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ってスポーツを完全にバカにした言い方ですよね?

A 回答 (8件)

そうですね。


完全にバカにした言い方です。
スポーツと武道の違いは何なんだというと、精神性とか難しい小理屈を付けて説明する人もいますが、簡単な事です。
スポーツとは競技です。
武道とは武術を極めんとする道です。
武道はもちろんスポーツを内包する事が可能です。
スポーツは「競技(スポーツ)の為に技術を磨く」
武道は「技術を磨く為に競技(スポーツ)がある」
この違いです。
もちろん競技を行わず純粋に技術だけを修練する武道もあります。

下の方の回答でルールの過激さによって武道かスポーツかを論じられている方もおりますが、ルールを取り決めて競争する時点でそれは立派なスポーツであります。
要は「目的」か「手段」かの違いなのです。

で最初に戻りますが、武道の競技面だけが広まって金も稼げるようになり地位も名誉も与えられるとなったら、競技を最終目標にして、競技ではルール上使えない技を無用と切り捨てていく傾向にあります。
そうなると真面目に技術を修練してる人やそれを期待して入門してきた人はおもしろくありません。
だから競技一辺倒の人を非難する為に競技そのものをバカにしているという構図が出来上がるのです。
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no.4です


申し訳ありません。コピペした時に文章の最後が切れてしまっていたので続きです。

まぁこういう事を書いても武道、武術を真剣にやった事無い人には結局何を言ってもスポーツをバカにしているとしか思えないと思いますが・・・これは武道の側の考え方が悪いって事です。
土俵が違うのにあえてスポーツとして普及させたくせに武道の考え方を引きずっているのが問題なのです。
スポーツなんだから純粋に技術を競って楽しめばいいだけなのにそこに武道としての思想、思考を持ち込む。
つまりスポーツに成っておきながらスポーツとしての流儀を無視し、武道の流儀を押し付けてるって事です。
今後他のスポーツと対等に見て欲しいなら完全に武道的思考を捨てろって事です(もしくは別に部門を設けてそちらで武道の追求をする)
それまでは他のスポーツと対等には見てもらえないと思います。
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「きれいごとの寸止めルールにかまけていると、一撃必殺を唱えつつ、鼻血も出せぬダンス空手に成り下がる」(愛読したコミックからの実例文)



主人公は実践空手(実際に相手を倒せる空手)を目指した人でした。

だからスポーツ化したダンス空手を明らかに下に見ていたでしょう。

スポーツ全体(たとえば球技、陸上競技、水泳競技その他多くのもの)を見下していたわけでは決してありません。


>~はスポーツに成り下がったという言い方
ってスポーツを完全にバカにした言い方ですよね?

直接の答えとしては、スポーツ全体をバカにした言い方ではありませんが、実際に相手を倒せる武道を目指す人からみると、スポーツ化した武道(スポーツの一部)を明らかに下に見た言い方です。それはそれで仕方ないでしょう。

コミックでは逆に、寸止めルールの空手を習っている流派は、実際に打撃を加える空手を「邪道なケンカ空手に成り下った」と見下していた面がありました。
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No.3です。

追加します。

武道とスポーツが同等であるなら、ある武道がスポーツに変化したのは、単に変化あるいは変貌しただけであって成り「下がった」という表現にはなりません。スポーツが武道より劣ったものであるという前提があって初めて成り「下がった」という表現になるのであり、「武道より劣るスポーツになった」からこそその武道をバカにした表現になるのです。

つまり、「~はスポーツに成り下がった」がその武道をバカにした表現であるためにはスポーツが武道より下位のものである、つまりスポーツをバカにした考えがなければならないのです。そうであって初めてその武道をバカにできるのです。

私は剣術系の古武道を30年ほど習っていて、土を飛ばして目つぶしをする技や、足を踏んで相手の動きを一瞬止めてその隙に斬る技や、相手の背中に回り込んで背中を切る技など、スポーツのフェアの精神からすると卑怯とみなされるような多くの技を習得しています。これらは弱者が強者に勝つための技術です。いかに効率よく人を殺すかという技術です。では、フェアプレーの精神と弱者が強者に勝つための技術とでは、どちらが優れたつまり上位のもので、どちらが劣った下位のモノなのでしょう?

これは上とか下とかいう問題ではないと思います。それぞれ求めるものが違うのです。
「いかに効率よく人を殺すか」を追求することがフェアプレーより高尚なことであるとは私には思えません。
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スポーツをバカにしているのではなくその武道をバカにした言い方です。



普通はスポーツ化するのに危険な技術や端から見て卑怯だと思われる効果的な技、禁じ手等の技術を自ら反則とし、使えなくする事で安全に広める事が出来るようになります。
しかし、そうすると本来の使い方、重心の動き等本来伝えていかなければならない重要な術理がすべて理想論になってしまい失われていくのです。
つまりスポーツとして広める事によって創始者の本当に伝えたかった技術や教えを捨てて、力が全てで弱者はどうやっても勝てないという当たり前のつまらない技術に貶めてしまうのです。

スポーツというのはもともと西洋において同等の技術を持つ者同士の競い合いであり決して弱者が勝つ為の技術を競い合うものではありません。
弱者が勝つ為に見つけた方法なんかも卑怯って事にされますし、そういう方法や技術で勝ち始めるとルール改正で禁止してきますよね。
要するにスポーツってただの力と力のぶつかり合いであり、娯楽でしかないんです。
そして武道は本来は武術として伝わっていたものであり弱者が勝つ為、生き残る為の技術であって競い合う技術では無かったのです。

ボクシングなんか見たら解りますが、体重により階級が細かく分かれています。これはある意味小さい者は大きい者には絶対に勝てないから同じくらいの人間同士闘わせようってことです。
柔道も階級制にしましたよね。無差別級も重量級の選手ばかり出てきますし、そうでないと勝てないようになっていますね。
柔道の術理の一部「柔よく剛を制す」の部分が失われてしまった(まだ完全には失われていませんが)という事です。
剣道だと真剣や木刀の替わりに竹刀を用いる事で安全に稽古出来るようになりましたが、その事により真剣で闘った場合に効果的な型や刀で闘う為の技術等が失われ、竹刀で闘う事を前提にした技術のみ追求するようになってしまいましたね。
本来真剣の替わりに使っていた竹刀がいつの間にか真剣に取って替わってしまい竹刀で闘う為の技術になってしまいましたよね。

武道は『道』の一字を加える事で精神論や礼節を重視し過ぎ術理や技術を多く失い、そこから更にスポーツ化し広める事で多くの術理や技術を失う。スポーツとして伝える事で得るものより、失うものの方が重要で多すぎたって事です。
つまりスポーツをバカにしているのではなく、武道がスポーツ化することにより広く伝える事が出来る反面、重要で伝えていかなければいけない術理や創始者の想い等の一番大切なものが失われてしまったので成り下がったと言うのです。


まぁこういう事を書いても武道、武術を真剣にやった事無い人には結局何を言ってもスポーツをバカにしているとしか思えないと思いますが・・・
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わたしも同感です。



No.1の方の
『武道はスポーツの要素を持ちながらも相手を倒すという「武勇の力」を加えたものでしょう。』
というのは、
『武道は「武勇の力」が加えられている分だけスポーツより優れている』
というニュアンスが含まれます。単なるスポーツとは違うというだけなら、
『~はスポーツに成り上がった』あるいは『~はスポーツとして昇華した』
と言っても同じ意味でなければなりません。

例「相手を直接攻撃しない空手はスポーツに成り上がった」
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どうも、最近は「日本人」の思考が「欧米化」してきたようで何だかなぁ。

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例「相手を直接攻撃しない空手はスポーツに成り下がった」




別にスポーツをバカにした言い方ではなく、単なるスポーツとは違う武道というものを表現しているだけと思います。

スポーツは純粋な運動、武道はスポーツの要素を持ちながらも相手を倒すという「武勇の力」を加えたものでしょう。
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