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そもそも人間とて動物です。動物は子孫を残すことが役目です。人間だって最初のころは他の動物と大差なく、自分たち動物の使命を素直に忠実に果たしていました。ところが、文明を進歩させる能力を唯一持っている人間は、文明を高度に発展させ、今日のような世界を作り上げました。

おかげで、いろいろと「便利」にはなりました。でもそれは、本質的な「幸せ」でしょうか?
便利と幸せは違うと思うのです。私たちは「便利」に目を覆われ、文明を進歩させてきました。だけど、私は文明が進歩すればするほどに、実は人間は自らを不幸にしているのではないか、という気がします。

原始時代の人間は、クレジットカードの不正利用を恐れて悩んだりしたでしょうか?
原始時代の人間は、原発による放射能を恐れたでしょうか?
原始時代の人間は、敵国の攻撃を恐れ、軍隊を作ったでしょうか?

文明を発展させればさせるほど、私たち人間が不幸になっていく。

皆さんはどう思われますか?

A 回答 (18件中1~10件)

こんばんは。



>文明が進歩するほどに人は不幸になる気がしません?

まったくもって“同感”です。

文化や文明は“ひとの心を満たす事は無い”ようですね。

従って『文化や文明に幸せの幻影』を求めている方は、

いつか『醒める日』がくるのではないでしょうか?

ひと(生命:いのち)は“誰も皆、心豊かで、平安でありたい”と望んでいるはずです。

文化や文明は“錯覚”を作り出す魔物のようです。

その事に気づいている方も増えているように感じます。
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この回答へのお礼

共感頂けて嬉しいです。

もし、仮に「便利」=「人間の幸せ」であるのなら、今より遥か昔の人間は「不幸」だったということになります。昔は不便でしたから。そして、これからますます世の中は便利になるでしょうから、未来に行けばいくほど、人々は「幸せ」ということになります。

でもそんなことはないだろうと私は確信を持って言えます。
便利と幸せは違うと…。今から見れば、まるで「不便の缶詰」のような原始時代ですが、きっと当時を過ごした人間たちは、幸せだったでしょう。もしかしたら、今の人間たちよりものびのびとしていたかもしれません。

早く、私たちは目覚めなくてはいけませんね。
ありがとうございます。

お礼日時:2011/05/15 23:44

原始時代の人間は、飢えれば自分の子どもも食べてソレすら無くなれば飢え死んでいました



原始時代の人間は、暑さ寒さ流行病でパタパタと死んでいました

原始時代の人間は、集団で集団を殺戮し食べたりしていました


原始時代の人間には「幸福だ」「不幸だ」と呑気に考えられる余裕はありませんでした

生きるためだけに必死なのは野生の動物と同じです。
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この回答へのお礼

なるほど。そういう視点もありますね。

ありがとうございます。

お礼日時:2011/05/15 23:56

何が不幸なのかというのも個人によって違うので必ずしも「不幸になる」とばかりも言えないかなあと思います。

医療の進歩によりとりあえず寝たきりでも、助からなかった命が助かるようになった、これを動けないまま長生きしてもつらいだけだと見ると不幸と捉える人もいれば、それでも生きていられるだけ幸せだと思う人もいるかもしれません。昔の人からしたら、こういう技術があれば・・・と思うものもあるでしょう。確かに諸刃の刃の面もあるので、何がいいのかはわかりません。人間が動物と違うのは話すことができ、良くも悪くも色々考えることができるということです、未来を考える、過去を振り返る。お金儲けを考えるetc。これらがあるゆえに、動物と同じようにというわけにもなかなかいかないのかなと思います。もちろん文明によりその表れ方や発展度に差はありますが、少なくとも動物よりはそういう面が現れていると思います。

ひとつ言えるのは、今回の地震のように大規模な災害でその文明の力を失うと、見る見るうちに生活が困難になるということです。動物は環境にあわせ自分自身を変化させ、対応できないものは滅びますが、人間は自らが進化するのではなく、技術を進化させることによって、環境に適応しているだけで、それらを失えばあっという間に窮地に陥るということです。
でも一度便利を手に入れると簡単に後戻りは出来ないのも確かです。そうであるなら、便利と引き換えにこれからもその危険と隣り合わせに生きていくのもやむを得ないのではないでしょうか?すでに知っているのに、技術を元に戻すのはともすれば、何かあれば原発の問題ではないですが、どうしてわかっていたのに・・・ということにもなってしまいますしね。難しい問題だと思います。
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この回答へのお礼

大変、意味のある御回答です。
しみじみ考えさせられました。ありがとうございます。

お礼日時:2011/05/16 00:05

地球も自然も心も



仰る通りだと思います。
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この回答へのお礼

共感頂けたようで嬉しいです

ありがとうございます。

お礼日時:2011/05/16 00:02

ご質問を読んだ時には、


「もっともだ!」と思いましたが、

よく考えると便利になって嬉しいことはたくさんある。

冷房も暖房も長生きも携帯もインターネットも。


大昔には私の好きなユーロビートも聴けなかったし。


だから、要するに、
「何かを得れば、何かを失う」ってことじゃないのかなぁ。
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この回答へのお礼

なるほど、「何かを得れば、何かを失う」 そうですね、そうかもしれません。

ただ、私は個人的なフィーリングとして、失う物の方が大きい気がしてなりません。

ありがとうございます。

お礼日時:2011/05/16 00:02

ほんの二百年ほど前まで、人類はずっと飢饉と疫病を恐れながら生活してきました。

産業革命の恩恵によって工業が発達し、とりあえず文明国では飢饉を恐れることがほとんどなくなり、また科学の発達によって疫病が克服されてきました。
文明はそれまでの不幸を解決するために発展してきたのであって、不幸にするために発展したわけではありません。ただ、その結果としてそれまでは考えられなかった新しい不幸が生じているということです。しかもその不幸は、文明の発展の必然としてではなく、さまざまな進歩した技術などを的確に使いこなせないために生じているものであり、文明の発展が悪いのではなく、それを悪用したり手抜きをしようとする、人間に先天的に内在するずるさ・弱さが原因であると私は考えます。
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この回答へのお礼

なるほど。おっしゃることは正論ですね。

ありがとうございます

お礼日時:2011/05/16 06:20

文明が発達するほど幸せになるとは思いませんが、文明が発達するほど不幸になるとも思いません。



「本質的な幸せ」が何かはよくわかりませんが、「どの時代に生まれてきたいか」と聞かれれば
私は今この時代に生まれたいです。(未来に生まれるのはナシとして)

たしかに原始時代ならクレジットカードの不正利用にも放射能にも敵国の軍隊にもおびえなくて済むでしょうね。

でも、その代わりに、獲物が取れなくて飢え死にする恐怖や肉食獣に狙われる恐怖におびえて暮らしていかなければならないでしょうそうね。

生きていく限り何かしらの恐怖は付きものなんです。

原始時代に比べれば、紛争地域ならまだしも、現代の日本でははるかに守られていて平穏な毎日を送れているんじゃないかと私は思います。

原始時代にあこがれるなら無人島で自給自足されてはいかがですか?(嫌味で言ってるのではなく現にそうされている方をTVで見たことがあります。)
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この回答へのお礼

確かに、そう考えるといつの時代も不安や恐怖と無縁という訳にはいかないのでしょうね。
おっしゃる通りです。

「文明の発達が不幸を招く」というのを、「文明の発達が必ずしも幸福に直結するとは限らない」に訂正しようと思います。

ありがとうございます

お礼日時:2011/05/16 06:19

他のどなたかと同じく、私も幸せは色々だと思います。

でも、現代人が原始時代に行った場合は苦痛ですが、原始人が現代に来た場合は、突発的には喜ぶと思いますね。雨をしのがなくていいんだ、火をおこさなくていいんだ、と。
だから、便利や可能は幸せと結びつくと思いますよ。
以上、新しい物好きの高校生からでした^^
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この回答へのお礼

なるほど、そうですか。
確かにそうかもしれません。

ありがとうございます

お礼日時:2011/05/16 06:15

 それは「失うことの怖さ」ではないでしょうか。

幸せが大きいから、それを失うのが怖い。だから幸せが大きくなるほどにそれを失ったときの不幸が大きい。

 だって、「何もないときが幸せだった」なら、今何もかもを失ったとしたら一番幸せな状態に戻るだけでしょう。
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この回答へのお礼

なるほど。失うことの怖さですか。
そうかもしれないですね。

ありがとうございます

お礼日時:2011/05/16 06:14

それは、便利になっていくことに喜びや楽しみを見出しすぎて、負の部分が盲目的になっているからでしょう。



地球温暖化が進んでいますが、車を例にとると一番よく分かります
人類の発展は文明の発展と密接不可分の関係ですが、車が発明されてそれが生活にとって便利な道具と分かると、皆が使って車の需要が高まっていきます。
そうなるとその供給も盛んになるわけですが、当然製造のために沢山の電気を使います。
電気は発電しないといけませんから、その影響でCO2が増えます。
一方では、車が増えるに従って排気ガスも増えていきます。

私たちに見えているのは、車によって満たされた便利で楽しい生活であり、そのはるか上流である発電によるCO2や、走るたびに出される排気ガスのことなど全く考えていません。
それが行く行くは、地球のバランスを崩して生態系を崩して、やがて人間全体のの生活にも影響を及ぼす事態となるのに、近視眼的な生活の享受にしか思いが及ばないことが問題です。

昨今、大型台風が衰えぬままに日本にやってくることが多くなりました。
言うまでもなく、これは日本近海でも海水温度が下がらぬままに台風が成長してしまう結果なのですが、報道でも私たちも実感するのは、“こんな大きな台風がやってきたら被害が大変・・”というような、いたって「自分の周り的」なことにのみ関心を示します。
ですが、こういう大型台風が来てしまう根本的な原因は温暖化と関係があるのに、(大きな被害が出るにもかかわらず)無頓着のような気がします。
そういう自然現象を引き起こすのは、自然ではなく人間ということを忘れていますね。
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この回答へのお礼

おっしゃる通りです。
ありがとうございます

お礼日時:2011/05/16 06:14

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