旅とは何か
「月日は百代の過客にして、行きかふ年もまた旅人なり。舟の上に生涯をうかべ馬の口とらへて老を迎ふる者は、日々旅にして旅を栖とす。古人も多く旅に死せるあり。予もいづれの年よりか、片雲の風にさそはれて漂泊の思やまず、海浜にさすらへ、去年の秋江上の破屋に蜘蛛の古巣を払ひてやゝ年も暮、春立てる霞の空に、白川の関越えんと、そゞろ神の物につきて心をくるはせ、道祖神のまねきにあひて取る物手につかず、…」
芭蕉ならずも、漂泊の念に駆られることがありましょう。
また、実際に旅に出ずとも、魂としての旅もあろうかとも思われます。
旅の目的が本質だったり、あるいは、あてもない旅をすること自体がそうなのかもしれません。
旅とは何か、旅人とは何者なのでしょう。 よろしくお願い致します。
No.27ベストアンサー
- 回答日時:
俳句をすこし・・・
風を待つごとく芒の傾げをり
ふと出し森の小径の秋の蝶
ゑのこ草芯まで透けて夕日濃し
芭蕉先生・・・・・添削は・・・無理・・すか
叙情はダメか
小さな旅の小さな句
スケッチブックを離さずに
見つけたらすぐに描こう
消えないうちに
下手でいいから
見たまんま・・・
秋風にさそはれ出し広野かな
花野ゆく一両列車のローカル線
見はるかす森の稜線秋の雲
大刈田捻りゆるやか鳶の舞
秋水に影を据ゑたる峰ふたつ
群雲に月の明りのこぼれをり
写生も・・・いいか
次・・・行こ
この回答への補足
hetanosuke様、お礼が遅くなってすみません。
もう少々お待ちを。
>写生も・・・いいか
>次・・・行こ
はい、どうぞ先に行っててね。
すぐに、追いつきますので。
hetanosuke様、
お礼が遅くなりました。
重ねてのご回答をありがとうございます。
そして、
>風を待つごとく芒の傾げをり
これ、私にとっては初見ではないのです。
何かの質問で、拙文投稿のたしか前か後ろにあったかと。
とても味のある句だと思いますし、
私には到底つくれませんし。
芭蕉先生、いったい何ておっしゃるでしょうね?
>小さな旅の小さな句
>スケッチブックを離さずに
>見つけたらすぐに描こう
hetanosuke様の旅支度で欠かせないものは何ですか。
小さな句をしたためるメモ帳と愛用の筆記用具?
それとも、
スケッチブック?
私は、小さなスケッチブックと水彩画鉛筆です。
rupapo様みたいな素晴らしい写真も、いつか撮ってみたい!
hetanosuke様には、せっかくですから、作曲などにも是非。
ヒマラヤ地方のスピティとか、ラダックあたりだと、
どのような曲調に仕上がるのでしょうね。
この度はhetanosuke様のご回答をまるごと素直に頂戴し留めさせていただきますね。
いずれも旅情たっぷりなのが何よりも嬉しくて。
ほんとうにありがとうございます。
またひとつ先に進みます。
No.30
- 回答日時:
捕まってしまった・・・
持ち物を出せと言はれて・・・も
ガラクタばっかりで
小さなよごれた手帳が一冊あるだけ
でも、これが無いと大変
いつでもどこでもコソコソやっているのだが
いざ、無いとなるとコンビニやディスカウントへ駆け込まなければならない
メロディを付けてくれる人がいるかもしれない・・・という勝手な思い込みで詩をひとつ
思い出は一束の移ろい
顔を上げれば見知らぬ風景が待っている
新しいといふ名前さえまだ無い
理由は後付けでいいから歩きだそう
ただ訪れる新鮮さよりも
迷って選んだ新鮮さの方がいい
見送る風景は過去にまかせて
さあ旅に出よう
それじゃ、また。
この回答への補足
ご回答者の皆々様へ、
今回ほど、BAを付け辛い拙問はありませんでした。
どうして、自分自身で頂いたポイントを、
望みのままに各回答者様へ付与できないのかと、
非常に苛立ちを感じます。
哲学カテの旅ということで、ほんとうに迷ったのですけれども、
辞世の句や詩にこめられた旅心に勇気づけられたので、
その御方へポイントを付与させていただきたいと思います。
本当にどうもありがとうございました。
お一人お一人に心より感謝申し上げます。
hetanosuke様、つかまえた!
え?
>捕まってしまった・・・
>持ち物を出せと言はれて・・・も
んま。
私は追い剥ぎ?笑
>小さなよごれた手帳が一冊あるだけ
>でも、これが無いと大変
>いつでもどこでもコソコソやっているのだが
フムフム…
>いざ、無いとなるとコンビニやディスカウントへ駆け込まなければならない
なあんだ、
コンビニ常習者だったの~笑
>メロディを付けてくれる人がいるかもしれない・・・
ですよね!
私もいちおう付けさせていただきますね。
とても披露などできませぬが…笑
>見送る風景は過去にまかせて
>さあ旅に出よう
はい!
わたしを~待ってる~人は~ど~こ~笑
快く最後までお付き合いくださりまして、
本当にどうもありがとうございました!
No.29
- 回答日時:
星野立子もいいです。
望郷や 土塀秋桜 咲き乱れ
秋桜=コスモス
ブラジルへ行った時に作った句みたいです
ブラジルにも土塀があったのでしょう
乱れ、に日系人の思いが込められているような・・・
日系一世といえば、開拓で行ってそのままでしょうから
望郷の念もひとしお、かと・・・
星野立子のお子さんが星野椿さんで、現在も俳句界の重鎮としてご活躍なされています。
椿先生の句もさらっとした嫌味のない感じでいいです。
鎌倉虚子立子記念館なんかいいかも・・・
旅もブラジルまで来てしまった
飛機の旅もわるくない
地球の反対側でも地面には立てるみたいだ・・・
コスモス咲いたら一句つくろう
では
hetanosuke様、こんにちは。
ご回答をどうもありがとうございます。
掴まえた!と思ったのに、
サラサラと零れ落ちて、
また遠くへ行ってしまった感じ。
>望郷や 土塀秋桜 咲き乱れ
>乱れ、に日系人の思いが込められているような・・・
そうよ、きっと恋しくて、帰りたかったでしょうね。
いいなあ、これ。
それにしても、ブラジルは遠いですよ。
船旅で50日間の旅程って。
着いた不慣れな土地で、ゼロからのスタートって、
とても想像できない過酷さだったに違いありませんね。
ちょっと調べてみたら、このような句が。
人の世の秋やしあわせふしあわせ
星野立子の9月の句ですって。
ライフ・カテゴリーにぴったりな感じがシマス。
こんどBSも観てみようかしら。
>鎌倉虚子立子記念館なんかいいかも・・・
はい、ここなら十分日帰りが可能です。
は! 岩船地蔵堂にも行くの、忘れてた=3
>コスモス咲いたら一句つくろう
拙宅の近所では、もう咲いています。
よろしかったら、その一句、次の機会にでもご披露いただけますか?
よろしくお願い致します!
(そうそう、先にご紹介いただいた句の質問は「貴方の死の美学は?」でした。
何で投稿したのか、全く自分でも理由がわからないのですが…笑)
次は、旅の終点かも。
No.28
- 回答日時:
mashumaro2さん、こんばんは。
まず、老婆心から申し上げますが、妙齢の女性が見ず知らずの男に返し歌をするのはたいへん危険な行為だと思いますので、以後お慎みなされますよう。
ところで、「旅」について考えていたところ、不意に倭語の「たび」には動詞がないことに気づいて、たいそう驚かされました。
「恋(こひ)」が「恋ふ」という動詞から派生したように、こんなにも重要な「旅(たび)」という語が、その生みの親に当たる動詞を持っていないというのは、考えれば考えるほど不思議な話ですからね。
この理由を説明しようとすると、遠い昔の倭人たちの頭の中にあった「たび」という語には、travelingという概念は全く含まれていなかったからではないかと結論するしかないですよね。
で、この仮説を裏付けるべく調べてみたところ、白川静さんが、昔は「家を離れることを旅といった」(字訓)と説いていらっしゃいました。
言い換えますと、倭語の「旅」は、もともとは「月日は百代の過客にして、行きかふ年もまた旅人なり」といった、後世には当たり前になった時間的概念は含んでおらず、単に「家」から離れた、ある空間的な一地点に身を置いているという、純粋に空間的な概念だけを示す言葉だったということになりますよね。
こう考えますと、はじめて「旅」に動詞がない根源的な理由も、これを動詞化するには、漢文訓読(倭訳)の必要性から発明された、「概念語+サ変動詞(す)」という人為的な手段を用い、無理矢理「旅(を)する」という語を生み出さざるを得なかった事情も明らかになったと言えるのではないでしょうか。
なお、同様の手段は、倭語ならぬ、古代外来語の「愛」を無理矢理動詞化せんとして、「愛(を)する」という滑稽な漢語・倭語合成語を明治期に発明したときにも駆使されたわけでして、現在、この語が男が女を落とす上で必要不可欠な動詞?となったことについては申し上げるまでもないですよね。
私には、この「愛(を)する」という人造語、人工語に、人間の心の中で最も尊厳性ある心情を逡巡することなく託せる人の神経がいまだに理解できないのです。
かといって、今さら「愛しの○○さん、~」とかと口説こうものなら、相手女性は腹を抱えて哄笑すること間違いないですし。
(閑話休題)
でも、人間である以上、家を離れた一地点に身を置いたからには、早かれ遅かれ、家と現在地との間に横たわる時空の隔たりに興味・関心を向けざるを得なくなり、こうして「旅」が時間的概念をも包摂する語へと変化していったのではないでしょうか。
そこから、「はるばる来ぬる旅をしぞ思ふ」という時間的概念としての「旅」が意識されるまでは一っ飛びだったでしょうし、そうでなくとも西行にしても、芭蕉にしても生来無益に反省好きな詩人だっただけに、必然的に旅のプロセスや中間性などというものの孕む謎に、詮なきことと知りつつ、囚われざるを得なかったのではないでしょうか。
>さんざん妻や女を泣かせる男、それも極上の男性というものは、「旅」によって仕立てられ、洗練されたりなんかして。
だったら嬉しいのですが、「さんざん妻や女に泣かせられてきた男」としては、旅はその傷心を慰めるための現実逃避以外の何ものでもなかったような気がします。
以上、スレ汚し、失礼をばいたしました。
この回答への補足
>まず、老婆心から申し上げますが、妙齢の女性が見ず知らずの男に返し歌をするのはたいへん危険な行為だと思いますので、以後お慎みなされますよう。
Pourquoi n'aimez-vous pas "Les Liaisons Dangereuses"?
kadowaki様、重ねてのご回答、まことにありがとうございます。
>遠い昔の倭人たちの頭の中にあった「たび」という語には、travelingという概念は全く含まれていなかったからではないかと結論するしかないですよね。
このたびも、大変得難い気付きをご教示下さり、とても嬉しいです。
そして「愛」同様の手法についても、なるほどと感じ入った次第です。
酷く自明のことながら、日本の古典にふれるほどに、
漢学/漢文化の測り知れない影響力につき、思い知らされます。
「月日は百代の過客にして~」は、まぎれもなく
「夫天地者萬物之逆旅 光陰者百代之過客…」で始まる
李白の『春夜宴桃李園序』を踏むものかと思われます。
一方では心象風景や観想としての西行らを、
また他方では古典的な漢詩の世界を意識しての
都から遠く離れた遥か遠方への旅というものは、
模倣と独創の相克でもあったのでしょうか。
たった17文字に凝縮された俳句の奥や裏には、
いったいどれだけの想いが潜んでいるというのでしょう。
>倭語の「旅」は…後世には当たり前になった時間的概念は含んでおらず、単に「家」から離れた、ある空間的な一地点に身を置いているという、純粋に空間的な概念だけを示す言葉だった
>早かれ遅かれ、家と現在地との間に横たわる時空の隔たりに興味・関心を向けざるを得なくなり
なるほど、そして横たわる時空の隔たりに対して
次第に微妙な心情が織り交ぜられていったのでしょうね。
余談ながらtravelについては、"travail"が転じて
“to make a laborious journey”となり、
一方、漢字の「旅」とは、旗をたててすすむ軍隊という意味を表し、
軍隊が移動することから「たび」の意味になったそうです。
翻って現代では、travelや旅には、骨が折れ、
進軍するような意味合いとはまるで真逆の
愉しみやリフレッシュ的な意味合いが殆どなわけで、もしかすると、
いまから数十年後、数百年後には、
また違ったあらたな意味が付与されたりなんかして?
>必然的に旅のプロセスや中間性などというものの孕む謎
また随分と難しそうな、でも面白いことをおっしゃるのですね。
その謎って、いったい何なのでしょう。
必然と偶然の織りなす悪戯?
そして謎というか、以下のいずれのどれが最も旅の醍醐味なのでしょうか。
・「旅立つまで」のあれこれ思い巡らす、旅立ちの時
・「旅先で」の思わぬ出逢いや小さな幸運や発見の連続
・「旅から戻って」日常のある瞬間、旅先の事を反芻する
まあもっとも、最後のものはただの旅ボケでサボりでしょうけれども。
>旅はその傷心を慰めるための現実逃避以外の何ものでもなかったような気がします。
業平は旅の先々で女人とかかわったものの、詠じる心のその先には、
いつも妻、奥方の面影を見出していたように思われます。
遠く離れた土地ほどに、望郷の念と共に想いが募ったに違いありません。
手の届かないものほど、逢えない人であるゆえに、
人は理想を重ね、一層それを愛しく想うものなのでしょうね、きっと。
業平のような男がいて、女の色香を上手い具合にひきだしはぐくむのか、
それとも、
そこに女がいるかぎり、業平のような雅な男がフラリと訪れ情を交わして去るのか…
…恋愛カテご常連のkadowaki様にはあまりに容易い宿題かと存じ上げますので、
次の機会にてよろしくご回答の程お願い申し上げます。
そしてほんとうにありがとうございました。
No.26
- 回答日時:
和泉文化もとい平泉文化です。
ごめんなさい。heartmind様、投稿ならびにお礼が遅くなって、ごめんなさい。
もう少々待っててね。
それと、訂正につき、ご丁寧にどうもありがとうございます。
和泉文化もとい…で、
思わず「和泉元彌(いずみもとや)」を思い出してしまったのは
私だけ…?笑
別にファンでもなんでもないけれど、
そういえば「空中モトヤチョップ」以降どうしているのだろうと思ったら、
次年度のNHK大河ドラマに足利義昭役で出演するようですね。
足利義昭って、乱世の当時にあって、齢60過ぎまで全うした最期の将軍ですよね。
信長によって京都から追われる身となり、
備後国に下向する「旅」の心境とは、いかに…。
格好良いばかりが、人生ではないわけで。
それに、室町という時代性と狂言師、
案外、絶妙な配役のようにも思えてまいりました。
どうなのでしょうね。
では、またのちほど~
No.25
- 回答日時:
heartmind様、こんにちは。
お礼が遅くなってごめんなさい。
うっかり寝過ごさないように早朝から起床し、家族と共にお墓参りのため、神戸へ日帰り旅でした。
あいにくの天気ながら、若干小降りの頃合いに恵まれたのが幸いでしたが。
西行に関するサイトのご教示、ほんとうにありがとうございます。
たしかに、藤原氏でつながっていますね。
西行は奥州へは二度旅行しているようです。
私も新幹線の車内で『西行 白洲正子 新潮文庫』を片手に想いを馳せてみました。
陸奥の奥ゆかしくぞおもほゆる壺の碑そとの浜風
「陸奥に『奥ゆかし』がかけてあるのだが」
「平安時代にみちのくといえば、さいはての国であり、蝦夷の住む未開の原野のように思われていたであろう。 ことに人の心も生活も閉鎖的になっていた平安末期の宮廷人にとって、この謎にみちた辺境の地が、好奇とあこがれの対象となったことは想像にかたくない。 東北地方に歌枕が多いことが、それを証しているが、…」と著してありました。
西行を陸奥へ誘ったものとして、ご指摘の藤原氏の縁、また能因、藤原実方、平兼盛などの歌人たち、
古今和歌集の陸奥歌、あるいは遠い昔の坂上田村麻呂による蝦夷討伐の辺境地に対する多少の「あくがるる心」も多分にあったのではないでしょうか。
またさらに、
「僧の衣に『衣河』をかけて詠んでいるが、ここでも西行は、彼らの身になって涙を流しているのである。「数寄」と「あはれ」は表裏一体をなすもので、名だたる中尊寺で、金色堂や一字金輪には目もくれず、しがない罪人の僧侶たちと語り合っているのは興味深い。 西行の初度みちのく行については、古来さまざまの説があるが、数寄以外にこれという目的はなかったと思う。 そのことを誰よりもよく知っていたのは、5百年後に生まれた松尾芭蕉で、『そぞろ神の物につきて心をくるはせ、道祖神のまねきにあひて取もの手につかず』という『奥の細道』の序文は、西行の心境を語ってあますところがない。 『五月雨のふり残してや光堂』の句の背後に、西行の涙を想うのは深読みにすぎるであろうか。」
この場合における「数寄」って、いったいどのようなものだったのでしょうね。
陸奥の国へ修行して罷りけるに、白川の関に留まりて、所柄にや常よりも月おもしろくあはれにて、能因が「秋風ぞ吹く」と申けん折何時なりけんと思出でられて、名残多くおぼえければ、関屋の柱に書き付けける
白川の関屋を月の漏る影は人の心を留むる成けり
白川(白河)の地を久しく訪れていないので、また行ってみたいなあとの思いが募ります。
先人の足跡を辿る旅の題材には事欠かないのが嬉しいですよね。
ご回答とサイトのご教示、ほんとうに参考になりました。
ありがとうございました。また次回もよろしくお願い致しますね。
No.24
- 回答日時:
そうですね、そうでした。
北に果てしなく向かうということが分水嶺を超えることだっていうのは
ずいぶんローカルな話なんですね。
超えたところに別の世界がひらけているっていう感覚とはずいぶん違い
ますね。
関東ローム層の視点からいうと北へ向かうことは、どこまでいっても、
はてしなく山深くなるばかりだから、奥のまたその奥どんどん奥で、
ますます奥まってさびしくなるばかりだから、
そういう感覚でいうと、そぞろがみもずいぶんと、もう少し、ちょっと
した覚悟の上での世捨て人へのいざないの役目になっちゃいますね。
だとしても旅の本質はそんなにぶれていないかも。わかんないけど。
なぜ北なのか、は、想像でしかないけど、関東ローム層くんだり、から
すると旅はざっくり北か西だから、もうひとつの都のほらはききあきてる
だろうから、もっといにしえのかおりのする和泉文化のほうが、
ミステリアスだったのかなあ。
すいません適当なことしか言えなくて。くんだりは冗談ですよ。
heartmind様、こんにちは。
そして、不躾な拙問に快くご回答下さり、本当にありがとうございます。
>なぜ北なのか
ご指摘の平泉文化は、次のご回答であらためてうかがうとしまして、
>北へ向かうことは、どこまでいっても、
>はてしなく山深くなるばかりだから、奥のまたその奥どんどん奥で、
>ますます奥まってさびしくなるばかりだから
この箇所にとても心惹かれました。
深き山々をしたがえたかの地で、街道の宿場町を一歩外に出れば、
ますます奥まって、たいそう心許なく寂しさが募っていきそうな感じですね。
おっしゃるとおり、たしかに、そぞろがみの誘いも勢い増しそうな。
そして、それって。
どこか、ドイツの黒い森(Schwarzwald)にも通じているのかも。
ロマン主義時代の絵画において、荒涼とした廃墟や、大きな槲の木、
海や山岳風景などの題材が描かれているのですが、
いずれにおいても、とても幻想的に映るのです。
鬱蒼とした森林に足を踏み入れると、
自然の中に自己回帰するというか、
森と一体化することによって、雄大な景観に対し、
相対的に自分を含めた人間が酷くちっぽけな存在に思えてくる感じ。
>旅の本質はそんなにぶれていないかも。
はい、そうなのですけれども、
やはり北(東)か南(西)かによっても、
そぞろがみも誘い方を少々変化をつけていたりして。
>分水嶺を超えること
なるほど、了解です! 次に進みますね。
No.23
- 回答日時:
間違った
遠くへ行きたい・・・でした
知らない町を歩いてみたい・・・
hetanosuke様、
ご丁寧に、訂正をどうもありがとうございます。
>間違った
>遠くへ行きたい・・・でした
そうなのですが、でもでも、
「遠くへ行くたい?」のほうが、
九州の博多方言ぽいというか、
何とも言えないほのぼのさが感じられて、
案外イイものかもしれませんよ?^^
博多と札幌は、「二度泣き」する地だと、
銀行員時代に聞かされたことがあります。
赴任時に「思えば遠くへ来たもんだ」と泣いて、
帰任の際、あまりに居心地が良くなってしまって、
「帰ろかな、帰るのよそうかな」と泣くので、
だから「二度泣き」らしい、と。
No.22
- 回答日時:
ジェリー藤尾・・・遠くへ行くたい
山口百恵・・・いい日旅立ち
どちらも大ヒットした
歌詞もメロディーもいい
芭蕉におとらず・・・
旅は
移ろいゆく中にあって、移ろいなきものを得ようとすること
永遠の中の一瞬を刻みつづける・・・進行形
秋なので
菊の香や奈良には古き仏たち
秋風や藪も畑も不破の関
荒海や佐渡に横たふ天の川
なんかも
行ってみますか
行くのが旅
hetanosuke様、こんにちは。
お礼が遅くなりました。すみません。
「遠くへ行きたい」は、昭和37年の曲なのですね。
まだ、生まれていなかったけれども、出だしのサビの部分は存じております。
でも、この男性(ジェリー藤尾)が歌った曲だったとは。
で、歌詞を見たら…
1番:夢追い人として遠い知らない街に行きたいと願う
2番:愛する人と巡り逢うために、遠い街へ行きたい
1番2番で少々旅のニュアンスが異なるように感じたのですが、
でも、おっしゃるように「行くのが旅」なのでしょうね、きっと。
「いい日旅立ち」の流行った当時は、
ちょうど小~中学生になったかどうかの年頃で、
谷村新司が作詞作曲だと、いまあらためて気付きました。
歌を道連れに…か。
いずれの曲も、詞が特に素晴らしいと思いました。
そして、これらの歌謡曲って、少なからず、
西行や芭蕉の系譜を辿れるのでしょうか。
どうでしょうね。
>旅は
>移ろいゆく中にあって、移ろいなきものを得ようとすること
>永遠の中の一瞬を刻みつづける・・・進行形
移ろいの中の永遠って何でしょうね。
生々流転の中で進行形の旅人が得るものっていったい、それとも、
「よどみに浮ぶうたかたは、かつ消えかつ結びて久しくとゞまる例しなし」と
旅人が川岸にふと立ち止まり、水鏡に何かを見出すものだとか。
>菊の香や奈良には古き仏たち
>秋風や藪も畑も不破の関
>荒海や佐渡に横たふ天の川
思わず「行ってみますか」「はい」と、誘われたくなるものばかりですね。
「荒海や~」は、先人を想い、心象の景観を見立てているのかしら。
日本の四方は海に囲まれてはおりますが、
太平洋、日本海、瀬戸内海、オホーツク等々、それぞれが異なり、
四季折々でもまた、趣が様変わりするのですよね。
…そして、尖閣諸島の周辺海域も穏やかであってほしいです。
ご回答をありがとうございました。
次に進みます。
No.21
- 回答日時:
ANo.20:投稿爺じい
江戸四十八組のかしら、纏持ちじゃなくて、一番筒先って持ち場。
俺っていわなかった。“あ(タ)しゃねぇ、川からこっちぁ仕事したこたぁねぇよ”
おじさんのいう川は荒川と綾瀬川。隅田川と荒川の間の北千住や向島では仕事した。
漬物っていわないなぁ。おしんこですね。
ちなみに“しんでめ”。一定の範囲の地域(昔は広く、蓮池がいくつもありました)。新田前。
なんだと思いますか?“しんでめいなり”。つまり大きくなって扁額が読めて“新田前稲荷”
原宿には隠田っていう地域があり、町名になっても居ましたが、“しんでめ”は区域もはっきりしないし、人も住んでいないし、町の名前にも為りませんでした。
krya1998様、またまた遅くなりました、すみません。
ご回答をほんとうにありがとうございます。
>私は浅草生まれ、育ちですが、戦災で小3より荒川と隅田川を越えた地域
>向島ですから、隅田川と荒川に挟まれた地域です。
>江戸の川々で井戸端に運ばれる魚
>大川(隅田川のこと)をわたったら江戸じゃねぇ。
>旧(ふる)綾瀬川の真ん中を境にする
>川からこっちぁ仕事したこたぁねぇよ”
>おじさんのいう川は荒川と綾瀬川。隅田川と荒川の間の北千住や向島では仕事した。
なんといっても川のお話がとても私の心に残りました。
東京における川の果たしてきた大きな役割と、
人々の暮らしの下支えにつき興味深く拝見させていただきました。
>江戸四十八組のかしら、纏持ちじゃなくて、一番筒先って持ち場。←面白いですね
行く川のながれは絶えずして、しかももとの水にあらず。
川は、こちらの岸とあちらの岸という異なる世界を隔てる境界であり、
その上にかかる橋も結界のような意味合いとして、
古くから運命的な人の出逢いと別れ、さらには
死生観をはぐくんだ超常的な空間だったのでしょうね。
そういえば「戻り橋」などというのもありました。
krya様のお近くにも小さな橋やその名残などありますか。
それにしても、何かもったいない気も致します。
東京の街の発展に欠かせなかったにせよ、
高速道路や河川運河の埋め立てによって失われたものもかなり多そうな。
江戸湾の大きな大きな湿地帯にやってきていた鳥たち、
いったいどこへ旅立っていったのでしょうね。
>漬物っていわないなぁ。おしんこですね。
>ちなみに“しんでめ”。
ん~。何ともいなせな感じですね。
そういえば「佃煮」って、佃島の由来でしょうか。
新田、隠田…当たり前のことながら、交易のみならず、
川はかけがえのない稲穂の恵みをもたらしている(た)のですよね。
旅の醍醐味というものは、
旅程の遠近や日数云々ばかりではないのだと、
あらためて気付かされました。
歩みを一歩前に進めることって、そのまま人生と重なりますね。
日々、小さな発見や再認識の連続で。
あかあかと日はつれなくも秋の風
今日はまた少し暑くなるそうですね、御身お大切に。
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