アプリ版:「スタンプのみでお礼する」機能のリリースについて

 日本語を勉強中の中国人です。「こころ」と「心」と「ハート」の違いは何でしょうか。

 夏目漱石の「こころ」という小説はなぜ「心」と「ハート」という表記を採用しなかったのでしょうか。

 「サイケなハート」という曲があります。もし「サイケなこころ」と「サイケな心」に変えたら、表現したいものが変わるのでしょうか。歌詞は次のサイトをご参考にしてください。

http://www.kasi-time.com/item-37226.html

 三者の違いがよくわかりません。ご存知の方がいらっしゃいましたら、教えてください。

 また、質問文に不自然な表現がありましたら、それも教えていただければ幸いです。よろしくお願いいたします。

A 回答 (6件)

 人の内面を表す日本語は、もともとが「こころ」だけでした。


 「こころ」は、人の生活上起きる事件や事故、恋愛も病苦や死生などのすべてを、内面で抽象化して、受け止める、いわば受動的な内面の動きです。

 6世紀頃の中国から仏教が伝来して、人の内面の中には「玉(たま=宝石などの硬いものを表す)らしい」ものがあることに気付いて「たましい(魂)」という言葉が生まれました。内面の奥底にある揺るぎないこころや、亡くなった人の内面を「魂」と呼びました。

 19世紀後半、ヨーロッパ文明との出会いによって、人の内面には受動的な「こころ」ばかりでなく、外側に向かって働きかける、能動的な内面を表す「セイシン(精神)」という言葉が生まれました。

 20世紀後半には、アメリカ文明との出会いによって、毎日毎時変化してゆく、いわば「こころ」「たましい」「せいしん」を包んでいる、ラッピングペーパー(rapping paper)のような、表面的な内面を表す「ハート(heart)」という言葉が生まれました。

 以上が、日本語の内面を包括的に表現する言葉の変遷です。
 簡略に言ってしまえば、もともと「こころ」だけだった内面を表す言葉が、中国文明との出会いで「魂」を、ヨーロッパ文明との出会いで「精神」を、アメリカ文明との出会いで「ハート」を、加えて、現在に至っています。

 ですから、
《夏目漱石の「こころ」という小説はなぜ「心」と「ハート」という表記を採用しなかったのでしょうか。》
の理由は、当時の日本で「ハート」を日本語として使用すると、一部インテリゲンチャ向けの滑った表現になってしまうから。使えなかったのでしょう。「こころ」と「心」の違いは、3文字分の時間をかけて、ゆっくりと書き、ゆっくりと読んでもらったほうが、「こころ」を描こうとした夏目漱石の精神性にピッタリ来るものがあったからでしょう。

《「サイケなハート」という曲があります。もし「サイケなこころ」と「サイケな心」に変えたら、表現したいものが変わるのでしょうか。》
この歌で表現されている恋愛感情は、明日には、すべてがおじゃんになるような、軽薄な内面が行なう恋愛です。とても、「こころ」や「たましい」が動いている恋愛感情ではありません。こういった内面を表す言葉は「ハート」がぴったりだからです。
    • good
    • 4
この回答へのお礼

 明けましておめでとうございます。ご健康とご多幸を謹んでお祈り申し上げます。本年もどうぞよろしくお願いいたします。

 ご親切に教えていただきありがとうございます。納得できました。大変参考になりました。中国のこともいろいろ教えていただき心から感謝いたします。私は中国人なのに、中国のことがよくわかっていないと思います。とても恥ずかしいです。中国のことも勉強します。本当にありがとうございました。

お礼日時:2011/01/03 15:50

質問文に全く不自然な表現はございません。

誠に見事な、そして、的確な表現(表記)にて記述されています。
さて、こころ、心、ハートの違いとは何かということですが、まず、「こころ」には、大きな時間的な広がりと言いましょうか、ゆったりとした感覚のほかに、何か優しさが内包されているものと思われます。丁度、大和魂に対して、「和ごころ」とか「大和ごころ」と用いられるのと同様ということでしょうか。漱石の小説作品にしましても、友人の自殺に大いに自省し、自らも命を絶つという筋書きで、そこには人としての優しさが内包されています。次いで、「心」には限定感、厳密性を求めるような感覚があるものと思われます。「愛国心」などと使われますと、何だか押し付け感が強調されて不快な思いする人も多いかと思われます。最後の「ハート」は、日本人、東洋人とは別の西欧人の感覚に近いものが、そのように表現されるのではないかと思われます。西欧人に特有な感情に近い時、ハートと言って、ちょっと、日本人とは違うかもねと、アピールしているものと思われます。
以上、当方の個人的な、使用上の使い分けの感覚を申し上げました。
    • good
    • 2
この回答へのお礼

 明けましておめでとうございます。ご健康とご多幸を謹んでお祈り申し上げます。本年もどうぞよろしくお願いいたします。

 ご親切に教えていただきありがとうございます。よくわかりました。大変参考になりました。本当にありがとうございました。

お礼日時:2011/01/03 15:38

No.3ですが、下記のように訂正させていただきます。



《誤》
「それは、日本人の場合、が古代中国語の発音の模倣でしかないからでしょうね。」
↓↓
《正》
「それは、日本人の場合、漢語の発音が古代中国語の発音の模倣でしかないからでしょうね。」
    • good
    • 0
この回答へのお礼

 再びありがとうございます。了解いたします。本当にありがとうございました。

お礼日時:2011/01/03 15:33

>日本語を勉強中の中国人です。

「こころ」と「心」と「ハート」の違いは何でしょうか。

留学生ならではの感性にもとづくご質問だと思いますよ。
日本人の多くは、こういう問題には全く鈍感になっていますから。

「こころ」というのは、漢字(古代中国語)が日本列島に流入する前に倭人たちが使用していた倭語を、中国語の語義を無視し、その音だけ借用した仮字で表記したものです。
だから、日本語を母語とする日本人の場合、「こころ」という仮字表記がなくとも、「kokoro」という発音を耳にするだけで、ほとんど生理的、身体感覚的にこの言葉の意味を理解します。

「心」というのは、もちろん中国語ですが、これを「kokoro」と発音するときには、ほとんどの日本人は、これを中国語だと意識することはありません。
ところが、たとえば、日本人が「sinri」という発音を耳にすれば、ほとんど反射的に、文脈に即して、「心理・真理・審理・心裏」のいずれかの文字を想起しようとします。
つまり、日本人が漢語を使用するときには、その文字の姿形を想起しないことには、つまり発音だけでは、その漢語の意味(語義)を理解することができないのです。

それは、日本人の場合、が古代中国語の発音の模倣でしかないからでしょうね。
日本人が「心理」という漢語を理解できるのは、「sinri」という漢音を文字記号として視覚化し、これを概念的に解読するというプロセスを脳内で経ているからです。
その意味では、日本人にとっての漢語というのは、たとえその読み方(発音)がわからなくとも、その意味概念(語義)さえわかれば、それで十分だと言えるのかもしれません。

「ハート」というのは、一般に日本では《外来語》と呼ばれていますが、これは漢語が古代外来語だとすれば、近代外来語と呼んだ方が適切かもしれませんね。
ちょうど、古代に中国語を倭訳せず、そのまま漢音で発音し、日本語化したのと同様、明治維新以降に日本に流入してきた西洋語を倭訳せず、その発音を模倣したのが「ハート」をはじめとする近代外来語だと言えます。

日本は、古来、漢語にせよ、外来語にせよ、それを積極的に受容することで、古代中国文明や近代西洋文明を短期間に模倣しようとしたわけで、こうして古代には大漢帝国を模倣した《日本国》を、明治期には西洋近代国家を模倣した《擬似近代国家》を、それぞれ曲がりなりにも生み出すことができたのではないでしょうか。

>夏目漱石の「こころ」という小説はなぜ「心」と「ハート」という表記を採用しなかったのでしょうか。

確か、『朝日新聞』に連載し始めたときには、「心」という漢字の題名を用いていたのですが、単行本にするとき、「こゝろ」と改めたようです。
漱石なりに、意図するところがあったのでしょうが、それが何だったか?については、私にはわかりません。

ただ、日本人の場合、「心」は視覚記号であり、「こころ」は聴覚記号であると、たとえいちいちそうと意識しないにせよ、それぞれ意識裡では区別しているはずです。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

 明けましておめでとうございます。ご健康とご多幸を謹んでお祈り申し上げます。本年もどうぞよろしくお願いいたします。

 ご親切に教えていただきありがとうございます。私にとってとても難しい内容です。わかったようなわかっていないような。いずれにしても大変参考になりました。本当にありがとうございました。

お礼日時:2011/01/03 15:28

夏目漱石がハートと言う言葉を使わなかったのは、スワヒリ語のブハシシと言う言葉を使わなかったのと同じ理由だと思います。



また、「心」では音読みのシンなんのか、訓読みのココロなのか混乱するので、平仮名で書いたのではないでしょうか。

シンなんて読まれてしまったら、蝋燭の心(しん)が主題になっているか間違える人もいるかもしれませんから。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

 明けましておめでとうございます。ご健康とご多幸を謹んでお祈り申し上げます。本年もどうぞよろしくお願いいたします。

 ご丁寧に教えていただきありがとうございます。大変参考になりました。本当にありがとうございました。

お礼日時:2011/01/03 14:59

今どきなら「ハート」という表現をしたかもしれませんが


明治時代ですし、どれほど通じるか疑問があります。
下手をすると、心臓の意味に取られかねません。

また、ご存知のように
夏目漱石はイギリスへの留学経験がありますが
その反動か、逆に昔からの日本語へのこだわりがあるように思います
(訓読みするものの「心」も中国語っぽくなりますからね)。
きっとこの後、詳しい方の回答があることと思います。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

 明けましておめでとうございます。ご健康とご多幸を謹んでお祈り申し上げます。本年もどうぞよろしくお願いいたします。

 ご親切に教えていただきありがとうございます。ご意見は大変参考になりました。本当にありがとうございました。

お礼日時:2011/01/03 14:46

お探しのQ&Aが見つからない時は、教えて!gooで質問しましょう!