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鎌倉時代に天皇が変わっていないのに元号が頻繁に
変わっているのはなぜですか?
例えば 西暦1260年 文応元年 西暦1261年 弘長元年
西暦1264年 文永元年 と4年間に3つも元号が変わっています。この間、天皇は亀山と言う天皇だと思います。なぜこのような事が起こるのか詳しく教えて下さい。

A 回答 (3件)

改元はその理由により、大別すると4通りに分類されます。


1.天皇の代替わり
2.祥瑞・・おめでたいことがあった
3.災異・・戦争・地震・飢饉等があった
4.革命の年(辛酉や甲子)・・えとのいわれから

2は平安時代に多く、3は鎌倉時代に多いですが、これは鎌倉時代に入って
戦争や地震や飢饉といった災異が激増したということではなく、
11世紀半ばに末法の世に突入した、との認識が当時の知識層の間で
一般的だったことが影響しているようです。

詳しくは参考URLの「年号について」の最後の部分をご覧下さい。

参考URL:http://www5a.biglobe.ne.jp/~hampton/018.htm
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元号が一世一代と定められたのは、明治になってからで、鎌倉時代に限らず、室町時代や江戸時代でも、一人の天皇に複数の元号がある例は、いくらでもあります。


たとえば、幕末の孝明天皇の代には、「弘化」「嘉永」「安政」「万延」「文久」「元治」「慶応」の7つがあります。明治天皇は「慶応」と「明治」の2時代に渡っていますから、大正天皇からあとが、名実ともに一世一代です。
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記念するような事があった時と記憶しています。


養老の滝で酒を汲んだとき、 養老  云々、
明治以降は天皇の代に固定しています。
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