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悠仁親王はまだ幼いので、女系天皇を認めるか否かの本格的な議論は、私が生きている間には起こらないでしょうが、女系天皇だと何か問題があるのでしょうか?

確かに、皇統はこれまで一貫して男系を保ってきました。

しかし、それは偶然男系を保ってこれただけで、男系が保てなければ女系で家を存続すると言うのが日本の伝統ではないでしょうか?

例えば、上杉謙信の後継者を争ったのは、上杉謙信のお姉さんの男子である上杉景勝と上杉謙信のお姉さんの女子の婿である上杉景虎ですし、
直江兼続は婿養子として直江家を継ぎ、本多政重を婿養子に迎えて直江家を告がせようとしまし、
吉川元春は母親の実家を継ぎました。

自分としては「男系優先・女系容認」というのが日本の伝統だと思うのですが、間違っておりますでしょうか?

A 回答 (27件中11~20件)

昔は皇籍という概念が厳密ではありませんので、何代遡ってでも男系を探します。


現代に当てはめれば、旧宮家の人間を連れてくるようなものです。
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この回答へのお礼

>何代遡ってでも男系を探します。

私の考える万策が尽きるとはそのように何代さかのぼっても男系が存在しないと言う場合です。

>現代に当てはめれば、旧宮家の人間を連れてくるようなものです。

申し訳ありません、宮家とは何なのかが分からないのです。

ほかの方も宮家に言及しておりますが、皇位継承問題において知っておかなければならない知識なのでしょうか?

お礼日時:2011/03/26 21:10

日本の伝統としては男系優先・女系容認ですが、天皇家の伝統としては明らかに男系が全てです。


女系の近親がまったく即位できず、傍系の男系が即位してきた歴史を見れば明らかだと思います。

男系というのが天皇家の伝統の根幹です。
伝統を捨てた天皇家に何が残るのでしょうか?天皇家が伝統を捨てるとなると、そもそも天皇家の存在する意義さえ失われるように思います。
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この回答へのお礼

>男系というのが天皇家の伝統の根幹です。

それは男系継承者がいなくなると言ったケースを考えた上での判断だったのでしょうか?

昔から「男系でなければ皇統断絶」だと考えていたのでしょうか?

お礼日時:2011/03/26 16:20

>女系天皇でもあるし男系天皇でもあると言うことになりますから、皇統は一貫して男系を保ってきたと言えるのではないでしょうか?


その理論でゆきますと、源頼朝や武田信玄は、清和源氏ですから、天皇を廃して自分が天皇になっても、男系として主張できることになります。
当然平清盛などもです。
そういう事になりますと、神武天皇以降多くの人が対象となり、誰でもかまわないという理論がなりたちます。

また、皇統は、一貫しておらず、傍系での皇統相続が行われています。
皇統の一貫とか、万世一系というのは、明治期につくられた幻でしかありません。
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この回答へのお礼

>その理論でゆきますと、源頼朝や武田信玄は、清和源氏ですから、天皇を廃して自分が天皇になっても、男系として主張できることになります。

なぜ天皇を廃するのですか?

清和源氏をだしたので、例として徳川将軍を考えますと、家光の子孫の男系が絶えたときは、一旦東照大権現(家康)まで家系を戻して、その東照大権現の男系家系の男子であった吉宗が将軍になりました。

家継からは8親等も離れている吉宗からしてみれば、まさか自分が将軍になるなど夢にも思っていなかったでしょう。

たまたま吉宗の場合は8等身離れておりますが、仮に9等身離れていたら将軍になれなかったわけではないでしょう。

極端な話、何等身離れていようが、東照大権現(家康)の子孫であれば将軍になれるのでしょう。

ただし、誰でも将軍になれるというわけではなく、例えば5等身はなれた家康の子孫と、9等身離れた家康子孫がいたら、少しでも血縁の近いものが将軍になるものでしょう。

だから、源頼朝も武田信玄も平清盛も、自分以上に皇室と血のつながりが濃い人間がいなくなったと言うのであれば、上記3人も天皇になっていた可能性はあります。

お礼日時:2011/03/26 16:44

質問に答えるならば、確かに日本では「男系優先・女系容認」が


日本の伝統です。
ですが逆に言うと、125代に渡って男系で遡れる血統の連続性その
ものが天皇が天皇として君臨できる正当性の根拠だとも言えます。
もし天皇家も他の武家や商家のように「イエ」の継続を目的として
養子だろうが婿とりだろうがなんでもアリだったとしたら、天皇家は
今頃とっくに消滅してたでしょう。

歴史を紐解くと、、
平安時代初期、藤原家は一族の女子を天皇の嫁として嫁がせ、
その子どもが次期天皇になることで藤原家は天皇の外祖父となりました。
これを権威の拠り所として摂政関白政治を行いました。
藤原家を中心にした摂関政治から脱却を図るために院政をとりましたが
結果的に天皇の後継者争いが激化し、それが原因で武家が台頭し、
そこから平家が出てきて、今度は平家が政治の中枢を抑えることに
なりました。
この時、天皇が男系で継続できていたからこの程度で済んでますが
もし女系を容認していたなら藤原家や平家が天皇家を乗っ取っていた
ことでしょう。

でまぁ、歴史から学ぼうと思うのであれば。
未だに「イエ」文化が残るような日本において、権威の根拠が
「血統」であるような体制・仕組みを維持するならば、
その権威の移譲に女系を許容すると、その体制はいつか滅びます。

気がついたら「天皇家」という名前だけは継続しているけど、
その中身は全然違うモノになっていた、なんてことになってて
「じゃあ天皇制度なんて意味ないじゃん。ヤメちゃえ」なんて
意見が今より強くなります。で、それに誰も反論できなくなります。
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この回答へのお礼

そもそも皇記2000年ぐらいまで、男系天皇がいなくなったときのことは想定していなかったんでしょう。男系天皇が絶える危機が現実味を帯びる前から「皇統は男系に限る」なんて考えていたんですかね?

「男系じゃなければ皇統断絶」なんて考えていたとは思えないのですが、
男系が絶えた時点で共和制への移行をすべきなのでしょうか?

お礼日時:2011/03/26 16:16

 


 例外の法則 ~ 遺伝子の異常は、いかなる仮説をも沈黙させる ~
 
>XXなのに男性の可能性もありますし、XYなのに女性の場合もあり<
── SRY(Sex-determining region Y)とは哺乳類のY染色体上にあり、
胚の性別を雄に決定する遺伝子である。── (Wikipedia)
 
── 小林 よしのり氏は、女系容認(公認)の立場として「Y染色体論」
を論破するために SRY遺伝子の話を持ち出している。(鷹司 堂後)
http://dohgo.blog22.fc2.com/blog-entry-213.html
 
http://booklog.jp/users/awalibrary/archives/4334 …
── 福岡 伸一《できそこないの男たち 20081017 光文社新書》
 福岡 伸一 分子生物学 19590929 東京 /青山学院大学教授
 
── 迷信の偏見は他のすべての偏見にまさり、その理屈は他のすべて
の理屈に勝つ。── モンテスキュー《法の精神 19660228 河出書房新社》
http://oshiete.goo.ne.jp/qa/2603535.html (No.2)
 
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この回答へのお礼

bilda様は遺伝子の話を持ち出して何を言いたいのでしょうか?

遺伝子の話を振られたので私の持論を述べます。

皇統は可能な限り男系を維持するべきだと考えるのは、伝統だからであり、遺伝子のことはまったく関係ない。

男系だろうが女系だろうが天照大神の子孫であることに変わりはないので、男系の維持が無理なら女系で維持すればよい。

遺伝子について言えば、Y染色体により父系をたどれると言う論理は破綻している。

もし、遺伝子をもって、「脈々と皇統をつないできた」と言いたいのであれば、女系で継承すべきだった。

なぜなら、ミトコンドリアDNAは母から子へしか受け継がれないので、もしも、女系で継承していればミトコンドリアDNAをたどることで皇統の一貫性を証明できた。

女系で継承しなかった時点で、遺伝子を基にした皇統の一貫性の証明はできなくなった。

お礼日時:2011/03/26 11:20

>天皇は一貫して男系を守ってきたのではないのでしょうか?


皇位が女系で継承されたことと、現在の天皇が男系であるということは、別の事です。
そのことを混同されています。
「皇位の継承が、女系で行われた箇所がある」ということを言っているのです。
これは、どういう事かといいますと、愛子内親王が、旧皇族に嫁ぎ、その子が天皇となることを考えてください。
旧皇族は、かつての天皇の誰かからの男系ですが、皇位継承は、女系での継承になります。
過去においては、そういった事実があるという事です。
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この回答へのお礼

その旧皇族の男性は父系をたどれば天皇に行き着くのですよね、だったら、女系天皇でもあるし男系天皇でもあると言うことになりますから、皇統は一貫して男系を保ってきたと言えるのではないでしょうか?

お礼日時:2011/03/26 10:49

 


 遺伝の原則 ~ 万世一系の概念は明治以前の事例に拘束されない ~
 
>女系反対論者は(略)テロでも起こさなければいいのですが<
 質問者のお礼が、あまりにも見当ちがいなので、再回答します。
(以下、遺伝の法則に詳しい方の「加筆・修正」をお願いします)
 
 母の染色体はXX、父はXYからなる。
 男の子は母のXと、父のYを併せもって、父のDNAを継承する。
 女の子は母のXと、父のXを併せもって、父のDNAを継承しない。
 
 初代天皇が女性であれば、夫のDNAが、男子だけに継承される。
 初代天皇が男性であれば、妻のDNAは、女子だけに継承される。
 天皇の娘が天皇になれば、父のDNAを、男女ともに伝達できない。
 
 <神話・欠史天皇<記紀・実録天皇<奉還天皇・現人神<人間天皇<
http://oshiete.goo.ne.jp/qa/6574059.html (No.4)
 四大革命 ~ 壬申・関が原・維新・玉音 ~
 
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この回答へのお礼

もしかして、男系であればY遺伝子を継承してきたので初代天皇までさかのぼれるが、女系になると、さかのぼれなくなると言いたいのでしょうか?

Y遺伝子があれば男性になるというのは厳密に言えば正確ではありません。

SRY遺伝子によって、男女が決まるのです。

だから、xxなのに男性の可能性もありますし、xyなのに女性の場合もあります。

お礼日時:2011/03/26 03:10

国歌斉唱はたかだか1世代か2世代ぐらいの歴史だとお思いかもしれませんが、1世代か2世代ぐらいでも立派な伝統だと思います。



はい、そのとおりです。
一世代か二世代でも立派な伝統だと認識出来るくらい、伝統は変更可能だということです。

たとえば、○○天皇と称すること。
これは光格天皇が900年とか1000年とか耐えていた事を復活させた。
逆に言えば、光格天皇が復活させなければ、天皇とは呼んでいなかったとも考えられます。
これは、光格天皇が分家の閑院宮家から出たがゆえに、復古主義に走ったんだろうなと思います。

平安時代末期
後鳥羽天皇は三種の神器がなかったので、後白河法皇の院宣で即位OKということにした。
南北朝時代
後光厳天皇は三種の神器もなければ皇室の家長である治天の君もいないということで、廷臣に擁立でOKということにした。

まぁ適宜対応するわけです。

その適宜対応が、そのうちに女系天皇となることもあるなぁと私は思う。
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この回答へのお礼

>まぁ適宜対応するわけです。
>その適宜対応が、そのうちに女系天皇となることもあるなぁと私は思う。

女系天皇が誕生するのは史上初のことです。
しかし、tanuki4u様が適宜対応の結果、女系天皇の誕生がありえると考えるのは、私も感覚を同じくするところです。

だからこそ、男系でなければ皇統断絶だと主張する人の感覚が分からないのです。

お礼日時:2011/03/25 22:52

一世代くらいで変更される伝統なんていくらでもあります。



国歌斉唱
そもそも明治時代になるまで国歌もなければ、斉唱するという組織もありませんでした。
国歌斉唱時に起立しなければならないという伝統は、明治になってからの一世代くらいのあいだに確立したものです。

国体で・・・
戦前や戦中の映画やテレビドラマでは、「国体」とか言う時には、軍人は足を揃えます。(なんていう行為名であるかは失念)あれも昭和になってからの行動様式ですので、東条などの軍の上層部はそんなことをしないという伝統の中で育っています。

皇室関係で言えば、天皇と皇后の立ち位置
http://bunkarekishi.blog.ocn.ne.jp/blog/2010/12/
明治天皇の時代は 五番
 皇后 天皇
大正天皇以降は
 天皇 皇后

これは、左のほうが位置が上なので向かって右側に天皇がいるというのが、1000年以上日本の伝統でしたが、大正天皇以降、ヨーロッパスタンダードに合わせています。

伝統というのは、その時の自称伝統主義者が主張する内容であると私は思います。
 

この回答への補足

【訂正】
即位の儀は見ておりませんでした、見たのは「剣璽等承継の儀」でした。

補足日時:2011/03/25 22:57
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この回答へのお礼

国歌斉唱はたかだか1世代か2世代ぐらいの歴史だとお思いかもしれませんが、1世代か2世代ぐらいでも立派な伝統だと思います。

国体については、まったく知らないので、申し訳ありませんがコメントできません。

立ち位置に付いては、伝統的に左が上位だったというのは知ってます。

問題なのは目に見える形ではなく、コアではないでしょうか?

立ち位置が下位なので、天皇は位が下がったと考える人は誰もいないでしょう。

立ち位置もそうですが、非常に重要な即位の儀式のとき、今上天皇は燕尾服だったと記憶しております。

三種の神器を引き継ぐと言う非常に重要で、かつ、何世代にもわたって行われていた儀式を、日本の伝統的な衣服ではなく、西洋の衣服を身にまとって行いましたが、重要な儀式であるというコアの部分は変わっていません。コアの部分が変わっていないからこそ洋服とはいえ正装の燕尾服を身にまとったのであり、伝統を無視するのであればTシャツにジーンズで行ったでしょう。

お礼日時:2011/03/25 20:18

No2、7です。

返信についてですが、
私が回答したのは、
1:皇位の男系による継承は日本の伝統か?
2:男系が伝統である理由は何か?(女系の問題とは何か?)
3:天皇とそれ以外では、どのような違いがあるか。

であって、未来における男系の継承者の不在への対応について、語ったつもりはありません。
質問者様もそれについては質問していないと思いますが。


>今まで男系を保てたのも、将来的な男系維持の危機も「偶然」なのではないでしょうか?

偶然ではないと思います。
理由は、少なくとも明治以前は、側室制度があり、正室に男子がいない場合の保険として機能していましたし、
宮家の数も現在より多く、それらも男系のストックになっていました。
また、女系容認の他国でも、側室や寵姫による継承者数の確保(=断絶の防止)は認められています。
以上から、男系を維持する為の努力はされている以上、偶然という評価はできません。その結果として女系天皇が誕生していない以上、天皇家における男系は伝統とみなして問題はないと思います。


>No.3様の話では、商家では婿養子をもらうと言うのが一般的だったみたいですが、469437様も「天皇以外は「男系優先・女系容認」」というのはお認めですよね

確かに認めていますが、私はNo2で、皇室以外では、男系女系以前に「イエ」の存続が重要視されるとお話し、それらと皇室の血統との違いも説明しています。
女子すらいない家では、他家から血縁のない養子を貰って、相続すると言うことも行われています。
私の考えでは、それらは伝統というより、目的の為の方法・手段として考えるべきもので、とどのつまり何でもありと変わりません(実際そうですが)、これを「伝統」と称してよいのか疑問を感じます。
また、女系に比例して外戚も増えることになり、外戚間の派閥が発生するのは好ましくありません。
天皇の男系は、確立の過程において、このことも考慮されていると思います。
更に、王朝交代でも血統は維持されるとはいえ、日本の天皇のみが有している祭祀王としての正当性は薄れていくと思います。これは伝統(神話)との乖離を意味するもので、可能なかぎり避けるべきだと思います。


>今まで男系を保てたのも、将来的な男系維持の危機も「偶然」なのではないでしょうか?

違うと思います。現在の皇室の男性継承者不足は、これらの側室というものが社会道徳上の理由から不可能になった上に、GHQによって宮家が減らされたという事に起因しています。
竹田家についても、戦前戦中の基準であれば、宮家として存続した筈です。
である以上、日本政府・国民が、起り得る問題への対処を怠ってきた結果として生じた必然であると思います。


>469437様は悠仁親王が男子に恵まれなかったときは、皇統の断絶により共和制への移行をすべきだとお考えなのでしょうか?

その時点で旧宮家の復活がなされなかったという前提で回答します。
私は、男系維持の為に、可能な限りの努力はするべきであり、その上で仕方がない場合のみ、女系の選択も止む終えないという立場です。
共和制には、絶対反対です。
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この回答へのお礼

>宮家の数も現在より多く、それらも男系のストックになっていました。
>GHQによって宮家が減らされたという事に起因しています。
>その時点で旧宮家の復活がなされなかったという前提で回答します。

宮家とは何なのか分からないのですが、今回のような天皇の継承問題を考える上で必要な知識なのでしょうか?
私は宮家とは何なのかが分からない状態で質問しております。

私の言った「今まで男系を保てたのも、将来的な男系維持の危機も「偶然」なのではないでしょうか?」ですが、側室制度の影響が大きいと思うようになりましたので、私の意見を撤回します。

皇室以外では、男系女系以前に「イエ」の存続が重要視されるとお話し、それらと皇室の血統との違いですが、やはり、この点につきましては私としては皇統もイエの存続と同じようなシステムで存続すべきだと考えます。なぜなら、今までは側室がいて、男系が途絶えるというケースが想定されないまま皇統が存続してきて、側室制度がなくなるという制度の変更と40年も親王が誕生しないと言う偶然が重なって、皇統が2000年以上続いた後に今まで想定し得なかった男系断絶の可能性が浮上してきたから問題になったのであり、この前代未聞のケースについては日本の伝統を参考にすべきと考えます。イエの存続は、最初は男系の血筋にこだわり、男系の血筋が保てなければ女系の血筋に頼ると言うことになります。このイエの存続と皇統の存続も同じ要に考えればいいのに、逆に何ゆえ「血統は男系に限る」などという主張が出てくるのでしょうか?「血統は男系に限る」という考えは日本の歴史上、なかったのではないでしょうか?

>私は、男系維持の為に、可能な限りの努力はするべきであり、その上で仕方がない場合のみ、女系の選択も止む終えないという立場です。

ちょっと待ってください、それだと私の考え、つまり「男系優先・女系容認」と一緒ということですよね。

いままでのご回答からは、私とは異なる意見をお持ちと推察したのですが?

お礼日時:2011/03/25 19:36

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