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ヒトラーの最後について

ヒトラーは最後、愛人のエヴァと地下室に隠れ、自殺しましたよね。この時、慌てふためくヒトラーを目の当たりにして、こんな男の為に戦争をしていたのかとヒトラー無様さにガッカリした将校がいたと思います。確か「知ってるつもり」という番組でやっていたと思うのですが、古い話だからかログがありません。その将校の名前を知っている方がいたら教えて下さい。

A 回答 (2件)

こんにちは




> ヒトラーは最後、愛人のエヴァと地下室に隠れ、自殺しましたよね。
> この時、慌てふためくヒトラーを目の当たりにして、こんな男の為に

2,3ヶ月ほど前のことだったと思うのですが、BSで『ヒトラー<最期の
12日間>』が放映されました。
ヒトラーの秘書を(自殺の時までの)3年間務めたユンゲ女史の証言と、
映画タイトルと同名の研究書、を元に作られたドキュメンタリータッチ
の映画で「ほぼ史実どおり」という評価であたっと思います。

1945年4月30日のヒトラーは、それまでの不安定な精神状態とうってかわ
って、落ち着いた(運命を悟った?)様子で描かれていました。
自殺を前にし、総統地下官邸に(廊下か会議室か、うろ覚えなのですが)
残った人達を集めて、一人一人に挨拶して回っていたと記憶しています。

その後(秘書の)エヴァ・ブラウンと自室に籠もり、自殺を遂げた、と
いう経緯ではなかったか? と・・・。


> 戦争をしていたのかとヒトラー無様さにガッカリした将校がいたと
> 思います。
> その将校の名前を知っている方がいたら教えて下さい。

自殺する直前は 上記のように どちらかと言えば「落ち着いていた」と
思うので、「慌てふためく」ようなことは無いようでした。
ですので、その様子を目にした側近(将校)って いなかったように思い
ます。

さて、映画では明確には描かれていなかったと記憶しているのですが、
最後の首都防衛軍司令官となったヘルムート・ヴァイトリング大将が
後日、ソ連の捕虜となった際の尋問で

ソ連軍のベルリン包囲網が狭まってきて、いよいよ総統地下官邸が危険
な状態となった際、ヒトラーに"ベルリンを脱出するよう"要請し「その
ために包囲網突破作戦を立案したい」た進言したところ

「突破作戦が何の助けになるというのだ。包囲綱を脱出しても別の包囲網
に飛び込むだけだ。自分の最期を人里離れた農家か何かで待つために、
地方を転々とする必要があるのか。 こうなったら ここに留まった方が
ましだ」と拒否された、と証言し。

(ヴァイトリングとすれば、もう弾薬も燃料も尽き果てて、戦意も失い
つつある兵士達にこれ以上戦え、というのは"自殺しろ"と命令するに等
しく、間違いなく破滅的な事態になる、と思い)

「今や全てが分かった、問題なのは自分(ヒトラー自身)ひとりだけなの
だ。この男は防空壕の中でなるべく長く安全にいられるために、何千何万
という人間を、この犯罪的な戦いの犠牲にしようというのだ」と、その時
に感じた、とも供述したようです。

多分 それじゃないでしょうか?

ちなみに、実際(史実)のヴァイトリング大将は、あからさまに命令
(意向)に背くようなことは一切せずに、最後まで首都防衛戦を指揮して
いたようです。
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この回答へのお礼

解説、有難う御座います。

確か「知ってるつもり」ではヴァイトリングの言った言葉をそのまま引用していた事を思い出しました。

お礼日時:2010/06/18 08:50

 アドルフ・ヒトラーの死の真相には謎が多いです。

定説では総統官邸地下壕にて1945年4月30日となっている。しかしどういった手段で自殺したのか証言はバラバラで、拳銃自殺したとの証言では右のこめかみと言う人もいれば左のこめかみとの証言もある。服毒自殺だという証言もある。
 死の瞬間に立ち会った者が一人もいないのです。ヒトラーが死んだと皆に告げたゲベルスも家族を道連れに自殺しています。
 相当な人数がいた総統地下壕に残っていた人々も揃いも揃ってヒトラーの死には気が付いていません。その死と火葬にされたことを人づてに聞いているに過ぎません。
 ソ連の発表では5月2日正午に総統官邸に突入した兵士が口髭のある男と女の死体が燃えているのを発見したとしています。
 しかし、これだと二日にわたり燃えていたことになり、焼死体に口髭が残っている訳がないはずです。
ヒトラーの死の真相は永遠の謎なのです。
 
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