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平安時代の女流作家、たとえば紫式部や清少納言など、姓名が伝わっていないのはなぜなのでしょうか?少納言とかって役職名ですよねえ??

A 回答 (5件)

下記ページで触れられていますが、当時は結婚相手でもないと、女性の本名を知ることは出来なかったそうです。


http://arpeggio.chanoyu.ne.jp/makuranosoushi/sei …

参考URL:http://arpeggio.chanoyu.ne.jp/makuranosoushi/sei …
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すでに回答された方もおっしゃっていますが、地位が低かったからでしょうね。


あと当時は本名で呼ぶことはあまりよろしくなかったようです。
これは男女限らずで、役職や住まい、姓をつかって呼称を使っていました。
例えば紫式部は最初は藤式部だったようです。
藤原姓だったことと、父親が式部省の役人だったためだと記憶しています。
また女性でも一定以上の地位にいた人は名前が残っています。
例えば紫式部の娘の大弐三位(だいにのさんみ)は賢子です。
確か三位以上だったかな・・・?
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女性の地位が低かったからです。


名前で、地位や仕事の内容が分かるというメリットもありますね。

ちなみに、紫式部という名前も本名ではなく、
彼女が執筆した源氏物語にでてくる「紫の上」にちなんで、のちの人たちがつけた呼び名です。
当時、彼女がそのように呼ばれていたわけではありません。
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役職名しかなかった時代なのだと記憶しています。

女性の地位がそれだけ低かったということなんでしょう。
下記のURLに清少納言を研究した方の意見が載っていました。かなり詳しいと思います。

参考URL:http://arpeggio.chanoyu.ne.jp/makuranosoushi/sei …
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当時は、女性に限らず男性も、ある一定の身分から上の人は、本名を名指しで載せたり呼んだりすることは、大変失礼なこと、となっていたからだと思います。


たいていは、今でいうニックネームで呼んでいたのが通例でした。
「~の君」とか、役職名とかね。

ですから、本人にゆかりのある名前で呼ばれていたものが、そのまま今に伝わっているんだと思います。

でもそれが、たとえば大貴族の一族とか、皇族の親族とかにでもなれば、きちんと歴史として氏素性が残ると思いますが、紫式部や清少納言がそうであったように、当時としては一作家であり、女官でしかない地方領主の娘、または中級貴族あたりの夫人としてでは、名前も残らないのも仕方ないことではないでしょうか。
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