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浅野ながのりの辞世の句がすごくネックだった?って大人になった今思うのです。。。。春のなごりをいかにとやせん。。。皆さんはどう思いますか

A 回答 (4件)

>赤穂浪士討ち入りって?


浅野ながのりの辞世の句がすごくネックだった?

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時代背景や価値観、その追い込まれた環境での遺言や書置きや辞世の句には、後世・平時に想像を超える制約や配慮や心構えが反映されているのではないでしょうか・・・

また、細かな表現やニュアンス、本人の作かどうかの真偽も定かではない不明な部分がありますが・・・
性質・感情面の無念さや思いと立場や覚悟が、教養とか文才&技巧的なものとは別に、色んな思いや幕府・家臣・裁きへの配慮が遺言的に色濃く反映されているのではと思います。
それは、平時に安全な立場で、ご本人の思いや願いを、様々な推測で忖度し、色んな解釈や批評をしても、特定断定した心理分析、作者の意向や意図を正確に再現したり解釈や解明は難しいと思います。

また、性格的な分析や病状を推測しての解釈もあるでしょうし、悲劇的な人物とかの同情論や後世の創作・演出による作為的な部分もあるだろうと推測されます。
要は、ありのままにシンプルに解釈し、是々非々で感動したり批判したり共感したり批判をしても、原点を変えず味わい楽しみ教訓・教材とすれば、それはそれで良いのではないでしょうか?

私見ですが、時代背景も立場も変わり、人物評価も好悪も作品としての評価も分かれるでしょうが、一期一会と言われるように、同じ境遇&同じキャスティングはないのですから、作歌の巧拙や解釈とは別に、運命を家臣を案じ無念さを表し後事を託す思いを込めた遺句だと素直に感じ想像します。




忠臣蔵関係編 (ウイキペディア辞世の句より抜粋)

◇辞世の句

浅野長矩
「風さそふ 花よりもなほ 我はまた
 春の名残を いかにとやせん」
忠臣蔵の根本の原因となった赤穂の殿の辞世の句です。辞世の句にまで迷いが感じられるところにはキャラクター通りですね。なお、この句のように花が散るのを辞世の句に詠みこむのは定型だそうです。蒲生氏郷の辞世の句でも同じように花が散る句を詠んでいますね。

大石内蔵助良雄
「 あら楽し 思ひは晴るる 身は捨つる
 浮き世の月に かかる雲なし」
こちらは討ち入った赤穂浪士の親玉・大石内蔵助が切腹させられたときの句です。復讐も遂げ武士の面目もたったために晴れ晴れとした心境がすごくよくわかる句です。
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浅野長矩は精神的に病んでいたなどという説もあるくらいです。


#2さんのおっしゃるように、本歌取りなどの技巧を使っているわけでもないようです。
まともに解釈のしようが無いのではないですか?


ちょっと脱線しますが、私の私観としては、元禄赤穂事件はただのテロと考えています。
文学作品としての「忠臣蔵」の評価とは別の話ですが。
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赤穂藩城主浅野内匠頭長矩の辞世の句とされる



風さそふ 花よりも尚 我はまた 春の名残を いかにとか(や)せん

ですが、切腹に立ち会った幕府目付役多門伝八郎筆記にしか記録されておらず、内匠頭預先、一関藩藩主田村家から幕府への切腹報告書や田村家家臣の記録にもないため、伝八郎の偽作と疑問視されています。丸谷才一に至っては、元禄武士の記したものにしては文章がツルツルしていると評して伝八郎筆記自体偽書と疑っています。

それはともかくとして、内匠頭の辞世の句とされるこの句のまっとうな解釈はなかなかお目にかかれません。中公新書の『辞世の句』や小林秀雄が『考えるヒント2』で解釈を試みていますが、詩歌に造詣が深いわけでもないので通りいっぺん、皮相的です。

勅撰集などあたっても、花さそふ風 という表現はいくつも見つかりますが、風さそふ花 という逆の表現はほとんど見つかりません。奇異な歌なのにそれに触れた解釈は見ませんね。

なお、書写時の紛れと考えられますが、「いかにとやせん」「いかにとかせん」の二通りで本によっては引いてあります。
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別に?ふつーじゃないんですか?



花が散って名残惜しいっていうけど、来年の春を見られない俺ってもっと悲しいよ、どーしたらいいねん?

って句です、死ぬの嫌だなーって句ですから、誰もがそうじゃないんですか?
死ぬのは嫌だ
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