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大震災から「きずな」という語が、よく出てきますが、

「きずな」は誤りで「きづな」が正しいのではないですか。

A 回答 (21件中1~10件)

学者の中にはあなたと同じことを考えた人もいるはずです。

いや、学者であるからこそ新しい仮名遣いを決めるときに語源を重視すべきと主張する人がいたと考える方が自然です。
ところが、新仮名遣いは政治の方が主導となって決まったことで、「ぢ」「づ」に関してはそれを “できるかぎり使わなくする” ことが第一目標であり、語源を重視することや日本語をよく知ることは残念ながら重視されなかったのです。以下、No.19にある内閣告示を参照します。

まず、5の書き出しに「次のような語は,「ぢ」「づ」を用いて書く」とあるように、「ぢ」「づ」はあくまでも例外である、というスタンスです。
「なお~」以下の但し書きに「現代語の意識では一般に二語に分解しにくいもの」とありますが「一般に~分解しにくい」というのが曲者で、はっきり「分解できない」とは書いていません。つまり「ぢ・づ」にする *明確な理由ができないものについては「じ・ず」にしてしまおうということです。

(* 「づな・ずな」で言えばお上の決めた明確な理由とは、「横綱・纜・手綱」などは実際に具体的な「綱(ロープ)」があるから「づな」と書くが「絆」という「綱」はないから「づな」と書かない、ということ。しかし質問者さんが糸偏に注目し、また多くの日本人も「綱」はともかく「つなぐもの」というイメージは持っている、だから語源を重視し「づな」と書くべきであるという考えが起きるのもまた当然である。これを「一般に~しにくい」という言い方で曖昧にしている)

「地・頭」の音読みの一つが「ジ・ズ」であるのも、もう一つの音読み「チ・トウ」との兼ね合いからは「ヂ・ヅ」が好ましいかもしれないけれど上述のように基本スタンスが「ヂ・ヅ」をなるべくなくすことにあるため、どうしても「ヂ・ヅ」を使わなければならない条件に当てはまらない(地面・頭痛の頭音は連濁ではない)からです。


学者は馬鹿じゃない。日本人もほとんどは人を結びつける絆にものを結びつける「綱」のイメージがあることを理解できるでしょう。しかし繰り返しますが現代仮名遣いにおける四つ仮名の扱いの主眼は別のところにあったのです。

1998年にドイツ語の正書法が改訂されました。その中には語源にかなった綴りに変えるもの(まさに「きずな」を「きづな」にするのと同じです)が含まれます。一方日本では当用漢字や常用漢字の見直しは今まで何度か行われましたが仮名遣いに関する見直し・変更は現代仮名遣いができて以来ありません。その点で日本のお上は日本語への関心が薄いのかもしれません。正書法が改訂されると出版や教育は一大事です。そういうところも原因なのでしょう。日本人全体が母語への関心が薄いとは思いません。
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この回答へのお礼

>「ぢ」「づ」に関してはそれを “できるかぎり使わなくする” ことが第一目標

大変よくわかりました。

>日本人全体が母語への関心が薄いとは思いません。
最初の頃の回答者さん達が日本おかみが決めたことで、文句言ってもしょうがないというお話が多いです。
しかし回答者様の説明大変よくわかりました。
おっしゃるとおり、ここの一部の回答者様は別にして、日本人の大部分は母語に関心高いのでしょう。

ありがとうございます。
よく理解できました。

お礼日時:2011/06/12 12:38

例 世界中(せかいじゅう)・・・


 >現代語の意識では一般に二語に分解しにくいもの
・・・そんなことない。分解して初めてその語の意味がわかるはず。

質問者さんは、中国語(漢語)の発想に引きずられているんじゃないのかなという気がします。

ここでいくら繰り返しても質問者さんの気に入る回答は得られないと思うので、No.16で言及
した水谷静夫さんに、岩波書店を通じてお尋ねになってみてはいかがでしょうか。誠実な方
ですので、少しでもあなたのこだわりを解きほぐしてくださるかもしれませんよ。休息休息。

参考URL:http://www.iwanami.co.jp/aidoku/index1.html
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この回答へのお礼

再びありがとうございます。

世界中の「中」は接尾語です。
日本中、東京中、1年中・・・。
「中」をつければこういう使い方ができることわかります。
これ、分解していることです。

>質問者さんは、中国語(漢語)の発想に引きずられているんじゃないのかなという気がします

・・・中国語は全く関係なしです。
幼稚園児ならば「せかいじゅう」は分解できません。
しかし小学生ならばわかるはず。そして、これを知ることにより日本語力が伸びます。

どうして日本人が分解しないできないのか不思議です。

>休息休息。
休息しますが、偉い学者の代理説明期待します

お礼日時:2011/06/12 07:48

>日本の偉い学者が協議して決めたことでしょう。


>この会の回答者様達の回答とは全く違うと思います。

へえ~、ではその偉い学者の言い分をどうぞ。これまでの回答と全く違うかな?

現代仮名遣い 内閣告示第一号 より

5 次のような語は,「ぢ」「づ」を用いて書く。

(1) 同音の連呼によって生じた「ぢ」「づ」

例 ちぢみ(縮) ちぢむ ちぢれる ちぢこまる

つづみ(鼓) つづら つづく(続) つづめる(約△) つづる(綴*)

〔注意〕 「いちじく」「いちじるしい」は,この例にあたらない。

(2) 二語の連合によって生じた「ぢ」「づ」

例 はなぢ(鼻血) そえぢ(添乳) もらいぢち そこぢから(底力) ひぢりめん

いれぢえ(入知恵) ちゃのみぢゃわん

まぢか(間近) こぢんまり

ちかぢか(近々) ちりぢり

みかづき(三日月) たけづつ(竹筒) たづな(手綱) ともづな にいづま(新妻) けづめ ひづめ ひげづら

おこづかい(小遣) あいそづかし わしづかみ こころづくし(心尽) てづくり(手作) こづつみ(小包) ことづて はこづめ(箱詰) はたらきづめ みちづれ(道連)

かたづく こづく(小突) どくづく もとづく うらづける ゆきづまる ねばりづよい

つねづね(常々) つくづく つれづれ

なお,次のような語については,現代語の意識では一般に二語に分解しにくいもの等として,それぞれ「じ」「ず」を用いて書くことを本則とし,「せかいぢゅう」「いなづま」のように「ぢ」「づ」を用いて書くこともできるものとする。

例 せかいじゅう(世界中)

いなずま(稲妻) かたず(固唾*) きずな(絆*) さかずき(杯) ときわず ほおずき みみずく

うなずく おとずれる(訪) かしずく つまずく ぬかずく ひざまずく

あせみずく くんずほぐれつ さしずめ でずっぱり なかんずく

うでずく くろずくめ ひとりずつ

ゆうずう(融通)

〔注意〕 次のような語の中の「じ」「ず」は,漢字の音読みでもともと濁っているものであって,上記(1),(2)のいずれにもあたらず,「じ」「ず」を用いて書く。

例 じめん(地面) ぬのじ(布地)

ずが(図画) りゃくず(略図)
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。
5-(1) OK
5-(2) OK

5-(2)なお以下 ダメです。
 例 世界中(せかいじゅう)・・・
 >現代語の意識では一般に二語に分解しにくいもの
・・・そんなことない。分解して初めてその語の意味がわかるはず。

「注意」以下もダメです。
変に理屈突っ張ったらダメです。地面は「地(ち)」の関連から「ぢめん」がわかり易い。

ということで、偉い学者の決めたことに疑問あります。
特に「現代語の意識では一般に二語に分解しにくいもの」というのはダメです。日本語を壊している。

でも偉い学者なのだから、バカではないのでしょう。
偉い学者の言い分聞きたいです。
回答者様が偉い学者の代理で私の疑問に答えください。

お礼日時:2011/06/11 18:40

No13です。



>しかし、日本おかみはバカでないと思いますので、何かあると思いますが。
バカですってば。バカでないとする根拠は何なのかなあ。

一応、大義名分は「発音通りに書く」ということらしいんですけど。実際、「ぢ」「づ」を発音できる日本人は多くありません。発音で区別できないのにある時は「じ」である時は「ぢ」、またある時は「ず」である時は「づ」ではややこしく、学校で教えにくいということなのでしょう。それでまとめて「じ」「ず」と書くようにした、ということです。以前、知り合いの山形県出身者が「ぢ」「づ」を発音できたのを聞きましたが。私は出来ません。
でも、だったら「私『わ』学校『え』本『お』持っていった。」と表記させるべきでしょうが、それぞれ「は」「へ」「を」ですしね。一貫性がまるでないんですよ。

ところで、逆に質問なんですけど(ルール違反かな?)、やけに「絆」ばかりにこだわっていらっしゃるんですけど、どうして「生地」「頭痛」「図面」「厨子」などには文句をつけてくれないんですか?
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この回答へのお礼

>バカですってば。バカでないとする根拠は何なのかなあ。
ご回答ありがとうございます。

日本の偉い学者が協議して決めたことでしょう。
この会の回答者様達の回答とは全く違うと思います。
といっても私、権威尊重者ではありません。

>やけに「絆」ばかりにこだわっていらっしゃるんですけど

震災で「きずな」が多く使われています。
「きずな」では「つな」「つなぐ」の意味がない。これ間違い。

>どうして「生地」「頭痛」「図面」「厨子」などには文句をつけてくれないんですか?

ご意見教えてください。

お礼日時:2011/06/11 14:11

質問者さんの日本語への理解がもう少し進むと、みなさんがおっしゃっていることの


意味がわかってくるのかなという気がします。(たとえば「関知しない」というのは、単に
「知らない」という意味ではありません。ご自分でも学習のために調べてみてください。)

ご自分の母語が日本語でないことの苦労はおありかと思いますが、ご健闘をお祈りします。
(「絆」を「き+つな」→「きづな」とすることについて、「つな」のみを言い、「き」について言及が
ないことに日本人は違和感を覚えると感じます。日本語の勉強どうかがんばってください。)
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この回答へのお礼

>質問者さんの日本語への理解がもう少し進むと、みなさんがおっしゃっていることの意味がわかってくるのかなという気がします。

・・・十人以上の方ご回答されました。みんな日本語に強い方と思っていましたが、期待はずれでした。
あなたが、みなさんの回答が日本語をよく知っている人の回答と理解しているなら、あなたの日本語力大したことない。

>たとえば「関知しない」というのは、単に「知らない」という意味ではありません
・・・知っています。私の「知らない」は、「関知しない」という意地悪な回答への返しです。

>、「つな」のみを言い、「き」について言及がないことに日本人は違和感を覚えると感じます。
・・・日本人変ですね。「つ」or「ず」は「つな」がキーポイントです。

>日本語の勉強どうかがんばってください。
・・・はげましありがとうございます。みなさんも頑張ってください。

お礼日時:2011/06/10 17:32

質問者さんの感情の部分に対しては、水谷静夫さんの『曲り角の日本語』〔岩波新書〕が


答えを出してくれるかもしれません。妻(中国人)がたいへんわかりやすいと言ってました。
http://www.amazon.co.jp/%E6%9B%B2%E3%82%8A%E8%A7 …
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この回答へのお礼

再びありがとうございます。
図書館で借りて読みます。
奥様大事に。

お礼日時:2011/06/10 09:18

日本語学では、「じ」「ぢ」「ず」「づ」を「四つ仮名」と呼んでいますが、ここでは「ず」「づ」に絞って回答します。



もともと日本語は「ず」はzu、「づ」はdu、と発音され、まったく別の音でした。したがって「かなづかい」の問題は起こらなかったのです。

ところが16世紀ごろから、「づ」が破擦音化しdzuと発音されるようになり、「ず」との違いがあいまいになり、ついには「ず」と「づ」が同音化して、どちらもdzuと発音されるようになりました(語頭以外ではどちらもzuになることが多い)。同音の「かな」が二つ存在することになりますから、「ず」と「づ」との使い分けが問題となってきます。「かなづかい」の問題が起こるわけです。

ちなみに制度としての「かなづかい」とは、発音の違いに基づいて書き分けることのできない複数のかなを書き分けるための基準を示す人為的な規範です。人為的なものですから例外的な処置が必要になったり、妥協せざるを得ない部分があったりするのはやむを得ないことです。

「歴史的かなづかい(旧かなづかい)」は、日本語がさまざまな音韻変化を起こす前の文献(おもに上代文献)でのかなの使用例に基づいて「かなづかい」の規範をとします。「絆」は「きづな」です。

現代語を表記するには、「歴史的かなづかい」では実際の発音とかけ離れすぎていて(「今日〈きょう〉」を「けふ」と書くなど)不便だということで、昭和21年に「現代かなづかい」が制定され、その改定版が昭和61年の「現代仮名遣い」です。


「現代かなづかい」ではdzu(語頭以外ではzu)は「ず」を使う、これが大原則です。

例外として「づ」が使えるのが以下の2項です。

1、「つづみ〈鼓〉」「つづら〈葛籠〉」のように同じかなが重なる場合(「現代かなづかい」では「同音の連呼」と呼ぶ)

2.「筆+遣い=ふでづかい」、「宮+仕え=みやづかえ」のように「つ」が連濁して生じたdzuは「づ」を使う

「絆kidzuna」については、現代日本人の大多数が一語と意識しており、「き+つな」という発想はありません。したがって前記2には該当せず、「現代かなづかい」では原則通り「きずな」と書くわけです(もっとも「きづな」でも可という)。絆を「きずな」と書く理由は以上です。これについてのあなたの感情に、私は関知しません。

ちなみに「地面」のdʒiは「ち」が連濁したものではなく、もともとdʒiであるということで、原則通り「じめん」と書きます。


「現代かなづかい」は、人為的な規範として、それなりに筋は通っていると私は考えます。私が理屈がわからないのは「無花果」を「いちじく」と書くことぐらいです。子どものころからなじんでいる「かなづかい」でもありますし、今更旧かなづかいに戻ったりしたらそれこそ大迷惑です。

この回答への補足

>私が理屈がわからないのは「無花果」を「いちじく」と書くことぐらいです。

ここに理屈書いてる。ご参考になると思います。どうぞ。
http://gogen-allguide.com/i/ichijiku.html

補足日時:2011/06/11 14:22
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この回答へのお礼

新しい日本の正書法よくわかりました。
>「絆kidzuna」については、現代日本人の大多数が一語と意識しており、
・・・だれでも一語だと思います。

>「き+つな」という発想はありません。
・・・語の意味から「つな」の発想がないのは変。
横綱も一語です。

>「地面」のdʒiは「ち」が連濁したものではなく、もともとdʒiであるということで、原則通り「じめん」と書きます。

・・・変に原則突っ張るから、話ややこしくなる。連濁でなくても、「地ち」との関係から「ぢめん」の方がわかりやすい。

>絆を「きずな」と書く理由は以上です。これについてのあなたの感情に、私は関知しません

・・・知らないのであればしょうがないです。

>私が理屈がわからないのは「無花果」を「いちじく」と書くことぐらいです

・・・驚きました。

>今更旧かなづかいに戻ったりしたらそれこそ大迷惑です。

・・・全部旧仮名遣いに戻せといっているのではありません。
今の正書法の至らない部分修正がいいと思います。

「日本語学」ありがとうございました。

お礼日時:2011/06/10 09:17

質問者さんは、日本語をまじめに学ぼうとする外国(お名前からすると中国の方で


しょうか)の方かとお見受けしますが、「絆」は他の方もおっしゃるように、現在では
1つの語となっていますから、日本語を母語とする日本人が通常使用している現代
仮名遣いでは「きずな」と書き、正書法としてもそのように浸透しています。

「横綱(よこづな)」は「よこ+つな」からきており、「よこ(横)」、「つな(綱)」それぞれの
意味がわかることから「づ」としているのですが、「絆」の語源「き+つな」を考えた
場合、もはや一般の日本人に「き(騎)」をイメージするのは難しいため、「きずな」を
本則とし、語源を考慮して「きづな」を許容しているのです。

私の妻(中国人)も、日本に留学してきたばかりのころは、質問者さんと同じような
問いかけをよくしていたものです。お礼の文章を拝見して、なつかしく感じました。

回答としては、「きずな」は誤りではなく、「きづな」でなければならないということは
ないということになると思います。(ただ、一般の日本人にとって「きづな」とするのが
わかりやすいかという点からは、逆に誤りとしてもよいのではと感じています。)
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この回答へのお礼

>もはや一般の日本人に「き(騎)」をイメージするのは難しいため、「きずな」を

「き(騎)」をイメージするのは確かにむずかしいです。
しかし「つながり」ですから「綱」をイメージしないのは、変です。
もし「絆」から「綱」をイメージしていないとすれば、ちょっと変。
変な誤用を生む元になります。
「綱」がベースにないのはおかしいと思います。

ご回答ありがとうございます。

お礼日時:2011/06/10 08:34

>私は日本のおかみバカでないと思う。


バカですよ。
>「きずな」と決定する確固な理由ある筈です。それを質問しているのです。
ないですよ。

脈絡などないです。「地」も「血」も「ち」なのに、「地面」は「じめん」、「鼻血」は「はなぢ」です。
「臭気」は「自+大」なのに、「嗅覚」は「自+犬」です。
新仮名遣い(←これも「づかい」)や新漢字を決める時に、いい加減に決めておいて、直そうとしないのです。漢字学者の白川静氏もずいぶん意見を述べていたのですが、まったく無視されていました。

>「きずな」は誤りで「きづな」が正しいのではないですか。
と主張するのは
「『臭』は『自+大』は誤りで、『自+犬』が正しい」
と主張するのとちょうど同じ関係です。本当に、正しい表記を取り戻したいものですね。
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この回答へのお礼

よくわかりました。
ありがとうございます。

しかし、日本おかみはバカでないと思いますので、何かあると思いますが。

お礼日時:2011/06/10 08:19

語源的には「きづな」が正しいのでしょう。

それは否定できません。

でも、今、ここで「きづな」が正しい!と声高に唱えても、

《“おかみ”の定めた表記の基準によれば、「きずな」が本則で「きづな」が準則である》

ということは覆りません。

ですから、

《語源的に考えれば「きづな」であるべきだ。しかし、現在の日本語表記の基準は“おかみ”が決めている。その“おかみ”の決めた表記を正しいと見るならば、「きずな」が正しい》

という答えしか出てこないしょう。これ以上の答えを、ここで求めても仕方ありません。

どうしても「“きづな”が正しいのだ!」とおっしゃるのなら、“おかみ”に訴え出るべきです。
文部科学省だか文化庁だか国語審議会だか分かりませんが、そういう所に「“きづな”が正しい」と訴え出てください。

そこで、“おかみ”が、「誠に御説ごもっとも、JiangJingguoさまのおっしゃるとおりでございます。我々の説が間違っておりました」ということにならない限り、今の日本語表記では「きずな」が正しいということになり、学校では「きずな」と教え、マスコミも「きずな」と表記することをやめないと思います。
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この回答へのお礼

>語源的には「きづな」が正しいのでしょう。それは否定できません。

これをあなたは認めている。
しかし、おかみが「きずな」だと決めた。
これはしょうがない。

・・・なぜ「きずな」なのか、「きづな」とどっちがいいのか言及がない。
「おかみが決めたものに抵抗してもしようがない」
・・・敗北主義ではありませんか?

私は日本のおかみバカでないと思う。
「きずな」と決定する確固な理由ある筈です。
それを質問しているのです。

>「おかみが決めたものに抵抗してもしようがない」
・・・こんな回答は不要です。
ありがとうございました。

お礼日時:2011/06/09 07:37

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