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本物は違う!とか感じています

私は元々さほど教養のある人間でもないし、名家のお嬢様でもありません。だから普段から音楽だって普通のポップスも好んで聞きますし、ラーメンも牛丼も食べる下賎な庶民にすぎません。
でもいつごろからか世間で高級扱いをされている芸術や美食というものは、やっぱり違うのでは??と感じてきてしまっています。

たとえば今風のHIP HOP系?とかに属するようなバンドの音楽でもそれを聴いている時には、それなりに良いと思いはするのですが、本格的に鍛えぬいた声楽家の歌や、名門のオーケストラを聴くとやはりそのレベルの違いを感じてしまいます。
先日生まれて初めてバレエを観たときにも、ただ単に踊りが好きで勉強もせずに踊りを楽しんでいて、それをそのまま「ダンサー」とかの仕事にしているような人たちのパフォーマンスとは次元が違うような感動を覚えてしまいました。

食べ物に関してもそうです。まだ学生なので時々なんですが、定評のある店のフレンチとかを食べるたびに、有名店のラーメンやB級グルメとかとの格の違いを感じてしまうんです。本当の修行を積んでる人々と、単なる元不良がいっぱしの職人ぶって黒いTシャツに鉢巻をして腕組みをしてるのとはやはり違うのではないかと。

なんかちょっと今風のおしゃれな雰囲気イケメンと一流の紳士の違いを見るような・・・

こういう考えや感じ方って、しょせん貧乏人のコンプレックスやスノッブに過ぎないのでしょうか。それとも私も少しは物の価値が分かる人間になってきたのでしょうか。
ご意見ください

A 回答 (5件)

色々なものに触れて、両方の良さが判るようになってきたのではないでしょうか。

視野が広がったということで、良い兆候だと思います。

でも質問者さんの文だと、全く違うものを単純に比較してしまっているようなのが気になりました。

フレンチがラーメンの上位にいるのではなく、違う種類のものだと思えるようになり、更に同じ分野(フレンチならフレンチ)での良い悪いの軸と、自分が好きか嫌いかという基準を、切り離して判断できるようになれば、物の価値がわかる人と言えると思います。

この回答への補足

フレンチとラーメンは、どちらも素晴らしい文化の一ジャンルであると思います。
ラーメンをことさらに貶めるという意図はありません。
しかしこの二者は比較の対象とならない「違うもの」なのでしょうか。

たとえばバレエを例にしてみます。
世界のトップレベルのバレリーナというものは、幼少時から本当にバレエが好きで好きで、人生の全てを自らのバレエの完成だけに注ぎ込むような毎日を送り、それほど好きな道でさえ時には血反吐を吐いて挫けそうになりながらも、それを乗り越えてたどり着くようなレベルの演技を見せてくれるものです。
このレベルのバレエと、私という素人の作る彫刻とはその芸術的価値にダイヤモンドと石ころ以上の差があることは明らかです。

レンブラントの描く絵画は、私の歌う歌唱とは珠玉とゴミくず以上の次元の差があります。

No3の回答者の方がおっしゃるようにヒップホップにも優れた方も居るであろうし、クラシック音楽の世界にも低レベルの方もいます。
これは柔道家に初心者と達人が居て、野球選手にもトッププロと少年野球があるのと同じことに過ぎないのではないでしょうか。

ラーメンとフレンチは違うジャンルではあっても、そこにひとつの比較の尺度を当てはめ得るのではないでしょうか。

私は何軒有名どころのラーメン屋を訪ねてもせいぜい
「ズルズルっ!ズズーッ。プハーッ、ああ~おいしい~!」ってレベルの食欲を満たす喜びしか得られないのです。
それに対して高いレベルのフレンチを食べると、そのたびに脳の中の「芸術的官能」の部分を陶酔させるような感動を覚えるのです。

フレンチとラーメンを違うものとして留めてしまうのは、そこに思考の停滞があると思うのは浅薄でしょうか?

補足日時:2010/09/02 10:42
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この回答へのお礼

お答えをくださりありがとうございます。
補足を入れますのでお読みいただければと思います。

お礼日時:2010/09/02 10:03

わかるような気がします。


たぶん質問者様の感じているのは伝統に裏付けされたものと、前衛とか流行といったまだ伝統を持たないものとの差なのではないかなあ、と。
つまり歴史が違うと言うこともできる。
何百年という年月を経てもなお時代を超えて生き続けるものがある。それが伝統となる。
時代を超えて支持され続けるものにはそれだけのいわゆる本物の価値があるという事ですね。
たとえば日本の歌舞伎は今でこそ伝統芸能ですが、発祥は今で言うストリートパフォーマンスでした。
数百年の時をかけて昇華されていった芸術にはそれだけの完成度があります。
フランス料理も、バレエも、音楽もそうでしょう。

伝統はなぜそうして残って行くのか?と考えればいつの時代の人間にも共通する美意識や感覚があるという事でしょう。
音楽、美術、芸能、そして美食の分野でも、いつの時代にもそれを受け入れる人間がいるからこそ残ります。
人間には文化を後世に引き継ぐという能力があるわけで、今あなたが口にするフランス料理は中世の人間から綿々と引き継がれ昇華された味だからこそ感動を覚えるのでしょう。
日本という国はさまざまなジャンルの世界中の伝統を見たり聴いたり味わったりできる豊かな国です。
今あなたの経験値が着実に積み重ねられ、刺激を受けているところなのでしょう。

日本のラーメンの歴史も100年ほどになりました。
ラーメンが皇室でお客様をもてなせる高級料理として扱われる事もそう遠くない未来かも知れませんよ。
ご当地ラーメンとか高級ラーメンとか、ラーメンは未だ進化の途中です。
中華料理ではない日本のラーメンが伝統として完成する日も遠くないかも知れません。
ただラーメン単品ではそれは難しいので、なんとも言えないですがね。

そして伝統も常に進化し続けています。
ただ古いものを伝統とは呼びません。時代に合わせて成長、進化をし続けているから残ります。
だとするとラーメンが今からどれだけ進化し昇華され伝統となる日が来ても、フランス料理の伝統には永遠に叶わないことになります。
その差が金額の差に表れるのではないかと、勝手に想像しています。

私はもう40代も後半という酸い甘いを踏み分けた年齢ですが、あなたの年齢の頃には同じように感じていたと思います。
食べたことのない料理をはじめて食べるという経験、触れたことのない芸術にはじめて触れる経験、がもっとも多い時期ですからね。
感動の連続です。しばらくそれは続くでしょう。
そうした経験にどれだけ時間やお金を費やすことができるかで、人間の区分ができるような気がします。
お金を持ってる持ってないの話でなく、感受性や知的欲求の強さ、探究心の有無という意味でです。
やはり豊かな人生というのは豊かな経験に裏付けされると思います。
経験は少ないよりはたくさんあった方が、より豊かに生涯を送れるような気がします。
しかし一方で山村で自給自足に近い生活を続け、自然の恵みと厳しさと共に生きる人生も美しく豊かですよね。

物の価値がわかるってことは、その上下や甲乙をつける事ではなく広く知る、悟るという事なのではないでしょうか。
最終的に自分にとっての「本物」は何であるかがわかるようになると、喜びや楽しみが広がると思います。
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この回答へのお礼

非常に示唆に富むお話しをうかがえて、とても嬉しく思います。
とくにラーメンがやがて時を経て、歴史の中で研磨されていく可能性があるというお話には目からうろこが落ちた重いです。
ありがとうございました

お礼日時:2010/09/02 10:44

感性が広がり良い傾向なのではないかと感じましたが、ヒップホップとクラシック、ラーメンとフレンチを比べてしまうのはどうかと…



ヒップホップでも音のセンスが良いレベルの違うホッパーの方はいます。
クラシックでも指揮者によって音や曲の雰囲気まで変わります。

ラーメンひとつにしても、科学分析された調味料をお湯で割るだけのカップラーメン屋と、毎日スープを作って食材の出来不出来にまで気を配って作られる一杯では全然違います。

―しょせん貧乏人のコンプレックスやスノッブに過ぎないのでしょうか。

こんな風には思わないです。
色々なものに興味か持てて、感じるのはステキだと思います。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます
1番の回答の方に補足した内容をお読みいただけると嬉しいです

お礼日時:2010/09/02 10:46

物の価値が分かる人間になってきたのでしょう。


もっと注意してみればいろいろな物が見えますよ。
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この回答へのお礼

おほめの言葉と解釈してよろしいでしょうか。
ありがとうございます

お礼日時:2010/09/02 10:46

りんごと梨を食べ比べて「違いがわかるようになった」というのと大差ないように思います。


歴史と伝統に裏打ちされた高い技術で演じられる舞台、あるいは作られる料理が素晴らしいものであろうことは想像に難くなく、またそうでなくては困るというものです。それをヒップホップやラーメンと比較しようというのが根本的に間違っているのでは。
もともと立っている土俵も目指すところも違うのです。それを一律の物差しで測ろうとするならばそれこそ俗物であり、コンプレックスの裏返しととられても仕方がないんじゃないかと思います。
違いがわかるというのはもちろん良いことですし個人の嗜好としてどちらを選ぶかももちろん自由ですが、どちらが優れているかはまた別の話です。またそれが自分の人間性に反映するというものではありません。俗物というか、成金趣味というのに近いような気もしますが、これはこれで貧乏人の僻みかもしれませんね。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございました

お礼日時:2010/09/05 17:45

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