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神社神道が国教化される以前は、豊作の神の場合、こうして豊作となるのは”天皇のおかげだ”という考えのもとで行われていたのでしょうか?
よろしくお願いします。

A 回答 (5件)

国教化される以前のことは知りませんが、私が子供の頃は、 ” おてんとう様のおかげ ” と大人たちは言っていました。

昭和30年代のことです。たぶん太古の昔からそう言ってきたのでしょう。
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神道とは日本に古来から存在した原始的多神教です。


しかも、各地方、各氏族、各人によって神とする対象が異なり、対象にも数に制限はありません
各人の神意識の総称と言っても良いでしょう

一神教や、神の数に限定の有る多神教と異なり、根本的統一経典(聖典)がありません
文字が生まれる前からの宗教群だからかもしれませんが、文字が使われてからも戒律や教義がまとめられてませんので、統一されて一斉に感謝の神事をするという事(ルール)が神道にはありません

多くの王皇と同じく、権力者(支配者)の権力は神から授かったものとする王権神授説をとって権力の正当性と権威を裏書しょうとしてます。
天皇の場合は、神道の数ある神の中で最高の神が天照大神が、最初の神イザナギ・イザナミの子であり、天照大神の孫が初代天皇神武だから、子孫の天皇は地上の最高権威であるという考えを広めます
その為に、奈良時代に神話が編纂され日本書紀が国家の歴史書として成立。
古事記は天皇に献上された歴史書で、後に知られるようになったもの。
この2書(記紀)のみが、神話時代から奈良時代に至るまでの正史です

しかし、他の宗教と異なり、戒律がありませんので、統一された宗教観がありませんし、ルール的な要素がありません
その為、豊穣・豊作の祈願や祝辞の対象となる神や神事は、地方や氏族によってテンでばらばらでした。
豊穣豊作の神自体、概念が曖昧で神事もバラバラです。

天皇家では古くから大嘗祭(だいじょうさい。即位後最初に行う新嘗祭)と新嘗祭(にいなめさい。収穫の感謝の神事)を取り行い、祭神は天照大神をはじめとする天上地上すべての神(天神地祇・てんじんちぎ)です。
これは明治以降、戦後も同じです。
戦前は、新嘗祭という国家の祝日であり、戦後は勤労感謝の日になりました。
天皇家では現在、天皇家の私的な神事として新嘗祭を行っています。
また全国の神社で新嘗祭が行われてます

日本書紀に新嘗祭の記述があり、日本各地で同じ11月の2番目の卯の日に祝われたようです
能登半島の「あえのこ」や関東地方で行われている「十日夜」等がそれに当たるそうです

神道の主流的な考え方として、氏神が一族やその地方の民の神様で有るという考え方を取りますので、地方の神に祈願祭事を行うのが一般的です。

各地の神社は、祭神がてんでバラバラでしかも複数と言うのが普通。
主神と副祭神があったり、神を入れ替えたりしてます。
インドのヒンズー・バラモン教由来の神であったり、武将であったり何でもあり状態ですが、大抵神道の代表的な神も一緒に祭られてます
新嘗祭とは別に収穫を祝う祭りが地方ごとにあり、神社を基点に行われてます
古くから行われる秋祭りは、収穫を神に感謝する祭りが大半です。
また、田んぼにの神様がいるという考え方が古くからあり、初夏の田植えの時期には収穫祈願の祭りや神事が行われる地方も多いです

神仏混交状態で寺でもあり神社でも有る状態のところも多かったようですが、明治以降の神仏分離政策で現在は分離区分けされています。

因みに、自分が生まれ育った地の氏神様以外にお参りした場合は、お参りした神様から氏神様に連絡がいって協力してくれるという考え方を主にとっています
基本的にどこへ移動しようが、生まれ育った地の神様がその人の主神だからです
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国教化という範囲が判りませんが、天皇家の祖先はアマテラスであり、アマテラスは太陽と同一視していましたから、お天道様で充分でしょう。


荘園時代、荘園で祭るのは氏神と産土神ですから、これらに感謝したのだろうと思います。でもその頂点にはアマテラスがいるので、氏神や産土神に感謝することはアマテラスに感謝することと同一と考えていたと思います。
その影響はいまでも、氏神と共に天照大神の神札を頂き、神棚には合祀、或いは氏神の前後に重ねる祀り方に残っています。
つまり、意識的に天皇のお陰と意識的に考えなくても、自然に含まれていると理解した方がいいと思います。

ちなみに国教と言う括りは、第二次大戦後マッカーサーが軍部が利用した靖国信仰を指摘した言葉であり、日本国が曲解したに過ぎません。明治政府担当省庁や関係識者は神道を国教としながらも民間においては信仰の自由を表明しています。
これが軍部の勢力が強くなるに従って靖国を中心とした歪んだ形態に傾いたものです。(当時は反論できる環境ではなかったでしょう)
従って本来国教である神道とマッカーサーの指摘した国教とは別物ですが、第二次大戦後、神社本庁を造り、圧力団体として軍部の作った靖国信仰を守ろうとしていることから、神社神道=(軍部の作った)国教という解釈が成り立ってしまっているのです。
公式な発表と末端での見識の違いは明治政府でも起きており、神仏分離令が廃仏毀釈と曲解されて寺の打ち壊しが横行した現象と同じです。

国教を持ちながら信仰の自由を認める事は英国などでも行なわれていますし、アメリカも基本的にキリスト教国です。
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>>国教と言う括りは、第二次大戦後マッカーサーが軍部が利用した靖国信仰を指摘した言葉であり、日本国が曲解したに過ぎません。



国教とは、特定宗教を国が保護し優遇すること。最も極端な形が、政祭一致形態で、他の宗教を禁ずる形です

大日本帝国時代は律令時代の神祇官を復活させ、神社の管理を国が行い、序列化して最上位ランクには国家の支援をも行った。
国策神社を占領地ににも建て、内地においては招魂社システムを構築し、殉死美化を行い、国家都合の戦争を聖戦化した
正に国教化以外の何者でもありませんが

>>明治政府担当省庁や関係識者は神道を国教としながらも民間においては信仰の自由を表明しています。

大日本帝国は、神道を世俗宗教の上位の概念とし、神道的な疑念の基盤の上に各宗教が存在するという立場を取る
他国に例を見ない、2重構造の宗教概念

日本以外では複数の宗教を同時に信仰すると言うのは、まずあり得ない事。
長く神仏混交状態で、複数信仰が定着した日本で神道以外を否定すれば大半の宗教観を否定することになり、ほぼ国民全体の改宗が必要になる
国民に根付いた仏教否定につながり、深刻な相克をもたらすこと必定
また、律令時代から朝廷を中心とする政権が神仏の同時信仰を進めてきたこと否定することになり、復古宣言した古(いにしえ)の王政(朝廷支配)を否定する事に繋がる
少なからず、キリスト教他、仏教以外の信徒もおり、それを否定することは国家の統一を妨げる可能性もある
明治維新の2大原動力、薩摩はキリスト教伝来の地で明治の元勲にもキリスト教徒がおり、これを否定できない事情もあった

ゆえに現状を追認する、「神道は宗教の上位概念」なる発想で「宗教の自由」も同時に認めなければならなかったことは容易に推測できる
神道を上位において、天皇-天照大神他諸神の前では、身分も宗教も関係なく平等であるというロジックが国家維持の為に必要であったことであろう

が実態として、神道も宗教であり、宗教の国教化という見識・表現は正鵠を射ている
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なぜ自分に幸せが来るのか これを古代人は神として意識していた それで現代のおかげ様でという言葉は神道からきています。

神道研究科IK
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