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 私は外大生です。卒論執筆にあたり、まずもって「原書を講読する」ことが使命となっています。しかし、それだけではもちろん論文にならないので、自分で設定したテーマについて論じなければなりません。

 ですが、私のゼミの先生はゼミ生への論文指導を一切してくれません。「(原書の)和訳は見るけど、論文は自分で書け」と言います。「俺も学生の頃は論文指導なんかしてもらったことがない。そんなのは、自分で試行錯誤しながらやるもんだ」の一点張りで全然取り合ってくれません。

 はっきり言って、ずるいなー、と思います。なぜなら「原書の和訳を見るのは自分の研究の足しにもなるからするけど他のことは知らん。勝手にやれ」という姿勢に見えるからです。大学教師は研究と教育が仕事なのではないですか!?正直なところ、こんな教師は専任から外して代わりに非常勤の熱心な先生を専任に上げてもらいたいくらいです。

 こんなことはよくあることなんでしょうか?

A 回答 (8件)

教育歴20年を越える大学教員で、その間、2つ大学を移動しています。

現在いる大学は、国立大学で大学院博士課程まであります。学生としての経験者の回答からすると、論文指導なしが当たり前のようですが、理系・文系を問わず、私の経験や同僚から見ると、信じられません。論文のテーマは、4年生の4月に決めますが、テーマを決める過程では3回、1回につき30分から1時間相談に乗ります。テーマ決定後は、隔週に計画を聞いたり、進捗状況を報告してもらい、アドバイスします。場合によっては、学生と一緒に資料調査に図書館や、インタビューが必要な場合は、教官と一緒の方が応じてもらえますので、一緒に行きます。書き始める前には、目次構成を作らせ、他の学生と一緒に3、4回は議論します。秋からは実際に書いた原稿を月1~2度は出させ、資料の使い方、関連文献の紹介、文章などをチエックし、助言します。最終的な原稿になる前に、最低2回はすべて目を通し、「テニヲハ」や注のつけ方などをこまごまチエックします。
卒業論文とは、自分で長いまとまった文章で論旨を展開する能力を身につけるものですから、論文が良かったか悪かったかを評価することが目的ではありません。論文を書く手順を通じて、指導してもらい、客観的に物事を見、自分の意見と他人の意見を区別する訓練の機会なのです。論文は自分で書くのが当たり前です。けれども、論文を書くためには、指導が必要なのです。小中学生の作文ではありません。講師というからには若い方でしょうから、学生の論文指導より研究論文を書いて昇進することにどうしても気が向きます。本人だけの問題ではありませんが、プロとしていかがなものかと思います。
 さて、どうしたらよいか。あなたの不満は当然ですが、こういう問題は、先生とやりあっても不毛です。良い先輩、院生を見つけましょう。同学年での勉強会も有効です。もしうまくいけば、面倒見の良い他の先生に聞くのも良いでしょう。他の先生に「指導を受ける」となると角が立ちますが、疑問を聞く程度ならOKでしょう。もちろん、その先生のところにもあしげくかよって和訳のわからないところを質問しましょう。不満は大きいでしょうが、大学教員はプライドが高いので、簡単には意見を変えません。先生を使いこなすことも大事です。
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この回答へのお礼

大学教師がプライドをもつのは大いに結構なことですが、それはそれ相応の中身があってこそのことですよね。業績も教育能力もまだまだ不十分な教師がプライドをちらつかせたところで学生には滑稽に映るだけですし。でもこういう教師に限って「俺は学者だ!プロだ!」と豪語するんですよね…。ゼミ生一同辟易しています。ところで今回は納得のいく回答を寄せていただきましてありがとうございました。大変参考になります。主査の講師にはこのような目に遭っている私ですが副査の教授には認めてもらえているのでそれを励みにがんばりたいと思います。

お礼日時:2003/08/05 01:17

文系のことは詳しく存じませんが…


理系では修論すらそんなもんですよ。ある程度大雑把な課題を与えられてそれについて論文になりそうなテーマをみつけ、実験し、形にする。あとは指導教官がオッケーというまで持っていて怒られ、なおして持っていって怒られるの繰り返し。最終的には自分で自分のケツを持つことが求められるわけです。

その研究室の人が過去にかいた修論や卒論はありませんか?それを見比べれば足りないところ、十分なところもわかるでしょう。

時々、わたしの研究室でもあまりに大雑把な課題で何をすれば良いのかわからないとか文句言う人もいますが教授は知らん顔でどういったことが論文になるのか自分で考えろといいます。

はっきりいってよくあることでしょう。
まずはプロットを書き上げて持っていき、怒られましょう。話はそれからです。がんばって。
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この回答へのお礼

怒られて突き返されるくらいならいいんですけどね。とにかく、何を書いても「ふんふん」と言うだけでノーチェックなので。

お礼日時:2003/08/04 13:54

まずは「指導」についてどう思うかについて、コメントをして頂きありがとうございました。



「卒業論文」とは、その執筆者が卒業するに足る能力を修得したかどうかをはかる試験の意味合いが強いのです。したがって原則としてあなた一人で書き上げることが要求されます。テーマの選定はもちろん、あなたのおっしゃる「論文として通用するものかどうかのチェック」も含めて、あなた自身がするべきことです。

教官側のチェックとは、すなわち論文審査によって卒業の可否を決めることです。

あなたの卒業論文の発表者は、あなた一人です。ですからあなたが一人で責任を持って執筆しなければなりません。その点が対外発表とは違う点です。学術雑誌への投稿や学会発表など、対外的な発表においては指導教官と連名になることが多いと思います。その場合には指導教官も発表者の一人なので、当然ながら指導教官も発表内容に責任を持ちます。

学生の卒論に口を出すような教官こそ、真の教育者ではありません。
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この回答へのお礼

二度目の回答ありがとうございます。実は、「チェック」は自分以外の誰か他の人=主査・副査がするものだと思っていました。

お礼日時:2003/08/04 13:51

大学院を終了後、社会人で研究生をやっています。


私の経験(農学)ですが、卒論を短期大学、4年制大学の2度書いていますが、指導教官は、2度とも執筆にあたり、論文指導をしていません。原著論文のチェックと最初の論文計画提出時には、こまかく2時間づつ3回くらい面接がありましたが、そのあとは、放任主義でした。いずれも、同じ研究室の先輩が結構面倒をみてました。
こんなことは、よくあります。

<「原書の和訳を見るのは自分の研究の足しにもなるからするけど他のことは知らん。勝手にやれ」

きついことをいいますと、原書の和訳見れば、どの程度テーマを理解して、だいたいどのような論文になるか推察できますもの。自分の研究のたしには、ならないと思いますよ。同じ専門分野で卒論を書いているのなら、当然目をとおされているはずのものです。

>俺も学生の頃は論文指導なんかしてもらったことがない。そんなのは、自分で試行錯誤しながらやるもんだ

この先生のおっしゃることは、たいへん厳しいですが、卒論の目的を明確に語っていると思います。卒論は、習って書くものではありませんし、(その学校ごとの提出体裁の章だてとか、フォーマットはペーパー何枚かで説明されていると思います。)本来、大学の授業で受けた講義(これは、ガイダンスと同じです)を元にして、自分の研究等を集大成したものですから、第一稿ができるまでは、何を指導するのかな?という感じです。今から、指導教官が論文に手入れてたら、あなたの論文ではなくなります。


>大学教師は研究と教育が仕事なのではないですか?

最近は、学生さんの多くが、教育=教えてもらうことと思っていませんか?大学の教育は、自分で考えることを取得するのが本来の姿です。子供を千尋の谷に突き落とすライオンみたいな先生もまだいます。この方が、自分で考える力ができて世の中でて強くなります。
私の学校も、少子化で指導教官が、手取足取り至れり尽くせりで、だれの論文かわからなくしている研究室やゼミもありますから。
学生から一見みて非常勤の先生が熱心でもあなたのためになるかどうかは、別の話ですよ。

ちなみに、私が今見ている学生達は、いわれたフィールド調査をきちんとしていないのに、指導してくれといってきていますが、指導するべき内容に達していないので、今の時期では、私は、みません。





<こんなことはよくあることなんでしょうか?
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この回答へのお礼

大変詳しい回答をありがとうございました。

お礼日時:2003/08/04 13:27

 maria274さんがどれだけのことをした上でその講師の方と話をしているのかわかりませんが、アウトラインや下書きを持っていったときに全然見ずに突っ返されたのならどうかと思いますね。



 しかし、テーマ選定やどの本・論文を読めばいいのかまで講師にやってもらおうと思っているのなら、そんなレベルを拒絶するのは大学教官としては当然のことですし、maria274さんが甘いと思います。

 ついでに書くと、「原書の和訳を見るのは自分の研究の足しにもなるからするけど他のことは知らん。勝手にやれ」というのは自分のやっていることを過大評価しているかその教官のやっていることを過小評価していると思います。
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この回答へのお礼

そうですね…。突っ返されるというよりは、何を書いて持って行っても「ふんふん」と言って直すべきところがあるはず(だと私は思います)なのに適当に流して見る…という感じです。回答ありがとうございました。

お礼日時:2003/08/04 09:56

私は大学行ってませんので、


卒論の事はよく分かりません。意図と違う回答をしている
場合は無視して下さい。

回答ですが、
私の会社では“昇格試験”なるものがあり、
その一つに“論文”があります。
試験に合格すれば、昇給のチャンスを与えられます。
逆に試験に合格しなければ、昇給しません。

ですから皆必死です。
だれも指導なんかしてくれません。
(会社から部下への過剰な指導は禁じられています)

自分でいろいろ勉強したり、
何度も何度も論文書いては、上司またはその他の人に
添削してもらったり、皆自分で努力しています。

指導ではなく、よくアドバイスされるのは、
『何度も何度も書け!書かなきゃ前に進まない』です。

他人を当てにせず頑張って下さい。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。でも、昇進のために課される論文と研究のための学術論文とでは、やはり違うような気はしますが…。

お礼日時:2003/08/03 16:33

あなたが考えている「指導」を出来るだけ具体的に説明してください。



あなたの研究なのですから、まずはあなたが形になるものを仕上げなければ何も始まらないのでは? それともあなたの大学では、教官が手取り足取り学生の面倒を見るのが標準なのでしょうか?
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この回答へのお礼

私の考える「指導」とは、「学生が書いたものが、論文として通用するものかどうかチェックする」ことです。何でもいいから自分で考えて勝手に書けと言われても、それが“論文”と言えるものかどうかチェックする人がやはり必要でしょう。ただの野放しでは、あまりに無責任では?と思ったのです。自分が書いたものが本当に「論文」なのかどうか分からないままでは院に進学するときも困りますしね。

お礼日時:2003/08/03 16:32

担当の先生は教授ですか?


それとも助教授ですか?
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この回答へのお礼

実はまだ「講師」の人です。

お礼日時:2003/08/03 16:29

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