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先日、メディア・マスコミの不公平かつ不平等な報道姿勢を目の当たりにする事がありました。それと同時に、そんなメディア・マスコミの報道姿勢のままでは民主主義を執り行えないし、民主政が堕落していくのではないか、ととてもショックを受けております。

しかし一市民として、一国民として、メディア・マスコミに立ち向かえるかと言いますとそうではありません。一市民、一国民としての発言はとても弱いものの様に思います。

メディア・マスコミが偏った情報を提供するのではなく、記者たちの倫理道徳に沿った民主主義として在るべき姿へと市民・国民がチェックしていく働きがあれば良いなと思うのですが、具体的にはどうすれば記者たちの倫理道徳や報道精神をチェックしていけるのかが分かりません。

どなたか良いアイデアを持っている方がいらっしゃいましたらご教授頂きたいです。

A 回答 (10件)

SCR84063です。



重ねてご質問がありましたので私でよければお答えします。
結論から言うと、明確な答えはありません。
理想の社会を実現する方法などないように、理想のマスコミを作る方法など、あれば誰も苦労しません。

歴史の中でマスコミは政府の宣伝に利用されたり、戦争に加担したり、嘘の報道をしたり、不公正なことばかりやってきました。
今に始まったことではありません。

しかし、今ここで具体名は申しませんが、市民系の雑誌とか報道系のNPOとか、市民の側に立った公正な報道を目指す人たちもたくさんいます。
きっと、みなさんいつかは資本家の代表である巨大メディアを倒す気概を持って頑張っておられれると思います。
例えば、大手メディアが広告主に配慮して触れない問題などを検証していたりします。
テレビ新聞で報道されないが、私たちの生活に多大な影響を与える、恐るべき事実はたくさんあります。
テレビ新聞だけを見ていたら、能天気なバカになると私は思います。

あなたもそのようなメディアを一度ご覧になってはいかがでしょうか。
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この回答へのお礼

> 重ねてご質問がありましたので私でよければお答えします。
結論から言うと、明確な答えはありません。
理想の社会を実現する方法などないように、理想のマスコミを作る方法など、あれば誰も苦労しません。


SCR84063さん。
重ねてのご回答ありがとうございます。

市民系の雑誌や報道系のNPOの存在を知りませんでした。市民目線の公平かつ公正な情報提供が為されている動きがあるという事は、僕は知りませんでしたがマスコミ・マスメディアに対する牽制役の存在として大きな一歩だと思いました。

今後、注目しようと思っています。

ありがとうございました。

ところで、理想の社会を実現する方法について、無いを前提にされている様ですが僕はあると思っています。時間が掛かったり、苦労があったり・・・何でもかんでも直ぐにうまく行くとまでは僕も思いませんが。

100年前は、空を飛ぶことは10秒しか許されませんでした。200年前は空を飛ぶ事が現実のものになるとは誰も考えませんでした。ですが、空を飛びたいという理想を持つ事は誰もがみんな持つ事が可能で、ギリシャ神話のお話の中にもイカロスが空を飛ぶという話が出て来るほどです。

遥か昔から、漠然とした理想ではありましてもそれを持っている事が次の段階へと移っていったのだと理解しています。

理想を持ち続ける事は、理想を実現する上で最も大切な事だと思っています。また、単なる理想で終わらず、理想を明確に描き得るところまで来れば、実現は可能なんだと思います。

理想の社会を実現する事よりも、理想の社会を明確に描き切る事の方が僕には難しい気がしております。明確に描き切るならば困難はありましても、それは必ず通せる道だと思うからです。その道は困難というよりも、喜んで行く道ではないでしょうか?理想に向かっている一歩ですので。

正直を申しまして、僕は現段階ではマスコミの理想の在り方を明確に描き切っているか?と言われるとそうではありません。ですが、現状のままのマスコミが理想状態でない事だけは明確です。

民主政の日本にあって、民主主義の精神を裏切り、報道の倫理道徳が欠如しているマスコミ・マスメディアをそのままにしておいて良い筈はありません。理想の在り方が明確に描き切れるまで、僕はこうした追及をし続けたいと思いますし、SCR84063さんを始めとしまして今後とも多くの方の力を借りたいと思っております。

> 理想の社会を実現する方法などないように、

と言われる事が、言葉のあやで出たものであったり、SCR84063さんの本意ではないけれども偶々そうした表現となっていただけだったのでしたら僕の早とちりや勘違いですし蛇足となります。ですが、情報提供をして頂いたSCR84063さんには理想の状態を描きながら接して頂きたかったというのが本音でございます。

今後ともよろしくお願い致します。ご協力ありがとうございました。

お礼日時:2010/11/23 12:19

ANo.4です。


追加質問に私なりの回答をしてみますね。

>重ねた質問で恐縮ですが、現段階では情報リテラシーがインターネット上で身に付く様な試みというのは、どういった事例があるのでしょうか?もしご存知でしたらお教え下さい。

私は、ネットでの情報収集に関しては以下のように気をつけています。
まず、ドメイン名の末尾に注目します。
ドメイン名末尾というのは、ホームページのアドレスの最後に付いてる「.ac.jp」とか「.com」とか言うヤツです。
もちろん、そのあとの「/」以下もアドレスではあるのですが、それはホームページ内のコンテンツに割り振られているアドレスなので。
んと、イメージ的には、パソコンの「マイコンピューター」までがアドレスで、その先の「Cドライブ」以下がホムペの「/」以下だと考えると良いかもしれませんね。
とまぁ、それは余談なので先に進めます。

「.co.jp」とか「.com」とかいうのは、なにも適当につけられているわけではなく、ある程度一定のルールの下に割り振られています。
日本で使われる代表的なのを書き出してみると、

「.com」・・・商業用のページにつけられるドメイン。世界中の誰でも使用可能
「.co.jp」・・・株式会社、有限会社、信用金庫など
「.org.jp」・・・非営利組織用
「.ac.jp」・・・学校法人や大学などの教育機関
「.go.jp」・・・政府機関や各省庁
「.or.jp」・・・財団法人、社団法人など
※「.jp」は日本に割り振られたドメイン。他にもアメリカは「.us」、中国は「.cn]、韓国は「kr」g」などがある
詳しくは下記を
http://www.nic.ad.jp/ja/dom/basics.html
http://www.nic.ad.jp/ja/dom/types.html

と、ドメインを視ればおおよそ誰が発している情報かがわかります。
そして、「.ac.jp」や「.go.jp」は、公的機関なので、その機関の世間での評判やネット上での裏付け捜査がしやすいので、ある程度信用できるいえます。
財団法人や社団法人をただの「天下り機関で不要の産物だ」などと、ステレオタイプにとらえてはいけません。
日本には優秀な法人が多数存在します。
逆に「.com」や「co.jp」は、誰でも使えるので信用度はぐっと下がります。
誰でも使えると言うことは、意図的に嘘の情報や誰かをおとしめるための誹謗中傷が書かれてある危険性があります。
さらに、ネットでは匿名であるのが当たり前なので裏付け捜査もやりにくいといえます。
ブログ・ツイッター・youtube・にこにこ動画などの各種コンテンツにも同様なことが言えます。
動画にも同様の事が言えるのは、動画は誰にでも簡単に編集でき、編集次第では視ている人を誘導することができますので。
今回の「尖閣問題の流出ビデオ」なんかは好例ですかね。
あれなんかも、もしかしたら別な事件の映像を「今回の事件だ~」とか言って流したのかもしれませんし。
その割に当初からネットや報道なんかは「本物だ」という予断のもとに、あ~だこ~だと議論されましたしね。
まぁ、報道は船の名前や色なんかで本物かどうかを検証してましたけど。

まとめると、、「.ac.jp」や「.go.jp」は、公的機関なので情報の信用度は上がり、検証するときの材料も豊富とまでは言えなくとも、そこそこそろっている。
一方、「.com」「.co.jp」その他は、不特定多数の人が匿名で情報を流しているので注意が必要。
検証する材料も乏しく判断が難しい。
ネットでの情報収集には、上記に気をつけて行動すると、情報リテラシーの技術が向上していくと思います。

もちろん、上記の観点は他のメディアについても言うことができますね。
例えば、「本」なんかも出版社の主義主張や思想なんかが背景にあったりしますし。
新聞も朝日はリベラル、産経は保守、読売は大衆迎合などの特色もありますしね。
また、新聞記事には「事実を知らせる文」「取材対象者の意見」「記者の意見」「会社としての意見」などなどに分類できます。

ではでは、長文で失礼しました。
参考になれば幸いです。
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この回答へのお礼

丁寧なご回答をありがとうございました。

自分自身が、情報をどの様に収集するか?という点において非常に参考になりましたよ。私自身、電子情報学を専攻しておりましたが、情報学の概論にも出てきそうな何だか懐かしい雰囲気を感じました。今後には益々活かしていきたいと思います。ありがとうございます。

ところで、僕は福岡地方選挙の動向に着目しておりました。そこでは、立候補者を始めとして、多くの市民の方が福岡市政について情報開示の不十分さと説明責任を果たしていない事について問題視されておりました。それは、福岡市政だけに留まらず、日本の国政についても言える事だと思っております。

公的機関は確かに情報を発信しておりまして裏づけを取り易かったり事実確認をし易かったりするであろう事は承知しております。ここで僕が注視しているのは、それが情報の100%ではないという事です。

公的機関による情報発信でさえ充分な情報量の提供をしておらず、予めある程度が意図された情報のみを事実として発信しているという点に驚愕しているというのが、この度の質問に至った背景でもございます。マスコミも公的機関の事実情報も、それが全体像ではございませんでした。

部分的な情報とは言え事実は事実なのですから裏を取る事も事実確認をする事もできますが、それが全体像ではなかったという点にショックを受けております。

この状況を変えたいとするのが僕の立場です。

ご回答の最後の方にある、事実・意見を切り分ける事と、意見の出所を切り分ける事などは特に参考になろうかと思います。それを僕一人で行う事はある程度の時間をかけて出来るかと思います。次に、僕一人ではなくて多くの人にも知ってもらったり理解してもらったりする事をどうにかして果たしたいと思っています。

別の回答者さまの意見から浮かんだアイディアとして、新聞・テレビを上回る新しい何か?を持ってすれば時間はかかったとしましても有力な道なのではないか?と思っているところです。

インターネット上で、新聞・テレビ以上の意味や価値を得る事が出来る道について今は関心を持つに至っておりますが、そこにtyr134さまの仰る情報リテラシーが働いて、事実と意見、そして意見の出所について情報を受け取る側の判断力や知恵が膨らんでいく事となれば、新聞・テレビの緩やかな淘汰と同時に知恵ある情報抽出の場が広がっていく気がしております。

どんな場が、そんな場となるか?については未だイメージがありませんが・・・

お礼日時:2010/11/22 14:00

一番重要なのは、新聞は取らない、テレビは見ない事、時間掛かるが淘汰出来ます。

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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

それは僕一人が・・・という話ではなくて、多くの人が・・・という事で理解して宜しいですね?多くの人が受け取らなければ、そもそも新聞やテレビ自体を必要としなくなるので、そもそも運営が出来ないから淘汰されていくという発想なのだと思いましたが。

僕は、本当に必要な事は時間をかけてでも行うべきだと考えています。というよりも、必要でない事だったら例え短時間で出来る事だったとしてもそこに身を投じたいとは思いません。

my-hobbyさんのご回答では、時間が掛かるが淘汰出来る!との事。それで僕も考えてみました。

僕一人はそれは可能です。現に、福岡市長選挙2010の動向に着目するまでは、新聞もテレビも見ておりませんでした。それが一人ひとりと広がっていき、最終的には大勢の人が新聞やテレビを見なくなるという状態を創れれば、民主主義の精神や報道の倫理道徳という理想に一歩近づけるものと思います。

今まで新聞やテレビを見ていた人が何の理由もなく新聞やテレビを見る事を止めるのは難しいだろうと思えます。ですが、止めるには止める理由があるでしょうから、止める理由も同時に提供してあげられる何かがあれば・・・と思いました。新聞やテレビを見る事よりも意味や価値があるものと出会った時には、新聞やテレビを見る事を進んで止めるだろうと思うに至りました。

my-hobbyさんを含めて皆さんに重ねてお伺いしたいです。もし知恵がありましたらご教授下さい。

新聞やテレビを止めるだけの理由を持ち得る代案として、一体どの様なものが考えられますでしょうか?新聞やテレビを見ていた時に得ていたもの以上のものが、そこから得られるから新聞やテレビに頼る人は少なくなっていくものと思います。良い知恵がありましたらお教え下さい。

お礼日時:2010/11/22 13:26

テレビ、新聞とも落日のメディアです。


生き残りに必死なので、公正な報道は望めません。
どんなメディアも商業的な面があるということを考えなければなりません。

100%正しく、信用できるメディアなどないのではないでしょうか。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

僕もそう思っております。100%正しくて信用できるメディアは恐らくないでしょう。そして、商業的な側面がある事も、ある地方選挙の動向に着目していた事を通してよくよく理解できました。

その事を分かりながら、ただ屈するのが嫌だから質問をしております。

僕は、民主主義の精神と報道の倫理道徳が回復される事を理想とは思っておりますが、その現実化の為には、直接マスコミやマスメディアに求めるよりは、自分たちからは一体何が出来るのだろう?というところに意識を置く事だと思っております。

民主主義の精神と報道の倫理道徳が回復される動きは、僕自身から始めたいと思うんですね。ただ、僕一人が何かをマスコミやマスメディアに何かを言っても余りにも非力な事も分かっています。ですから、マスコミから観た時にもある程度の判断材料になるくらいの影響力を持ちうるにはどうすれば良いのだろう?というところで知恵が必要でした。

重ねた質問で恐縮ですが、もし宜しければで構わないですので知恵がありましたらご教授下さい。

マスコミ・マスメディアがその影響力を無視できないものとして、財力や権力から来るものではなく、市民や国民から来るものとしては、一体どういうものがあるのでしょうか?或いは逆に、市民や国民から来るものとして、一体どういうものはマスコミ・マスメディアは無視したり無関心を決め込むのでしょうか?

お礼日時:2010/11/22 13:07

(スポンサー企業にメール、)民放はコマーシャルで経営ですのでスポンサーにメール等投稿が良い




偏った報道してるスポンサーに不買運動のメールする、ネット新聞等に不買の投稿もする、
これは偏った判決的意見を言う司会者降ろすのも同じ、又元体操の記者経験も無く意見言ってるコメンテータも降ろす
(報道は現地に行って検証もしてないニュース報道司会者は首が基本)

皆同じ記事の新聞テレビの淘汰は時間の問題と思う、最近商品売る番組ばかり増えたの見れば解る
こんな物ネットで検索が早い(電波の無駄使いでエコで無い、資源の無駄)
堀江もんは先見性が有ったね。
ネットと融合してれば、意見も反映するので、駄目な番組無くなったと思う。、
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この回答へのお礼

スポンサーですか?

なるほどですねぇ。僕はスポンサーの事にはそうそう詳しくはないのですが、例えば新聞にしましてもTV番組の企画にしましても、一市民や一国民からスポンサーに届くメールというものがどれくらい効果を発揮するのか?には非常に興味が湧くところです。

もしご存知であればお教え頂きたいのですが、報道精神の不公平さや不平等を感じた事などを書き綴るメールをスポンサーさんに送るという場合ですね、一市民や一国民から届くメールにはどれ程の効果が見込めそうですか?

お礼日時:2010/11/21 00:30

まず記事の文体、その背景に有る思想から個人を割り出すって言うのはどうですか



NETもそうですが、どのような物を批判し、どのようなものを賛美するかで大よそ分りますよ

あっまたこいつかと

読まなくても内容が分る場合もある
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この回答へのお礼

ほう?個人を割り出す・・・ですか。なるほど。

個人を割り出すという事が出来るという事が、マスコミ・メディアという権力に対する牽制に繋がるというところをもう少しイメージしたいところなのですが。gizennsya-puさんでしたら個人を割り出された後に、どんな事をされようと考えていらっしゃいますか?

お礼日時:2010/11/21 00:22

最も効果的なのは、国民一人一人が「情報リテラシー(information literacy)」を身につける事でしょうね。


リテラシー(literacy)とは、「読み書き能力」の事で、「情報リテラシー」とは、

(1)必要な情報を必要なときに必要な手段で探し出し、
(2)その内容の正誤を精査し、
(3)適切な手段で使うことができる能力

の事です。
よくIT業界で使われることから、パソコンやIT技術を使いこなす「コンピューター・リテラシー」と混同されがちですが、これは誤りです。
情報リテラシーの手段とは、インターネット、IT技術、新聞、テレビ、ラジオ、書籍、芸術作品、うわさ話,,,etcなど、あらゆるメディアが使われます、
まぁ、簡単に言えば「嘘の情報に騙されない」って事ですね。
とはいえ、これは言うは易く行うは難しで、普段から意識していないと知らず知らずに悪意ある情報に惑わされていたなんてことになりかねません。
特に、インターネットという不特定多数で匿名な人々が情報を流している世界では、、、。

とはいえ、インターネットが登場した意義は大きく、報道関係者から各国の情報機関まで、この技術がどのように市民に使われ、その結果自分たちに不利益が降りかかってこないか戦々恐々としています。(尖閣諸島問題での政府の慌てぶりが良い例ですね)
そういった意味では、インターネットにおけるマスコミ批判は、zakky74さんの求めるチェック機能として期待できますね。
しかし、先にも書いた通り、不特定多数で匿名な人々が色々な意図を持って情報を流しているのがインターネットの世界です。
マスコミを批判するために、事実を(意識的・無意識的関わらず)ねつ造、偽造、無視、誇大化etc,,,が当たり前に行われています。

そうしたものから自分の身を守りつつ、マスメディアに立ち向かう事ができれば、民主主義をうまく運営する上での相互監視関係が築けると思います。

ではでは、参考になれば幸いです。
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この回答へのお礼

なるほどですね。確かに民主主義をうまく運営するための相互監視関係が築けるならば、こんなに嬉しい事はありませんね。

インターネットを通じて、市民や国民一人ひとりの情報リテラシーが身に付く様になると可能性は広がる様な気がします。重ねた質問で恐縮ですが、現段階では情報リテラシーがインターネット上で身に付く様な試みというのは、どういった事例があるのでしょうか?もしご存知でしたらお教え下さい。

お礼日時:2010/11/21 00:13

当分、後50年は無理でしょう。



オシトヨシな国民、ノー天気な国民詰まりは
バカ?な国民だからです。

・有名タレントのCMの製品を買う。
・テレビで取り上げた商品やお店に貢献。
・未だに振り込め詐欺がある。
・歩行者信号が赤の時、車が全く走っていないのに待つ
 クソまじめさ。

物事に対しての洞察力のない人達(国民)がいる間は
現状打破は無理です。

この回答への補足

物事に対しての洞察力のない人達(国民)がいる間は無理なのは分かりました。ですが、僕はその状態に留まりたくはありません。何とかして突破したいものですが、その場合は物事に対しての洞察力がある人達に溢れ返るならば可能だと言う事でしょうか?

補足日時:2010/11/20 23:57
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございました。

お礼日時:2010/12/05 16:32

どの報道が不平等と思うのかは、思想にも影響されます。


僕は、マスコミの報道特集番組は、半分は疑ってみます。

国民のチェックはこういう感じUPされています。(朝日の例です。)
http://www.youtube.com/results?search_type=searc …

せめて、こういう番組がたくさんあればいいと思います。
http://www.youtube.com/results?search_query=%E3% …

この回答への補足

不平等や不公平と思ったのは、充分な情報量の提供でなかった点がキッカケですね。

充分な情報量があり、議論も公平に飛び交っている状態でしたら、その上で判断する事は偏りがないのかと思いますが、そもそも議論の場に呼ばれなかったり編集などで情報量に制限が加わったりしたとしましても、観ている側からはそれは分かりません。

ところで質問に対する回答は、YouTubeなどにアップされている報道に対するコメントを活用する事という様に受け取りましたがそれで合っていますか?コメントを利用し、多種多様な意見を受け取り、同時に発信するという事ですか?

補足日時:2010/11/20 23:50
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございました。

お礼日時:2010/12/05 16:33

新聞は昔と変らず「大本営発表」です。

記者は権力者とその取巻きです

この回答への補足

そういう側面も大いにありますね。そして、僕はまさにそういう事に直面しました。民主主義の精神を裏切る印象を受けた為にショックでした。その状態をそのままにしておきたくはないと思っています。ですが、一市民・一国民としてでは余りにも非力なところがあります。

そこで質問です。報道精神をチェックしたり、報道の倫理道徳を問う様な動きがあれば良いなと思うに至った訳ですが、マスコミ・マスメディアという権力を牽制しうる程の機能を果たす為のアイディアをお尋ねしたいです。

よろしくお願い致します。

補足日時:2010/11/20 22:46
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございました。

お礼日時:2010/12/05 16:33

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