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人を悩ませる救急法は必要ですか? 半年程前に会社(工場) で61才の男性(A氏)が亡くなりました。 夜勤帯だったのですがその時間帯の長だったB氏と私の二人で結果的にA氏の最期をみとる形になりました。(B氏は消防署が来社して行う救急法を受講経験があり、私はありません) その時の状況を説明しますと、昼食後、仕事開始の時間になってもA氏の姿が見えなかった為B氏と私で建家内を探しました。 すると設備の陰で横になっているA氏を発見しました。聞くと背中が痛くて立っていられないとのこと。大変痛そうでしたが、意識もしっかりしていたのでB氏が自家用車で病院へ連れて行くと判断し、車の用意を始めました。しかし、それからものの数分でA氏の容態が悪化したので救急車を要請しました。到着するまでの間15分位でしたがB氏と私はオロオロするばかりで着衣を緩める事と、手を握って声をかけること位しかできませんでした。救急隊が着いた時には既に心肺停止だったそうです。大動脈削離という病気で手の施しようが無かったと聞きました。 が、救急法を受講していたB氏は何もできなかった自分が許せないらしく落ち込み、元気がありません。私がもしその立場でも外傷無く苦しがっている人に生死を左右してしまうかもしれない行動が取れるとは思いません。 上手く書けませんでしたが皆様の御意見を伺いたいと思います。よろしくお願いします。

A 回答 (6件)

>人を悩ませる救急法は必要ですか?



助かろうが助かるまいが、
できることをやる。

やるべきことができて、
それで助かれば言うことなし。

やったから助かるという保証はありませんが、
やらなければ助かるものも助かりません。

知らなければ、できることもありません。

これ、対象を自分の身内に置き換えて考えれば、
すぐにでも習っておきたいと思いませんか。

必要ないと考えるなら、いざ火急の時に何もしない。できない。でよいし、
できればいいな。と考えて講習を受講し、
いざ、その時にできるかどうかはその時にならないとわかりませんが、
受講してなければ何もできません。ただ、それだけです。

私もいざ。。という経験はありませんが、
忘れたころに、機会があるごとに積極的に受講するようにしています。
過去に4回ほど受講しています。

とりあえずAEDの講習機会があれば習いたいです。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます 私は自分の意思で「医療」に足を突っ込むなんてできません。こわすぎます。 二度とあのような場面に遭遇しないことを祈るだけです。 ありがとうございました。

お礼日時:2010/09/15 12:45

>ですが本当にそれをすることにより、殺さないまでも症状を悪化させたりすることはないのですか?


そりゃあ万に一つはありますよ。
肋骨が折れてて肺に刺さるとか。
ですがどうせ99%死ぬ命です。
そんな万に一つのリスクより、いま心臓が止まっていることによって死ぬことを恐れるべきです。
これは素人だろうと救急救命士だろうと医者だろうと同じことですよ。
100%なんて誰にもできないし、ましてや素人にそんなことは期待してないんです。

あえて厳しいことを言いますが、
たまたま他人だから良かったものの(良くないけど)、これがあなたの妻子だったらどうします?
やるだけやったけど助けられなかったならともかく、もし見殺しなんてしたらこの先生きていけませんよ。
ある意味最高の勉強をさせてもらったんですよ。
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この回答へのお礼

再度の回答ありがとうございます。 「 最高の勉強…」 いろんな意味でまさにそのとおりだと思います。 自分の家族におきたことだったらと考えれば、やはり救急法をとなるのでしょうね。 ありがとうございました。

お礼日時:2010/09/16 00:23

こんにちは。



時々、一般市民向けにも救命講習をしていますが、この投稿をみて改めて教えるだけではだめなのかも、と思います。

救命講習では「こうすれば助かるかもしれません」と教えます。ですが、どうしても「助かる」ほうばかりが強調されてしまって、本当は心肺停止の救命率は意外に低いのにそこの所は触れられません。
さらに、メディアも救命された事例は報道しますが、当然大多数の救命できなかった例は報道されませんので、あたかも救命処置を行えば救命できると思ってしまうのでしょう。

ただ、救命法はそういった側面はありますが、やはり皆が知っていて少しでも早く処置できることが救命率をあげる事は間違いないのです。
それに、Bさんは、着衣を緩めたり救急車を呼んだりしていますから、その時できる「最善」のことをしました。そこに医師がいたとしてもそれくらいしかする事はありません。

おつらい事と思います。
ですが、質問者さんとBさんは「何もできなかった」わけじゃないです。最善の事をしたのですから、自信をもってください。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます
実際に講習を催されている方の御意見をうかがえて嬉しく思います。 回答者様の講習では分かりませんが私の会社ではただの慣例行事の一つで、受講された人に聞いても よく覚えてないという人がほとんどです。救急法の考え方からすると「それでも知らないよりはまし」 なのでしょうが。 ありがとうございました。

お礼日時:2010/09/15 21:08

>B氏は消防署が来社して行う救急法を受講経験あり


と言っても、実際に人が倒れているからすぐ心肺蘇生法を出来る人(医療従事者以外で)は 奇特な人だと思います。
実際は、気が動転してしまい救急法のことは、飛んでいってしまっているかたが多いと思います。

>到着するまでの間15分位でしたがB氏と私はオロオロするばかりで着衣を緩める事と、手を握って声をかけること位しかできませんでした。

これが出来たことは、良いことだと思います。
aobabaさんも、Bさんもご自分を責めないでください。

私の会社でも半年に1度 消防署のかたに来ていただいて、普通救命法を講習してもらっていますが、
(受講者は、一定以上の管理的立場にある人、交替勤務のリーダーなど)
受講した人たちが aobabaさんのような場面にあったとしても、救急法をできるか?です。

私は、会社で健康管理をする立場で、今のところ心肺停止寸前になった社員はいませんが、
急に具合が悪くなり動けなくなったかたがいると 私に連絡が来ます。
現場に行ってみると、具合が悪くなったかたを取り囲んでオロオロ・・・・
着衣は緩められていませんし、手を握って声をかけたり、痛がっている部分をさすっているかたもいません。
みんな気が動転していて 救急法は飛んでいっているようです。

私の経験ですが・・・ 15年前に父を心筋梗塞で亡くしました。
仕事(屋外です)の休憩時間中、煙草を吸いながら倒れたようですが、一緒にいた数人は 何もできず、救急車を呼ぶことが精いっぱいだったようです。
煙草を吸いながらだったので、ヤケドを心配した人が煙草を離させてくれたと聞きました。
救急車で病院に着いた時には、心停止でした。でも・・・
私は、当時も今も『救急法が出来る人がいたら・・・』と思ったことはありません。
思うとしたらは、『何で私のいるところで倒れなかったの!!と父に言いたい』です。

大きな大きなショックだと思いますが、決してご自分を責めないでください。
>到着するまでの間15分位でしたがB氏と私はオロオロするばかりで着衣を緩める事と、手を握って声をかけること位しかできませんでした。
これも立派な応急手当てです。
医療従事者がこのように言っていることを Bさんにもお伝えください。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます あれからその時の話には触れられていませんが、機会があったら回答者様のおっしゃることを伝えたいと思います。ありがとうございました。

お礼日時:2010/09/15 12:31

心肺停止になっていたのなら、心マをするべきでした。


心マをしても死ぬときは死にます。ですが心肺蘇生をしなければ確実に死にます。
だから、心肺停止に陥ったら、絶対に心マをするべきです。

生死を左右するといいますが、間違って生きる命を殺す可能性がるならともかく、なにもしなければ死ぬやれば助かる可能性がある、こういった場合に生死を左右するといった表現はあまり適切ではないと思います。自分が殺す可能性などないのだから、やれることをやってあげるべきです。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます 心臓マッサージするべきでしたよね。 しなかったことを悔いてます。 ですが本当にそれをすることにより、殺さないまでも症状を悪化させたりすることはないのですか? 素人は症状が把握できない。できないからダメもとでなんて手が出せないんです。言い訳じみたコメントですが、大半はそうだとおもいます。 ありがとう ございました。

お礼日時:2010/09/15 09:57

祖父に対し心肺蘇生術を使用するも、救命に失敗した者(元医療職)です。



まず、症状を聞き、着衣を緩めること、手を握って声をかけること、どちらも立派な応急処置です。
その行為によってAさんの苦しみをやわらげることができていたかもしれません。
それだけでも意味はあったと思いますよ。

今回の件は急激に症状が進行し、為す術も無かったケースにお見受けします。
そのような現場に遭遇しさぞかしショックを受けていることでしょう。
しかしながら、あなたやBさんのとった行動はAさんの最期を僅かでも安楽なものにしたのではないでしょうか。

急病の現場に遭遇、対処すると誰しもがショックを受け心理的に変調を来すと言われています。
しかしながら、その対処によって救われる命があることも事実です。
救える命があるなら救う、私はそう考えて居ます。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます 大変救われます。 お葬式に行っても親族の方々に対して、うしろめたい気持ちでいっぱいでした。 同僚は私の比ではないと思います。 回答者様のおっしゃる通り、最期の時少しでも痛みを和らげる助けになっていたと信じたいです。 ありがとうございました。

お礼日時:2010/09/15 01:51

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