激凹みから立ち直る方法

 福島県東部は山間地ではありますが、瑞穂の民は瑞穂の原風景とともに生きてきました。
そうした原風景が失われることになり、個人差もあろうかと思いますが、精神衛生上どのような影響があるでしょうか。
案外、柔軟に受け止めれるものでしょうか。

A 回答 (3件)

自分の経験から書きます。



人間は戦争・災害・犯罪・事故等に遭遇した際、どう認識するかによって人生のその後を異にします。
決して事実によって決まるのではなく、受け止め方・認識によって決まります。

悲観的な事、嫌な事はなるべく考えないようにすると決めています。
私は震災カウンセリングと違う姿勢です。私は言葉にすることもあまりしないでしょう。

その代わり、美しい物、楽しい事に必ず接してコメディー・音楽等は欠かさないようにします。
私の場合、故郷の原風景はなるべく考えないようにします。意図的に見ないようにするかもしれません。
原風景が失われたとは考えないでしょうし、「原風景は自分の魂に存在するだけで充分」と考えるでしょう。
悪い記憶が蘇ったら、即座にそれに反する素晴らしい体験を引き寄せてその記憶を退けます。

もしどうしてもその記憶が浮かんでしまうのであれば、仏教やイスラム教やその他の宗教の瞑想法を試します。

我流に言えば、PTSDはPTSDになるのが都合が良いからなる部分もあるのです。(私独自の考えです)
こう考えるに至ったのは、結局人間誰もあてにならないと悟ってからです。
(誰も同情しませんし、誰も理解しません。
それどころか、自分の立場を話せば、場合によっては不利な状況に立たされます。)


勿論個人差もあります。精神上どの程度の影響があるかは人によって違います。

精神上○○程度の影響がある、、、云々というのも一種の暗示です。
私が当事者なら、自分に精神上まったく影響は無いという自己暗示をかけます。
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この回答へのお礼

 大変内容の有る回答に相応しいお礼ができませんが、有難うございました。

お礼日時:2011/06/18 15:46

最初に回答した者ですが、震災PTSDに関してははっきり言って統計データを医療界が手にいれたいという事情があります。


また、PTSDに限らず治療というものは、最終的には治療者主導で行われるものなので、
被災者のニーズを必ずしも満たすものではありません。
PTSD治療の方針に沿うように被災者が行動することが求められます。
治療の枠の中で、治療者の意図に沿って行動することが前提であり、決して被災者のすべてが理解される訳ではありませんので、自分だけの体験であると確信があるのであれば自分だけで消化・解釈するしかありません。
経験しない人間には、治療者といえども理解できません。理解してもらおうという考えこそが過ちの基です。

刑事事件でも、警察や弁護士は法的な背景しか理解しません。一般人は犯罪というものすら実感できません。戦争でも、行ったことの無い人間には想像できません。個人的な戦争体験であれば、人によっても認識・感覚は異なります。戦争世代が語り継いでも、無関係な世代は関心を示しませんし、最終的には他人に期待せず自分で解決しなければなりません。

他人に期待できない、という部分が二次的な心理被害になっていく可能性があります。
私は、他人に理解してもらおうということ自体が無理なのだと考えた方が傷が浅くてすむという考えです。
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この回答へのお礼

 大震災とか激動の・・とか大げさな面もあろうかと思いますが、歴史を鳥瞰しますと、さほど特別な事象では無いのかもしれません。
 水田に限りましては、特別な想いを感じますのは、人間と稲作との歴史、DNAが関わってるかどうかは推測しか出来ません。
 回答有難うございました。

お礼日時:2011/06/18 16:49

>瑞穂の原風景・・・


心に響く言葉ですね。
私にも田舎の原風景があります。
しかし、今、田舎に帰ってみると、そうしたものは名残り程度で余り感じられなくなってしまいました。
田んぼの畦道は舗装され、除草剤が大量に撒かれて、草も少ししか生えていない
排水の水の中には生き物の気配が全くないといった感じです。
田舎も変わったのです。
それは、東京オリンピックの頃の、米の増産時代に水田の区画整理事業が進められてからの事です。
その後の稲作の急激な機械化の影響もあったようです。
専業農家は激減し、今は稲作を依頼している人が多くなってしまいました。
農家らしさのある家庭というものも、余り見かけないような感じがします。
少し大げさにいえば、日本の農家はすでに崩壊した、といった感じさえします。
時代の流れなのでしょうか。

私などは、子供の頃の田んぼの風景を両親の姿とともに懐かしく思い出しますが、今の人達に、そうしたものは余りないように思います。
原風景という宝物の内容が変わってしまったのでしょう。
年配の方においても、そうした時代の流れというものは既に十分伝わっていると思いますし
致し方ないという諦観もつくと思われます。
若い人達に少しでも希望が持てればそれでいい、というような気持ちではないでしょうか。
自分の世界が失われてゆく悲しみよりも、若い人達の笑顔を見る幸せを大切にしたいと思っている人が多いのではないでしょうか。
年配の方の心情を刺激さえしなければ、案外に大丈夫のように思われます。
あとは、先祖から受け継いだ田んぼの土地への執着心が強いという面から、それらを粗末に扱う事だけは避けるべきだと思われます。
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この回答へのお礼

 休耕田、耕作放棄地と珍しくは無くなりましたが、急な変貌への拒絶感は米と人間との関わりの歴史なのでしょうか。
 回答有難うございました。

お礼日時:2011/06/18 16:15

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