「自分に天罰が下ったんだ」ってゆーのは、それは本当に天罰が下ったと思ってるってことじゃなくて、「それだけつらい、苦しいんだ」ってことなんだと思いますよー。

例えば、末期癌とかで猛烈な苦しみで苦しんで、「死んだほうがマシだ。いっそ殺してくれ」とかいうときに、「死んだ方がマシなんてことを軽々しくいうのは気分が悪い。末期癌だからって特別扱いすべきじゃない」なんて、いわないでしょー? まーこれは極端だけどさー、つらいとき、苦しい時に、つい、普通の人がいうべきじゃないことを口走るってこと、誰しもあるじゃないですかー。

私はねー、この世に「いってはならない言葉」なんてないと思うのさー。ただ、その言葉が、その言葉の重みに見合うだけの状況で発せられたものかどうか、それが大事なんであって、言葉そのものを「これはOK、これはダメ」と峻別すべきじゃないと思うのさー。

もしその人が、本当につらい心根を吐露するのにそういう言葉、そういう表現を使うしかなかったというならね、それは本人以外の誰かが非難したりできる類のものではないんと違うかなー。私はねー、持病持ちだけど、普段は全然なんの問題もないから、そんなふうなこと考えたこともないですよー。でもねー、歳をとって、子どもも独り立ちしていなくなって、発作でも起こって土壇場の苦しみの中でも、絶対にそうは思わない!と断言出来るかといったら、できないなー。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

もちろん、他人が持病のある人に対して「あなたの持病は天罰ですね」なんという言葉を言うことはもってのほかと思います。

が、しかし、本人が「これは天罰なんだ」と他人にいうのは、気持ちは分かりますが、せっかくの人生を暗くさせてしまっていると思うのですね。

好きでなったわけではないので「天罰か」と思い込む気持ちもわからんでもないですが、「天罰天罰」とわめいて治るわけでもないし、「病気が悪化したら困る」とひっそりと暗くおとなしく生活してしまいがちかと思いますが、病気だからこそ明るく生きて欲しいと思うのです。

持病のない人からのそのような言葉をきれいごとと思ってしまうかもしれませんが・・・

それから、厳しい言い方をしますが、回答の言葉遣いで、語尾を延ばしている箇所が多すぎ、読みにくく思いました。

お礼日時:2010/04/20 16:40

持病=天罰だとすれば"親の因果が子に報い"みたいな感じだと思います。


だってそうでしょ?物心つかないうちに発症した子供に天罰だなんてありえない。
私は2歳半で喘息になりましたが、天罰だなんて言われても私がいったい何をしたっていうの?と思います。
天罰であろうがなかろうがどうでもいいと思いますけどね。
心臓が弱い、気管支が弱いなどは遺伝が多いと思います。天罰って遺伝するんですか?末代まで祟ってやるってやつ?
それってもう天罰じゃなくて呪いっていうんじゃないんですか?(笑)

天罰だなんて言ってる人はただ自分に陶酔したいだけでしょう。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

好きで持病を持ったわけではないし、持病があることで人に迷惑がかかったかといえばそうとは言えないし、「隠して、ひっそり生きろ」とも思えません。
むしろ、持病の人こそあかるく生きて欲しいと思っていますからね。
天罰天罰とわめいて病気が治るわけでもないし・・・
だからこそ天罰なんだと、人前で話して悲劇のヒロインぶっている人が迷惑なんですよ。

お礼日時:2010/04/20 16:34

不治の持病を持っているものです。



単なる確率の問題だと思っています。

別に天罰が下ったと思っても構わないと思います。個人の自由かと。

人のせいにしたり、「あの時ああしてなければ」とか「こうしてれば」とか、どうしようも無いこと言っているよりましです。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
別に「天罰」と一人勝手に思うのは問題ないんですね。
ただ、何回も人前で「天罰なんだ」といい、暗くなっていても・・・
持病を抱えたのは事実ですし、治療はさておき、「天罰天罰」とわめいて治るわけでもない。

もちろん人のせいにするのはもってのほかだと思いますけどね。

お礼日時:2010/04/20 16:30

試練だと思っています。



生きていくことすべてにおいて修行だと思っています。

天罰ねぇ それほど天罰が下るほどの人間(うぬぼれという意味)でもない。

天罰という人は、自分を認められない病気を受け入れられない
病気と向き合えないのではないかな?
軽々しく言っているとは気がついてはいない。
自分は辛いのだから辛いのでしょう。
世の中にもっと辛い人がいるとも思わない自分の世界なのだと思います。
自分だけなぜ自分が、自分は自分はなのではないでしょうか。

なんでも出来た人間から見ればレベルの低い人間を見ては
そんな風に言うんなんて、軽々しい、大袈裟だ と思うけれど
レベルの低い人間はレベルが低いことも気がつかず、自分が精いっぱいで本人はそれなりに苦しんでいるのだと思います。

私も昔は悲劇のヒロインでした。
今でこそ、そんな昔の自分が恥ずかしく思うけれど
そういうころの自分と同じ人の気持ちもわからなくはない。
乗り越えられないということは本人が一番つらいことなのです。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。
修行・・・ですか。
私自身、自分もですが、他人に厳しいところがあるために、軽々しく「天罰だ」と言っている人を「悲劇のヒロインぶるな」と思っていたところもあり、その友人にも厳しい言葉を放したことがあります。

好きで持病を抱えたわけでもないんですが、要は「天罰なんだ」と自分の世界になりすぎているんでしょうね。

お礼日時:2010/04/20 16:27

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