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恐怖に付いて

脅えがもたらす、さまざまな害悪に付いて

また脅えた人間は妄想の中で現実をどのように転化するのか

精神の欠陥によって蔑みを受けた人間は、どのようになるかまた救われることは有るのか

賛美されることのない人間が虚栄に逃げることは致し方ないのか

誰か知りませんか

A 回答 (4件)

恐怖心と云う言葉の持つ意味には二通りの意味があります。

現実にその恐怖の対象が存在する時にその存在や置かれた立場に置いて『湧き上がる感情』ですが、是は現実を見ている真実の世界で生きていることを言います。

現実にはその恐怖する対象が存在しない時に湧き上がる『恐怖心』は妄想によっています。今此処にはその対象物が無い状況の事を言っていますが、その人の頭の中には『確かにその対象物は存在している場合です』誰の目にも見えなくとも、本人にはその存在が『頭の中には存在しています』

人間の脳は高度に発達したために、見えない物までも見えてしまう場合があります。この場合現実を『肯定的に』捉えながら、肯定的に生きた場合には、芸術や科学の進歩を促すかもしれませんが、否定的な立場から否定的に捉えた場合には、全てが否定する方向になってしまう可能性を秘めていると感じます。

全て否定的になる場合、やること成す事が全てうまくゆかなくなる場合がありますが、その事を説明してみます。

うまくゆかない事を説明するために、始めに上手くゆく事を説明してからにします。

人間の健康や精神的に健康と云う事や地位や名誉が共に付いて回って、おまけにお金までもが付いてくる事を、本当は誰もが願っていると感じます。欲しいと思うものが手に入ってくる状態を『幸福』と呼んでいると感じます。

誰もが求めていながら、誰でもが手に出来たり出来なかったりするものの事を言っています。

この誰もが望んでいながら手に出来る人と、出来ない人が現実には存在しています。手に出来る条件と、手に出来ない条件が分かる時に、恐怖心に付いての現実的な対応と『頭の中だけの対応』の違いが判ります。

求める事が手に出来る条件は、現実的に対応出来る場合です。求める事が手に出来ない条件とは現実的に対応しない場合です。現実には対応していないにも拘らず『頭の中ではその対応を考えていながら、考えがまとまった時にはタイミングがずれている場合』かもしれません。

頭で考える事と、現実のずれが有る場合を『妄想』と云うかもしれません、現実の世界は人間の心或いは感情の浮き沈みを『待って』はくれないからです。

ビジネスの最前線は戦争状態とも言えます。厳しく、激しいものが存在しています。労働時間は労働基準局の言うように一日8時間と決まってはいるものの、その基準内では現実の対応は追いつかない日も存在しています。では如何するのかという事になります。此処をクリアー出来たものが先に、或いは上にのし上がってくる事は自明の理です。

飽く迄も現実的な対応しか現実には存在していません。

ですが人生は毎日が初日です、毎日毎日が初日です。幾つになっても一日しかありません。一日一日を大事に生きる他はありません、頭の中の妄想を相手にしないで、現実に対応する事のくり返しで歴史が出来上がります。

頭の中のことはそのままにして、確実に目の前の現実に対応する他には自分の人生を前に転がして行くことは出来ません。そのくり返しが出来た時、『人間の健康や精神的に健康と云う事や地位や名誉が共に付いて回って、おまけにお金までもが付いてくる事を、本当は誰もが願っていると感じます。欲しいと思うものが手に入ってくる状態を『幸福』と呼んでいると感じます。』

本当の幸福が手に入っているかもしれません、それは、望んでいながら、『望む事さえ忘れている状態です』言い方を替えるなら『欲しがらないで手に出来ている状態』と言えるかもしれません。

人間の意識は『見ようとしたら見えなくなる場合もある』という事です。見ようとしないで『スッと見る』事が正解です。見ようと云う意思を捨てて『只見ること』の意味が判るか判らないかでかなり違う人生になると思います。

湧き上がる感情に支配される人間性に留まるのか、或いは『湧き上がる感情』には流されない人間性を育てる事が出来るのか、この違いで、人はどちらにもなれると感じています。

貧相と云う言葉があります、是は感情を直ぐに顔に出す場合です。感情を感じながらも辛いとか、苦しいとかを言わない時、少しは『貧相』から遠ざかっていると感じますが、如何でしょうか?
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>また脅えた人間は妄想の中で現実をどのように転化するのか



心理学でいう防衛機能を参考にしてみてください。

>精神の欠陥によって蔑みを受けた人間は、どのようになるかまた救われることは有るのか

他人は自分にとって都合の悪い時に蔑むだけです。
真に受けると身が持ちませんです。

>賛美されることのない人間が虚栄に逃げることは致し方ないのか

他人は自分にとって都合のいい時に賛美するだけです。
真に受けるのが能天気というものです。
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対象が明白・具体的・現実的であるにせよ、または漠然と謎めいた発作的な感情にせよ、


恐怖は、わたしたちが現実それ自体を知覚する少し前の想像力によって生み出されている。
そして、知覚する現実はそのような想像の世界に浸されている。
恐怖は本質的に、現実を象る認知の非現実のうちに所属している。
非現実に対する諸感情は増幅され鋭敏であり、多幸感や悲しみがそのようにもたらされることもあるが、
とりわけ恐怖は増幅されて鋭敏であるようにしか訪れない。
過去に起因する不安、あるいは、未来に予測する不安もふくめて、
恐怖はなんらかの欠如、不在の感覚をともない、予見不可能性、不確定性が、なにかの欠如や不在に由来するかのように結びつく。

蔑みを受けた人間は、
その幼年期から少年期に精神の安定を獲得しているならば、他者との関係次第できっかけを摑んで立ち上がることが出来る。
虚栄は癖になると治らないので、賛美されることのない人間の逃げ道としてはすすめられない。
むしろ、いちばん低いところに木から落ちた一つの実のようになって、ほかを見上げるようにつとめて賛美するという賢明な逃げ道がある。
この実には、魔術的なはたらきかけがあり、待っていればそれだけでうまく熟す。

この回答への補足

恐怖心は犯罪と結びつく恐ろしい感情ですが、これが亢進する原因はなんなんでしょう
過去の出来事、今現在の自分の置かれた立場全く関係が無い場合も有ります
有りもしないまぼろしを恐れ、周りの人間に敵意を持ってしばしば罪を犯すのです

補足日時:2010/11/30 08:32
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もうちょいまじめに書いたほうがいいと思う


使い慣れてない言葉多用しないほうがいいしね
あと根本的にどういう意図があってこの問いを出すのかを説明しないと、回答する側も困る

まあたぶんあなたのことなんでしょうけどね

怯えは現実を見ないで自分の心の中を見させようとします。
その心の中というのは、自分の恐れるイメージが映し出されているので、現実にうまく馴染めなくなる

精神の欠陥のある人間は、人間の誰にもあるような病的なものを強く体験することによって、その弱さを深く学ぶことができる。学び終えたらより深い人間になって戻ってこられる。

誰からも評価されない人間が虚栄に逃げ込むのは、ありがちですが
「致し方ない」って何を言いたいのww
少なくとも改善されるべきことでしょ

以上
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