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何もしないよりは、悪いことでもしたほうがましでしょうか。

何の役にも立たない人間より、社会に悪影響を与えている人間の方がましでしょうか。

後者がましと思う方は、何もしないよりは何かした方が魂の成長につながるからなどの理由でしょうか、

A 回答 (15件中11~15件)

「何もしないよりは、悪いことでもしたほうがまし」と思ったところで、善悪がわかる以上 悪いことだと思うことをしたら苦しむのはやらなくてもわかっていますよね。



マフィアとキリスト教はツイン。
マフィアのボスが死ぬとき、バチカンの幹部がすっとんで洗礼をしに行く。
洗礼をすれば全部チャラになるというキリスト教の教えをマフィアは信じているからです。
マフィアほどキリスト教の言うことを素直に信じている集団は無い。

マフィアが悪事をやって稼いだお金はキリスト教がマネーロンダリングをして洗浄している。
それが90年代に発覚してヨーロッパを震撼させた。

ちゃんと善悪の区別がつく知能を持っている。
勢力が落ちると島を奪われファミリーが縮小しては困るので、あらゆる手を使って勢力を伸ばすわけです。

麻薬だとか殺人だとかで稼いだお金ですから、通常のルートにそう流せない。
それで、キリスト教を通してお金を浄化する。
キリスト教がマフィアの運営する関連会社の株を買うことで洗浄してきたわけです。

マフィアの株を買ったらそれだけマフィアの商売が拡大するじゃないか?
そうですよ。 
天使と悪魔で、片方で麻薬を与え、片方で与えた麻薬で中毒になった人に情けをかける。
供給して需要を作る。
不幸を作り出すことで、必要とされるようになる。


無いもしないと変化が無いので、変化を起こすために何かした方がいいと思うのかというと、仏教では不動が一番とされた。
変化することを苦だとした。
健康な人が病気になることも変化するから苦。
健康に生きてもいずれ死ぬという変化をするので苦。

じゃあ 何もしないでいればいい。
そうはいかないですよね。
火の手が迫ってきたら動かずにはおられない。
自分が動いたせいで、他の人を突き飛ばす形になるかもしれないが、それでも動かずにはおられない。


新世紀エヴァンゲリオンでシンジは、、
「ヒトを傷つけてまで、殺してまでエヴァに乗るなんて、そんな資格ないんだ。 僕はエヴァに乗るしかないと思ってた。 でも、そんなのゴマかしだ。何も判ってない僕にはエヴァに乗る価値もない。僕には何もない。アスカにひどいことしたんだ。カヲル君も殺してしまった。 優しさのかけらもない、ズルくて臆病なだけだ。僕にはヒトを傷つけることしかできないんだ。 だったら何も・・・何もしないほうがいい!」

それに対してミサトは「同情なんてしないわよ。 自分が傷つくのがイヤだったら、なにもせず死になさい。」と言った。

さらに「今の自分が絶対じゃないわ。 後で間違いに気付き、後悔する。 私はその繰り返しだった。ぬか喜びと自己嫌悪を重ねるだけ。 でも、その度に前進できた気がする。」


「いい、シンジ君。もう一度エヴァに乗ってケリをつけなさい。エヴァに乗ってた自分に。何の為にここにいるのか、今の自分に答を見つけなさい。」

エヴァーに乗るってのは例えるなら人生をやるってこと。
失敗し人を傷つけていたと気づいて自暴自棄になっても、人はまた立ち上がり善に向かって歩き出す。

キリスト教も内部腐敗を洗浄して、なんとか信者の期待する善の集団になろうと努力しているはずです。
それでも火の手、前回は破産でしたけど、が迫ったとき また悪に手を染めるとは思いますが。
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何もしない=不作為


悪いことをする=作為
いずれも、犯罪的行為であれば、処罰されます。どちらかがマシということはありません。
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魂の成長か~~。


断食でもしてみたら?
悪いことするよりは、いいと思いますよ。

じっと耐えるのも成長だと思うのですが。
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 よい、或いは完全に何とか目指したい、という思いから行っても完全にならないことはあり、完全なことも人間界では完全ということはありえない。

(完全な行為はありえない。しかし何もしない事は最大の誤りである、なんて中学のときに友人と語ってくれました。70半ばの今も彼は民衆の哲学者たるべく、巡礼しております)
 それでも何もしない事に数倍もいい。何もしない事は最大の誤りだ。
 という思考はありえます。
 (なお私たちインドの哲学を精進しているものは無行為を理想としています。自己のために何も求めない行為のことです)

 更に、一定の思考や思考の経過の中で、意識を持って悪をするということもありえます。
 漫然たる生き方でのみんなと同じ悪ではありません。

 人間の生きかたには、サトヴィック、ラジャス、そしてタマスというパターン分類がかのとされています。
 デヴァナガリがでないので、多少発音が不都合かもしれません。
 普通人間の意識でいい子ちゃんの、発心的行為をサットヴァ、活動的・エネルギッシュな行為をラジャス、もさっと泥のような生活をタマスといいますが、タマスにおける呼吸や鼓動、生物的生理、感覚や欲望も行為といいます。ですからタマスもこういしております。
 人間は行為しないことはありえない。行為を超越するのが私たちの精進修行ですが。
 
 仰せの何もしないとか、悪や不完全な行為についてはする側の程度や状態が大事です。
 一定のことで経過プロセスで不完全な行為をしたり、するのは何もしないよりはましだと存じます。
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これ・・・、「哲学カテ」の質問か?。


(・.・ゞ?
>何もしない人間

最終的には、生活保護など受けて「国の寄生虫」に成る公算が大。
しかし、「社会や善良な市民に危害を及ぼす影響」は、極めて小さい。

>社会に悪影響を与えている人間

「犯罪者」と限定すれば。
その「程度」や「規模」推測出来ない。
大き目に予想すれば、「被害は、かなり甚大」、と、思われる。

国の「経済的損失」云々で考えれば、前者の方が「マシ」。

社会に悪影響を与えている人間に、「魂の成長」もヘッタクレもあるか。
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