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【1】
法律って国民のものですか?専門家のものですか?
あなたはどちらだと思いますか?
意見をお聞かせください。

【2】
私は理系出身の文系人です。
どんな学問においても、専門家間に意見の食い違いがあります。
しかし、文系と理系では、大きな違いがあります。
(A)
基本的に、理系の学問で専門家の意見が食い違った場合、
片方が正解(あるいは、より真実に近い見解)を
述べている事になり、
もう片方が間違い(あるいは、より真実に遠い見解)を
述べていることになります。
(B)
ところが、「人為的価値判断」を含む文系の学問(特に法学)では、
自然法則に基づく絶対的な正解はありません。
そのため、専門家間で意見が食い違っても、
片方が正解で、もう片方が間違っているとは言い切れません。
(C)
だからこそ、専門家以外が法律を解釈してはいけないという認識では、
一般人が権力者や権威者のいいように操られてしまう危険があると、
私は考えています。
法律は国民が選んだ代表者が作ったものです。
「素人に法律を解釈する資格がない」と言わんばかりの法律家の態度は、
「自分達の都合の良いように
 法律のグレーゾーンを解釈し、
 大衆の無知に隠れて庶民を支配する。」
と、自ら宣言するに等しい
傲慢無礼なエリート意識の現われだと私は考えます。
(では質問)
実はこの「法律は国民のものである」という考え方は、
一見正しいようですが、実は誤りだとする意見もあるそうです。
皆様はどうお考えですか?

【3】
私は理系出身の文系人ですが、
「人為的な法律は自然法則の前では無力だ」ということを、
どんな時にも常に念頭において、
あらゆる社会現象を分析しています。
なぜなら、法律や法解釈があまりにも権力者にとって
都合の良い運用がなされると、
いつかは大衆の怒りが爆発して、暴動が起きたりして、
かえって社会秩序が崩壊するからです。
それは歴史が証明しています。
あなたはこのような視点に基づく
社会現象の分析の仕方に賛成ですか?
それとも反対ですか?

【おまけ】
以下のやり取りは、先日の私の真摯な質問に対し、
「素人が口を出すな」と言いがかりつけた
傲慢無礼な(捨てIDと思われる)回答者とのやりとりです。
http://oshiete.goo.ne.jp/qa/6715957.html
私は補足・お礼(URLリンクを含む)で真摯に
自分の考えを述べています。
感想をお願いします。

A 回答 (6件)

うーん。



難解な質問ですね。

でも、専門家も国民市民ですよね。

専門家のエリートとして裁判官が選ばれる訳ですが、裁判官の価値観によって判決も大きく違います。

しかも法律は解釈なる意味不明な判断がつきまとうのです。

法律は絶対正解の無い、流動的な価値判断だと、「私」は思います。


私はあるモノ造りの専門家ですが、同じ専門家同士でも、同じモノを造る過程での考え方が全く違ったりします。


理系的な証明だけでは、判断出来ないのが法律だと思う。

法律は人間の心が元になって出来ているので、人によって解釈が違う事は間違いではないと思う。


つまり、国民のモノであるが、判断は一部の専門家の独断に任されていた。

最近は国民に 近づける為に裁判員が採用されたのですよね。

今までは、一部の専門家の独断だったと思いますよ。


でも、法律は理系的な考え方はあわないと思います。
絶対の無いのが人の世です。
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国民のものだと思っています。

 
だから、法律が気に入らなかったり、勝手に改正されたりすると、地元選出の国会議員事務所に電話して納得いかない胸を伝え、法律を変えてもらうよう要望する。
国会議員事務所の秘書さんは、一応聞いてくれますが、当然あっけなく流されます。
国会や政治がもっと身近なものになればいいのに
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国民の権利と自由を保障する規範が法律とするならば、一方で義務と抑制を課すのも法律だと思います。


こういう二律背反がありますが、その理念は国民のためにあると思いますが、それを解釈して運用する「術」がなければ実際に何もできないわけで、その運用の手助けをする立場の人は専門家だと思います。
ですが、その解釈は右から左から振れ幅が大きいので、ある法律について国民の権利と自由を考えた時、最大にそれが保障されるかというと必ずもそうではなく、それは専門家の考える範疇においてのみということで、その限りにおいては国民のためになっていないとも考えられます。

一番いい例が「公共の福祉」という考えかも知れません。
国民の財産や権利は唯一無二と思っていたら、「公共の福祉の増進のため、私有財産は正当な補償を行うことで公共のために用いることができる」と定められています。
例えば、道路拡張などで財産権の侵害で国や地方公共団体に対して道路の中止を訴えても、それが認められることは極めて皆無かと思います。
“認めない”という正当性を主張するほど専門家の格が上がり、法律によって地位が温存されているような錯覚を覚えます。

法律は国民の権利と自由を保障するものという解釈をしましたが、同時に専門家の「飯の種」ということもできるので、“飯が食える解釈”をするのは当然のような気がします。
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【1】【2】


法律は、それを立案、制定、施行するときに、権力を握っている人たちに都合よく出来ているだけと思います.
ですから、国民という視点はもともと無いし、専門家たちもその法律を解釈するだけですから、多少の立場の違いはあるでしょうが、結局権力の番人でしかありません。

【3】そういった側面はあると考えられます。
しかし、あなたが取り上げた、怒る可能性がある「一般大衆」よりも、「もの言わぬ大衆」、の方が怖いような気がします。
3月11日以降の日本社会をみていると、「もの言わぬ」から、「もの言えぬ」にまで、進化しているような気がして、とても怖いです。

【おまけ】
  一応読んでみました.
  率直な感想としては、あなたも彼も、暇なんだなー、と思いました。
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【1】【2】への回答


誰の物かというより誰の為に存在するかと言えば国民の為でしょう。
ここで言う国民には素人も専門家も含まれます。
皆の物である法が困難で活用し難いのは、それだけ現代社会が複雑な証とも
言えるし、それを理解する者がそれで商売を行う為に簡便化しない側面が
存在することも否定しない。
法と言うものは国民の為に存在するが、それを知り得る者にこそ最大限の
恩恵を与えるものだと思います。

法律の解釈は専門家にしかできないと思います。
「素人に法律を解釈する資格がない」とは思いませんが素人が法律を解釈
してはダメな場面は数多くあります。
その人やその法人にとってのシリアスな場面では複雑な現代法体系を
体系的に理解し、慣習(実務慣行)まで含めた総合的知見に拠る判断
こそが利用者にとっての尊い判断です。

【3】への回答
この見方には反対です。
自然は人間の英知の及ばぬところにあることは確かですが
法というものは本来社会秩序の為に存在します。
これが誤った方向へ進まぬように別の枷をかけるのも法学や社会学
政治学の範疇で行うべきです。
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 法律学専攻です。



 大学のガイダンスで「法学」の先生がおっしゃいました。

 法律は難しいもののように世間では言われていますが、理解して、守ってもらわないといけないので、キチンと読めばわかるように書いてあります。

 例外は税法で、あれは、理解されると脱税されるという立場から、わざとわからないように書いてあります。税務署員にも本当はわからないようになっているのですが、

 皆さんがこれから学ぶのは、わかるように書いてあるほうの法律ですから、安心して頑張ってください。


 世の中に出ると、税法の解釈は税務署ごとによって、もっと正確には税務署員一人ひとり違っていることがわかります。たとえば税法に出てくる「相当な額」など、一体いくらなのかだれもわからない。

 税法は徴税権者のために、 一般の法律は一般国民のために 存在する!
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