dポイントプレゼントキャンペーン実施中!

「日本人の友人」と「日本の友人」について再度質問します。

 日本語を勉強中の中国人です。先日、私の作文に次のような表現がありました。「先日、日本人の友人から羊羹をいただいた」です。日本の方から、ここの「日本人の友人」を「日本の友人」にしたほうが良いという添削意見をいただきました。以前も「日本人の友人」と「日本の友人」についてこちらのサイトでご意見を伺ったことがありますが、どうもいまひとつよくわかりません。私は中国在住で、中国在住の日本人の友人から羊羹をいただきました。

 そこで、視点を変えようと思い、またお尋ねいたします。皆様は次の意味を表す時に、どのように表現されるのでしょうか。たとえば、皆様は日本在住で、日本在住の中国人の友人からお茶をもらったとします。「先日、中国人の友人からお茶をいただいた」に違和感があるでしょうか。それとも「先日、中国の友人からお茶をいただいた」なのでしょうか。それともほかの言い方をお使いになるでしょうか。

 ちょっと神経質になりました。どなたか私の疑問を解いていただけないでしょうか。

 また、質問文に不自然な表現がありましたら、それも教えていただければ幸いです。よろしくお願いいたします。

A 回答 (11件中1~10件)

1.


「日本の友人」は「日本国籍を持つ友人(=日本人)」という意味になるでしょう。
よほどグローバルな生活圏をお持ちの方であれば別でしょうが、「日本にいる外国籍の友人」に対して「日本の友人」という表現はしないように思います。
(たとえば、私の友人が中国に留学したとしても、「中国の友人」とは言わないはずです)

awayuki_cn さんの日本人の友人が、中国に住んでいても、日本に住んでいても、アメリカに住んでいても「日本の友人」と言うことができます。
このように、「日本の友人」は【国籍に着目した表現】なので、「現在の居住国は未確定」です。
しかし、日本国籍を持つ人の殆んどは日本に居住しているので、「日本の友人」と言えば「日本に住んでいる日本人の友人」を聞き手は思い浮かべます。
ですから、その友人が「日本人であること」以外に、『「現在の(日本以外の)居住国」も確定したほうが良いシチュエーション』においては、何らかの対応が必要になります。(後述します)

2.
「日本の友人」が【国籍に着目した表現】であるのに対して、
「日本人の友人」は【民族に着目した表現】と言えるように思います。
【民族に着目した表現】には、「現在の居住国については不問」という意図が込められているのではないでしょうか。
「未確定」対「不問」です。
つまり、「日本人の友人」と言う場合、(居住国については不問ですから)「居住国について言及する必要性が低い」という意図がそこにあるでしょう。
なぜこのような意図を持つ表現(=日本人の友人)が適用されたのかというと、2つの側面から考えられると思います。

まず、
「友人というものは身近な存在である」という一般的認識。
次に、
「作者が中国に居住する中国人であることを読者はすでに知っている、という前提」
です。
つまり、このようなシチュエーションにおいては、
『「友人とは本来身近な存在であるから、特に居住国(生活圏)に言及しない表現を選択したことで、この友人も(作者と同様に)中国に居住しているのだろう」
という判断を読者はしてくれるはずだ。』
という無意識的判断を作者に対して可能にするように思うわけです。
  
3.
このように、「日本人の友人」は、「中国に居住する日本人の友人」の実に簡潔で正しい表現ではないか、というのが私の見解です。

1,2の内容に則ってさらに述べるならば、
「先日、日本人の友人から羊羹をいただいた」は、【基本的には】注釈の必要性が低い。
しかし、
「先日、日本の友人から羊羹をいただいた」は、
「先日、中国に[ 留学中の / 仕事で来ている / いる ]日本の友人から~」のように、居住国がわかるような補足が必要になる。
と思われます。
1でも述べましたが、、「現在の居住国は未確定」という前提に立った表現なので、「確定させる必要性」が生じてしまうわけです。

尤も、理屈でこのようになるとは思いますが、その差異は微妙です。
上の例のように補足的文にするほうがわかりやすいとは思います。
「先日、日本人の友人から羊羹をいただいた。彼は3年前から仕事で中国に来ている」などのように一文として独立させても幅が出るでしょう。

しかし、前の質問などで他の方も触れておられたと思いますが、必要の無い場合(居住国=生活圏)を明確にする必要性はありません。
今回の場合は、「日本的な絵や文字の描かれた贈り物をもらった」ということが作文の基調でしょうから、その意味で「日本人(という民族)からもらった」という表現は適切で、且つ、十分本来の目的は達成されていると(あくまで個人的、独断的見解ですが)私は思います。

逆に、何気ない世間話などの場合は、
「先日、日本の友人と話していたら~」などとするほうが良いでしょう。
「先日、日本人の友人と話していたら~」でも間違いではありませんが、民族に着目する必要が特に無い場合は、#6さんご指摘のような意味でも避けられるほうが望ましいでしょう。
ただ、必要な場合は「~の~の~の」の連続が止むを得ない場合もあるのと同様に、たとえ語感が悪くても使って構いません。
(居住国なり国籍なりを明確にしたい場合は)欲張って一文に詰め込まず、2文程度に分割すると作文全体の幅も出るのではないか、というのが総合的な感想です。

添削については後ほど投稿いたします。
     

この回答への補足

>「先日、日本人の友人から羊羹をいただいた。彼は3年前から仕事で中国に来ている」などのように一文として独立させても幅が出るでしょう。
>(居住国なり国籍なりを明確にしたい場合は)欲張って一文に詰め込まず、2文程度に分割すると作文全体の幅も出るのではないか、というのが総合的な感想です。

上記の2文の中の「幅が出る」という表現はどういう意味でしょうか。

補足日時:2010/05/01 14:13
    • good
    • 0
この回答へのお礼

 いつもご丁寧に教えていただきありがとうございます。詳しく分析してくださり、大変助かりました。とても参考になりました。ご回答文に一箇所意味がわからないところがありますが、教えていただけないでしょうか。質問文の添削もよろしくお願いいたします。

お礼日時:2010/05/01 14:25

#10です。



>>(ex)
洋服店で店員さんがお客さんに対して、
「この黄色のマフラーは違和感があるでしょうか。この赤いのはいかがでしょうか」

「いかがでしょうか」は「どうでしょうか」の尊敬語でしょうか。

これらの場合はどちらも「相手の意向を尋ねる用法」なので、そうなると思います。

少し補足があります。

>ある意味での「切迫感を伴なった疑問文」と言ってもいいかもしれません。
そのため、常にではありませんが、しばしば詰問調の印象を与えてしまう場合があります。
:と述べましたが、これはあまり深くお考えにならないでください。
理由は、
「切迫感を伴なった疑問文」になるのは、「違和感【が】ある【の】でしょうか」という「が」と「の」の組み合わせの場合が多いから。
つまり、「が」を使うと「強い疑問文」にはなるのは確かですが、「詰問調」の要素が含まれる場合と含まれない場合の違いが必ずしも明確とは言えないためです。

違和感はあるでしょうか<違和感はあるのでしょうか≒違和感があるでしょうか<違和感があるのでしょうか

という感じでしょうか。
混乱を招いたやもしれず、申し訳ありません。
  
    • good
    • 0
この回答へのお礼

 度々ありがとうございます。よくわかりました。大変わかりやすく説明してくださり、心から感謝いたします。

お礼日時:2010/05/01 19:56

#7です。


1、
>「先日、日本人の友人から羊羹をいただいた。彼は3年前から仕事で中国に来ている」などのように一文として独立させても幅が出るでしょう。
>(居住国なり国籍なりを明確にしたい場合は)欲張って一文に詰め込まず、2文程度に分割すると作文全体の幅も出るのではないか、というのが総合的な感想です。

上記の2文の中の「幅が出る」という表現はどういう意味でしょうか。

「作文全体に広がりや深みが出る」といったような意味で使いました。

「彼は3年前から仕事で中国に来ている」などという文を加えると、羊羹をくれた人に対する(国籍以外の)他の情報も読者は知ることができます。
仕事で来ているというのは羊羹とは何の関係もないことですが、作文全体から受ける印象の幅が広がります。

2、
> 「先日、中国人の友人からお茶をいただいた」に違和感があるでしょうか。それとも「先日、中国の友人からお茶をいただいた」なのでしょうか。それともほかの言い方をお使いになるでしょうか。
→ 「先日、中国人の友人からお茶をいただいた」に違和感【は】あるでしょうか。【】「先日、中国の友人からお茶をいただいた」【ではどうでしょうか】。それともほかの言い方をお使いになるでしょうか。

a.
「が」を使った疑問文は、「強い疑問文」と言えます。
ある意味での「切迫感を伴なった疑問文」と言ってもいいかもしれません。
そのため、常にではありませんが、しばしば詰問調の印象を与えてしまう場合があります。
「違和感【は】あるでしょうか」と主題提起すると、
「違和感についてお尋ねしますが(語りますが)~」という余裕のあるニュアンスになり、穏やかな疑問文という印象を与えることができます。

awayuki_cn さんが大好きなケーキを他の誰かが食べてしまった場合は、切迫感を持って、
「私のケーキが誰かに食べられてしまった」と日記に書くでしょう。
必要性のあるところでは、このように使うことができます。
「私のケーキは誰かに食べられてしまった」と書いても大きな違いはありませんが、悲壮感?は前者に比べて【明らかに少ない】と読者は感じるはずです。
特に気に入っていなかった安物の傘を誰かが持っていった場合なども、余裕を持って、
「私の傘は誰かに持っていかれた」と書くでしょう。
ただ、大雨の日に退社しようとしたら、持ってきた傘が無くなっていた。
というシチュエーションであれば切迫感が伴なうのが自然ですから、その場合は、いくら安物の傘であっても、日記に書く場合は、「私の傘が誰かに持っていかれた」となるのが自然です。
(awayuki_cn さんが安物の傘を持っていると言っているわけではありません)    

b.
「それとも」は、「そうではなくて。あるいは。もしくは。」という意味の接続詞です。
『それとも「先日、中国の友人からお茶をいただいた」なのでしょうか。』は前文とのつながりが不自然になります。
その意味で、この箇所の「それとも」は蛇足と言えます。
これを削除すると、「違和感が無いものとして思いついた文を以下に示しますが」という文頭の内容を省略した形の自然な文になります。
また、この文頭の意味を受けるために、【~(で)はどうでしょうか】という「(自らの)提案に対する意見を尋ねる際の表現」を使います。

(ex)
洋服店で店員さんがお客さんに対して、
「この黄色のマフラーは違和感があるでしょうか。この赤いのはいかがでしょうか」

<自然度:95%>
   

この回答への補足

>→ 「先日、中国人の友人からお茶をいただいた」に違和感【は】あるでしょうか。【】「先日、中国の友人からお茶をいただいた」【ではどうでしょうか】。それともほかの言い方をお使いになるでしょうか。

>また、この文頭の意味を受けるために、【~(で)はどうでしょうか】という「(自らの)提案に対する意見を尋ねる際の表現」を使います。

>(ex)
洋服店で店員さんがお客さんに対して、
「この黄色のマフラーは違和感があるでしょうか。この赤いのはいかがでしょうか」

「いかがでしょうか」は「どうでしょうか」の尊敬語でしょうか。

補足日時:2010/05/01 16:46
    • good
    • 0
この回答へのお礼

 再びありがとうございます。「幅が出る」の意味はよく理解できました。「が」と「は」の効果の違いもだいぶわかるようになりました。大変参考になりました。まだすっきりしていないところがありますが、もう一度教えていただけないでしょうか。

お礼日時:2010/05/01 16:55

>どなたか私の疑問を解いていただけないでしょうか。



こんにちは。 いつも『awayuki』さんの文章を楽しませて貰っています。 きっとあなたのファンは私一人ではないと思います。 あなたは文法的な誤謬が気になっておられますが、もうそんなレベルを遥かに超えた領域に達しておられますよ。

さて、本題に入ります。 状況はわかりました。 文法的には、既に他の方々もご指摘の通りです。 ここからはより文学的な表現として助言します。

『上海にお住まいの森さんから』と具体的に書く。 こうすることによって、あなたが中国人と日本人といった国境の壁を越えたお付き合いをなさっている。 この事が読者に伝わるのです。 文章には行間というものがあります。 単なる文章の表面上の意味だけでなく、そこに書かれていない幅広い背景までもが見えて来る。 それが大切なのです。

今日はあなたにご褒美をあげましょう。 中村汀女の俳句です。

中空に とまらんとする 落花かな (なかぞらに とまらんとする らっかかな)

桜の花びらが散る時はとても美しいものです。 花弁(はなびら)はひとつひとつは風に乗ってゆったりと漂いながら地面に落ちて来ます。 まるで止まっているかにも見えるのです。 その一瞬を詠った中村汀女さんの若い時の一句です。 
    • good
    • 0
この回答へのお礼

 IXTYSさん、こんにちは。いつも拙い文章を読んでいただきありがとうございます。「上海にお住まいの森さんから」という文学的な表現を教えていただき大変嬉しいです。とても参考になりました。今度使ってみます。中村汀女の俳句を贈っていただきありがとうございます。とても綺麗です。一枚の写真のようで、印象深く頭に残りました。私は今年初めて桜吹雪を見ました。とても美しかったです。来年また見たいです。私の日本語に不自然な表現が多いと思います。これからもよろしくお願いいたします。

お礼日時:2010/05/01 15:05

淡雪さん。

こんばんは。

正しいのは「日本人の友人」です。
「日本人の友人」でなくてはいけません。

ただ、
>「日本人の友人」
>→「日本の友人」
:と誤った添削をされてしまう理由は、

※淡雪さんの友人は、
 日本出身であり、
 現在中国に住んでいる。

という「前提」を、読者が知らないから、
だと思います。

誤読を防ぐために、
※の内容について、
簡単に触れておくとよいです。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

 瀬里香さん、こんにちは。こちらでもお目にかかることができて大変嬉しいです。ご意見はとても参考になりました。本当にありがとうございました。

お礼日時:2010/05/01 14:41

「日本人の友人」が不自然な理由は「くどい」からではないでしょうか。


次の2つの点で「日本人の友人」がくどいと思います。

1:見た目
2:発音

「日本人の友人」では「人」が2回出てきます。
そのために、見た目で少しくどく感じます。
「日本の友人」の方がくどく感じません。
文章においては出来るだけ同じ文字は避けた方が良いです。

また、読みの「にほんじんのゆうじん」の発音では「じん」が2回続いています。
「じ」などのように「゛」が含まれる単語はやや「強い」印象を与えます。
逆に「゛」が含まれない単語は優しい印象を与えます。
「美しい」と「優美」では「美しい」の方がやわらかい表現と思いませんか?
どちらかというと私は「優美」の方が「強い」印象に感じます。

ところで、日本語には「大丈夫」という言葉があります。
この単語は「だいじょうぶ」と「゛」が3つも含まれています。
と、なると「強い」印象があります。
たとえば私が人を励ますときに「大丈夫」と言えば本当に大丈夫という気がしてきます。
それは「強い」表現だからです。

質問者様の場合は「激しさ」を強調しない文章で使うから不自然になるのではないでしょうか。
基本的に文章では激しさをあまり強調しません。
と、いうのも「激しい」のは疲れるからです。
運動と同じかと思います。
激しい運動ほど疲れます。

普通は文章をより「気楽」に読みたいものです。
小説などでは「わざと」激しくする場合もあるのですが……。


ところで私でしたら「先日、中国の方からお茶を頂いた」というところでしょうか。
日本でも出身地が違う人が多くいます。
私の場合で恐縮ですが、アメリカ人、カナダ人、フィリピン人など様々な国を故郷に持っている友達がいます。
ですので「実際に言うとしたら」、「この前、友達からお茶をもらったんだ」というところでしょう。
つまり、現代日本では様々な国の人がいるわけなので、私は「中国人」と言いません。
逆に「中国人」という時には「中国人」を強調する時のみです。
たとえば「そのお茶、日本では見かけないね。誰にもらったの?」と聞かれた場合は、
「ああ、中国の方からだよ。」と言います。
ちなみに「中国の方」は「ちゅうごくのかた」と読みます。
「ちゅうごくのほう」と読むと「場所」という意味になるからです。
また、ここで「中国人」と言わないのは訳があります。
「中国人」より「中国の方」や「中国出身の人」の方が柔らかい表現だからです。

質問文に不自然な表現を見つけました。

「私の作文」
●作文……「文章を作ること。また、作った文章。」
●引用:例解小学国語辞典、三省堂、416項
○作文は「作る」という意味も含まれています。
ので、「私の作文」では「私の文章を作ること。」とも解釈できます。
この場合は
「私の文章」の方が自然という気がします。
●文章……「文字を使って、まとまった考えを書き表したもの。特に、いくつかの文が集まったものを言う。文。」
●引用:例解小学国語辞典、三省堂、954項

これで疑問が解ければ嬉しいです。
私自身「友達達」と「友人達」の違いが回答していてハッキリと分かりました。
私も勉強になりました。
ありがとうございました。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

 いつもご親切に教えていただきありがとうございます。「日本人の友人」が不自然な理由はよくわかりました。納得できました。また、「゛」が含まれる単語はやや「強い」印象を与えるという知識もとても助かりました。私のIDに「゛」が一つもないので、ちょっとラッキーです^^。質問文の添削に感謝いたします。これから気をつけます。柔らかい言い方をたくさん教えてくださり、大変嬉しいです。本当にありがとうございました。

お礼日時:2010/05/01 12:55

日本在住の日本人が日本在住の中国人の友人・・・。


「先日中国人の友人からお茶をいただいた。」で違和感はありません。
 
 友人の場合もらった。でもいいと思います


「先日中国の友人からお茶をいただいた。」になると中国在住の中国人の友人から日本在住の
私にお茶が届けられた。とイメージします。または中国在住の日本人の友達からともうけとれます。

回答者の方々はあなたが日本の風物や行事すべてに精通して、文章もレベルが高く流暢なので
日本に住んでいらっしゃると、私も含め思われたのではないでしょうか。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

 ご丁寧に教えていただきありがとうございます。イメージはよくつかめました。大変参考になりました。本当にありがとうございました。日本語はまだまだです。わからないことがたくさんありますし、不自然なところも多いと思います。頑張ります。

お礼日時:2010/05/01 12:42

その添削意見の背景がわかりませんので、一般的な解釈を。



・「日本人の友人から」という場合には
1)日本に住んでいる日本人の友人からという状況
2)日本以外、たとえば中国に留学している日本人の友人からという状況
が考えられ、1ならはるばる送ってもらった大きな出来事に思えますし
今回の様に2の場合なら、普段のお付き合いの中でお菓子を頂いたという日常の出来事に思えます

一方
・「日本の友人から」という場合には、
3)日本に住む日本人の友人からという状況
4)日本に留学している、日本人ではない例えば中国人の友人からという状況
が考えられます。

結局1と3は同じ意味合いですから、二つの表現に決定的な違いはないと思います。
また、あなたやあなたの友人について予備知識がなければ、1・3の意味に採る場合がほとんどですよね。

お茶の事例でも、話す相手が私やその友人を知っている人でも無い限り
『先日、日本に住む(留学している、就職している)、中国人の友人からお茶を頂いた』と
するのが、誤解を避ける方法と思います。

実は、最近中国語をほんの少し勉強しています。
簡単な日本語を中国語に言い換えるのにも、色々な表現が有って戸惑いますが
一人旅出来るレベルが目標ですから『日常の会話である程度意味が伝わればOK!』と
自分に勝手に言い聞かせています。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

 ご丁寧に教えていただきありがとうございます。よくわかりました。大変参考になりました。本当にありがとうございました。こちらで一人旅するなら、漢字を見せれば、だいたい通じてくれると思います。でも、中国人とコミュニケーションができると、面白いことですね。中国語の勉強を応援しています。中国へようこそ^^。

お礼日時:2010/05/01 12:32

>中国在住で、中国在住の日本人の友人から羊羹をいただきました。



この場合、わたしでしたら、
「日本人の友人から羊羹をいただいた」
とします。

「日本の友人から・・」
とすると、「日本に住んでいる人」が送ってくれた、というニュアンスがあります。日本に住んでるならたいていは日本人だろうとは推測できますが、日本に住んでいる中国人や他国人が送ってくれた場合に、このような言い方をしても、間違いとはいえません。なので、どんな人が送ってくれたのかということについて誤解させる可能性があり、どちらかというと、ふさわしくない使い方だと思います。
逆に、「日本人の友人から・・」とする場合には、どこの国にいる日本人かはこの文だけからは推測できませんが、少なくとも羊羹をくれた人の国籍について、誤解を与えることはないと思います。

>日本在住の中国人の友人からお茶をもらった

この場合も同じことで、
「中国人の友人からお茶をいただいた」
のほうがよいと思います。

私は日本人ですが、質問者さんの日本語は正しいと思います。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

 ご親切に教えていただきありがとうございます。わかるようになりました。とても参考になりました。本当にありがとうございました。

お礼日時:2010/05/01 11:53

普通は、「日本の友達から」というと「日本に住んでいる友達から」という意味になります。

ですから、中国に住んでいる日本人が日本から送られてきた羊羹を中国に住んでいる中国人のあなたにプレゼントした場合は「日本人の友達から羊羹をもらった」とします。
私からすると、その日本人の友人は日本語の使い方を間違っていると思います。
「日本の友達」とした場合、日本に住んでいれば外国人でも良いと言うことになります。
ですから日本に住むアメリカ人の友達からであっても中国にいるあなたにプレゼントしたなら、「日本の友達」で良いと思います。
「日本の」と言った場合には、シチュエーションによっては、「日本国」という場所の意味と「日本人」
という国籍の意味と2種類があり使い分けないと日本人にはおかしく感じますよ。
どちらに重きを置くかです。くれた人の国籍を重視するなら「日本人の」、住んでいる場所を重視するなら「日本の」です。中国に住んでいる日本人からなら「日本の」ではおかしく感じるのです。

ただし、「日本の」とした場合は絶対ダメと言うのではなく違和感を感じるのです。私なら日本に住んでる誰か(国籍はどこでも良い)と勘違いします。

ですから、質問の答えとしては
「中国人の友達からお茶をいただいた」は全く違和感ないです。
こう言う場合、その中国人は中国在住でも、日本在住でも通用します。中国人という国籍が需要であってどこに住んでいる人かは問題ないのです。

ただし、私は日本人であり、話している相手が日本人でもお茶をくれた人が日本人という全員が日本人という状況なら「日本人の友達からお茶をいただいた」はとは絶対言いません。「友達からお茶を頂いた」と言います。私も相手も、くれた人も日本人で、場所も日本にいる日本はいりません。
ただ、当事者のうち一人でも他国の人が絡んでくる場合だけ、日本とか日本人とか言います。

何度も書くようですが、その日本人の友人は日本語の感覚がちょっと変です。
貴方の方が合っていると思います。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

 早速のご回答ありがとうございます。大変参考になりました。本当にありがとうございました。

お礼日時:2010/05/01 11:46

お探しのQ&Aが見つからない時は、教えて!gooで質問しましょう!