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夏目漱石が書いた小説の面白さが私にはあまり理解できません。
三部作といわれる『三四郎』『それから』『門』を読んでみてそう思いました。
100年たった今も多くの人に愛される名作の面白さを私も理解したいと思うので、どうかこれら3部作の魅力をそれぞれ教えてください!

A 回答 (6件)

私は『こころ』しか読んだことがありません。


が、読みやすいとは思いましたが特になんの感想もありませんでした。
だからといって、つまらないというわけでもありません。

『吾輩は猫である』の奇抜な視点設定、『こころ』などでの主人公の深い心理描写。評価できる点は多々あります。
けれど漱石に限らず、様々な小説はそれを読んでいる読者の年齢や心理状態によって、受ける印象も違えば理解できない場合もあります。
例えば、高校の教科書に『こころ』の遺書の部分が掲載されているのは謎。高校生に漱石を読ませるなら、『夢十夜』など短編でいいと思います。
私の場合は『こころ』を大学生になってから読んだのですが、理解するには年齢も経験も足りないと感じました。
先生の心理も主人公の心理も「そういうもんなんだ」と感じただけでしたし。

ですから、今は「読んだ」という経験だけでいいと思いますよ。
数年後、改めて読んでみたら「おもしろい!」と感じることがあるかもしれませんし。

あと漱石の小説のおもしろさですが、自分の存在意義を見つめて掘り下げていくという点だと聞いたことがあります。
漱石は「望まれずに生まれた子」で、あまりいい幼少時代ではありませんでした。
故に、「自分はなぜ生まれ、なぜ生きるか」という疑問が常にあったのだと思います。
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漱石先生嫌いの人からは異議が出てきそうですが、現代文学っつうのは多かれ少なかれ夏目漱石の影響を受けているそうです。

「現代文学は全て夏目漱石のパクリである」という人もいるくらいです。
まあそれはオーバーかもしれませんが、それが文学であれ映画であれドラマであれマンガであれ動物などの奇抜な視点から人間社会を風刺するというのは「吾輩は猫である」のパクリだし、学園ドラマは全部「坊っちゃん」のパクリといっても過言じゃないし、純情な青年のすれ違いの恋物語ときたら「三四郎」のパクリといえますわね。

ただ、文学と音楽は個人的嗜好が非常に強いです。現代の全てのロックやポップスはブルースを起源としていますけど、ポップス好きな人がみんなブルース好きかっていうとそうじゃないですからね。
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漱石を純粋に楽しむのもいいですが、楽しめないのであれば、好みの作家と比較して読むのも手です。

私の場合は、村上春樹と夏目漱石の作品の近似性がけっこう言及されるところなので、対比して読むことはあります。
仰る三部作は、要するに誰かが誰かの恋人を奪う話です。
今では考えられないことですが、当時はこれは禁を破ること=(大げさですが)時には社会的な抹殺を意味しました。「それから」なんて友人の女を奪って、わざわざ現在のブルジョア家庭や社会的地位を捨てて、女と共に生きる決意をする、という話なんですから、これは相当なものです。「こころ」もそうですね。女を奪われたKは自殺し、奪った側の先生も最後には自殺する。
対して、たとえば村上春樹の「ノルウェイの森」は、そうした禁のなさっぷりがすごいですね。主人公は二人の恋人の間をさまよい、街を徘徊してたくさんの女と寝て、挙句の果てに恋人に死なれた後にはその恋人と最も心の通い合っていた女性と寝て、最後にもう一人の恋人のところに戻っていく話です。でも、漱石の「こころ」と同じく自殺をテーマに扱い、主要人物の半分が最後には自殺します。
漱石の思考を支配していたのは「ある一人の人間が、一つの場所を支配してしまった後には、もう一人の人間が廃除されてしまう」という近代的な西欧的なテーゼです。奪い合いです。その、東洋的な和の思想とはあまりにかけ離れた考えに漱石は苦しみ、それを最終的には文学的なテーマにしたと言われます。村上春樹の作品群は、そうしたテーゼとは無縁です。奪い合いという事態はそもそも起こりません。
村上春樹の文学をポストモダンという呼び方で呼ぶ人もなかにはいますが、近代的なものとその次の時代のものとの対比、という視点で両者の作品を読み比べると面白いかもしれません。ちなみに、村上春樹の「ねじまき鳥クロニクル」の夫妻は、「門」の夫妻をモデルにしているとのことです。
なお、奥泉光の「『我輩は猫である』殺人事件」、島田荘司の「漱石と倫敦ミイラ殺人事件」、島田雅彦の「彼岸先生」など、漱石の作品をモチーフにした作品は現代でもたくさんあります。そちらの方から入ってもよいかもしれませんね。
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夏目漱石の愛読者ならば、グッと掘り下げて多様な面白さを引き出すと思いますが、「理解できない読者」が無理に面白がる理由はないと思います。



私も漱石は理解できません。ビクトル・ユゴーやアレクサンドル・デュマ、芥川龍之介、志賀直哉、堀辰雄は気にいっていますね。人それぞれですから、「あなた」が好きな作家を魅力たっぷりに大切にした方が有意義かと思います。
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見当違いの意見かも知れませんがご容赦を。


私見ですが、夏目漱石と同時代の他の作家と決定的な違いは、その読みやすさにあると思っています。
文学史でいうところの「自然主義」「反自然主義」と関係があるのか、
どうにも他の作家は自分の言いたいことをぐだぐだと書き連ねている、
そんな作品が多い。
対して、夏目漱石のそれは、単純に「読み物」として機能しています。
別に「主題」とかいう怪しげな物を気にする必要性もなく、
「それから」なら、主人公の不倫の行方をのほほんと追っていけばいい。
そのような気楽さがあります。
さらに私見ですが、時代設定を現在に置き換えても、あまり違和感を感じないんです。
「三四郎」でいえば、たぶん三四郎くんの様なうぶな東大生はいっぱいいるでしょうし、
美禰子さんの様な、自然と男を振り回してしまうお嬢さんもこれまた普通にいるでしょう。
そのような読み方をしても良いと思います。

総じて、その物語の筋が自分好みなら面白いと思えるし、そうでなかったらつまらないで良いのではないでしょうか。
140歳の現役作家が書いた「新刊」として、現在の作家と同列に評価すれば、それだけのものだよね、って感じでしょ?
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私も、『三四郎』『それから』『坊ちゃん』など読みましたが、全然面白いとは思いませんね。



夏目漱石は森鴎外と並んで、高踏派などと祭り上げられているだけで、大して内容のないつまらないものだと思いますよ。
夏目漱石自身も尊敬できる人間ではありませんし。
旧制一高の教員時代、懐手していた学生を叱りつけた。そしたらほかの学生が「彼は事故で腕がないんです」と。そしたら漱石は「僕も無い知恵を絞って授業をしているんだから、君も無い腕を出せ」と言ったというエピソードがありますよ。

ついでに森鴎外もいい加減な内容の「高瀬船」など書いて、心底ムカつきますね。面白いのは、「鴎外最大の悲劇」です。
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